第四章④
『いどーちゅーの脱走兵の名前は、山本 昌(やまもと まさ)。年はー、三十四さーい。顔のとくちょーはー、』
「大丈夫だ、不動。その脱走兵の顔なら覚えている」
『じゃー、監視カメラに写ったがぞーデータだけ送っとくねー』
「頼む」
不動から脱走兵の情報を聞きながら、俺は安堵していた。現在山本は東館から西館へエントランスホールを通って移動中らしい。
山本の顔は、俺が予め顔を覚えていた脱走兵の中に含まれている。不動から送られてくる画像データを見れば、後姿を見ればどれが昌なのかすぐに分かる。山本はNLFとは合流していない、脱走兵だったはずだ。コミケに爆弾を持ち込もうとした連中とは、無関係だろう。
不動と話をしつつ、俺はインカムを操作して分かれた螢樹とアンリへの通信チャンネルを開いた。
「聞こえているか? 螢樹(ほたるぎ)、アンリ」
『大丈夫デース!』
『も~うっ! さっきはちゃんと呼んでくれたのに~っ!』
インカムのボリュームを少し弱くしていると、スマホが振動。不動から画像データが送られてきていた。確認すると、痩せ型で頭皮が大分後退した男性が写っている。服はだぼだぼの、表に何やら英単語がやたらと並べられた灰色の半袖シャツに、洗いすぎて色が落ちているジーパンをはいていた。
俺はインカム越しに教官を呼び出す。
「教官。どうにか山本を足止めできませんか?」
『既にスタッフに協力してもらって、足止めをしてもらっているよ、無辺四曹。通路を走るな、と因縁をつけてもらってな』
「ありがとうございます」
『それから、お前また私のことを教官と、』
「脱走兵の姿を確認。これより狩りを開始します。李曹長殿!」
また怒鳴られそうだったため、教官との会話は早めに切り上げる。だが、嘘はついていない。俺の目は、スタッフに注意されている山本の後姿を捉えていた。
カート式の巨大なゴミ箱の手前でスタッフに腕をつかまれ、山本は焦りの表情を浮かべてる。
山本が焦っているのはニート狩りに合うという恐怖心からではなく、純粋にスタッフに呼び止められた時間だけ、自分が買いたかったものが売切れてしまう可能性が上がることを懸念しているだけだ。その脇で黒髪を腰まで伸ばした、胸の大きな女性がゴミ箱にゴミを捨てている。あるアニメに出てくる、魔法少女の格好をしたコスプレイヤーだ。
腕をつかまれたまま、山本は一言二言スタッフから注意されている。その間、山本は一度もスタッフと目をあわさず、ただただ地面に顔を落とし、スタッフに言われるまま頷いている。早く開放されたいのだろう。
教官もスタッフに山本を捕まえさせる、とは言っていなかった。山本が暴れた場合、山本がスタッフに危害を加えることを懸念したのだろう。ボランティアでコミケを運営しているスタッフに、そこまでは要求できない。それは、俺の仕事だ。
スタッフと山本の会話が、終わりを迎えようとしていた。開放される瞬間を前に、山本は安堵の表情を浮かべた後、まるで死地へと赴く戦士の表情になる。よほど欲しいものがあるのだろう。
だが、俺と山本の距離は既に縮まっている。周りのオタクを追い越し、一気に駆けようと右足を踏み出したその瞬間。俺は強烈な違和感に襲われ、足を取られそうになる。
この違和感は肉体的なものではなく、精神的なものだ。
おかしい。
何かがおかしい。
何か、ありえないものを見た時に感じる違和感が、足を進ませるのをためらわさせた。
俺が走り出せないのを嘲笑うかのように、山本はスタッフと分かれ、移動しようとしている。その脇を、先ほどの魔法少女の格好をした、黒い長髪のコスプレイヤーが通り過ぎていく。
「あっ!」
違和感の正体に気が付いた瞬間、俺は思わず叫び声を上げてしまう。周りのオタクたちが一瞬怪訝な顔でこちらを伺ったが、足を止めるものはいない。他人を気にすることなく、自分以外を切り捨てるように、自分のものを求めて、オタクたちは移動し続ける。
『隊長?』
「山本の近くにあるゴミ箱に近づいていたコスプレ女を押さえろ! いや、時間がないか……。教官に、伝えろ!」
『隊長? 一体、どうしたって言うんですか?』
「助けを求めるまで、全員俺に構わず参加者の非難を優先! 指揮は引き続き、お前に任せる!」
螢樹に指示を出しつつ、俺は移動し始めたオタクたちを追い抜きながら、山本に向かって走り始めた。
俺が感じた違和感の正体。東館で俺たちの顔を覚えており、因縁を付けてきた、NLFとも関係ないオタク。彼が持っていた袋から飛び出していた同人誌に描かれていた魔法少女は、黒い長髪の控えめな胸をしていたはずだ。
そして山本の脇を通り過ぎた魔法少女の格好をしたコスプレイヤーも、同じように長い黒髪の控えめな胸をしていた。先ほどは、胸が大きかったはずなのに。
さらに、ここに来る前に教官から聞いた、爆弾をコミケに持ち込もうとする不審者、NLFの存在。コミケのコスプレイヤーに対する持ち込み審査も、流石に服の下までは行っていないはずだ。
急に減った胸と、爆弾をコミケに持ち込もうとするNLFの存在。
杞憂であれば、それでいい。俺が教官に怒鳴られれば済むだけの話だ。
だが女性は、爆弾を隠すのにおあつらえ向きのゴミ箱にも接触していた。
そしてそのゴミ箱の傍を、山本が通り過ぎようとしている。幸い山本以外周りには誰もいないが、ゴミ箱に爆弾が合った場合、確実に山本に被害が出る。
そんなこと、させるわけにはいかない!
前のめりになりそうなほど体を倒し、俺は山本に突き刺さるような勢いで走り続ける。
爆弾がいつ爆破するかも分からない。当然威力も分からない。だが、もし次の瞬間爆発するようなことになれば、そしてモノによっては、最悪山本は死ぬことになる。
そんなことさせない。させてたまるものかっ!
死なせるわけにはいかない。
こんなところで、誰かの都合で終わらせていい命じゃない。
脱走兵(ニート)でも、生きててもいいのだから。人間なんだから。
俺と、同じなんだから。
山本は、生きてちゃんと働いてもらわなければならない。
山本は、俺がこの手で狩るんだっ!
だから。
こんなところで。
「死なせるかぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁっっっ!」
絶叫をほとばしらせながら突っ込んでくる俺を見て、山本は驚愕の表情を浮かべた。そこに一瞬躊躇しながらも、俺はラグビーの選手のように、山本をゴミ箱から自分の背中で庇うように、腰をかがめて突っ込んだ。
その瞬間。
爆音と赤い風圧が、俺の背中を襲った。
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