第四章②

 俺たち第八特別国家公務員法周知・送迎隊は、海へとやってきていた。

 もちろん休暇で海水浴に来た、というわけではない。それどころかNLFの活動が激化しているため、ここ最近休みは取れていなかった。

 海に、有明にやってきたのは、俺の部隊だけではない。他のニート狩り部隊の姿も、ここにはあった。

 八月中旬。夏の東京国際展示場。ここ東京ビックサイトで、巨大イベントが行われる。そのイベントに合わせて、大規模な警察と自衛隊の合同作戦が行われようとしているのだ。

 そのイベントの名前は、コミックマーケット。通称コミケ。

 売る側も買う側も同じ参加者となって盛り上げる日本国内最大、いや、世界最大規模の同人誌即売会。今日は、その開催初日だ。

 イベント期間中の来場人数は約六十万人を超えており、それでもなお来場者数は衰えを見せることなく、年々その数を増やしている。

 人の数が増えればトラブルの数も増え、その運営支援という名目の元、俺たちニート狩り部隊も総集結していた。

 そんな中、俺は一人でビックサイトに隣接している、有明西ふ頭公園脇に止められた大型車両の内の一台、作戦本部として情報が集められる車に走りながら汗だくでやってきた。

 時間は午前九時少し前。後一時間ほどでコミケが開場する今、有明西ふ頭公園には人の気配はない。

 だが数時間前まで、確かにこの場所はコミケに参加するためにかなりの数のオタクたちがいた。お目当ての同人誌、あるいはグッズが売り切れる前に確保するため、前日から徹夜で並ぶ徹夜組と呼ばれるオタクたちだ。コミケの運営ルールとして徹夜は禁止されているのだが、それでも自分の欲しいものを手に入れるため徹夜を行うオタクが後を絶たない。

 その徹夜組の中に、未成年が混じっていることもある。

 未成年の補導は警察の仕事だ。自衛隊は夜間組を誘導するメンバーにまぎれ、逃亡者が出ないように包囲。その後今日の午前零時になった瞬間に、警察が一斉補導を行っていた。

 徹夜組として参加した未成年者たちにも言い分はあるだろうが、ここは東京都。

 東京都における青少年保護育成条例として制定された、東京都青少年の健全な育成に関する条例で十八歳未満の午後十一時から午前四時の夜間外出は制限されている。深夜零時の夜間外出は違法だ。

 未成年でも日本国民である以上、補導された自分自身が自分を縛るように法律を定めろと言っている以上、自分の言い出したことには従わなくてはならない。

 数にモノを言わせた一斉補導はオタクたちによる若干の抵抗があったものの、それも鎮圧。一つ目の合同作戦が終わった現在の有明西ふ頭公園は、静かなものだった。

 だが、まだ大きな問題が残されていた。ゴミだ。

 徹夜組によって残された、大量のゴミだ。そしてゴミは有明西ふ頭公園周辺のみならず、ビックサイトの最寄の駅周辺にも大量に放置されている。

 運営支援という名目でやってきた俺たちニート狩り部隊の次の仕事は、このゴミの回収であり、俺はその準備ができたことを作戦本部に伝えに着たのだ。

 俺は手にした自分のスマホをかざし、車を施錠。車内に入ると同時に、敬礼した。

「教官。八班の配置、完了しました」

 俺が敬礼をして自分の部隊の現状を報告した瞬間、俺の頭に拳骨が落とされた。

 痛みに悶える俺を見下ろしているのは、俺と違い自衛隊の制服を着込んだ、少しきつめな目をした女性だった。

「まだ新人気分が抜けないようだな、無辺四曹。山場はあと一つ残っているんだ。たるんでいるぞ」

 女性の名前は、李 アンキョー。俺が新人だった時の指導教官であり、今の直属の上司だ。この人にはかなりお世話になっているため、いまだに会うと俺は教官と呼んでしまう。

 日本人よりも濃い色をした肌から分かる通り、教官は帰化日本人。黒人とアジア人のハーフだ。今回の合同作戦の総指揮は、教官が行うことになっていた。

「し、失礼いたしました。李曹長殿!」

 車の中にいる人たちに指示を飛ばす教官を見ながら、俺は慌てて敬礼をした。

「フン。私はお前がうらやましいぞ、無辺四曹。このクソ暑い中、半袖でいられるんだからな」

 教官の指摘通り、今の俺は半袖短パンと、ラフな私服姿をしていた。俺も夜間組を包囲する作戦に参加していたのだが、いつもの格好では流石に警戒される。そのため、私服姿で夜間組にまぎれていたのだ。もちろん、私服といえども銃は隠し持っている。

「だが、半袖の割りにずいぶんと暑そうにしているな。無辺四曹」

「それは……」

 それは、当たり前だろう。

 何せ俺の第八特別国家公務員法周知・送迎隊の清掃担当箇所は、りんかい線の国際展示場駅周辺。歩いて十二分ほどかかる距離を五分でやってこいと無線で言われ、俺は慌ててすっ飛んできたのだ。

 だが、あのまま無線で配置の完了を伝えた方が、どう考えても効率的。直接報告に来る意味が分からない。

「フン。無線で済むのに、何故私がわざわざお前を呼んだのか分かっていない、という顔をしているな。無辺四曹」

 俺の心を呼んだかのような教官の問いかけに、俺の鼓動は跳ね上がった。

「いえ、自分は、そんな……」

「そう緊張するな、無辺四曹。久々に、私がお前の顔を見たかったというのもあるのだ。相変わらず、問題児部隊として頑張っているそうじゃないか」

 しどろもどろになった俺を見て、教官はクスリと優しそうに笑う。

 だが俺は、そんな笑顔を見ても嫌な予感しかしなかった。

 教官は言った。お前の顔を見たかったというの『も』ある、と。

 なら、他の目的は何だ?

「新人気分が抜けなくても、察しのいいお前なら分かるだろ? 無辺四曹。これからする話は無線ではなく、私とお前だけで話した方がいいことだからな」

 そう言われて初めて、車の中に俺と教官の二人しかいないことに気がついた。先ほどの指示は、車内の人払いをしていたことに、遅まきながら俺は気がついた。

 そんな俺が、察しがいいから教官のいいたいことを分かっている?

 そんなわけがない。分かるわけがない。そして教官も、俺が分かっていないことを分かっている。

 つまり俺は、教官にからかわれているのだ。そう分かっているのに、俺は教官に無言しか返せない。

 そもそも、俺と教官だけで話した方がいいこととは、一体なんだ? まったく検討が付かない。

 新人の時からしごかれていたからなのか、俺は教官にはまったく勝てる気がしなかった。

 いつか出し抜いてやろうと思っているのだが……。

「お前の部隊で空砲が一発足らない計算になっているのだが、何か知らないか? 無辺四曹」

 こんなの勝てるわけねぇ!

 教官が言っているのは、先月アンリがキレて憲伸に向けて撃った空砲のことだ。

 どうにか誤魔化したと思っていたのだが、教官にはバレていたのだ。

「な、何のことだか自分にはさっぱりです」

「まぁいい。お前の部隊は、ただでさえ問題児が集まっているんだ。あまり無茶ばかりすると、どうなるか分かっているんだろうな?」

「……はい」

「とはいえ、部隊の送迎率がトップである間は、私も多少目をつぶってやることも出来る。逆にそれがなければ、存続できないような部隊もある。例えばその部隊が、問題児だらけだった、とかな」

「……」

「結果は大事だぞ、無辺四曹」

 結果。

 教官の言った通り、俺の部隊が、問題児たちが集まって『仲間』でいるためには、結果が必要だった。

「肝に銘じておきます」

「ああ。後一時間ほどで、我々主導の作戦開始時刻となる。期待しているぞ? 無辺四曹」

 教官と話を終え、車両の外に出たタイミングで、席を外していた自衛隊隊員が戻ってくる。あまりのタイミングのよさに盗聴されていたのかとも勘ぐったが、教官が二人で話したいと言った以上、それはないだろう。そこは信頼できる人だ。

 国際展示場駅に戻る途中、徹夜組の列に電車の始発以降にやってきたコミケの参加者を見ながら、俺はこれからの作戦に思いを馳せていた。

 奇しくも日本に住むニートの総数と、ほぼ同じ数の来場者数を誇る超巨大イベントであるコミケに、ニートが、NLFが参加するという情報が寄せられたのが、一週間前。

 NLFを支援する『神』たちが、SNSで堂々とコミケにNLFを派遣すると宣言したのだ。その内容は、オタクであるニートを満足させるための同人誌とグッズ収集。そしてコミケで手に入れた同人誌などを、一年以上ニートになることを約束した成人以上に対して無料で共有する、つまりニート増殖計画だった。

 情報が提供されたというよりも、もはやそれは犯行声明。ニートを減らし、少子化を食い止めるという政府の政策とは真っ向から対立する。もはやNLFはニートの集まりではなく、立派なテロ組織と化していた。

 さらには同人誌を共有する対象を成人以上としている。それはNLFに成人が、選挙権を持つ人が集まるということを意味している。NLFが政界に進出しようとしているのは、火を見るよりも明らかだ。これでは先月『神』を潰した意味がなくなる。いたちごっこだ。

 そのNLFに賛同し、NLFに合流するためにコミケに参加するというニートたちの意見も、コミケが近づくたびにネット上で増えていった。

 ニートといえば、家の外に出ない、それどころか部屋の外にすら出ることのない引きこもりをイメージする人がいる。だが、それは間違いだ。

 日本政府のニートの定義は、十五歳から三十四歳の学生や主婦を除いた求職活動に至っていない者、としている。つまり、引きこもっていなくても、働かず外をぶらぶらと歩くだけの人も、ニートに該当するのだ。

 そしてニートであるならば、二十歳以上であるならば、特別国家公務員法の適応資格があり、ニートの親が年金を納めたのならば、その子供は特別国家自衛官の対象となる。

 コミケに参加する脱走兵となったニートの中には、既に親に年金を納められているが、コミケで手に入れた同人誌を転売し、年金を払い、憲伸のようにニートを続ける権利を買い戻そうと企んでいる者もいる。

 しかし今から転売をして金を稼いでも、現状親の方が多く年金を納めているなら、親がニートを特別国家自衛官にする権利を持っている。今から転売をしようとしても、この瞬間狩られれば、それも意味をなくす。

 そもそも転売目的で手に入れた物を売却し営業を行う者は、古物営業法に規定される許可を受ける必要がある。つまり法に定められた許可を受けなければ、転売は原則として違法になるのだ。

 それでも彼らは、ニートは同人誌を、それを転売した先にある金を求めて、コミケにやってくるだろう。

 俺たちニート狩り部隊の本分は未成年者の夜間徘徊の補導ではなく、ニートを狩ることにある。

 その獲物(ニート)たちは、バカ正直に徹夜組になんて並ばないだろう。十時間以上も同じ場所で待機するなんて、自分で狩ってくれと言っているようなもの。

 だからニートは、始発以降の参加者の列にまぎれてコミケに参加する可能性が高い。

 未成年の補導は、警察が主役だった。だがこれからの合同作戦は、俺たちが主役となる。後一時間もしない内にアナウンスが流れ、大きな拍手が起こるだろう。

 それが、コミケ開幕(ニート狩り)の合図となる。


 今俺の目の前で繰り広げられている光景を一言で表すとするなら、大戦争、以外考えられない。

 そう。大戦争だ。

 人と人とが激しくぶつかり合い、時には怒号を上げながら、夏の日差しよりも暑く、熱い戦いを繰り広げている。

 同人誌とグッズを求めて、オタクたちはほとんど走っていると言っていいほどの速さで、西館と東館をつなぐ通路を行き来していた。彼らオタクにとって、コミケは戦争なのだ。

 めまぐるしく活発に動くオタクたちを眺めながら、俺はインカムにつぶやいた。普段あまり使っている人のインカムを使っていても、行き交う回りのオタクたちは俺のことを気にしない。

 そもそも俺の存在を気にしていないというのもあるが、俺たち以外にもインカムを使っている人はコミケには大勢いるため、インカムが珍しくないのだ。インカムを使えば両手が開き、その分同人誌を持てるようになるためコミケで使う人が多い。

「不動。何か異変はないか?」

『今のところ、いじょーなしだよー』

 国際展示場駅周辺の清掃後、俺はいつものように螢樹とアンリと共に行動していた。だが、不動はいつもの護送車に待機させていなかった。

 不動は、教官のところに向かわせていた。作戦本部では各部隊の情報支援担当員を集め、ビックサイトで飛び交う通信を傍受し、リアルタイムで解析を行っているのだ。これは六月に、俺が不動に作製させた解析ツールを応用して行っている。

 今回の任務はNLFの構成員と、NLFに所属していないが脱走兵となっているニートの捕縛にある。

 NLFを構成しているのは、先月『神』から金を受け取った選挙違反者と、脱走兵。今日は同人誌を確保するためかなりの数を投入すると見られ、ビックサイト周辺で構成員間での携帯や無線を使った通信が行われることが予想されていた。

 だが、それではNLFに所属していない脱走兵への対応が手薄になってしまう。

 そのため、作戦本部では会場に設置した監視カメラのチェックも行っている。原始的だが、顔が分かっている相手ならNLFか脱走兵かすぐに特定できる。

 肉眼に加えて、他のニート狩り部隊と合同で開発した映像解析ツールも今回導入している。カメラからの映像と、追っているニートの顔写真を比較させ、人間の目だけでなく機械の目でもNLFと脱走兵を追う体制だ。

 それでも、懸念点はある。

 まずはこの暑さだ。廃熱には気をつけているとはいえ、持ち込んだサーバや機器類が熱暴走を起こす可能性がある。携帯だけでなく無線の傍受まで行うため、機材をビックサイト周辺の有明西ふ頭公園まで持ち込まなければならなかったのだ。

 もしもの備えとして特定の脱走兵の顔は俺も頭の中に入れてあるが、最悪ツールの補助が使えないことも考えなければならない。

 そう考えている間に、俺たちは東館一階にある物販搬入用のシャッターから外に出て、ビックサイトの駐車場をぐるりと一周し終えた。

「そろそろ移動するか」

「そうデスネ!」

「了解です」

 俺は螢樹とアンリに声をかけ、移動しようとした。

 その時。

「お、お前ら、ニート狩り部隊だろ!」

 俺たちに声をかけてきたのは、童顔でメガネをかけ、チェック柄のシャツを着た肥満型の体型をした男性だった。両手には、同人誌が詰まった、二枚重ねにした紙袋を握り締めている。どう見ても許容量をオーバーするほどの同人誌が詰め込まれており、持っている本人のように二つの紙袋が膨らんでいた。袋からは黒い長髪の控えめな胸をした、あるアニメに出てくる魔法少女が表紙に描かれた同人誌が飛び出している。

「え、何?」

「何か、御用でショウカ?」

 ただでさえオタク嫌いで不機嫌になっている螢樹を押しとどめ、アンリがにこやかに男の前に出る。

 俺は右手で短パンに差した拳銃の感触を確かめながら、小声で不動を呼び出した。

「あの男、NLFか?」

『ごめん、たいちょー。今みんな外に出てるから……』

 そうだ。俺たちは今シャッターの、ビックサイトの建物の外、駐車場にいる。これでは監視カメラの映像が使えない。

 俺は舌打ちをしながら、自分の脳みそを雑巾を絞るようにして代案をひねり出す。

「駐車場に監視カメラは? ないなら、道路に設置された監視カメラの映像を使えないか?」

『やってみるけど、時間かかるよ?』

「ニートの、ぼぼぼぼ、ぼくを、狩りに来たんだろぉぉぉおおお!」

 俺と不動の会話に割り込むように、男は裏声を上げながら激昂した。

「お前らがいたから! こ、怖くて、トトト、トイレに余計に行って、ほほ欲しかった同、人誌、買えなかったじゃないかぁぁぁあああ!」

「……はぁ? こっちはアンタなんて知らないわよ。自意識過剰なんじゃないの? つーか、逆ギレしてんじゃないっての」

「ちょっと! ケイジュ!」

 露骨に顔をしかめ、自分の銃を取り出そうとした螢樹を、アンリが慌てて取り押さえる。先月まったく逆の光景を見た気がする。まだ螢樹が撃っていないだけ、まだ先月よりマシだと考えることもできるかもしれない。

 だが、先月よりマシじゃないことがある。

 螢樹は、男が言った言葉を否定しなかった。

 すなわち、俺たちがニート狩り部隊であることを認めてしまったのだ。

「え、ニート狩り?」

「マジで?」

 まずい! 周りに気付かれる!

 ここで騒ぎになれば、NLFどころか脱走兵にすら逃げられてしまう。

 幸いここは、右も左も人ごみだらけ。今ならまだ逃げ切れる!

「お前ら、行く、」

「そうさ! ぼくは見たんだ! コイツらがSNSで知り合った、高二の友達を連れて行くのを!」

 周りからの注目を集めて気を良くしたのか、俺たちを指差し、男は突然大声を上げて俺の声を掻き消した。普段あまり喋っていないのか、声の強弱がバラバラだ。

 だが、その大声の所為で俺たちは窮地に立たされる。

「おいおいマジもんかよ」

「つーか今自意識過剰って言った?」

「お前らのせいで同人誌買えなかったんだぞ! その言い方はないだろ!」

「責任持って、代わりに同人誌買ってこいよ!」

「そうだそうだ!」

「お前らなんか、死んじまえ!」

 クソっ! まさかこんなところで警察との合同作戦が裏目に出るとは思わなかった。

 俺たちに話しかけてきた男の知り合いを検挙した時に顔を覚えられていたのもそうだが、それがニート狩りへの不満に火をつけてしまったのだ。

 ニート狩りは年金を納める義務がある二十歳以上を対象としている。逆を言えば、未成年のニートは狩られない。学生のオタクたちは、まだ働いていない自分たちもニート狩りの対象に含まれていると勘違いしているものも多くいる。

 そのためニートだけでなく、オタクたちにとってもニート狩りは恐怖の対象になっているのだ。その誤解を解こうと活動してるのだが、『神』が、今はNLFが妨害する。未来のNLF構成員を作るためだ。自分にとって不都合な情報は、彼らはニートやオタクは流さない。

 しかし今、その恐怖の対象である俺たちを取り囲み、オタクたちは怒り狂っていた。

 コミケの独特の雰囲気と、同じニート狩り部隊に敵対する仲間がいる高揚感、さらには今朝検挙された仲間の敵討ちという間違った正義感により、彼らは一種の暴走状態となっているのだ。

 そんな等間隔でにじり寄ってくるオタクたちを見て、流石の螢樹も一歩後ずさりをした。

「ドウシマスカ? ムヘン」

 徐々にヒートアップしていく彼らを見ながら、俺はアンリからの問いかけを渋い顔をしながら聞いていた。

 ……面倒なことになったな。

 だが、面倒なことは次々に重なるもののようだ。

『だっそーへい見つけたよ。たいちょー』

「何?」

 このタイミングでか!

「場所は?」

『東館ー』

 今俺たちがいる位置から近いな……。

 駆けつけたいのは山々だが、そのためには周りのオタクたちをどうにかしなければならない。

「ちょっと、どきなさい!」

「どいてくだサーイ!」

 螢樹とアンリが何とか進路を確保しようとするが、オタクたちの勢いに押されてそれも出来ない。邪魔をされているとはいえ、相手は一般人。手荒な真似も出来ない。

「おい、何やってんだよ!」

「通れねーぞ!」

 手をこまねいている間に、さらにオタクたちが集まってくる。俺たちを取り囲んでいるオタクたちが邪魔で、通路がふさがれてしまっているのだ。道をふさがれたオタク蓄積し、自由に動くことの出来ない不満が積み重なっていく。オタクがオタクを呼ぶ負のスパイラルが出来上がっていた。

 俺はたまらず、インカムに叫んだ。

「教官! 状況は把握しているんですよね? 応援を出してください!」

『教官と言うなと言っただろう、馬鹿者がっ!』

 教官の、鼓膜を突き破りそうなほどの怒号が聞こえる。だが、今はそんなこと気にしている場合じゃない。

『監視カメラがないため、正確な情報がない。現状を報告せよ。無辺四曹』

「現在、一般市民に囲まれ、身動きが取れない状態です。これでは、不動四士からの連絡にあった送迎対象に近づけません! 現状の鎮圧のために応援を! それが出来ないのなら、別の部隊を対象に向かわせてください!」

『……不動四士。対象に一番近いのは、どの部隊だ?』

『たいちょーたちだよー』

『そうか……』

 そうつぶやいた教官が、不自然に沈黙する。こういう時は、大抵いいことなど起こりはしない。

 そして今回も、その通りとなった。

『残念ながら、別の部隊も応援も送れない』

「どうしてですか! このままでは、脱走兵に逃げられますよ!」

『人手が足りんのだ。今他の部隊を動かせば、ニート狩り部隊の包囲網に穴が出来る』

「人手が足りない? そんな馬鹿な!」

 教官の言葉に驚愕しながら、俺は反論した。

 人手が足りなくなるはずなんてないからだ。

 俺たちニート狩り部隊だけの任務であるならいざ知らず、今回は警察までいるのだ。

 これで人手が足りないというのなら、合同作戦をした意味がない。

「警察は何をしているんですか!」

『……先ほどビックサイト周辺の有明駅、国際展示場駅、国際展示場正面駅にて、危険物を持った不審者を確認し、逮捕した』

「危険物?」

『爆弾だ』

「なっ……!」

 予期せぬキーワードが飛び出し、俺は何も言えなくなってしまう。

『幸い起爆前に押収できたが、警察はそちらの対応とこれからビックサイトに入場する参加者の警戒で、ビックサイトの中まで人員を割けない……』

「だからって!」

『分かっている!』

 インカム越しからも、教官の歯軋りが聞こえる。俺以上に歯がゆい思いをしているのだろう。

『逮捕した者たちは金で雇われ、自分が何を運んでいるのかすら知らされていなかった連中だった』

「……NLFに、ですか?」

『恐らくはな。警察の包囲網を崩し、ビックサイトに侵入するためにわざと起こした騒ぎかも知れん。捕捉してた脱走兵も、ニート狩り部隊の包囲網を崩す罠の可能性もある』

「でも、爆弾なんて……。例え威力が小規模でも、実際に爆発したとなれば次のコミケは安全が保障できなくなるので見送られますよ?」

 NLFは、ニート狩りを忌避しているオタクたちを取り込み、勢力を拡大させたいはずだ。

 だがコミケを潰したとなれば、オタクたちは確実にNLFを非難をする。NLFは、それを望んでいないはずだ。

『……逆だろうな』

「逆?」

『コミケを潰して、オタクたちのはけ口をなくそうとしているのだろう。年に二回、大はしゃぎできるお祭りがなくなるんだ。そのお祭りが出来なくなった責任を、警備に来ている私たちに押し付けるつもりなのだろう』

 なるほど。NLFはニートの集まりだ。そちらを叩くより、分かりやすい権力である俺たち不満をぶつけた方が、オタクは気持ちがいいだろう。何より明確な『悪』として、叩きやすい。

 そしてその流れで、NLFはオタクを完全に自分の勢力化に置くつもりなのだ。

 いや、そもそも彼らの目的はコミケを潰すことにあるのかもしれない。

 コミケをここで一度潰し、NLFの手でコミケを復活させるという手も、彼らは取れる。

「……とりあえず、現状は分かりました」

『問題児は問題児なりに、何とかやって見せろ』

 気軽に言ってくれる。把握できたことは、状況は最悪だということぐらいなのに。

 俺たちとは関係ないコミケのスタッフが騒ぎに気が付き、通路整備を行おうとしてくれている。しかし、それも気に食わないのか、オタクたちはまったくいうことを聞こうとしない。

 それどころか、スタッフと協力しようとしている螢樹とアンリを邪魔するような動きを取っていた。

 それに俺は不信感を得る。

 コミケの運営はボランティアのスタッフが行っており、参加者たちにとっては神のような存在だ。そのため、参加者たちはスタッフの言葉に従うこととなっている。そうしなければコミケの運営に支障が出て、次回以降コミケの開催が危ぶまれるからだ。

「いいからさっさとお前ら消えろよ!」

「どっかに行っちまえ!」

 スタッフの言葉に耳を貸さずに怒鳴り散らす彼らを見て、俺は確信する。やはりおかしい。明らかに、俺たちの行動を制限しようとしている。

 次回のコミケに影響が出る可能性をいとわず、スタッフを無視する行動。これはさっき、教官から聞いたNLFがコミケを潰そうとしている手法にそっくりだ。

 じゃあ、俺たちに絡んできた、あの男が?

「あ、う、え……?」

 男を確認すると、予想以上に白熱したオタクたちの熱気に当てられ、混乱していた。後からやってきたオタクたちに巻き込まれ、身動きが取れないでいる。

 あいつじゃない。だとすると、その後俺たちを煽ったやつらか。

 特にあの台詞が決定的だ。

『お前らのせいで同人誌買えなかったんだぞ! その言い方はないだろ!』

 俺たちのせいで?

 馬鹿を言うな。そんなわけがない。そもそも、人気があるサークルの同人誌ならコミケで完売してしまうことは当たり前だ。買えなかった人は悔しいだろうが、数に限りがある以上、それはどうしようもない。

 そう。どうしようもないのだ。

 だがあの台詞が、その不満の向き先を俺たちに、ニート狩り部隊へと向けさせた。

 何も、NLFの構成員全てで俺たちの動きを制限する必要はない。これだけの人がいるのだ。誰かがオタクを先導する一言を放てば、俺たちの動きを止められる。今のように。

 あの台詞を言ったのは、あいつだ!

「おい、お前!」

 俺はあの台詞を放った相手に怒気を飛ばす。だが相手は既に俺たちから距離を取っており、俺たちを煽っていた奴ら共々この混乱の輪から抜け出そうとしていた。

「てめぇら! 一般人に手ぇ出したら、どうなるかわかってんだろうなぁ!」

「監視カメラのないここで俺たちに手を出して怪我でもさせたら、お前ら終わりだぞ!」

 こちらが手を出せないことをいいことに、NLFは俺たちを煽りながら去っていく。その言動で、螢樹とアンリも表情が変わった。NLFの存在に気が付いたようだ。監視カメラを気にしながら同人誌を買うオタクは、コミケにはいない。そんな暇があれば、お目当ての同人誌へと一歩でも近づくために力を割く。

『たいちょー』

「何だ!」

 割り込んでくる不動の声に、俺は思わず声を荒立ててしまう。焦っている証拠だ。

 だが不動はそんな俺を気にせず、淡々と俺がさらに焦るような報告をした。

『だっそーへー。行っちゃうよ? 西館方向にいどーちゅー』

「クソッ! 次から次へと……」

 あまりにもままならない事態に、俺は舌打ちをした。だが、何もしないままでは、現状は変えられない。

 動き始めなければ、何も変えられないのだ。

 俺は、銃を抜こうとしていた螢樹の腕を左手で押さえた。逃げようとしているNLFの構成員への牽制なのかもしれないが、今抜いても更なる混乱を呼ぶだけだ。嫌いなオタクに囲まれて、螢樹の我慢も限界なのかもしれない。

「抜くな!」

「でも、隊長!」

「いいから来い! 螢樹(ほたるぎ)!」

「だから私の名前は、けいじゅですっ!」

「ツッコめる余裕があるのなら、冷静になれ! アンリ、お前も俺の後ろに下がれ!」

「了解デス!」

 螢樹とアンリを庇うように、俺は二人の前に出た。そしてそのまま、一気に二人を連れて後退する。下がった俺たちを追い、オタクたちはさらに前と歩みを進め始めた。

 そのタイミングで、俺は逆に一歩を踏み出した。

 すると、今まで等間隔で罵倒を続けていたオタクたちは、急に近づいてきた俺に驚き急停止する。

 等間隔で近づいてきたのは、その距離がオタクたちが感じている安全圏、俺たちが近づいてきたときに、対処できると思っている距離だからだ。

 そのため、俺がその安全圏を侵せば、彼らは当然警戒し、動きを止め、下がろうとする。

 だが彼らは下がれない。何故ならその後ろには、俺たちを非難する別のオタクたちがいるからだ。こうしてオタクたちの玉突き事故が発生。その結果。

「うおっ!」

「何だ!」

 これで一時的に、俺たちを包囲しているオタクたちの動きが止まる。

「今デス、ムヘン!」

「行きましょう!」

 止まったオタクたちを見て、螢樹とアンリが走り出そうとし、その動きも止まる。

 オタクたちの動きは止まった。だが、それだけだ。数の上で絶対の優位性があるオタクたちの輪を、俺たちが抜けることはできない。そもそもそんなことを期待して、俺は行動したのではない。

「うわっ!」

 オタクに押され、また悲鳴が起こる。だが、その悲鳴は俺たちを取り囲んでいたオタクたちのものではない。急に立ち止まったことで前のオタクとぶつかり、さらに後ろに後退したオタクがぶつかった人が上げた悲鳴だ。

 悲鳴を上げ、オタクに突き飛ばされたのは、コミケのスタッフ。

 そう。俺が期待したのは、これだ。

 何故なら、これが使えるからだ!

「アンリ! スタッフを突き飛ばしたやつを、暴行の現行犯で逮捕しろ! 螢樹(ほたるぎ)はスタッフの救護を!」

「けいじゅですっ!」

 突き飛ばされた人の中には、オタクもいた。だが、それでは俺たちは動くことが出来ない。

 何故ならオタクたちに取って、俺たちは恐怖の対象。助けの手など求めようはずがない。逆に自分と同じオタクを守るため、別のオタクが妨害する可能性があった。

 だが、コミケのスタッフは違う。

 頭を悩ませていた徹夜組、特に未成年者の問題をともに解決した仲間なのだ。

 だからこそ、彼らは俺たちにの差し伸ばした手を取ってくれる。そしてそれを、オタクたちは止めようとはしない。

 コミケのスタッフがいなければ、コミケは存続できない。ボランティアでこれほどの祭りを作り上げた、オタクにとって神のような存在であるスタッフを救うのを、オタクが止めれるはずがないのだ。

 だから俺たちは、悠々とオタクたちの輪を脱出できる。神を救うという大義名分を得た俺たちを、阻めるものなどここにはいない。

 いや、いる。ある特定の人物なら、コミケのスタッフだろうがなんだろうが関係ない。

「あいつらを止めろ!」

「これ以上は行かせるな!」

 NLFの構成員だ。彼らを動かせるのは、彼らを支援している『神』のみだ。

 だが、その対策も考えてある。

「動くな!」


 そう言いながら、俺は上空に向けて発砲した。


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