第二章④

「……え?」

 一瞬送れて、和枝さんは反応した。

「ちょ、ちょっと隊長! 何言ってるんですか!」

 中々外に出てこない俺を探しに、螢樹が家の中に戻ってきた。

「何を、おっしゃられているんですか? 私は、早く一樹に社会復帰して欲しいと言ったんですよ?」

「そうですよ隊長! 和枝さんは、本気で息子さんのことを心配されていますよ!」

「まさか、私が言っていることを疑っていらっしゃるんですか?」

 俺はそれを、首を振って否定する。

「いいえ。和枝さんは本気で一樹さんのことを心配されていらっしゃいます」

「だったら、」

「だからこそ、分からないのです。そこまで心配し、決断したあなたが、何故一樹さんを逃がすような真似をしたのか」

 螢樹の言葉に割り込むように、俺は自分の言葉を差し込んだ。

「そもそも、いくら筋トレを続けていたとしても、五年間もまともに運動していなかった人間が、自衛隊員で構成された特別国家公務員法周知・送迎隊の突入に、気が付いてから逃げることなんて不可能だ」

「でも、実際に一樹さんは逃げ切っているじゃないですか! それも一週間も!」

「確かに、その通りだ」

 和枝さんは、螢樹の後ろに隠れるようにして、うつむき、黙ったままだ。だがそれは、俺が言いたかったことを理解しているからだろう。

「え! た、隊長、何言ってるんですか? ご自分でおっしゃられていること、理解してます?」

「そんなに慌てるな。ただ事実を認めているだけだろうが」

「でも……」

「だから言っているだろう。一樹さんは『突入に気が付いてからは逃げることが出来ない』って」

「だからそれは……。あっ!」

 螢樹も、俺の言わんとしていることに気が付いてくれたようだ。

「そうだ。突入に気が付いてからは逃れることは出来ない。だが、事前に突入されることを知っていれば、どうだ?」

 元ラグビー部の一樹さんなら、防火ドアを破って逃げ切れる可能性も、ゼロではない。

 そして一樹さんを狩に来たニート狩り部隊は、たまたま激しい抵抗を受けたことがなく、完全に油断しきっていた。

「……どこで、分かったんですか?」

 深く、長いため息を付いた後に、和枝さんはようやくその言葉を搾り出した。

「前の部隊からの報告書を読んだ時に」

「え、それって、ほとんど初めからじゃないですかっ!」

「そうだよ。部隊が部屋に突入した時には、既に一樹さんはベランダに出てたんだぞ? しかもノートPCの電源は入れっぱなし。完全に慌てて逃げようとしている体勢だろうが」

「でも、ただの気分転換かもしれないじゃないですか」

「俺たちが送迎してきたニートたちは、俺たちの姿を見た時どういう反応をしていた? 皆抵抗しただろうが」

 自分たちは外に出たくないと。

 自分たちを傷つけた世界に出さないでくれと。

 自分たちが閉じこもるために、必死に足掻いたんだ。戦ったんだ。

「突然襲われたのなら、少なからず抵抗するはずなんだ。一樹さんがたまたまベランダに出ていたのなら、まず間違いなくベランダに通じるガラス戸を閉める。それをせずに逃げ出したということは、既に逃げる心積もりがあったはずなんだ」

「そして突入する日付と時間を知っているのは、突入する部隊を家に呼び寄せたご両親しかいない、ということですか……」

 呆然、といった様子で、螢樹は和枝さんの方を振り向いた。俺と螢樹は、黙って和枝さんが喋るのを待つ。

「……後悔、ですよ」

 和枝さんの唇から、そんな言葉が零れ落ちた。

「確かに、私は一樹のために特別国家公務員法に応募しました。ですが、私は怖かったんです」

「怖、かった?」

 螢樹の疑問に導かれるように、和枝さんはとうとうと語り始める。

「私は、一樹のためにと思い、一樹のために行動しました。ですが、それは本当に一樹が望んでいたことだったのでしょうか? 後もう一年。いえ、後半年あれば、一樹は自分の足で、自分の意思で部屋の外に出てくれたのでは? そう思うと、私は一樹の可能性を奪ってしまったんじゃないかと、怖くて……」

 そこから先は、言葉にならなかった。

 螢樹が泣き崩れた和枝さんを抱きしめ、背中をさすり、慰めている。

 俺はその様子を、ただただ冷徹に、クソつまらない三文芝居を眺めている気持ちで見下ろしていた。

 何だ、これは?

 この人は、一度決めたはずなのだ。一樹を、俺たちニート狩り部隊の手にかけることを、同意したはずなのだ。

 一樹のことを、わずらわしく思ったはずなのだ。

 一樹のことを、邪魔に感じたはずなのだ。

 一樹のことを、重荷に感じたはずなのだ。

 それでも土壇場で、こう思ったに違いない。

 自分は自分の息子を裏切るような存在じゃない。

 だから、一樹を逃がす手助けをしたのだ。自分がそんな、汚い存在だと思いたくないがために。

 最後は息子への愛に気が付き、懸命に息子を逃がそうとして、それを果たせなかった悲劇の母親(ヒロイン)になりたいだけなのだ。

「じゃあ、和枝さん。一樹さんの居場所を、教えてくれますね?」

「知らない! 本当に知らないんです! 私は、私は、こんな、こんなことになるなんて……」

 螢樹の問いかけに、和枝はいやいやをする子供のように首を振った。

 和枝は、恐らく嘘を付いていないだろう。

 そんなことが出来るような人間じゃない。

 自分の選択に、責任を持てる人間じゃない。

 そうでなければ『こんなことになるなんて』なんて、死んでもいえないはずだ。

 だから和枝は、本気で一樹の行方を捜しているのだろう。

 本当に逃げるとは思わなかったから。ニートの息子が、逃げ出せるなんて思っていなかったから。

 もしこのまま一樹が逃げ続け、誰かに迷惑をかければ、一樹が逃げる手助けをした自分が罪に問われるかもしれないから。

 結局和枝は、一樹の行方を追うことで、自分の身を守ろうとしているだけだ。反吐が出そうになる。

 だが、そんな相手にもまだやれることがある。俺たちも、このまま一樹の逃亡を許すことは出来ないからだ。

「和枝さん、顔を上げてください。まだ和枝さんには聞きたいことがあるんです」

「私、本当に何も知らないんですっ!」

 ああ、鬱陶しい。まだ悲劇の母親面し足りないのか。

 俺は自分の苛立ちが表情に出てしまう前に、話を強引に進めることにした。

 俺はタブレットで一樹の部屋から押収した一覧を表示させつつ、和枝に話しかける。

「この家には、デジカメはありますか? ARが表示させられるような、スマホでもいいんですけど」

「いいえ。主人も私も、そういう機械には疎くて、携帯電話も昔っから変えたことがないんです。本当です! 信じてください!」

 確かに和枝の言う通り、タブレットに表示された一覧の中には、デジカメどころか、写真を取れそうなものすらなかった。

 だとすると、一樹がARと腕を組み、腕を組んでいない方の手でピースを作っている写真は、一体どうやって、誰が撮ったのか? という話になる。

「では、ここ一年以内にご家族以外で一樹さんの部屋に入った方がいらっしゃいますよね?」

「それは、その……」

 口ごもる和枝の背中を押すように、俺は偽善者の仮面をつけて言葉を紡いでいく。

「大丈夫です。一樹さんは、必ず見つけ出しますから。だから、一樹さんのために、ご協力願えませんか?」

「一樹の、ため……?」

 俺の言葉を聞き、和枝はどこかほっとした表情を浮かべた。

 そうだ。これは一樹のためだ。

 お前は一樹のためを思って、俺たちに今まで秘密にしていた情報を開示するのだ。

 そう。自分は悪くない。自分は、息子のために行動するのだ。

 これは、英断だ。

 それだけの免罪符がなければ、悲劇の母親に浸っていられた間に隠していた情報を今から打ち明けることが出来ないのだ。

 そういう風に、酔っていたいのだ。

 まだ、自分に酔い足りないのだ。

 和枝の目が、そう言っている。

「半年ぐらいに、ネットで知り合ったって付き合い始めたという彼女が家に来て……。でも、すぐに別れたんです! 本当なんです! 私、このことは関係ないと思って……」


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