第二章②
「だっそーへい?」
バックミラー越しに、不動が俺に問いかけた。
俺たち第八特別国家公務員法周知・送迎隊は、いつも通り不動の運転する護送車に揺られながら目的地に向かっていた。
護送車は運転席、助手席を除き前方後方に別れており、前方には予備のゴム弾や催涙弾などの装備類と着替え、任務支援を行うために不動が使うブレードサーバや無線機器が積まれている。もちろん俺、螢樹、アンリが座る座席もある。
前方と後方は金網のドアで仕切られており、電子錠が取り付けられていた。これを開錠しなければ護送車の前方と後方の行き来が出来ない仕組みとなっている。
後方は送迎対象のニートが座れるように車の壁沿いに、電車の車両のように椅子が並んでいる。バックドアも付いており、そこからニートを収容することが出来る。バックドアにも当然電子錠が設置されており、これらの電子錠は俺たちに支給されている自衛隊のスマホを利用する。電子鍵はスマホに内蔵されている非接触型のICチップを使うのだ。
まずスマホのロック画面を通過するために、パスワードを入力と、利用者の指紋認証を行う。スマホの認証を通過した後電子錠開錠アプリを起動させ、スマホを電子錠にタッチすることで開錠できるのだ。施錠はオートロックとなっている。
これ以外にも電子錠はこの護送車に利用されており、護送車に乗り込むために必要な鍵もスマホで開錠できるようになっている。ただし開錠できるドアのレベルはスマホごとに異なっており、護送車の前方後方にあるドアやバックドアは俺と不動のスマホでしか開錠出来ないようになっている。
「そうだ。俺たちの任務は、この脱走兵を捕まえることだ」
俺は不動の問いに答えながら自分のスマホを右手で操作し、本部から送られてきた任務内容のメールを表示させた。だがメールの本文には何も書かれておらず、一つのファイルが添付されている。この添付ファイルが、任務の詳細情報だ。
俺は隊長ということで先に上官から説明を受けいていたが、他の三人は目的地以外の詳しい任務内容を知らせていない。移動中に詳しい内容を説明するつもりだった。
「自衛隊の脱走兵を捕まえるのが、今回の任務ということですか? でも、私たちはニート専門の部隊のはずですが」
「まぁ待て。皆タブレットは持ったな? 今から任務の内容を共有する」
螢樹の言葉に頷きながら、俺は自分のスマホを左手で持っていたタブレットにかざす。手にしたタブレットは、普通のタブレットよりも重い。自衛隊から支給されたこのタブレットは、ビルの三階から落としても壊れないように頑丈に作られているため、普通のタブレットよりも重くなっているのだ。
そのずっしりとしたタブレットに、スマホに表示されていたメールの内容が同じように表示された。スマホに内蔵された非接触型のICチップから、タブレットのICチップにデータが転送されたのだ。
転送されたメールに添付されていたファイルは、すぐさまタブレットのアプリによって解析。護送車のサーバに無線経由で解析された情報がアップロードされ、そのデータがサーバ経由で螢樹、アンリの手にしたタブレットに転送される。不動は運転中のため、タブレットを手にしていない。タブレットの代わりにデータはカーナビに転送され、任務の詳細が画面に表示された。
その転送された任務内容を見て、アンリが眉をひそめる。
「オー……。脱走兵とは、そういうことデスか」
「これなら確かに、私たちの部隊が担当すべき事案ですね」
「にーとが、『逃げた』んだ」
「そうだ。俺たちが追う脱走兵は、ただの自衛官じゃない。特別国家自衛官、つまり、元ニートだ」
特別国家公務員法が可決された日、日本中が騒然となった。
ニートを強制的に特別国家『自衛官』にする。これはもはや徴兵だ。マスコミの反発も大きく、この法律は大々的に批判された。
そもそもこの法律は『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』という日本国憲法十八条に反する内容であり、認められないと考えられていた。憲法九十八条により、全ての法令等は憲法の規定に違反してはならないと定められているからだ。
だからニートたちも特別国家公務員法が可決された後も、いずれ無効になるはずだと、そこまで慌ててはいなかった。
実際法案が可決された後、政府の対応はこの法律を周知するための『特別国家公務員法周知・送迎隊』を自衛隊員を中心として作っただけだった。その部隊の活動は特別国家公務員法の存在を知らせる広報が中心で、自衛隊の天下り先だと批判されていた。
これを見たニートたちは、安心しきっていた。国がこの程度の動きしか見せないのなら、この法律は無効にならなかったとしても、そこまでの強制力はないと考えたのだ。
それどころか、周知・送迎隊となっていることから、この部隊は社会復帰できないニートのための支援制度、自分たちが行きたい場所に自宅にいるような環境で無料で『送迎』してくれる、ニート優遇法案だとも言われるようになっていた。
ネット上では、『ついに時代がニートに追いついた』『働いたら負けを、国がついに認めた』『施行前に改正される』『広報のお姉さんが可愛かった』『そのお姉さんを送迎してください』『ちょ、送迎ってそういう送迎?』『国営風俗はじまったな』などと楽観的なムードが漂う中、何も起こらず五月一日を迎えた。
そう、何も起こらなかったのだ。
特別国家公務員法が改正されることもなく。
特別国家公務員法周知・送迎隊が解散されることもなく。
そのまま、ニートは俺たちに『送迎』されることになった。
これにはニートだけでなくマスコミも愕然となり、政府に対して説明を求めた。憲法十八条は一体どこへ行ってしまったのか?
これに対して、政府の回答は次の通りだ。
『特別国家公務員は徴兵制ではなく、憲法十八条に定められている意に反する苦役に相当しない』
今まで憲法十八条で徴兵制が認められていなかったのは、徴兵制が憲法十八条で禁止されている『意に反する苦役』に当たるという政府見解があったからだ。
逆を言えば、政府の見解が変われば、徴兵制は認められるということになる。
この政府見解に対して、国民からの批判は、驚くほど少なかった。ほぼ無関心と言ってもいい。
特別国家公務員法が可決されてからマスコミはこぞってこの法律の特集を組んでいたが、法律が施行される直前にはこの法律を肯定されるインタビューが不思議と取り上げられることが多くなっていた。
それは俺たちの周知活動の取材をする中、自然とニートを子供に持つ両親へのインタビューが多くなったことにも関係するだろう。彼らは口々に、自分たちの苦労をインタビュアーに語った。
さらには結婚率が上がったため、街頭インタビューで新婚にインタビューすることが多くなったことにも関係があるはずだ。新婚の家庭にインタビュアーがする質問と言えば、これしかない。
『もしこれから生まれてくる自分の子供が、ニートになったらどうしますか?』
この質問に対して、積極的に自分の子供がニートになって嬉しいと答える人はほとんどいなかった。
低所得者自立支援法施行以降ほとんどの日本国民が職を手にしており、職に就いていないという人に対しての風当たりは、今まで以上に強くなっていた。
だが国民の無関心とも言える特別国家公務員への反応は、政府が発表した見解が一番の原因だった。
政府は、特別国家公務員は憲法十八条に違憲しない、と言ったのだ。
そして特別国家公務員に、特別国家自衛官に所属できるのはニートだけ。
つまり、職を得ているほとんどの国民には、この法律はまったく関係のないものだったのだ。
この法律施行に関係があるのは、関心がなければならなかったのはニートと、ニートを子に持つ親だけだったのだ。
だからこそニートたちは慌てた。そこまで酷いものだと思っていなかった特別国家公務員法は、自分たちを狩る、魔女狩りならぬニート狩り法案だったのだ。
この法律はニートたちからは侮蔑を込めて『ニート狩り法』と呼ばれるようになり、俺たち特別国家公務員法周知・送迎隊は『ニート狩り部隊』と揶揄され、俺たちの送迎は『ニート狩り』と呼ばれ、恐れられた。
ニートたちはネットを通じて、いかに『ニート狩り』から逃れるかの議論がなされた。
だが、自衛隊員から構成されたニート狩り部隊を前に、ニートは為す術もなく狩られていった。そもそも自衛隊に勝てるぐらいなら、ニートなんてしていないはずだ。
「でも、あたいたちニート狩り部隊から逃げることが出来たにーとがいる、ってこと? たいちょー」
不動がカーナビを操作し、地図が見えにくかったのか、俺の送った情報が表示されているウィンドウを小さくする。
「特別国家公務員法周知・送迎隊と言え、不動」
「でも、オタクのニートごときが逃げられるとは思えないんですけど……」
「相変わらず、ケイジュのオタク嫌いは筋金入りデスねー」
そういったアンリは不機嫌になった螢樹に睨まれ、手にしたタブレットで自分の顔を隠した。
「まぁ、そのくらいにしてやれ。螢樹(ほたるぎ)」
「た~い~ちょ~う~!」
アンリの代わりに螢樹に睨まれ、俺も自分のタブレットで顔を隠す。同じような格好をしているアンリを盗み見ると、アンリはちょっとした悪戯が見つかった少女のように笑っていた。
俺も釣られて笑みを返したが、そのタイミングで螢樹が俺のタブレットを奪い取った。
「もうっ、隊長! 二人でこそこそ何してるんですかっ!」
「そーだよたいちょー。けーじゅとあんりの三人でいちゃいちゃするなんてずるいー。あたいも混ぜてー」
「い、イチャイチャなんてしてませんっ!」
「それで、たいちょー。今向かってるところが、だっそーへいが隠れている場所なの?」
「も~っ、不動さんっ!」
螢樹をからかいそのまま放置するというドSっぷりを見せ付けた不動は、相変わらずぼさぼさの髪を揺らしながら俺に尋ねた。
「いいや。そこは脱走兵が最後に別の特別国家公務員法周知・送迎隊に目撃された場所だ」
「『最後』? でもこの場所ニートの住んでいた実家になってマスよ? ムヘン」
アンリが目的地の地図を自分のタブレットに表示させ、俺に見せた。
「そうだ」
「ちょ、ちょっと待ってください隊長!」
「なんだ。そろそろ俺のタブレットを返してくれるのか?」
「あ、すみません……。って、そうじゃなくてっ!」
螢樹が俺にタブレットを返しながら叫んだ。
「隊長に共有していただいた資料には、ニートの送迎に向かったのは一週間前ってありますよ? 『最後に目撃した』ってことは、ニートが実家に立てこもっているわけじゃないんですよね?」
ニート狩りが始まって一ヶ月経つが、ほとんどのニートは素直に狩らせてくれない。場合によっては俺たちの狩りに対抗するために自分の部屋に立てこもり、篭城する者もいた。
狩りに行ってから一日以上篭城し、狩ることが出来ないニートは『脱走兵』扱いされ、ニート狩り部隊の中では篭城した期間を、何日逃げた、などと言うようになっていた。今回もそのケースだと、螢樹も思ったのだろう。
ところが、今回俺たちが狩りに行くニートは篭城をしていない。
俺は今、さぞ渋い顔をしているはずだ。
「そうだ。今回俺たちが追うニートは別部隊の送迎を退け、逃げ出した、本当の意味での『脱走兵』。しかも、一週間も足取りがつかめていないんだ」
ニート狩り部隊は、その名の通りニートを狩ることに存在意義がある。ニートを狩ることが出来ないのならば、存在そのものが不要となる。
これは俺たちニート狩り部隊の存在意義を根幹から揺るがす、大事件なのだ。
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