第3話 有り得ない

「あの……少々よろしいでしょうか?」


 僕はとっさに声のした方へ振り返る。声の主は何とあのクラス一温厚な山下君だった。やはり本当の優しさとは普段からの態度に現れるのだと僕はしみじみ感じた。


「山下君……本当にありがとう。助かったよ。」


 僕が感謝を述べたのを遮るかのように山下君は次の言葉を語り出す。


「オソレダブリドリとは一体何のことですか?」


 そっちかよ! 僕は愕然とした。山下君の空気を読まない質問に、僕は語気を強めて否定した。


「そこはいいから‼ ただの皮肉だから‼」


「皮肉? どういうことですか? そのオソレダブリドリとやらはもう既に食用に卸されてる状態ということでしょうか?」


「違う違う違う違う‼ そうじゃない! 嫌味言っただけ‼」


「嫌味? 美味しくないんですか……?」


「殺すぞ‼」


 僕の期待は一瞬にして砕け散った。てっきり証拠映像を提供してくれるものと思っていたからだ。それにしても山下君がここまで天然だとは思わなかった。だからといって本人に天然とか言うのは止めておこう。また養殖だなんだと話がややこしくなるのは分かり切っている。


「巻野ぉ、そろそろ観念する気になったかぁ?」


 僕が山下君とのやりとりに夢中になっていると、割って入るかの様にオソレダブリドリのあの耳障りな鳴き声が聴こえてきた。トイレの分別もつかないあの低俗な害獣の発する低音で嫌らしい鳴き声だ。

 でも沈黙はまずいな……何か言い返さないと……。何はともあれ足元にアレがある以上、不利な状況に置かれているのは言うまでもない。僕の心の中では、1秒経つ毎に焦りがどんどん募っていった。僕はとりあえず思いついたことを口にした。


「か……観念って何をですか⁉ 足元のコレは先生のでしょ!? 僕……見たんですよ⁉ 先生がこっちに蹴り飛ばすのを‼」


 それを聞いた恐田先生は間髪入れずに反論してくる。


「ハァ⁉ 言いがかりはよせ! だったら証拠はあるのかぁ⁉」


「ありますよ! 足元のコレをよく見てみてください! 焦げてるでしょ⁉ ウンコだから分かりづらいけど! わざわざご丁寧にバックスピンまでかけた証拠ですよ! それに何だか焦げ臭いでしょ!? ウンコだから分かりづらいけど‼」


 これらの主張にも、奴は一切怯まない。


「だからといってそれが俺のだという証拠にはならんだろうがぁ⁉」


 僕も負けない。


「じゃあ先生の靴を見てみましょうか! 痕跡がきっと残ってるはずですよ!」


 僕は奴が抵抗する前に急いでオソレダブリドリの鉤爪に目をやった。が、その瞬間奴に対する苛立ちが沸々と沸き上がる。

 ……クソ、よりによってダークブラウンの革靴なんて履きやがって……! ウンコだけに分かりづらいじゃないか……! まさかここまで見越してのチョイスか⁉


「どうした巻野ぉ? そんなに目ぇ凝らしてぇ? 痕跡とやらは見つかったかぁ?」


 先程の仕返しとばかりに嫌味を言ってくる恐田。悔しいけど奴の目論見通りだ。痕跡はあるのかもしれないが、結局は同化していて見つけきれない。

 だが奴が犯人だという証拠を突き付けられないのと同時に、僕が犯人呼ばわりされる決定的な証拠もないはずだ。まだ大丈夫。だって僕はやってないのだから。


「逆に先生に伺いますけど、足元のこれが僕発のウンコだって証明出来るんですか?   それに何時発のウンコだかも分からないし、証拠としては不十分でしょう」


 自信を持って僕は先生に問うた。幾許かの沈黙の後、奴が口を開く。


「そうだなぁ、確かにお前の言う通りだぁ」


 予想外の言葉に僕は面食らった。まさか奴が肯定してくるなんて計算外だったから。安心したのも束の間、奴が続けて何か言い出した。


「ところで巻野ぉ、お前のそのケツの辺りがこんもりしてるのは何でだぁ?」


 こんもり……何を言っているんだコイツは。それこそさっきまでのお前そのものじゃないか。僕は奴の発言の意味が理解出来なかったが、思いがけず周りの違和感に気付いた。

 クラスのみんなが僕を明らかに異様な目で見ているのだ。そして、それにより僕は自分の嗅覚がようやく仕事を始めたことに気付かされた。

 ……ウンコ臭い!これはまさしくさっきまで奴が発していたあの臭いそのものだ。だが、奴のお尻は平和なままだ。この臭いは奴からじゃない。認めたくないが……これは僕からだ。誠に残念ながら。

 更に一番重要なことを今になって把握した。有り得ない……お尻が……重い! それにパンパンだ。何なら生温かい感触だってする。そんな馬鹿な!こんなことって……!

 狼狽する僕に、奴はそっと顔を近付けてきた。そして耳元で僕にしか聞こえない小さな声で囁き出した。


「一つだけヒントをやるよぉ……」

「亜空間物質転移って言葉……知ってるかぁ?」


 それを聞いて僕は確信した。コイツ……能力者だ!

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