第26話 二人の出会い
それより数刻前――
園子がその時交わした誓いは、自分の人生をその終わりまで変えてしまうものであった。
二人が向かい合う、園子の部屋。窓からは西日が真っ直ぐに差し込み、見つめ合う少女達の顔を茜色に照らしていた。
天乃は園子との誓いの言葉を交わした後、そっとその瞳を覗き込んだ。
そして、その奥に園子の決心を確認すると、園子の胸元に手を伸ばし、襟のボタンに手をかけた。
園子にはまだ、天乃が自分に何をしようとしているのか分からない。だが、たとえそれがどんなことでも、天乃を信じて受け入れようと心に決めていた。
天乃は園子の着ているシャツのボタンを外し、大きく前をはだけた。
清楚な下着に包まれた、ささやかな胸の膨らみが露わになった。
そして、天乃はその胸の間に手を当てると、静かな声で呟いた。
―― みたまやどれかし ――
天乃の口からその言葉が発せられた、その瞬間、園子の胸の中で何かが弾けた。
園子自身も感じたことの無い、不思議な感覚が体中を駆け巡った。
胸が熱い。見ると、天乃の手の下で、何かが光っている。
「あああ、な、何? 躰が熱いよ。何が起こってるの」
天乃の手からはみ出し、何か記号のようなものが、園子の胸で淡く朱色に光っていた。そしてそれは、ゆっくりと園子の躰を包み込むように広がっていった。
「あ、天乃さん、私の躰、一体……」
その問いに、天乃が答えた。
「あなたの、今のこの躰…… これはね、あなたが持って生まれたものじゃないわ」
「え――」
「榊さん、あなたはね――」
一瞬のためらいの後、天乃は言葉を続けた。
「あなたはもう生きていない。死んでいるの」
「え、し、死んで、え?」
天乃が何を言っているのか、園子には理解出来なかった。
「どういうこと? 私が、死んでいるって言ったの? 嘘、そんな、どうして――」
「私が――」
天乃は一度視線を落とすと、辛い記憶を絞り出すように答えた。
「あの日、あの夜、私が、あなたを…… 殺してしまったの」
「な、なに言ってるの? 天乃さん。私はここにいるよ? 死んでなんかいないよ」
「そう、あなたはここにいる。でも、もうあなたは躰を失ってしまい、もはや魂だけの存在。言わば、幽霊のようなもの。あなたは、そのことに気付いていないだけ。そして、今のあなたのこの躰は――」
信じる者から突然告げられた死の宣告に、園子は激しく動揺した。そして、事実から目を背けるように、その言葉を遮ろうとした。
「やめて。もうやめて。そんなこと言わないで。天乃さん、私、恐い」
園子は胸元に置かれた天乃の手を握ると、怯えた目をしてそう言った。
「榊さん、もうあなたは引き返せない。私と一緒に来るしか道は残されていないの」
そう言いながら、天乃は震える園子の手を強く握り返した。
「お願い、たとえどんなに恐くても、私の話を最後まで聞いて」
そして天乃は園子の瞳をしっかりと見つめ、園子に言った。
「私を信じて」
強く誠実な声だった。その言葉を聞いて、園子はつい先程の自分の決心を思い出した。
そうだ、私はもう決めたんだ。天乃さんを信じるって。そして天乃さんの力になるって。恐がってはいけない。どんなことでも受け止めなくてはいけない。
園子は、今一度自分の誓いを噛みしめ、頷いた。
「うん」
目には涙が滲んでいたが、その奥には、けなげな決意と小さな勇気が宿っていた。
「分かった。聞かせて、本当のこと」
そう答える園子の瞳を天乃は真っ直ぐに覗き込んだ。そして、おもむろに口を開いた。
「榊さん、私はね、人じゃないの」
「人じゃないって…… じゃあいったい――」
「説明は難しいけれど、
「かみ――さま?」
「何も珍しいことじゃないわ。たとえ見えずとも、この
「天乃さんが……神さまなの?」
「そう考えてもらってかまわないわ…… そして、その数ある
「マガツカミ?」
「そう。そして私は、そのマガツカミを討ち倒すめに、ここへ使わされたの」
「……」
「私だけじゃない。この国には、ずっと昔から、マガツカミを倒すために戦っている人達がいるのよ、己が命を賭して…… そして長い戦いの中で、彼らはとうとうそのための、私達でさえ作り得なかった究極の神器を創り出したの」
「つまり、戦うための武器っていうこと?」
「いいえ、武器なんてそんな単純な物じゃ無いわ。それは、言わば魂の器…… 宿れし霊の在るべき姿に自在に取り成す依り代。『御霊の依り代』と、そう名付けられたわ」
天乃はふと視線を上げ、一瞬遠い目をすると、過去の記憶を手繰るように言葉を続けた。
「あの夜、あの上弦の月の夜、私はこの街に現れたマガツカミを見つけ、それを討ち止めた。御霊の依り代を使って」
「……」
「でもその時…… 私は一つの過ちを犯した」
「過ち?」
「ええ、過ち。それは、たしかに忌まわしきマガツカミだった。でもね、そのマガツカミは、一人の罪のない少女を惑わし、その躰の中に巣くい、その
天乃は一瞬、その卑劣な悪行を嫌悪するように眉をひそめ、そして悔しげに続けた。
「愚かにも、私は、それに気が付かなかった…… そして――」
そして、一度言葉を途切らせると、辛い思い出を告白するように言った。
「私は、マガツカミごと、その少女の躰を撃ち抜いてしまったの……」
「もしかして、その少女って……」
その問いに、天乃は園子の目を見ながら静かに頷いた。
「あなたのことよ」
園子はその返事に硬直した。
「そんな…… まさか……」
一時の間を置き天乃が続けた。
「榊さん、覚えていないようね。だけど、あなたは確かにあの夜、あの神社にいたの。私達はあの夜、あの桜の下で会っていたのよ」
言われて思い当たった。ずっとおかしいと思っていた。私は何故あの夜の記憶が無いのだろう。
ネットであの奇妙な広告を見た後、馬鹿げていると思いながらも、何かすがれる物が欲しくて、その広告に書いてあったとおりにしたじゃないか。でも何故か、その後の記憶がすっぽり抜けて、次に覚えているのは自分の布団の中で目を覚ましたことである。どうしてその間の記憶が無いのか、ずっと不思議に思っていた。
「仕留めたマガツカミの骸を確かめたとき、私はようやく気付いた。その時自分が討ち果たしたのは、マガツカミが顕現するために憑依していた、あなただったことに。あなたの躰は既に息絶えていた…… でも、その時たった一つだけ、黄泉の闇へと消えてゆくあなたの霊を救うすべが残されていたの…… ためらう時間は無かったわ。私は、御霊の依り代をあなたの骸に添えて、
「コトダマ?」
「ええ、『依り代の言霊』。御霊の依り代を制御するためのパスワード」
――みたまやどれかし――
園子の脳裏をその言葉が掠めた。
「そしてその時から、榊さん、あなたの心は――」
天乃は、朱色に光る文様に覆われた園子の胸元を指で触れ、言葉を続けた。
「ここに、この依り代に乗り移ったの。陰陽寮と神祇省の、いえ、人の創りし究極の神器、御霊の依り代に」
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