第23話 雨のエントランス
昼から降り始めた雨は、その後まもなくに本降りになっていた。
その日、昼休みの後、天乃は教室に戻って来なかった。
園子は職員室にいた稗田を訪れ、天乃の不在を告げて何か理由を知っているなら教えて欲しいと聞いたが、稗田は多くを語らず、家庭の用事で今日は早退すると連絡があったので心配することはないとだけ答えた。
園子はその時稗田が自分を見る目に、隠し事のような色を感じ取ったのだが、それ以上何も聞かなかった。
放課後、園子は落ち着かない気分で教室を後にした。
(後で天乃さんに電話をしてみよう)
玄関口でそう考えながら下駄箱を開けると、その中に見慣れぬ物を見つけた。
自分の外履きの上に、何かがはらりとのせてある。
のぞき込むと、それは一枚の写真であった。
何か、酷くいやな予感を覚えた。
園子は恐る恐るその紙片を取り出した。
二人の人物が写っている。お互いに向かい合って何かを話している様子が、遠景で収まっている。
心当たりがある。
一人は、園子本人であった。
ぞくりと背中に怖気が走った。
陰鬱な曇り空の下、自分が誰かと向かい合って立っている。
今日の昼休み、屋上にいた自分の写真であった。
(誰が、いつの間に――)
相手の人物は言うまでもなく、天乃である。
しかし、その写真では、人物がはっきりと捉えられているにもかかわらず、天乃の顔は確認できない。
赤く塗りつぶされている。感情にまかせて荒々しくペンでなぶられたように、ぐちゃぐちゃに汚されている。
そして塗りつぶされているだけでなく、ペンの先で幾度も刺されたような穴が空き、天乃の像の部分はぼろぼろになっていた。
強い悪意と狂気が、その写真から伝わってきた。
写真を持つ手が、ぶるぶると震えた。
「怖いわね」
突然後ろから声がした。
「ひいっ」
園子は身体をこわばらせながら振り向いた。
そこには園子が手にした写真をのぞき込む麻祐子が立っていた。
「誰かしら、こんなことするの」
麻祐子がうっすらと微笑みながら言った。
「ま、黛さん」
園子は思わず後ずさり、下駄箱に背中をぶつけた。
「ど、どうしたの? 今日は休みじゃなかったの?」
「ええ…… でも、榊さんに、どうしても話したいことがあったの」
そう言った麻祐子の様子は、尋常ではなかった。
態度は静かで、いつもの高飛車な振る舞いではない。目は暗い光に淀み、その奥にあるどろどろとした情念を隠している。
「わ、私に話?」
「そうよ…… 昨日せっかく一緒にお話出来ると思ったのに、変な邪魔が入っちゃって……」
「邪魔なんて、そんな――」
「あの女よ」
麻祐子が低く強い声で園子の言葉を遮った。
「あの、空気を読まない、いけ好かない女。クラスのみんなだって言ってるわ。あいつ、何考えてるか分かんないって」
麻祐子は忌々しげにそう言うと、ふと何かに気付いたような顔をした。
「ねえ、榊さん、もしかしたら、あの女、あなたを困らせてるんじゃないの?」
「え、そんなことない――」
「ね、そうなんでしょ。ほんとのこといってよ。私ね、榊さん、あなたの力になるわ――」
「違うわ。天乃さんは――」
麻祐子は園子の言葉を全く耳を貸さない様子で自分勝手な理屈を続けた。
「私達が組んだら、あんな女どうってことないわよ。そうよ、そうだわ。ねえ、榊さん、二人であの女に思い知らせてやりましょ。二人ならきっと出来るわ」
「やめてっ――」
園子が悲鳴のように叫んだ。
「天乃さんを悪く言わないでっ」
その声に麻祐子の言葉が止まった。
驚きと悲しみの混ざった眼差しで園子を見つめると、園子から目を背けるかのようにうつむいた。
そしてしばらく沈黙した後、静かに語り出した。
「榊さん、知ってる? 私達って、似たもの同士なのよ――」
悲しげな声だった。先ほどの狂気を帯びた声とは違う、園子がまだ一度も聞いたことのない麻祐子の弱気な声だった。
「私ね、まだ誰にも話してないことがあるの…… 昔の私のこと」
「……」
「あなたに、あなただけに、聞いて欲しい…… だから――」
「ごめんなさい、私、急いでるから」
園子は困惑したように、その声を振り切った。手早く靴を履き替えると麻祐子に背を向け、その場から立ち去ろうとした。
早足で出口に向かい扉に手をかけた園子の背中に麻祐子の声が届いた。
「天乃さんの秘密、知りたくない?」
園子の動きが止まった。
「ねえ榊さん、あなただって、本当は思ってるんでしょ? 天乃さん、絶対何かあるって」
何も言えず立ち尽くす園子の背中に麻祐子は続けて言った。
「私ね、天乃さんの秘密を知っているのよ」
「嘘よっ」
園子は振り返って叫んだ。
すると麻祐子は勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。
「明日の夜、会いましょう…… 場所は、後で連絡するわ」
そして、麻祐子は硬直する園子の傍らを通り過ぎ、先に校舎から出て行った。
傘も差さず、濡れながら雨の中に消えていった。
園子は何も言えず、その後ろ姿をただ呆然と見送っていた。
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