第20話 東雲市俯瞰
夕暮れ時の日の光が、園子の住む街を茜色に染めている。
小高い山の中腹にある古びた神社。そこへ続く長い石段を登り切ると、そこには大きな鳥居が街を見下ろす様に建っている。
広い境内の中にあるこぢんまりとした社の脇には、大きなしだれ桜が、まだ僅かに咲ききっていないその枝を夕映えの中涼しげにそよがせていた。
境内に繋がる石段の一番上、鳥居のたもとに、二人の女生徒が隣り合わせに腰を下ろし、満ち足りた表情で街を見下ろしている。
園子と天乃の二人である。
「榊さん、ここから、街がみんな見える――」
天乃がつぶやいた。
「とても綺麗」
愛しいものを見守るような、優しい笑みを浮かべていた。
「うん、そうだね……」
園子が頷いた。適当な相づちではない。園子も同じく、眼下に広がる街の風景に魅せられていた。
(不思議だな。いつもと同じ筈なのに、今日はなんでこんなに綺麗に見えるんだろう)
園子もまた、微笑んでいた。
今まで幾度も訪れた神社、今まで幾度も見たことのある風景。
しかし、今見ているこの景色は、今まで感じたことのない真新しい感動を自分に与えてくれる。
まるで、初めて訪れた街みたい―― 園子はそう思った。
放課後、学校を後にした二人は、約束していた甘味の店を訪れ、先日の喫茶店での時のように、甘い菓子と他愛のないお喋りを楽しんだ。そして店を出たとき、天乃は園子に振り返ると言った。
『榊さん、私、まだ帰りたくないわ。もっと色んな所へ連れて行って。あなたの好きな所へ。私を楽しませて』
二人は手を取り合い街へ繰り出した。
お気に入りの本屋、涼しげな噴水のある公園。二人はまるでデートの様に街のクルーズを楽しんだ。
日が傾きかけてきた頃、園子が最後に選んだ場所は、近所の神社だった。
園子は天乃の手を引いて長い石段を登ると、一番見晴らしの良い所、鳥居のたもとに並んで腰を下ろした。
自分たちが暮らす東雲市の景観の初めて感じる美しさに、園子は静かに見とれていた。
「今日は楽しかったわ」
天乃が言った。
「うん、私もすごく楽しかった」
そして暫しの沈黙の後、園子が口を開いた。
「あのね、天乃さん――」
学校を出てからずっと言いたかったが、なかなか言えなかったことを口にした。
「今日は、ありがとう」
「……ううん」
天乃が街を見下ろしたまま答えると、また穏やかなしじまが二人を包んだ。
遠くに烏の鳴き声が聞こえる。
そよ風が二人の髪を撫でていったとき、天乃が言った。
「榊さん、あのね、少し聞きにくい事を聞いてもいいかしら?」
「……うん」
少しどきりとした。何となく天乃が何を言おうとしているのかは分かる。本当はあまり触れて欲しくない話だった。しかし園子はその質問を受け入れた。
「榊さん、あなたは…… 黛さんと、良くない関係みたいね……」
天乃が言葉を選ぶように言った。
「うん……」
また数秒の沈黙。
「酷いことをされていたの?」
「……」
その質問に答えることなく、園子は静かに俯いて顔を隠した。
そんな園子を慰めるように、天乃は園子の肩にそっと手を乗せた。心地の良い暖かさが園子の肩に伝わった。
天乃は続けて言った。
「ねえ、榊さん、私ね、いずれ黛さんとも仲良くなりたいと思っているわ」
「え……」
それは、園子にとって意外な言葉であった。園子はその言葉に戸惑うように面を上げ、天乃を見た。
「もちろん、黛さんのせいであなたが困るような時は、あなたの味方をするし、黛さんが何か悪いことをしようとするなら、きっとそれを諫めると思う」
「……」
「それに、もしあなたが今までずっと黛さんに虐げられていたのなら、それをただ忘れてしまっていいとも思わない……」
天乃は園子の様子を見ながら、ゆっくりと続けた。
「でもね、そんなことをみんな含めて、それでも私は黛さんのこと、嫌いになれないの」
「そうなんだ……」
「がっかりした? こんなことを言う私のこと、嫌いになっちゃうかしら?」
「ううん…… そんなこと無いよ。それに――」
園子は天乃に、たどたどしい笑顔を向け、自分の気持ちを口にした。
「それになんだか、その方が、とっても天乃さんらしいと思う」
「……ありがとう」
天乃は園子の返事に安心したように微笑みながら言った。
「そろそろ帰りましょうか。暗くなっちゃうわ」
「うん」
二人が立ち上がり、石段を下ろうとした時、天乃がふとその場に立ち止まった。
園子がそれに気付き、天乃を振り返えった。
天乃は最後にもう一度、そこから街を見下ろしていた。
天乃は園子に言った。
「榊さん、ここは素敵な所ね」
「うん、そうだね」
私も知らなかった――
園子は思った。今まで、この街をこんなに美しいと感じたことはなかった。でも今は、ここから目に映る、全ての物がいとおしく感じる。
(きっと、あなたのおかげ)
園子は傍らに佇み街を見下ろす級友を振り返りながらそう思った。
「私、ここに来られて、本当に良かった」
天乃が呟いた。園子は夕日に照るその横顔をじっと見つめていた。
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