第17話 約束
湯船に浸かった園子はまだ少し緊張していた。無意識に胸の辺りを手で覆っている。
そのすぐ傍、湯船の角を挟んで鉤の手に天乃が座っている。園子とは対照的に、透明な湯の中に物怖じすることなく裸体を晒し、ゆったりとくつろいでいた。
「さっきはごめんなさいね」
ふと天乃が園子に言った。
「ううん、私こそ大げさに騒いじゃってごめんなさい」
園子は顔を赤らめうつむきながら言った。そして横目でちらちらと天乃の方を見ながら訪ねた。
「天乃さん、どうしてここに?」
「榊さん、昨日この銭湯がお勧めって言ってたでしょう。私の家も近いから、早速試してみようと思ったの」
「そうなんだ」
「ええ。あなたの言ったとおり素敵な湯ね。とてもいい気持ち」
天乃はそう言いながら指を組むと、掌を上にして頭上に伸ばし、大きくのびをした。
理想を形にしたような躰がしなやかに仰け反り、その光景に園子は思わず目を奪われた。
その園子の視線に気付いたのか、天乃が園子の方を振り向いた。二人の視線が重なった。すると、天乃はクスクスと笑い始めた。
「え、な、何か変?」
園子は天乃の笑いに少し戸惑いながら言った。
「うふふ、気に触ったら御免なさい。でも、榊さんってお風呂でも眼鏡を掛けているのね」
「あ、これ? 私、眼鏡がなかったら本当になんにも見えないの」
「そうなの?」
「うん、もう全然駄目。何にも見えなくなっちゃうの。寝るときだって、布団に入ってからじゃないと外せないくらい。おかしいかな?」
「ううん。ふふふ、何にもおかしくないわよ。それにその方がなんだか榊さんらしいわ。榊さんに眼鏡って、よく似合っているもの」
「そうかな? へへへ」
天乃にそう言われたとき、園子はふと以前かけていた赤い太縁のことを思い出した。
「……これ、新しいやつで、ほんとはもっといいのがあったんだ」
「そうなの? どんな眼鏡?」
「太縁の赤いので、気に入ってたんだけど、壊れちゃって……」
「そう、残念ね……」
(お母さんが選んでくれたの――)
そう口に出かかったが、それは言わなかった。
「大事なものはね、大切に扱った方がいいわ」
園子の心の中を見透かしたように、天乃が言った。
「たとえただの道具でも、大事なものにはね、時々魂が宿るのよ」
「魂? 道具に?」
「そうよ、お人形とか見たときに、何か感じたことはない?」
「うーん」
園子は半信半疑で天乃の話に耳を傾けた。
「古い言い伝えにはよく出てくるわ。針供養とか付喪神とか、昔からこの国ではずっとそんな魂を感じていたのね。そして、もし道具を大切に扱っていれば、それに心が宿ったとき、持ち主に取ってかけがえのない素晴らしいものになるわ」
「そうなのかなぁ?」
園子は道具が魂を持つという概念が今ひとつ腑に落ちなかった。
「ふふふ。まあ別に信じなくてもいいわ。でも何にしても、物は大切にした方がいいっていうのは本当よ」
「それは、確かにそうだね」
「ええ。それに――」
天乃は園子の眼鏡を指でつんとつついて言った。
「わたし、眼鏡っ娘萌えだし」
「あはは。何それ」
園子は天乃の冗談めかした言葉に笑顔を見せた。屈託のない素直な笑顔だった。天乃はその園子の横顔を満足そうにじっと見つめた。園子はその自分を見つめるまっすぐな視線に気付くと、少し戸惑いながら話題を逸らすように言った。
「あ、あのね、天乃さん知ってる? 昨日来たばかりなのに、うちのクラス、みんな天乃さんの話で持ちきりだよ。すごいよね」
「あら、転校してきたばかりで珍しがられているのかしら。私のことなんて、取り立てて話すようなこともないでしょうに」
「そんなこと無いよ。天乃さん、話題の人だよ」
「そうなの?」
「うん。すごい美人が転入してきたって。みんな噂してるよ」
「まあ、光栄ね」
そう答える天乃の態度は、さもそれが当然というような
「でも折角だけど、自分の噂なんてあまり興味が湧かないわ。それよりもこの街のこと、もっと知りたいわ」
「うーん、じゃあ天乃さん、ネットとか見てみたら? この街とかうちの学校のことが書いてあるBBSがあるんだけど、色んな噂とか読めるよ」
「ふうん…… 何か面白い話題とかあるの?」
「そうだねえ、最近だと何があったかな? あ、そういえば学校の近くに新しい和風スイーツのお店ができたっていってた」
「和風スイーツ?」
「うん」
「ってなあに?」
(そっからか)
園子は苦笑しながら自分の分かる範囲で説明した。
「えっと、基本は昨日食べたケーキみたいな洋菓子なんだけど、素材に餡子とか抹茶とか日本の食材を使って作ったお菓子のことだよ」
「大変っ、榊さん」
天乃はその説明を聞くと、身を乗り出し大げさに驚いた顔で切り出した。
「えっ?」
「私、そんな話を聞いてとてもじっとしてはいられないわ。予算の都合がつき次第、すぐにでもそのお店の調査に向かわなくっちゃ」
「そ、そうなの?」
「ええ、でも現地の情報に疎い私一人ではいささか不安ね…… 榊さん、地元民のあなたの協力があれば、とても心強いわ」
察しの悪い園子ではあったが、ここまで言われてようやく天乃が自分を誘っていることに気付いた。
「あはは。うん、いいよ。一緒に行こ」
「ありがとう。うふふ。すごく楽しみだわ」
二人は、その後も取り留めのない世間話しを続けた。女子高生らしいたわいの無いお喋りではあったが、園子にとっては内容よりも話しをすること自体に意味があった。
今夜も昨日の帰り道と同じように、二人の間には楽しい時間だけが過ぎていくかと思われた。
しかしその夜、二人の会話は園子にとって予期せぬ不可解な流れとなった。
切っ掛けは、二人が洗い場に並んで躰を洗っているとき園子の口から出た何気ない一言だった。
「でね、なんか最近そこで『御霊の依り代』って言うのが噂になってて――」
頭を洗いながら園子が言った。園子にしてみれば取り立てて深い意味のない、ふと思い出した一つの話題だった。
だが、その言葉に天乃の動きがぴたりと止まった。
「天乃さんはその噂、聞いたこと――」
「榊さん」
そのまま話しを続けようとする園子の言葉を天乃が遮った。
強く静かな声だった。
「え?」
その言葉に園子は天乃の方を振り向いた。
険しく真剣な視線が、園子を見つめていた。
その表情に、園子の言葉が途切れた。
「今の話、どこで聞いたの?」
「どこでって、なんかこの辺りの街BBSで話題になってたんだけど……」
園子は天乃の急な態度の変化に困惑気味に答えた。
天乃は何かを考えるようにじっと園子の顔を見つめた。そして、意を決したように口を開いた。
「榊さん、あなたは『御霊の依り代』のこと、どこまで知っているの?」
「ど、どうしたの、急に」
「お願い、今は私の質問にだけ答えて。あなたはそれが何か、今それがどこにあるのか知っているの? もし知っているのなら、隠さずに教えて頂戴」
「ううん、知らないよ」
園子は慌てて否定した。
「本当に?」
「ほ、本当だよ」
「そう……」
天乃はそう言いうと、視線を落とした。そして何かを考えているように押し黙ってしまった。
しばしの沈黙の後、園子が天乃のその様子を心配して、顔を覗き込もうとすると、天乃はおもむろに園子へ向き直った。
先程の強ばった表情は消え、何かを怖れている様に愁いを帯びた瞳が、園子の顔へ向けられた。そして、天乃はゆっくりと口を開いた。
「榊さん、あなたに、お願いがあるの。聞いてくれる?」
妖しい程に柔らかい声で天乃が囁いた。
「……なあに?」
天乃の両手が延び、園子の泡の付いた頬にそっと添えられた。
黒く深い天乃の瞳が、園子の顔をのぞき込んだ。
「今の話……『御霊の依り代』のこと、決して私以外の誰にも話さないって…… もし誰かに聞かれても、何も知らないふりをするって」
「……うん、いいよ」
「それから、もし何か新しいことが分かったら、私だけにそっと教えて欲しいの…… 約束してくれる?」
「分かった。いいよ、約束する。でもどうして?」
「ごめんなさい。今は何も言えないの」
「そうなんだ……」
「榊さん、この誓い言…… きっと、きっと、
そこまで言って、天乃は口ごもった。瞳には戸惑いの色が浮かんでいる。
「……どうなるの?」
そう園子が促すと、天乃は思い切ったように言った。
「……二人に必ず、死に至る災いが訪れる」
「……」
なぜ、天乃はそんな約束を求めたのか、そしてその夜交わされた二人の約束にどんな意味があったのか、その時の園子には知るよしもなかった。ただ、天乃の残した恐ろしい言葉にもかかわらず、二人の間に秘められた誓いが交わされたというそのことに、園子の心は静かにときめいていた。
自分の家に着き、湯のほてりから冷めても、園子の胸はまだ先の興奮から冷めやらずにいた
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To:お母さん
Sub:ご飯
本文:今日は朝時間が無くてお弁当作れなかったよ。明日はちゃんと作っていかなくちゃ。ご飯って、誰かと一緒に食べた方がずっとおいしいよね。あと、お風呂も誰かと一緒に入った方が楽しいかな。
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