第15話 巫女の思い

 通信の後、車内には沈黙が続いた。

 巫女は、言うべきことは全て語り終えたという様子で両手をつかね目を閉じていた。

 礼も、巫女の沈黙に付き添うように口を閉じている。

 時折通り過ぎる街灯の光が、ほの暗く車内の巫女達を照らす。

 安らかとは言えないが、奇妙に落ち着いた静寂が車内を支配していた。

 程なくして、車は開けた郊外に建つ頑丈そうな門の前で止まった。門柱のプレートには神祇省東雲市支部と書いてある。

「着きました。こちらでよろしいですか」

「ええ、ありがとう」

 巫女がそう言いながら車から降りると、刑部も二人を見送るように運転席から降りた。

 ボンネット越しに巫女と刑部の目が合った。

 その刑部の瞳には、僅かに物憂げな陰りが浮かんでいた。

 二人が黙したまま一瞬見つめ合うと、刑部は巫女に声を掛けた。

「猨女様」

「……何?」

「陰陽寮の叡智の結実、御霊の依り代、その権限は全てあなたに預けております」

「……」

「我ら粒々辛苦りゅうりゅうしんくの日々に意味があったか否かは、すべて猨女様次第…… どうかそのこと、ゆめゆめお忘れ無きよう」

 刑部はそう言いながらこうべを垂れたが、巫女は何も答えることはなかった。刑部は巫女の返事を待つこと無く車中に戻った。

 車が低いエンジン音を残して去っていた。

 見送る巫女の頭上では、膨らみかけの月が街を照らしている。

 何か思う所があったのか、巫女はその場に留まり、刑部の去った先をじっと眺めていた。

 すると、佇む巫女に礼が近づき、ためらいがちに抑えた声で言った。

「ひい様…… あの、先程連絡のあった死体の件ですが――」

「礼――」

 巫女が礼の言葉を遮るように言った。

「そのこと、今はまだ…… 口を閉ざしておきましょう」

「……しかし、ひい様、御霊の依り代のこと、いつまでも隠し通す訳には……」

「まあ待って」

「いえ、どうかお聞き下さい。おそらくジガバチは今、御霊の依り代の在処を必死に探している筈。たしかに依り代は我らがしかと見守っているとはいえ、その所在を陰陽寮どころか神祇省にまで偽り続けることはあまりにも危険です。今は我ら全て、皆一丸とならねばならぬ時。どちらかに隠し事があっては――」

「礼っ」

 巫女が強い声で無理矢理礼の言葉を遮った。一時の沈黙のあと、巫女は一言だけ続けて言った。

「……お願いよ」

 沈痛な懇願であった。

「……はい」

 礼は伏し目がちにそう答えた。その瞳には、言いたいことを胸の底に強く押し殺している様な、困惑の色が浮かんでいた。その瞳を暫し見つめたあと、巫女は言葉を続けた。

「礼…… 聞いて頂戴。私達も、神祇省も、陰陽寮も、たとえ組織は違っても、皆たった一つの同じ願いで動いているわ。『大君の大御宝おおみたから弥栄いやさかえ』―― 大御宝を護らば、たとえ命捨ててもかえりみはせじ。それは確かに誠の心。誰一人としてその思いに偽りはないわ。そうではなくて?」

「はい、決して違いありません」

「それは陰陽師だって同じ思いの筈…… でも、彼ら―― 陰陽の者達はね、その勤めを果たそうとするとき、もし一人の民の犠牲でとおの命が救えるのなら、ためらうことなくその一人を殺めることができる者達。たとえその一人に何のとがもなくてもね…… 彼らは今までずっとそうしてきたし、私も幾度いくたびもそれを見てきた。それは、礼も知っているでしょう?」

「存じております」

「彼らの、その行いは――」

 巫女は礼の瞳を見据えながら続けた。

「至って正しきこと。皆、すべからくそうあらねばならない。もしその時が来たら、そうしなくてはならないのよ。たとえどんなに辛くてもね。それは陰陽師に限った話ではないわ。私達にとっても同じこと。矛盾しているようにも見えるけど、大きく物事を見れば、それも全て、大御宝を護るということなの」

「はい」

「だけど―― だけどね……」

 そう言いながら、巫女は目を伏せた。

「私には…… それができない。どうしてもできないの……」

「ひい様……」

「礼、お願い。どうかもう少し、もう少しだけ待って頂戴。いずれ必ず、私みずから皆に全てをつまびらかにするから……」

「はい、仰せのままに……」

「……ありがとう」

 巫女は伏し目がちに答える礼の頬に手を添え、優しく微笑みながら言った。その言葉を聞いた礼の表情にも微笑みが戻った。二人の間の緊張がようやく解けた様だった。

「それはそうと、礼」

 巫女はそう言うと、気持ちを切り替えるように明るく言った。

「なんなの、その出で立ちは。まるで似合ってないわよ」

巫女はあらためて礼のアサルトスーツと小火器で武装された物々しい姿を眺め、少し笑いながらからかい気味に続けた。

「こ、これは、未熟な礼とて多少なりともひい様のお役に立てればと……」

「馬鹿ね、いつも充分すぎるほど助けてもらっているわ。それよりも、たとえ今は出向している身とはいえ、あなたは猨女さるめの巫女なのよ。服まで余所よその物で揃えちゃって。それとも、このまま神祇省へ行ってしまうつもりなの?」

「まさか、とんでもございません!」

「そう思うなら――」

 巫女は冗談めかすように、大仰な真面目さで礼を諭し始めた。

「猨女の女たるもの、常に見目みめうるわしくあるべし。礼、持って生まれた己が美しさを無下にしてはいけません」

「いえ、そんな、礼にはそういったことは無理です」

 礼は両の手の平を左右に振りつつ赤面気味に答えた。

「まぁたそういうことを言って。礼、見なさい、この装束を」

 巫女は自分の着ている風変わりな巫女装束の胸元を手のひらで示しながら言った。

「この意匠は、猨女の巫女等のために私が自らあつらえたものよ。なぜわざわざ私がこんなものを作ったか、礼も知っているでしょう?」

 その装束は通常のものと比べるとかなり変わった形をしていた。胸元は大胆に開き胸の谷間を強調し、また袴の胴の部分は丁度コルセットスカートの様に胸部下部から腰にかけてをぴったりと覆い、女性の躰の持つ柔らかな曲線、特に乳房と臀部の盛り上がりを如実に浮き上がらせる形状になっている。直線的な裁断と裁縫を基準とする和服では、本来あり得ない形である。しかしそのデザインは、和服の体裁を整えながら洋服の技術を大胆に取り入れ、二つを見事に融合させていた。

「民の喜び。それこそが我ら猨女の女の理念。そして、女の美しさが人に喜びをもたらすのなら、それを隠すなど論外。むしろ積極的にさらけ出さねばなりません」

「は、はあ、それは分かっておりますが……」

 礼は、何度も言われてはいるが、内気な自分には如何とも実践しがたいその教えを思い出した。

「じゃあどうして礼はこれを着ないの? はっ、まさか気付いていないというの? その胸っ」

 巫女はそう言いながら礼の胸元をいきなり指さした。

「はいっ?」

「社内でただ一人私と並ぶ、そのたわわに育った胸、それを押し出すだけで、どれ程多くの民に喜びを与えられることか。その為のこの装束っ。礼がこれを着ないというなら、どうして私の苦労が浮かばれると言うのっ」

 巫女はそう言いながら、その衣装によって強調されている自分の乳房を両脇からぐいと持ち上げた。

「えええええっ」

 突然乳房の大きさを指摘され、礼は赤面しながら両腕で自分の胸を覆った。

「礼…… どうか、我を悲しませたもうことなかれ。我が望み、聞き入れると申したまえ」

 巫女は続けて懇願した。その声色は悲しみを帯び、面持ちには哀愁が浮かんでいた。しかし両手で自分の乳房を鞠のように弾ませながら言う巫女のその態度には、微塵も真剣味は感じられなかった。

「もうっ、礼は知りませんっ」

 礼は巫女の頼みに答えず、顔を赤らめ頬を膨らませながら背を向けた。すると巫女はいきなり背後から礼の両の口の端をつまみ、外側へ引っ張りながら耳元で囁いた。

「この口は答えない口ね」

 礼の両頬が大きな餅の様に横へ伸びた

「ひ、ひいひゃま、およひふだひゃいっ」

 そういいながら礼が巫女の手から逃れようと前屈みになったとき、装備していた金属製の筒が巫女の腰に当たった

「おっと――」

 巫女はひょいとその筒を手にとると、しげしげと眺めた。なにか考えを巡らせている様子である。

「ひい様、どうかなさいましたか?」

「……礼、この管狐、穴掘り以外にも使えるのかしら?」

「ええ、それはまあ、使役獣ですから、色々と……」

 その返事を聞いた巫女は、さかしげに微笑むと言った。

「じゃあ一つ、頼まれてくれる?」

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