第14話 マガツカミ

「ジガバチである」

 タブレットの中の老人の声が、三人のいる車中に響いた。

 ゆったりとした作りの五人乗りのセダンである。巫女と礼は後部座席に並んで座っている。タブレットは礼が胸元に持っており、ハンドルを握る刑部は画面を見ることはできなかったが、通信の音声は明瞭で、四人が自然に話すことができた。

「やはりね」

 老人の言葉を聞いた巫女が、さもありなんという様子で答えた。

「何じゃ猨よ、貴様既に知っておったのか?」

「いえ、確証があったわけじゃないわ。でも、さっきの戦いでおおよそ察しがついたの」

「ジガバチ…… 私は初めて聞く名前です。どのようなマガツカミなのか、説明願えませんか? 陰陽寮でも要請を受け犠牲者の捜索などをしておりますが、いかんせん情報が足りません」

 刑部の質問を聞いた礼が、ちらりと巫女の方を見た。巫女が僅かに目配せすると、礼は説明を始めた。

「私どもで保管してある文献に記録が残っておりました」

「ほう、それはもしや、猨女大社秘蔵の古文書のことですか。これは興味深い。是非一度拝見したいものです」

 その刑部の言葉に巫女が一瞬顔をしかめた。礼はその言葉をはぐらかす様に静かな口調で説明を続けた。

「……刑部さんは『ジガバチ』と聞いて初めに何を思い出しますか」

「やはり、昆虫のジガバチですね」

「ではその蜂、ジガバチが何と鳴くかご存知ですか?」

「鳴き声ですか? いえ、恥ずかしながら」

「ジガバチはその名の通り、似我似我(ジガジガ)、我に似よ、我に似よ、と鳴くのです」

「我に似よ?」

「はい、贄となる虫を捕らえ、巣穴へ引き込むとき、その鳴き声を発すると言います」

「なるほど」

「その時、ジガバチは毒で獲物を動けなくします。ですが、獲物はその毒で死ぬことはありません。生きて意識を持ったまま、動かぬ贄となるのです」

「なぜ、殺さないのでしょう?」

「美味いんじゃないかしら――」

 刑部の発した疑問に、巫女が横から答えた。

「まあ、虫の考えなんて私には分からないけど」

 巫女がうっすらと笑みを浮かべながらいった。

 その言葉の後、礼がまた説明を続けた。

「そしてその贄となる獲物は、巣穴の中で躰に幼虫の種を植え込まれ、孵った幼虫に、生きたまま、ゆっくりとその身を喰われていくそうです」

「ふむ、たかが虫とは言え、気味の悪い話ですね」

「ジガバチは生きた贄の躰を糧として喰らい尽くした後、成虫になって巣穴から出ていきます。その昔、その様子を見た人々は、ジガバチの鳴き声を『とごい』ととらえ、忌み怖れたと言います」

「詛い…… つまり、呪詛のことですね」

「はい。贄に似我似我じがじがと呪いをかけ、己と同じ姿に取り成したと信じたのです」

「興味深いですね」

 すると巫女が、ふと呟くような声で歌い始めた。


 ――じがばちなぜ啼く何と啼く 我に似ませと啼き綴る――


「今の歌は?」

 刑部が怪訝な顔をして聞いた。

「この地方に古くから伝わっている童歌わらべうたの一つです――」

 歌った巫女に代わり、礼が答えた。

「そしてこの歌と共に、先ほどの虫ととてもよく似た特徴をもつマガツカミが文献に残っています。おそらくは、いにしえの人々のジガバチに対する『怖れ』を依り代にして顕現したのでしょう、このマガツカミは先の虫と同じように、人の躰を贄として憑依し、次々と仲間を増やしていきます。そしてその際、宿主となる人の躰を生きたまま内側から喰らい、最後にその躰を食い破って出てくるそうです。彼らはその蜂にちなんでジガバチと呼ばれるようになりました」

「つまり、そのジガバチと呼ばれるマガツカミが再び姿を現したと、そういうわけですか」

「はい。そういうわけです」

「幸いなことに――」

 老人が礼の説明を引き継いだ。

「ジガバチの生態は、まだ不明な点もあるとはいえ、かなり詳しく記録が残っておった。この度先日見つかった犠牲者の骸の状態を元に、過去のデータと照らし合わせて正体の特定に至った訳じゃ」

「まったく、最初から礼に話を持って行っていれば、すぐにでも正体がわかったでしょうに。ねえ、礼」

 巫女が礼に返事を促すように言ったが、礼は曖昧に微笑むだけだった。

「お待ち下さい、今の話、その、犠牲者の死体がどこかで発見されたのですか? 恐れいりますが、その経緯をお願いします」

 一人話について行けない刑部の質問に老人が説明をした。

「うむ、貴殿も知っての通り、神祇省では常にマガツカミの出現に警戒しておる。そして先日、数体のマガツカミが発生したらしいとの卜部うらべからの報告があったのじゃ」

「流石は神祇省の卜部ですね」

「もっともその時はマガツカミの正体がジガバチとは分かっておらなんだ。だがともかく我らは早急に対応した。そして最初の一体を処分したのだが、これが裏目に出たのかもしれぬ。他のマガツカミの反応が一斉にロストしたのじゃ」

「それはジガバチが人の躰に潜り込むことによって自分の気配を消したと言うことですか?」

「そうであろうの。だがこちらにもまだ運があった。最初のマガツカミの発見の数日前、警察が不審な二体の骸を見つけておったのじゃ」

「その死体は人間の物だったのですか?」

「うむ。故に警察は当初通常の殺人事件として捜査しており、こちらへの報告はあらなんだ。そしてその骸の状態だが、見付かったときは損傷が激しく身元の確認ができなかったと言うことじゃ」

「それは意図的に損壊されていたということでしょうか」

「顔面や指紋などは、明らかに身元隠蔽の目的で傷付けられたと見て良いであろう。しかし問題は致命傷となった傷である」

「その傷とは」

「両名ともその背中に何かに突き破られたような大穴があいておった。当初警察はその傷を銃弾の射出創と見て、二人は強力な銃により射殺されたものと判断した。当然弾丸を探したのじゃが、結局弾丸はどこからも発見されなかった」

「ふむ、それは奇妙ですね」

「そして司法解剖の結果さらに奇妙なことが解った」

「と言いますと」

「その傷、結局銃創ではなかった。原因は解らぬが、何かが躰の内側から飛び出してできたものと判明したのじゃ」

「なるほど、先程のジガバチの説明と一致しますね」

「その後、骸の身元はすぐ解明した。彼奴等、骸の目立つ特徴をそぎ落としておけば依り代とした者の特定はできぬと踏んでおったのであろう。しかしあいにくこの二人は警察にDNAサンプルが残っておったのじゃ」

「では、その男達と言うのが――」

「言うまでも無く金田正樹と木村祥造、二人の不埒者どもよ」

「そういうことでしたか」

「警察も驚いたのであろう、死んでおるはずの人間が何食わぬ顔で街を歩いておるのじゃからな。それに死体の状態の異常さもあって、これは人の仕業では無いと判断した警察から神祇省に直接コンタクトがあったのじゃ」

「そういう訳でしたか。そしてその二人に背乗りしていたジガバチ達は、さらに仲間を増やすため、矢島武雄にも取り憑こうとしたと」

「そう見て間違いなかろう。彼奴等は常に仲間を増やそうとするからの」

「つまりジガバチによる被害者の死体が見つかった場合は、ジガバチがその人物になりすましていると言うわけですね」

「そういうことじゃ」

「なるほど、今日陰陽寮に依頼のあった、『被害者の報告の無い死体の捜索』と言うのはそういう理由でしたか」

「うむ、無論こちらでも捜索はしておる。しかしこういった仕事は貴殿等の方が得意であろう」

「得意かどうかはともかく、できる限りのことはさせていただきます。ところで――」

 刑部が一瞬バックミラー越しに巫女と目を合わせ、質問を続けた。

「ジガバチに取り憑かれた人間を助けることは可能なのでしょうか?」

「……まだ前例はないけれど、私の見立てでは、躰を食い破られる前ならどうにかできると思うわ」

 それまで黙っていた巫女が口を開いた。

「それはどのように?」

「彼奴等のいとうものをあててやることね」

いとうもの? と言いますと?」

「おそらく、私達高天原にゆかりする神聖な物なら、彼奴等は相当いやがる筈…… でも、試してみないことには確証は持てないわ」

「そうですか…… ならばいっそのこと、おおやけに告知を出すというのはどうでしょう。ジガバチに取り憑かれた者は、申し出てくれば私達が除霊をするといえば、自ら出頭してくるのでは」

「記録によれば――」

 礼が巫女の代わりに答えた。

「ジガバチに取り憑かれている者達はその自覚が殆ど無いとのこと」

「ふむ…… そう都合良くはいきませんか」

「彼等はどうやら、取り憑いた相手の心に干渉し、ある程度の記憶の改竄、そして行動の操作ができるようです。ジガバチの贄となった者は皆、取り憑かれた時の記憶が曖昧として、殆ど覚えていないと言います」

「なるほど。自分の所在と宿主を隠すため、本能的に行われる行為かもしれませんね」

「おそらくね…… 全く厄介な敵だわ」

 忌々しげに巫女が答えた。

「最後にもう一つだけ、そのジガバチの背乗りですが、一体どのように、どの程度の頻度で行われるものなのでしょう」

「そうね…… たまが依り憑く時、最も依り代にし易いもの、また、し難いものが何なのか、あなたには分かる?」

「そうですね…… どちらも『人』、ではないかと」

如何いかにも」

 巫女は言葉を続けた。

「人の心が、自らたまを受け入れようとするとき、これほど入りやすい入れ物はない。しかし、人の心がそれを拒むなら、憑依しようとする霊にとって、これほど為し難い入れ物も又ないわ」

「もっともなことです」

「そして、ジガバチだけど、彼奴等が人に『受け入れられる』ことは普通ならまずあり得ないわ。なにしろ依り代となった者は最後に食い殺されるのだから」

「しかしそれは、ジガバチが憑依する者をだませば良いだけの話では?」

「それは通らないわね」

「何故でしょう?」

「彼奴等の行う憑き物は、根本では神宿りと同じ原理だから。依り代が人間の場合、憑依は魂の一部を一時的にでも共有することになるので、基本的に憑依しようとする霊が依り代を欺くことはできないの」

「なるほど、ジガバチの憑き物とはそういうものでしたか」

「ええ。まあ、隠し事程度なら何とかなるのだけどね」

「では、そのジガバチはどうやって依り代に憑依するのですか?」

「まず、彼奴等が最初にすることは、憑依しやすい状態の人を探すか、または人をその状態に追い込むことでしょうね」

「その状態とは?」

「いくつか考えらるけど、たとえばその者の精神が酷く弱っているとき。こういった場合、人の心の抵抗力は著しく下がるわ」

「憑依に限らず、人が最も付け入られやすい瞬間と言えましょう」

 礼がそう付け加え、巫女はさらに説明を続けた。

「他に考えられるのは、依り代がジガバチの行動や目的に同調するとき」

「行動に同調? 具体的にはどういうことでしょう」

「あなたも知っての通り、ジガバチに限らず、マガツカミとは常にこの国と大御宝を傷付け貶めるだけのたま

「では、この国や大御宝を攻撃しようとする者に憑くということですか?」

「もちろんそれもあるでしょうけど、そこまで具体的である必要はないわ。もっと大まかに、人を傷付け殺めることをためらわぬもの、またはそれを楽しむものなら、彼奴等の付け入る隙があるわね」

「なるほど、そういうことですか。矢島武雄の場合はまさにそれだった訳ですね」

 刑部は納得するように言った。

「そして、もう一つ、私が最も恐れている可能性」

「最も恐れる? それは一体――」

「贄となる者が、ジガバチに心酔し、命を捧げるほどに心を許すこと」

「人がマガツカミに…… そんなことがあり得るのでしょうか」

「記録をさかのぼれば――」

 礼が巫女に代わるように答えた。

「ジガバチは殆どの場合、贄に近づくときその贄が最も求むる人物像を演じるとのこと。確かにジガバチは贄を欺くことはできませんが、それは必ずしも信頼を得るに必要なことではありません。ジガバチが贄となる者の望みを叶えたり、深い悩みを取り払うことができれば、あるいは……」

「もっとも今のところ実例はないわね。だけど、私は十分にあり得ることだと思う…… 人が自分を救ってくれる誰かに出会った時、その相手に自分を犠牲にしてまで尽くすことは、それ程珍しいことではないわ」

 そう言った巫女の表情が、一瞬哀しげに曇った。

「人が依り代となったとき、もしそれが己の欲や弱さ故ならば、それが思わぬ弱点へと繋がるかもしれない。しかしもし、人が自ら自分に憑くたまのために己が命を捧げようとするならば、そのような弱点はあり得ない…… でも私が恐れている理由はそこじゃない。一番恐ろしいことは、時に人は、信じるもののためならば、思いも寄らぬ力を生み出すことがあるということよ」

「確かに…… その危険性、無視できませんね」

「とにかくそれ故に、ジガバチが贄となる依り代を探す、またはなりそうな者をその状態に追い込むには普通ある程度時間が必要。そこらの人間を手当たり次第に手に掛けるというわけには行かないの」

「多少は時間的余裕があると言うことですか」

「いや、そうとも言えぬ――」

 老人が横から口を挟んだ。

「理論的には、依り代との条件さえあえば会ったとたんに憑依することが可能である。また、羽化までの潜伏期間じゃが、これもまちまちじゃ。通常は一週間程度じゃが、個体との相性によっては憑かれたその日の内に成体となった記録もあるのじゃ」

「なるほど、やはり予断は許されぬということですか」

「うむ。卜部の出した卦によれば残るはあと一体。彼奴は正体を隠すため、当分目立った行動はせぬであろう。だが、必ずどこかで、この街の誰かに接触しておる筈じゃ」

「その可能性が高いわね」

「ともかくじゃ」

 さらに老人が結論付けるように言った

「皆の者、今は何としても最後のジガバチを探し出すことじゃ。あと一匹。しかし放っておけば、際限なく増え続けるぞ」

「ええ、無論重々承知――」

 と、刑部が老人に対し返事をしたが、急に途中で言葉を切った。左耳につけていたイヤフォンをおさえ、数秒何かに聞き入ったあと、また巫女等に告げた。

「ただいま陰陽寮本部から連絡が入りました。まだ発見はされていませんが、この街のどこかに真新しい死体が埋まっているとの「卦」が出たそうです。」

「それはどのような骸?」

「死体は十代中頃から後半の女性、埋められてまだ数日とのことです。ただいまそちらにも詳細を送ったそうです」

 その言葉とほぼ同時に、礼の持っているタブレットが受信音とともにメッセージを受け取った。それを礼が素早く確認した。

「こちらにも届きました」

「場所は?」

巫女の質問に、刑部が答えた。

「まだ特定されておりません」

「それは、ジガバチの贄に違いないの?」

「いえ、そこまでは分かりません。分かっているのは若い女性の死体がこの街のどこかに埋まっていると言うことだけです。しかし、ただいま警察の記録と照合を行っています。もしこの街の付近でこの数日以内に、十代の女性の殺人、または行方不明の記録が無いとすれば、その可能性はかなり高いと思われます」

「そうか、年齢的には学生の可能性が高いのう…… よし、儂もこちらで調査を始める。猨よ、報告を怠るなよ」

 老人はそう言い残して通信を終えた。

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