第8話 席替え

 火曜日


 百合ヶ丘高校では今日から通常の授業が始まる。園子は昨日、あの後また夜遅くまでネット巡りをしながら天乃の噂や『御霊の依り代』について調べていたが、これといった情報は何も得られず結局骨折り損だった。それだけでなく夜更かしのせいで今朝寝坊までしてしまった。朝起きて朝食を済ませるともう時間ぎりぎりだった。通学路を駆け抜け、何とか閉門数分前に学校にたどり着いた。

(天乃さん、もう来てるかな? 会ったらちゃんと挨拶しよう)

 朝の挨拶など普通の生活をしていれば当たり前にすることなのだが、園子はこの一年ずっと虐げられており、友達もおらず、クラスでほとんどまともに会話をしたことがなかった。なので挨拶などという簡単な会話でもいささかの意気込みを必要とした。

 教室へ入ると天乃はすでに席に着いており、そして予想通りその周りを数人の女子達が取り囲んでいた。天乃の席は教室の前の方だったので、後ろのドアから入ってきた園子に気付いてはいないようだった。園子は天乃に話しかけたいと思ったが、その女子達の会話の中に入っていく勇気をなかなか持てなかった。

 園子が女子の群れの少し後ろで躊躇していると、天乃の方が先に園子に気付いた。後ろを振り返り、昨日と同じ柔らかい笑顔で園子に挨拶した。

「おはよう、榊さん」

「お、おはよう、天乃さん」

 挨拶をすることが出来た。そして園子は勇気を出して天乃に近寄り、会話の輪に加わろうとした。だが丁度そのとき始業のチャイムが鳴り、それと同時に、まるでドアの外で待っていたのかという程ぴったりのタイミングで稗田が教室に入ってきた。生徒達は銘々自分の席に戻り、園子もそれにならった。天乃と話をする時間はなかったが、取りあえず目標は達成できたので、園子はそれなりに満足だった。

 一時間目はホームルームで、日直や臨時のクラス委員が決められた。まだクラス替えが行われてから日も浅いので、今はまず臨時で適当に決めて、ひと月後、生徒達がクラスになじんでからまた新しく決め直すとのことだった。取りあえずその日は一年生のときに委員の経験があった生徒がそれぞれの任についた。

 席替えも行われた。これはくじ引きなどではなく、稗田があらかじめ席順を決めていた。これに関して生徒は多少不満そうだったが、稗田のそつのない態度が異論を差し挟む余地を与えなかった。稗田は自分の作った座席表を見ながら窓側の前の席から順に座る生徒を指名していった。窓側の最後の席が指名されるとき園子は思った。

(日当たりもいいし目立たないし、あそこに座れたらいいんだけどな)

 すると――

「榊さん」

 予期せず自分の名前が呼ばれた。

「はいっ」

 やった、今日はついてる、と思いながら、園子は指定された席へ移動した。いつも自分のことを人一倍運の悪いタイプと思っていたので、こんな小さなことでも無性に嬉しかった。後は隣の席に誰が座るかが気になる処である。むしろ自分の席の場所よりずっと大きな問題だ。稗田は続けて窓側から二列目の席を指定していった。いつもの園子ならネガティブな視点から、どうか黛さんが隣に座りませんように、と考えただろう。嫌なことから逃げることを常に一番に考えるのが、園子の考え方の傾向である。だが今日の園子は珍しく、ポジティブな考え方をした。

(天乃さんが隣に座りますように)

 そして、稗田は二列目最後尾の席を指定した――

「天乃さん」

 正に自分が望んでいたその名前がよばれ、園子は喜びよりもむしろ驚きと違和感を感じた。まるで誰かが自分のために便宜を図っているような気分だった。クラス分けのときは自分の不運を呪ったが、その後天乃が来てからというもの、何か不自然な、まるで予定されていた様な幸運を園子は感じていた。

(『人のえにしと言うものは……』)

 何となく昨日天乃に言われた『縁』の下りを思い出した。

「よろしくね、榊さん」

 天乃が席に着きながら園子に挨拶した。

「うん、私もよろしく」

 だが、天乃の微笑みを見ると、嬉しさから、そんな疑問も飛んでいった。せっかく自分の望んだ通りになったんだから変な風に考えるのはよそうと、園子は素直に現状を喜ぶことにした。

 チャイムが鳴りホームルームが終わると、稗田が天乃のそばに来て話しかけた。

「天乃さん、今日の各休み時間は進路指導室へ来てください。お話があります」

 天乃は少しだけ不満そうな顔をして答えた。

「お昼休みもですか?」

「……いえ、昼休みはいいでしょう。では、先に行って待っています」

 稗田はそう言うと教室を出て行った。園子は気になって天乃に聞いてみた。

「どうしたの?」

「さあ、どうしたのかしらね…… じゃあ榊さん、また後でね」

 そう言って天乃は席を立った。その返事を聞いて、園子は何か不自然なものを感じた。普通相談室へ来て欲しいと言われたら、誰だってまず最初に理由を知りたがるはずである。だが天乃はそれを稗田に聞かなかった。もしかすると、呼ばれることを知っていたか予想していたのではないだろうか。昼休みもかと聞いたのは、昼休みくらいは勘弁して欲しいと言う意味で言ったとも考えられる。

 やはり天乃には何か大きな隠し事がある。教室から出て行く天乃の背中を見ながら園子はそう考えた。

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