第6話 ガールズ トーク

 園子は現在の状況を理解しあぐねていた。自分が置かれているあまりにも予想外の境遇にひどく混乱し、頭の中には疑問符が飛び交っていた。

 今園子は通学路の途中にあるこぢんまりとした喫茶店にいる。店内の家具や装飾はアンティークな物で統一されていて、セピア色を基調とした内装は大正浪漫を彷彿とさせた。あまり今時の女子校生が好むような雰囲気ではないが、ケーキがおいしくて種類も豊富だと一部の女子達の間では評判の店で、園子も以前に一度入ったことがある店だった。

 普段の園子にならこの落ち着いた風情は好ましい物だったであろう。しかし今の園子にはその雰囲気を楽しむ余裕は全くなかった。

 目の前で、まるで別次元から飛び出して来たような美少女が、自分に微笑みかけているのだ。

(一体何でこんなことになっちゃったんだろう?)

 先程、園子が教室を出ようとしたとき、その美しさでクラスメート達の羨望を一身に集めていた天乃が、なぜか突然自分に帰り道の同伴を申し込んできた。

 天乃と園子は今日会ったばかりでまだなんの面識もない。なのに天乃は、教室を出ようとした園子の手を取り家の方角を聞くと、丁度同じ方向なので一緒に帰ろうと、なかば強引に園子を誘い出した。玄関口まで園子を導くように繋がれた柔らかな手の感触が、まだ園子の掌中に残っていた。

 学校を出てからここまで、園子は緊張のあまり始終下を向き、何も話すことが出来なかった。天乃は園子のそんな様子に気付いたのか、一緒にお茶でも飲もうと道すがら見つけたこの喫茶店に園子を押し込んだ。そしてこの状況に至る。

(な、何か話さなくちゃ。話題、話題)

 そう思いながら園子はためらいがちに上目遣いで視線を前に移すと、たおやかに頬杖をついてこちらを見ていた天乃と目が合った。二人がけの小さなテーブルなので距離が近い。園子は何も言えずまた下を向いてしまった。

「素敵なお店ね」

「は、はいっ、そうですねっ」

 声が裏返った。突然話しかけられてまともに答えることが出来ず、つい敬語で返事してしまった。天乃はその返事が可笑しかったのか、少し困ったように笑いながら言った。

「ふふふ、榊さん、私たち同級生なんだから、普通に話してほしいわ」

「そ、そうよね、御免なさい」

「もう、謝ることじゃないのに」

 アンティークなデザインの可愛らしい制服を着たウエイトレスが二人にメニューを持ってきた。園子はすっかり挙動不審になっている自分の姿を天乃に見られるのを恥ずかしく感じ、手にしたメニューを見るふりをして顔を隠した。

(もう、あがっちゃって頭ん中真っ白だよ。どうしたらいいの?)

 ずっとそうしている訳にもいかない、何か話しかけなくてはと思い、メニューで顔を隠しながらまたそっと天乃の方をのぞき込んだ。すると、思いがけないことに、目の前の美少女は沢山ならんだケーキの写真を見ながら子供の様に目を輝かせてはしゃいでいた。

「すごいわ、榊さん。見たことのないお菓子がいっぱいあるわ」

「え、そ、そう?」

 大人びた魅力とはうらはらに、甘い物に夢中になる天乃の無邪気な振る舞いが妙に可愛らしく、園子は彼女のその様子に暫し見蕩れてしまった。

「榊さん、ほら見て、どれもすごくおいしそう」

 天乃はそう言うと、手にしたメニューを園子に差し出しながら弾んだ声で聞いてきた。

「聞いたことのない名前が沢山あるわ。一体どんなお菓子なのかしら。ねえ、榊さんは知ってる? 何かお勧めはない?」

「そうね、ええと……」

 園子は提示されたメニューをのぞき込み、自分の知っている範囲で内容の説明をした。少し意外なことに、天乃はその洗練された容貌にもかかわらず、ケーキやコーヒーに関しての知識はほとんど無いようだった。

 園子もさして詳しいわけではない。ここのメニューに書いてあった『オペラ』とか『クレームブリュレ』などという言葉が何を意味するかは分からなかったが、それでも『ティラミス』や『モンブラン』程度の語彙なら常識として知っていた。しかし、天乃はそんな一般的な言葉すらも定かではないようだった。しかしだからといって自分の無知に気負うことはなく、無邪気に園子に教えを請うた。

「えっと、このガトーショコラっていうのは、チョコレートのケーキのこと。ケーキの生地にココアパウダーを混ぜてるんだって。こっちのミルフィーユって言うのは、うすーいパイ生地が沢山重なってるお菓子だよ」

「すごいわ、榊さん。とっても詳しいのね」

「ええっ、そんな、全然そんなことないよ」

 園子は自分の美しさを鼻にかけず、知らない物は知らない物として素直に説明に聞き入る天乃の態度にまた好感を持った。そして、ほんの少しでも教える立場に立てたことが功を奏したのか、園子の緊張もこの会話でだいぶほぐれてきた。

 ウエイトレスが注文を取りに来た。天乃は最初に説明してもらったガトーショコラとカプチーノコーヒーを、園子は苺のシフォンケーキと紅茶を注文した。程なくしてケーキと飲み物が運ばれてくると、天乃は自然に手を合わせ「いただきます」と一礼した。真っ直ぐな礼だった。

 ケーキを一すくい口にすると、また天乃の目が輝いた。

「まあっ、おいしい。榊さん、これ、すごくおいしいわ」

「そう、よかった」

 天乃はさらに二口ほどフォークをすすめ、コーヒーを口にして一息つくと、独り言のようにぽつりと呟いた。

「……来られてよかった」

「え?」

 園子の反応に気付いたのか、天乃は静かに語り始めた。

「私ね、ずうっと憧れていたのよ、こっちの暮らし。本当は、ここへ来られるなんて思っていなかった。ここは素敵な所だわ…… 今はまだ無理だけど、私、ここで沢山友達を作っていろんなことをしたいの」

 なぜかその言葉に、園子は天乃の正直な心の声を聞いたような気がした。そして、どこかしらミステリアスな天乃が、このような心情を自分に明かしてくれたことが少し嬉しかった。

 しかしそれと同時に園子はその言葉に少し違和感を覚えた。天乃の口ぶりからは、まるで彼女が今までケーキすら自由に食べられない所にいたように聞こえる。しかし今のこの国にそんな所があるとは思えない。もしかすると場所の問題ではなく、彼女は今まで何か特殊な状況の中で暮らしていたんだろうかと考えを巡らせた。

「ねえ、天乃さんってここに来る前はどこにいたの?」

 園子のその質問に、天乃は少し困惑した様子を見せた。

「そうね…… ちょっと遠くて、退屈な処よ」

 そう言った時の天乃の声に、園子は哀しげな色を感じた。

(何か事情があるのかもしれない)

 園子はそう思い、それ以上の質問を差し控えた。天乃は園子の心遣いに気付いたのか、何も言わずただ静かに微笑んだ。

 またケーキを何口か口にすると、天乃は雰囲気を切り替えるように、明るい口調で園子に話しかけた。

「ねえ、榊さん」

「なあに?」

「私ね、こっちへ来たばかりでしょう? だから、まだここのことを何も知らないの。だから、ねえ、榊さん――」

「うん」

「私に教えて欲しいの、色々なことを。学校のこと、街のこと、ここに住む色んな人達のこと、そして何よりも――」

刹那、天乃の黒く大きな瞳が、真っ直ぐ園子を捉えた。

「何よりも、あなたのこと」

 どくんと胸が高鳴った。不意打ちのように放たれた言葉が、園子の心に優しく絡みつく。頬が熱い。自分の顔が赤くなっているのが分かる。

「え、あ、あの……」

 嫌な申し出ではない。しかし園子は、まるで突然恋の告白をされた少女のように戸惑い逡巡した。

「わ、私なんかでよければ…… いいよ」

 やっとそれだけ答えた。

「ありがとう。嬉しい」

「へへへ……」

 園子は自分に向けられる柔らかい笑顔になぜか気恥ずかしさを感じ、照れ隠しに少し笑って見せた。

 それから、二人はケーキを平らげるまでの短い間、取り留めのない会話を続けた。主に園子が話し、天乃が聞き手にまわった。好きな音楽や、学校の名物先生の話、近所にある安く入れる銭湯のことや、大きな桜のある神社の話。皆他愛のない世間話だった。しかし天乃は園子が話すことすべてに興味深そうに耳を傾けていた。高校に入ってからずっとしいたげられていた園子にとって、誰かとこんなに沢山しゃべるのは本当に久しぶりのことだった。

 園子は当然天乃のことにも興味があったので、正直言うと自分も天乃に対して色々なことを聞いてみたかった。だが、天乃の言葉の端々から、何となく自分のことは語りたくなさそうな雰囲気を察し、出来るだけ詮索を控えていた。

(きっと何か理由があるんだ)

 ただ、たった一つだけ、園子にはどうしても聞かずにはいられない疑問があった。

 ウエイトレスがティーカップと皿を片付けるのを待ってから、園子は下校時からずっと疑問に思っていたことを、思い切って天乃に聞いてみた。

「ねえ、天乃さん」

「ええ、何かしら?」

「あのね、私、さっきからずっと気になってることがあるの」

「……なあに?」

 天乃は園子の目を見つめ、ゆっくりと返事をした。

 園子は何となく、天乃がこの質問をされることをすでに分かっていたような気がした。

「今日、教室を出るとき、どうして私を誘ったの?」

「……」

「どうして私だったの?」

「…… 気になる?」

「うん…… 気になるよ」

 天乃の表情から、微笑みが消えた。そして暫しの沈黙の後、天乃は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「榊さん、その訳、私にもうまく説明するのは難しいわ…… ただ……」

「ただ?」

「人のえにしと言うものは、たまさかな巡り合わせから始まって、そして、人は一度ひとたび巡り会ってしまったら、もうその出会いを無かったことには出来ない……」

「……」

「なぜなら、それはもう、さだめだから」

 天乃のひどく抽象的な返答に園子は当惑した。どうにか理解しようと、暫しそこに隠されているであろう含意を一生懸命汲もうとしたが、結局天乃の言葉に意味を見いだすことは出来なかった。

 しかしそれでも園子には、今の天乃が口からでまかせを言っているとだけはどうしても思えなかった。

「御免なさい。こんな返事で分かってもらえる筈がないわね」

 園子の困惑した表情を見て、天乃は言った。

「うん、分かんないよ……」

「じゃあ、こういうのはどうかしら?」

「え?」

 天乃はつかねた手の両肘をテーブルにつき、ぐっと前に身を乗り出した。

 端正な面輪おもわが園子の目前に迫った

 そして、天乃はいたずらっぽく微笑みながら艶めいた声色で言った。

「実は私、眼鏡っ娘萌えなの」

 園子はまた赤面した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る