第5話 つながれた手

 始業式のために全校生徒は体育館へ集合した。

 すでに折りたたみの椅子が生徒の人数分並べられている。園子達は出席番号順に座るように指示された。天乃は必然的に前の方の席になり、園子はその斜め後ろの少し離れた席に座った。始業式が始まり、教師の挨拶や校歌斉唱などありきたりなプログラムが進められていく中、園子はぼんやりと天乃の後ろ姿を眺めていた。

(きっと、偶然目が合っただけだよね)

 園子は先程の自己紹介の時、天乃が自分に向けた妖しい微笑みをそう解釈した。

(こんな綺麗な人が、私なんか気にかけるはずが無いもん)

 そしてさっき目の当たりにした彼女の圧倒的な美しさと存在感を思い出した。園子はまだ天乃のことを何も知らない。だが彼女が自分とは全く違う種類の人間だということは直感的に理解出来る。

(彼女に比べて私は……)

 園子の自己に対する評価はかなり低い。何事に対しても自信が持てず、必要以上に卑屈になっている。そしてそんな自分と、いままで実際に目にした中で最高の美少女を勝手に比較し、園子は意味なく落ち込んでいた。

(きっと彼女はこれからクラスの羨望を一身に集めていくんだろうな。私とはまるで正反対だ)

天乃の毅然として真っ直ぐ伸びた背中を見ながら園子は思った。

(でも、もし、たとえばほんの僅かな可能性の話として――)

 この年頃の少年少女は、時に現実離れした理想の自分を夢想することがある。

 その多くは大抵ひどくリアリティに欠けた、馬鹿馬鹿しい空想でしかない。もちろん本人もそんなことはあり得ないと十分承知しているのだが、空想自体が彼らには楽しいのであり、往々にしてその手の妄想にふけるきらいがある。

 園子も、このとき少しだけ、絶対に無理だと思ってはいるが、こんなことが起こってほしいという、自分にとって理想の未来の妄想をしてみた。

―― あの人と、友達になれたら ――

 そこまで想像して、園子はかぶりを振った。

 いや、よそう。

 私なんかが近づいていい人じゃない。

 たとえ同じクラスでも、彼女と私はほとんど接することも無く別々に生きていくことだろう。

 友達になるなんて最初から望んじゃいけないんだ。

 出来ないことを望んでも後で傷つくだけだ。

 そう考えながら、園子は自分の脳裏を掠めた願望を、ばかげた妄想だと否定した。

 広い体育館で大勢の生徒と一緒にいるにもかかわらず、園子は一人、深い孤独に沈んでいた。


               ※


 始業式の後、生徒達は教室に戻り、短いホームルームを行った。稗田は明日からのクラスの簡単な説明を行って、日直や各委員などは明日決めるので、希望や推薦があるなら考えておくようにと生徒に伝えた。

「それでは皆さん、また明日会いましょう」

 起立礼の号令のあと、稗田はそう言って教室を出て行った。すると、クラスの女子達がおずおずと天乃の席の周りに集まりはじめた。皆この時を待っていた様だった。

 本当はもっと早く彼女に話しかけたかったのだろう。朝のホームルームから今まで天乃に話しかける機会は何度もあったはずだ。しかし彼女の大人びた魅力に気圧けおされて誰も話しかけられずにいたのである。

 だがとうとう一人の女生徒が彼女に接触を試みた。

「あ、あの、天乃さん……」

すると天乃はそのクラスメートにゆっくりと振り返った。女生徒は天乃の美貌に圧倒されながらも何とか天乃に声をかけた。

「ええと、あの、天乃さんって、こっちに来たばかりなんでしょ? で、良かったら、えっと、少しお話ししたいなって思って……いっかな?」

「まあ、うれしいわ」

 その返事に女生徒は一瞬喜びの表情を見せたが、天乃は続けて彼女に言った。

「でも、御免なさい。本当に悪いんだけど、お話はまた別の日にしてもらえるかしら」

 天乃が申し訳なさそうに微笑みながら答えた。

「……そっかー。うん、じゃあまた今度ね」

 声をかけた女生徒が残念そうにそう言い、周りにいた女子達もその返事にその場を離れようとした。だがそこへ――

「じゃあいつならいいかしら」

 散っていこうとしている女子達を引き留めるように割って入る声がした。

「ねえ、天乃さん、私達みんなあなたに興味があるのよ。今日は無理でもいつがいいかくらいならわかるでしょ」

 麻祐子だった。ほかのクラスメート達が皆何となく気後れしている中、その気持ちを代弁するように自信に満ちた態度で言った。

「そーそー、つきあい悪いよ」

「せっかくみんな話したがってるんだしさー」

 麻祐子の後ろから、すかさず由香子と明菜がフォローした。

 その声に女子達も気を取り直してまた天乃の前に集まり始めた。

(まただ、このパターン――)

 園子は彼女達の様子を見ながら思った。

(黛さんのいつものやり方だ)

 クラスで何か問題や議題が持ち上がったとき、すっと自然に自分の意見を通す。そしてその意見を取り巻きがフォローする。いつの間にか、主導権が麻祐子に握られている。タイミングもやり方も実に手慣れたものである。

 そこで終わるならまだいい。だが時として、麻祐子は悪者を作り出す。特に問題のないような小さなあらをあげつらい、責任の所在を誰かに押しつける。今の状況もそうだ。天乃は誘いを断っただけで、特におかしいことを言ってはいない。だがまるで彼女が周りの空気を読めない身勝手な人のような雰囲気がその場にできようとしている。

(……私には関係ないよ)

 園子は彼女達の様子を尻目にのそのそと帰り支度を始めた。これ以上彼女たちの様子を見たくなかった。

 その時、天乃がすっと立ち上がり麻祐子の真正面に向き直った。一瞬、少女達の声が止まった。そのしじまの隙を突くように天乃が言った。

「黛さん…… だったかしら」

 背の高い天乃が麻祐子を見下ろす形になった。

「ええ…… 何よ」

 麻祐子は少し困惑した様子で答えた。すると、天乃は上から麻祐子の瞳をのぞき込みながら言った。

「あなた、ちょっといい感じね。私の好みだわ」

「ええっ?」

 その言葉に麻祐子はたじろぎ、一歩後ずさった。

「いずれゆっくりお話ししたいわ…… 勿論、ほかの皆さんとも。でも、今日は駄目」

「ど、どうしてよ?」

「私ね、ちょっと、気になるがいるのよ」

 そう言った天乃の顔に、すうっと笑みが浮かんだ。その妖しい微笑に当てられたように、麻祐子はそれ以上何も言うことができなかった。

 園子はその時、既に二人に背を向けていた。何かいやなことが始まる前にこの場から立ち去ろうと早々そうそうに帰り支度を済ませ席を立っていた。

 しかし、園子が教室の後ろの扉に手をかけたとき、もう一方の手を、柔らかな、心地の良い感触が捉えた。

「えっ」

 驚いてその手元を見ると、白くしなやかな指が、しっかりと自分の手を掴んでいた。

 時間がゆっくり流れ出した。

 その握られた手を目で辿っていく。

 淡い桜の匂いが香り始めた。

 振り返ると、すぐ近く、少し身を乗り出せば触れてしまうほどの距離に、彼女の顔があった。

「いきなり御免なさいね」

 先程まで皆が憧れていた美しい微笑みが、園子一人に注がれていた。

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