第2話 返信のないメール
日曜日
メール作成<新規>
To:お母さん
Sub:明日から新学期
本文:お母さん元気? 園子だよ。今日は春休み最後の日。知ってた? あたし、明日から二年生になるんだよ。はやいよね。クラス替えがあるんだけど、心配だな。苦手な人と一緒にならなければいいんだけど…… いいクラスになるといいな。友達できるかな? じゃ、またメールするね。
その夜、
古い機種の携帯電話である。今から四年前、中学生になったとき、母から買い与えられた。そのときから何かしら折あるごとに、母にメールをするのが園子の習慣となっていた。
園子の母はもういない。三年前、母、七瀬は何の前触れもなく家族の前から姿を消した。それからというもの、園子は七瀬に頻繁にメールをするようになった。少しでも母との繋がりを保つためである。園子は送信の度、ただ母からの返信を待っていた。返事はまだ一度も無い。
「明日からまた学校かあ……」
そう呟くと、座っている椅子の背もたれに大きく体重を預けた。ずり下がる眼鏡を中指で押し上げた。中学の頃から愛用しているこの赤い太縁の眼鏡は、右の
園子の通う百合ヶ丘高校は明日から新年度を迎える。もう登校に必要な物は整えてある。園子は壁につるしてある制服を何となく眺めた。そこに一緒にまとめてあったタイツにふと気付いた。
(これはとりあえず要らないな)
寒さに備えるための物ではない。それは一年生のとき、級友につけられた打撲の痕を隠すために買った物だった。
高校に入学してからの一年間、園子はずっとクラスでのいじめに苦しめられていた。
膝下の青あざのついていた場所を見て、もう痕が残っていないか確認していると、一年生の頃の学校での記憶がぼんやりとよみがえった。楽しい思い出など一つもない。毎日毎日、その日が早く過ぎ去ることだけを望んでいた。
それでも、まだ痛みは耐えられる。気持ちを押し殺し、心を石のように硬くすれば、少なくともその場はやり過ごせる。だがそれをたった一人の家族である父に知られることだけは、どうしても我慢できなかった。
あと二年耐えよう。水底の貝の様に、物言わず身を縮めていれば、いずれやり過ごすことができる。園子はいつものように、そう自分に言い聞かせた。
タイツを箪笥にしまったとき、ふと視線の先にあった開いたままのノートパソコンが目にとまった。父から貰った型遅れの機種である。
(寝るにはまだ早いか……)
園子はほんの暇つぶしにとウェブのブラウザを開くと、普段よく閲覧するホームページのリンクを開いた。
最近若者の間で人気のある某大型掲示板サイトがある。そしてその掲示板はいくつかのカテゴリに分けられており、その『学校』のカテゴリには、かなり頻繁に園子の通う学校、百合ヶ丘高校のスレッドが立てられていた。そして当然書き込みのほとんどは百合ヶ丘高校の生徒達による物だった。生徒達の間では、ここのスレッドに書き込むことがある種の流行になっていて、学校の規模から考えるとかなり多くの投稿が寄せられていた。一応掲示板に書き込むには記名が必要なのだが、ハンドルネームが自由に設定できるため、一部の書き込み以外は誰が書いているのかはまず分からない。ほとんど無記名と同じ性質の掲示板となっている。そのせいか、学校内のかなり生々しい話も時折見受けられる。いじめの話題もその一つである。
いじめの話題には、いつもある程度の数の書き込みがある。だが、被害者の側からの書き込みは殆どなく、大多数が傍観者からの言葉ばかりだった。そしてどの書き込みもみな興味本位で無責任なものばかりである。なかには被害者を擁護する意見も見られたが、どれも園子の心には届かなかった。みな一歩距離を置いた、ありきたりな一般論のようにしか感じなかった。自分がいる、暗く寒い場所まで手を伸ばそうと本気で何かを伝えようとしている人など誰もいないように感じた。
当たり前だ―― 園子は思った。いじめなんて、被害者以外には所詮対岸の火事でしかない。下手に近寄れば、自分に被害が及んでしまう。一番利口なのは、遠くから眺めていること。そして同情する振りをしながら人の不幸を楽しむこと。ネットの書き込みなんて、その最たるものだ。 そんなことを考えながら、色々なスレッドを巡り、リンクをつついていると、少し気になるサイトにたどり着いた。
『いじめで悩んでいるあなたへ』
見出し文の内容だけ見ればよくあるフィッシング詐欺の様である。だが、なぜかその日園子はこの見出しに引きつけられた。さらに文はこのようにつづいていた。
『あなたは、いじめで悩んでいたりしませんか? 周りの人とうまくいっているでしょうか? 何か悩みがあるなら、私が力になります』
(なんかいかにもって感じだな)
園子は怪しみながらも続きを読んだ。
普通この手のページは、不必要に派手で色使いも明るく目立つように作られている物だが、このサイトはかなり地味で暗めである。何か別の目的で作られた物だろうか。
『新しい自分に生まれ変わることで、今の悩みから解放されるのです。私は、そのお手伝いをしてあげられます』
(詐欺っていうより、変な宗教かなんかの勧誘かな?)
そうも思ったが、その割には団体名が出てこない。
『こんな話、そう簡単には信じられないと思います。別にそれでかまいません。でも、もしちょっとでも興味があったら、次のことを試してみて下さい』
その指示内容がまた変わっていた。
まず日が沈み暗くなるのを待ってから、どこでもいいので最寄りの神社に行くよう書いてある。そして誰にも見られていないことを確認してから、敷地内で携帯からリンクが張ってあるウェブサイトにアクセスするようにと指示してあった。
もしかするとこれは勧誘と言うよりおまじないのような物かもしれない、と園子は思った。いずれにしても、いかにも胡散臭い内容だった。
(こういうのって、雑誌にしてもネットにしてもよく目にするけど、一体どんな人が信じるんだろう)
ずり下がった赤いフレームの眼鏡を押し上げながら、園子は考えを巡らせた。
たぶんどんな人だって、普通の状態ならこんな話は歯牙にも掛けないんだろう。いくら何でも怪しすぎる。しかし、こういう怪しい広告や宣伝は、決して無くなることがない。それはつまり、常に一定数の人たちが、この手の文章に引き寄せられているということではないだろうか。
じゃあ何で、そういう人たちはいなくならないのだろう。こんな、誰にでもあからさまにわかる詐欺まがいの勧誘に、騙される人が後を絶たないのはなぜだろう。
その理由―― 今なら、今の私になら、何となくわかる気がする。
まだ小さなとき、幸せな日々を送っていた頃の自分にはわからなかったであろう気持ち。本当にどうしていいかわからない問題に突き当たった時の気持ち。
人が、自分の現状に本当に何の希望も持てなくなったとき、自分では何をしていいかさっぱり見えなくなったとき、どうすればいいのだろう。
誰かに頼る? でも、家族も、友達も、誰も頼れる人がいないときはどうするの。人は正しさなんて考えられなくなってしまう。
そんな時、全ての望みが見えなくなってしまったそんな時に、ほんの少しでも希望を感じさせてくれる話をされたらどうだろう? それがどんな馬鹿馬鹿しい話にでも、人はついすがってしまうのではないだろうか。
(今の私には、その気持ちがわかる――)
園子には、そんな人の愚かしくも悲しい気持ちが、今なら何となくわかる気がした。
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