本編

詭弁学部の伝統

「ダメだ、間に合わん」|

 おがくずだらけの非常階段で、のりと色紙が細やかに付着したのこぎりを片手に私は顔を強ばらせた。

 「学園祭開場まであと何分だ?」

 

 ……。

 

 もはや誰も答えない。連日に渡る作業ゆえに、我々「詭弁学部きべんがくぶ」の連中は完全に疲弊しきっていた。普段なら万象に対して詭弁を振りかざし捻りに捻くれまくるくせに、どうしてこう疲労には子供のように従順なのだろうか。

 「おい、π(パイ)?後何分…だ?」

 πと呼ばれた長身の丸眼鏡は、おぼろげに答える。

 「ん…え〜…開場まで…あと30分…がんばればどうにか…ならないか」

 「あ〜…」

 もちろんπというのは彼の俗称であり、彼が高校2年の時、円周率公式の綴りミスを認めようとしない頑固数学教師を詭弁で完膚なきまでに打ちのめしたことに由来する。

 πは続けて零した。

「何だって僕らは毎年こんな馬鹿みたいなモニュメント作らなきゃいけないのさ」

「馬鹿みたいではない。とにかく伝統なのだ、これを完成させなければ詭弁学部OB達に申し訳が立たん」

 「申し訳は僕らに立ててほしいよ。赤ん坊の頃からの付き合いじゃないか。おい、そろそろ君も起きて手伝ってくれ」

 そう言って私とπが目を向けた先には、長い黒髪を床に投げ出して眠る女史がいる。ヨダレを小さな顔全体に垂らして断続的に呻くその姿は、せっかくの美人を完全に台無しにしている。あんなに綺麗にひん剥かれた白目は私は初めて見た。

「はい…!起きます!そして3人で完成させるのです!立派なご子息を!」

相変わらず返事は良いものの、体位と顔面は依然そのままである。あれはあれでもはや可愛らしいので、もうとりあえず放っておく。小さくて可愛いものに悪どきものなし。

 さて、我々詭弁学部には我が校の学園祭、通称「明善祭めいぜんさい」において数十年に及ぶ伝統がある。それは、毎年部員総出(現在は3人しかいないが)で作り上げたモニュメントに乗って、詭弁を振り撒きながら校舎を練り歩くというものである。

これだけでも特殊だというのに、そのモニュメントの形というのがこれまた常軌を逸しているのだ。

なんというか、これはなんといったらいいんだろう、悠々とそそり立つこの様はどう見ても───────


「男根だよね、これ。どう見ても」

 

 …そう、πの言う通り、これは明らかに男性のそれであり、なぜこの形でなければいけないのかは不明瞭ふめいりょうである。当然ながら毎年お約束のように生徒会本部にしょっぴかれるので非常に合理的でないが、伝統なので致し方ない。

「ダイレクトに男根を表現するから没収されてしまうのでは?どうでしょう、このあたりにレースのリボンなど付けてみては」

 やっとこさ目を覚ました彼女がケチーフで顔を拭いながら像に触れた。さっきまで放射状に広がっていた髪の毛はいつの間にか頭の上で団子に変わっている。

「うん…それは…最高に気持ち悪いね」とπ。

確かにいきり立つ男根にレースのリボンが結ばれる様は想像しただけで顔筋が強ばる。ドン引きというやつだ。彼女の趣味は一体どうなっているのだ。

「それもそうだが、いいかげん作業に移らねば。あと30分しかないんだ」

といっても我々の目の前に立つモニュメントは、台座の装飾と詭弁学部に引き継がれる「詭弁」の掛札を掛けるだけ、という段階までに至っていた。このまま頑張れば、やっつけられないこともない。


そうして3人の若者が顔を苦悶に歪ませ千鳥足で装飾にかじり付く様は、傍からみればどんなに首を捻ろうが体力に満ち満ちた華の高校生には見えないだろう。

そして開場2分前のアナウンスが流れる頃、ようやく「それ」は完成した。うむ。これぞ詭弁学部の象徴。今年も祭事に浮かれる青春野郎共の目をかっさらうこと間違いなしである。

 「やりましたねー!」

 「がんばった〜」

 「2人ともよくやってくれた…あとは「詭弁」の掛札をかけるだけだ」

 明善祭はこれからだと言うのに、この3人を含む非常階段の半径5mはもう「終わった感」が滲み出ていた。

しかし団子娘が何か言いたげに辺りをしきりに見渡している。

「あれ?部長、掛札というのはどこにあるのですか?」

なんだと?確かにさっきその辺で見かけたはずだが…

「え?掛札って、木の板に歌舞伎文字で『詭弁』って彫ってあるあれだろ?僕は見てないけど。まあいいじゃないか掛札の一枚くらい。あんなのあってないようなものだろ?」

…なんてことだ、まさかあれを失くしたのか?まずい、冷や汗がバッと染み出してきた。

「よくない!あれは詭弁学部に数十年の間継承されてきた神器だ!あれなくして詭弁巡りは事を成さん!」

そうだ、よくない、よくないのだ。詭弁巡りができなくなるということは、同時に私が練に練ってきたある「計画」も同時に潰えることになるのだ。迷っているヒマは無い。

「探しに行ってくる」

「えっ?今からですか?もう詭弁巡り始めなければいけないのでは?」

「そうだよ部長、モニュメントに乗るのは君なんだから。主役がいないと」

「客足もすぐに満ち満ちるというわけではないだろう。掛札は大体縦横15センチの正方形だ。君らも見つけたら私に連絡してくれ」

私は狼藉ろうぜきの中から15センチ定規を3つ拾い上げ、「これぐらい」と言ってそれぞれに手渡した。「じゃあ行ってくる」

私は非常階段を駆け上がった。下の方でπが「アクエリ買ってきてー!」とかなんとかほざいていたが、聴こえないフリをした。


こうして私の2、3時間にわたる奔走劇ほんそうげきが始まり、後の悲劇へとつながっていくのである。

さて掛札、君は今いずこ?




 

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