06-2/2 和解


 唯心は近くで奇妙な光を照らす自動販売機で缶コーヒーを二本買うと、その一本を高無に渡した。


 完全に陽が落ちた砂浜を一組のカップルが歩いていた。

 普段あまり気にしない公然猥褻でさえ、今の二人には気を悪くする対象だった。


 だが、高無はそんなことより深刻に胸を痛めているようだ。

 そりゃ、あんな否定にも似た逃げられ方で傷つかない人はいないだろう。


 高無は大きく嘆息、それからも話の矛先が一向に進む気配がない。


「お前告白するなら、タイミングは選べよな……」

 と、少しきつめであるが、今の高無に対しての全力のフォローのつもりで唯心は言ったのだ。


 そして、こんな状況で、あ――隣が可憐な美女だったら、寄りそう肩をそっと抱きたいのになと、唯心も嘆息する。

 高無は唯心よりもデカい図体の持ち主だ。


「――はぁ」

 それは、両方の嘆息。


 しかしながら、話を早めに終わらせるには、唯心がなにか高無にフォローするべきなのは明らかだった。


 人の感情って、どうしてこうも柔軟にできていないのだろうか改めて考えさせられる。



 今後も高無と桐原のぎくしゃくした雰囲気はこの海の家:潮風内に蔓延していた。


 幸いこの雰囲気は他のリゾートバイト員に気づかれることなく、役職に仇を作ることもないあたり、二人からはそれなりに責任感を持って仕事のできる人間性が伺える。


 それでも、桐原と高無がどうしても話さなければならないとき、

「たーかなしさん!!」

 と、彼女の声は上擦ってしまっていた。


 それに対して、

「きーりはらくんー!!」

 というふうに、二人の会話は、新喜劇と化したロミオとジュリエットのようだった。


 それでよく、周りは彼女らの様子に違和感を感じなかったのか……

 いや、分かっていても、寛大の心でスルーしてくれていたのだった。


 それでも、例の二人はワザとらしく食事の時間をズラしたり、あらゆる手段でお互いがお互いをなるべく干渉しないように過ごしているようだった。

 二人の間を唯心は通訳者のように介入させられることもあった。


 そして、唯心は思う節がある。

 今回の問題に関してどちらかといえば、桐原に問題がある気がした。

 ――いや、いきなり告白をした高無にも問題があるとしても、それに対して桐原が逃げ回っているのでは埒が明かない。



 昼休憩の合間を見て、唯心は桐原を民宿潮風へと呼びつけた。


「あのなぁ、高無も悪気があった訳じゃないんだ」

「え、ってアレ、知っているの?」


 その態度に、ほとんどの人が察しているぞと、言いたいがココは我慢した。

 それに、唯心にはそれ以外にそれをよく知る理由がある。


「昨日、遅番で片付け中にたまたま見てしまったんだよ」

「ああ――って、そういうの覗くの、どうかと思います!!」

「見たくてみたワケじゃねえ! あと、オマエがいきなり高無の気持ちに応えられないのはわかるけどさ――」


 気持ちはわかってもそこは大人になれ、本当は唯心はそう言いたいが言葉をキる。


「……彼の事は嫌いじゃないんですけど、言葉が……うまく出なくて」

「まあ――、だって出会って2日で告白だから、オドケるのも無理はないよな」

「……え?そうなんですか」

 桐原はその点については否定のようだ。


 たしかに――と唯心は、考える。

 昔から一目惚れというワードがあるように、高無同様一目惚れで始まる恋が多いのも事実、そうなると惹かれ合う価値観は人それぞれなのかもしれない。


 なのでもう一度、言葉を考える。


「ん……まぁ人それぞれだけど、もうちょっとお互いを知り合ってでも良いと思うけどな。

 だから、お前はだから断ったんじゃないのか?」

「断った……と言いますか、逃げちゃいました」

「あのなぁ…」


 さすがに呆れるレベルだ。


 唯心は経験上、こういう症例は逃げていると後々修復が難しくなると知っていた。

 なるべく迅速に対処する必要にはどうするべきか、こうも簡単そうなことで頭を抱える。

 その苦悩も知れず、桐原は話を繋いだ。


「どうしてか、その気持ちを裏切ったときの高無さんの顔を考えるととても苦しくて……」 


 その言葉の流れはなんというべきか――ドンマイ高無、とでも言うべきだが、唯心が言いたいことはそんなことではない。


「それでも、告白された以上、彼に終止符を言い渡すべきではないか?

 それか、彼の気持ちに――」

「――わ!! 何言ってるんですか?」

「いや、ひでぇな…」

 それで、あることが確定した。


 そうとバレてしまったことを察した桐原は、面目なさそうに黙り込む。

 やれやれ……と、唯心にはそんな理由で押し黙る彼女の純粋さに呆れが通り過ぎて、放っておけない状態になる。


「いや、ごめん。

 でもさ、人ってのは付き合ってみないと判らないことだってあると思うぞ?

 外見はこんな奴だけど、アイツはそれなりに俺たちのこと考えて――」

「判ってるんです。

 彼が優しいってことも、周りの気遣いとか、仲間みたいに考えてくれてくことも。 だけど私、誰かと付き合うとか、そういうのはまだ考えられない」

「じゃあ、そう伝えれば良いじゃないか?」

「これができたら――、苦労はしませんよ」


 思った通りの手こずりように、唯心は頭を掻いた。

 人間関係の難しさを知っていたつもりであったが、尚まだ鍛錬が必要だと考えていた。


 そういえばと、そんな桐原を見ていると、唯心はあの時のことが蘇る。


 ハルに惹かれていた唯心はあのキスをした事件以来のことだ。

 彼女にそのような雰囲気を見せる度に『私たちは家族だから』というニュアンスで付き合いだとか、そういう関係を断ち切られていた。


 彼女が自身の運命を知っていて、それ以上悲しませないためにと考えもあったのだと思う。

 不器用なハルができていたことが、その几帳面の桐原ができないというのがあまりに滑稽というかオモしろくはあった。



 何の解決にも至らないままこの日もバイトが終了、唯心は男仲間との夕食を済ませてそのまま寝床に向かう前だ。


 食器をセルフに戻してからココから一番近くのコンビニでアイスでも買おうと歩いていると、小さな声がした。


「ねえ、デートしてよ」

 その桐原の手に缶コーヒーと、なにかの炭酸飲料水が握られていた。


 こういう時にはジョークで『デート』なんて言えるのに、どうして高無にはちゃんとした返事が返せないのか唯心は不思議に思う。


 シチュエーションも昨日唯心が見たあのカップルたちと同じ砂浜、反射した街燈が届くギリギリを唯心と桐原は歩く。


「鏡さんは、その……好きな人とかいますか?」

 そのシチュエーションではピッタリなセリフだが、それは唯心にとってはあまり聞かれたくないワードだ。


「うん、いるよ」

「――え」

 このことに『定』がくると想像できていなかったのか、急激に桐原は何か腑に落ちない表情をした。


「ん、どうした?」

「いや……、堂々とそう言えるのって凄い。

 どんな方か……ちょっと気になります」

「笑わないなら良いけど」

 そう、無理だとは思うけど、


「約束します」

 桐原は後ろ足で唯心を見た。


「ああ」

 と、言ってもオブラートに真実を伝えることができるだろうか。

 それでも、この話題を語られて気まずい雰囲気になるのが唯心はわかっていた。

 おもわず、何もない空を唯心は見上げた


「俺は妹が好きだった」

「――って、い、妹ですか?」

 不覚にも、桐原の口が迸ってしまう。


「ああ、俺が子供で今の父親の養子になったときから、ずっと一緒にいた女の子だから……だと思う」

「ぇ……でも、妹じゃ恋愛対象とかそういうのは違うんでは?」

 それは、桐原の声――というかはあのスクールでもいた世論の反応だ。


 やはりというべきか、妹は妹――義理と言っても兄妹、恋愛対象としてみることはオカしい事だと唯心はわかっていた。


 だが、そこで隠し事をしていても仕方がない。

 逆にそう言われたことで思わず言い返してしまったのかも知れない。


「俺は恋愛対象に見て、キスをしてビンタをされた。

 でも、今でも妹の事が好きなのは変わらない」

「へえ……そ、そうですか」


 その一線引いたような桐原の表情が歪んだのを唯心は見逃さなかった。

 だが、やっぱり引きやがったと思いながらも、それに対して変と思われても仕方がないと思うほどの常識がないワケではない。



 そんなことより、次は唯心が言い返す番だ。


 そう自身を引かせることをしたのも、唯心がこの話題を振りやすいからと考えたからだ。


「――んで、お前はどうなんだよ?」

「――え?」

「いや、好きな人に決まってるじゃん。

 いるの?いないの? できれば、高無の話も織り交ぜて聞かせてもらいたいけどな」

「んあ……、一遍にそんなこと言われても困ります。でもそうね、好きな人は……好きというか、今の私には誰かを好きになるとか、嫌いになるっていう資格はないと思ってますね」

 微笑み――というかは仕方ないという感じの笑みの桐原は見せた。


「……なんか、好きになっちゃいけない理由でもあるのか?」

「あのですね? 私、逃げて、逃げてここまで来たのですから。

 ――って誰にも言わないでくださいよ?

 そんな私が今、誰かを愛し、愛そうなんて思うはずがないじゃないですか?


 それなのに、実際に愛の告白を目の当たりにすると、私駄目ですね。

 他人に甘い自分が出てしまいそうです」

 次に桐原は、苦虫を齧りながらも、必死で笑顔を作る人みたいになっていた。


 そういう理由として、唯心は彼女になんて慰めてあげればいいのか。

「大丈夫だって――」

 と、連なる言葉が高無が降られること前提で話しているのが、内心悪い事のような気がした。


だが、唯心にとっては高無が振られる、振られない以前に、桐原との今の話しづらい関係を苦しんでいるように見えたのも確かだ。


 そして、それを解決するには、桐原が一歩踏み出すしかないのは一目瞭然。


「アイツ、ただお前の気持ちが知りたいだけだと思うよ?」

「え?」

「好きとか、嫌いだとか、人の感情ってこの二つか?

 好きだけど、付き合うことはできない。

 それだってちゃんとした理由だと思うけどな?」


 つまりは、付き合う=好きとか、その逆に付き合えない=嫌いは関係ないと言いたかったのだが、


「だから、彼の事を思って、思いっきりバットを振ってやってくれないか?」


 唯心は大袈裟にふざけてバットを振る素振をしてみせた。


 それがどういう意味だかわかっているが、既にこうやってネタにして高無のことを話すことも唯心なりに高無と桐原への愛の形だった。


 それを見て、桐原は白状にもケラケラ笑い始める。


「わかりました。――でも、あなたも振る前提で話するんですね」


 それには、アハハ――と、唯心は笑ってその場を誤魔化した。



 もう夏を終える、それはこのリゾートバイト生活の終了をも意味していた。


 

 誰もがおそらく、少しでもこの時間を誰かと過ごしたいと考えているのだろうか?

 こんな静まり返ったリゾート地でも、誰かが隣にいるだけで、それなりにこの街が機能しているかのように輝きだしていた。


 唯心は誰かと巡り合い、ちょっぴりこの街に暮らせたことが嬉しくなった。



 でももし、桐原が鈍感で、髪を磨かかずに、あり大抵な仕草をしていたのであれば、ハルと彼女を完全に重ねて考えて、妄想の世界に、彼女との二人暮らしをラブコメ的に展開と考えた可能性もある。


 桐原にハルを重ねては、それを友人関係と、理性的な理由で排除した。

 敏感に揺れる心情でも、彼女が唯心と同じ几帳面だったから、そのピースが埋まることはなかった……と思う。


 その反面、『恋愛に苦しむ桐原と高無』と『過去の自身とハル』を照らし合わせもしてしまうと、唯心は寝ている最中にその興奮が脳裏を支配した。



 そして、唯心にとっての二人は、友人、そして過去を知らない他人として過ごすことができた。

 そのことが少しは悪いと思うこともあったが、口では言えないほどの感謝をしていた。


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