04-2/2 旅へ

 唯心が入院させられてから、退院が許されるまでには一年間という月日が掛かった。

 その期間、唯心の中に眠る憎悪の感情を和らげ、自身の行いの過ちについて考える時間になった。


 それと同時に能力の発生頻度は地道に少なくなる。

 そして、いつの日か能力は完全に使用できなくなっていた。


 研究所の判断では唯心の能力のトリガーとなっているのは、怒りや苦しみによって引き出される第二人格者が所持しているからだと決めつけた。

 その推論によれば、この強い感情が払拭された今、唯心の能力は表に出なくなったというのが事実らしい。


 だが、その事実とはあくまで成り立たない結果も存在する。


 感動映画を見させられた唯心は、この中で悲しいという感情が溢れたときに『テレポーテーション』という異能力が使えるようになるかという実験――その実験で脳波に悲しい時に現れるβ波が出現、それと同時に彼に取り付けた尿意を誘う股間部に取り付けられた超微動振動を与えるというモノだ。。


「すみません……洩れました」


 この実験がなにをしたいのか、唯心にはサッパリ説明をされていない。


 それが、わかってしまえば、『これは実験だから』と自我が無意識に感動や感情をシャットアウトできる可能性もあるからだ。


 そのことが彼が今の環境では完全に能力が消え去ったという結果になる。

 そして異能力が制御、または使えなくなったと証明された唯心は、この一年間ほどの入院生活を終えるための最後のテストになった。


「そんなんで、退院が決まるとは思わなかったけどな……」

 その結果に満足なのか、不満なのか、唯心は怪訝そうな顔で迎えに来た恭二の顔を伺う。 


「言ってくれるな……。

 それ以上入院してたらモヤシにでもなっちまいそうだからな……」


 研究所の結果では唯心には能力者、多重人者という別の姿は表に現れない、ということにはなっている。


 唯心が自覚する範囲では、二重人格は恭二との一件以降二度と現れない。

 しかし、彼は心の中で、まだ眠っていることは確かだ。


「……二重人格のもう一人はどうなったんだ?」

 最後の診察が終えた後に、唯心は医者ではなく恭二に尋ねた。


「一度できた人格は何があっても消すことはできない――」


 その言葉は、以前幼い頃に唯心が何度も聞かされた言葉だった。

 そして、彼の会話の中訳は彼の心に刻まれている。


 傷というのはいつか消える。

 心の傷も少なからず、消えていく存在である。――しかし、それには多様な時間経過が要する。

 また、それによって造られた人格はもはや傷ではなく、人でありお前の第一人格と同じく感情を有する。


 それを消すことは、その人の人生を抹消でもしなければ、不可能だと、恭二はそのことを当の昔に教えていた。



 そして恭二は、今は現れないもうひとりの唯心についてを語り始めた。

「お前の苦しみ、痛みを全部受け継いだのが、もう一つの人格だ……」



 内心それはイエス様みたいだなと唯心は考える。


 イエスの贖罪、彼は死して全人類の罪をすべて背負ったという。だが、心には未だにこうやって痛んではいる理由を存在し、それを誰もが知り得ない。

 聖書に矛盾しないとしても、それが変な違和感がある。しかし、その痛みは、快楽にもなる。――可笑しいことだ。


 ハルの死を乗り越えたとも、越えていないとも唯心は考えていない。

 ただ、彼女は傍で見守ってくれていると、やっと考えれるようになった。


 たまに彼女の夢を見た。

 その時の彼女は、礼服を来て、教室の窓側の後ろの席で、校庭を見ていた。


 彼女をずっと眺めているだけの不思議な夢だ。



 久しぶりに歩く外界、今まで閉じ込められていた研究所を今一度唯心は見上げた。

 その足取りで、恭二と共にあの教会へと帰れるのは夢のようでもあった。


 見慣れない街並みを二人は歩き、ある駅前へと辿りつく瞬間だ――唯心の頬にカタい何かが当たった。

 それが重力で地面に落ちる、それは女性用のバックだった。


「――この人殺し……」


 悲惨めいた甲高い声の方向には、唯心に悪鬼の表情を浮かべる中年ほどの女性。――女性は息を荒くして立ち憚る。その口が早口になにかを呟く。


「――人殺し、人殺し、私の息子を返せ!! 夫を返せ!! 何もかも奪いやがって、私は、アナタを許さない。二重人格!? フザケルナ!!――」


 その言葉が、邪気を帯びた悲痛な叫びとなっ街中に響き渡る。

 それと同時に街の様子が一変していく。――女性の様子を見て、脚を止める人たち――あたりはあることに気付き始めていた。


 女性の目からは涙が伝る。

 彼女には、この事件から半年間を得ても尚、その悲劇が増幅しているのが唯心にもわかっていた。

 この女性の存在理由――想像がつかないはずもない。


 唯心にも見覚えがある。法廷の後ろ目が合った一人の女性。あの時の唯心が似た顔をしていると思った女性だった。

 おそらく、どこかで唯心が退院する噂を聞きつけ、ここまで来たのだろう。



 恭二は二人を腕で引いて、その場を離れようと考えた。

 だが、彼女から唯心は引き下がれない。その膝を地面に着け、そのまま頭を地面へと擦り付けた。


 唯心には出す言葉もなかった。

 彼女が立ち去っても尚、頭は上げられることに億劫した。


 自身の罪を忘れたワケではない。

 できることなら、彼女が望むことを為すことでお詫びをしたいとも考えた。

 だが、それはできない。


 それをしたことで、もう一人の自分がもう一度目覚めることを恐れていた。

 なにより、恭二のことや、ハルが望まないことはできなかった。



 教会の、ずっと奥にある恭二の部屋は未だに散漫としたままだった。

 この状態を見やると、どうしても唯心はこの教会で暮らすことになった日のことを思い出さずにはいられない。


 そして、考える。


 ハルとの思い出もこの部屋には大雑把ながら散漫している。



 約何日ぶりか――唯心は礼拝堂でお祈りをした。

 本当は、自分みたいな人間がお祈りすることに違和感を感じたが、恭二はしないことを許さなかった。


 そして、日課より少しだけ長いお祈りを終えたとき、恭二は後ろから親のように肩を抱いた。


「シン、お前また高校を通うつもりはないか?」

「――え?」

 それは、思ってもいない提案。


 恭二は並べられた椅子へ腰を降ろし、目を合さずに教会に建てられた十字を眺め始める。


「できれば、そのままウチの教会を次いでほしい。

 そのためにはスクールに戻って――」

「ちょっと待ってくれ……。

 どんな理由があったとしても俺は人を殺してしまったんだぜ。

 神が…許してくださっても、今日みたいに被害者や世間は俺を許さない。

 俺はもう地獄に行くって決まっているんだ」

「アハハ! そういうと思った。でも、深く考えてくれ」


 神妙な時間が流れる中、唯心は教壇の真ん中へと脚を進めた。


 彼はずっと、考えていた。


 それは、退院できたらやりたかったこと――自身の心に刻まれたケジメを終わらせるためでもある。


 考えていた相談を唯心は親である恭二にすることにした。

「恭二、頼みがある……俺、旅に行きたい」

「ああ、いいぞ――」


 逆にそのファールボール変化球をホームランするような返しに唯心は不要にも不要人に感じる。


 だが、ハルと見たかった風景を見に行きたいと――入院中から唯心はずっと考えていたのだ。


 それを知らない恭二は理由も聞かず二つ返事で、了承した。


「今すぐ学業に戻れとは言わない。

 ……ただし、小遣いはコレしかやらんぞ?」


 ポケットから、財布が丸々投げられたのをどうにか一回でキャッチ。

 絶対に反対をされると考えていた分、唯心は唖然として恭二の顔を見返した。

 

「バックとか、私の部屋のを貸そう。――まあ、野垂れ死ぬのだけは勘弁してくれよ」


 その脚でもう一度、恭二の部屋へ赴く。


 そこで、恭二は発掘でもするかのように片隅の箪笥を掘り始めた。


 夏用の洋服やら、未使用のタオルやらが適当に後ろへと放り出される。

 その方角を眺めていた唯心は、彼のモノではないある物に目が留まる。


「――お!? あった、あった。お前このバックで……」

 振り向いた恭二は思わず息を呑んだ。


「このスカーフ……。持ってていいか?」


 それは、病院から恭二が持ち帰って適当に置いていたハルの遺品。

 唯心はそこにあったスカーフを恭二に断ることなく、首へと巻く。


 もう一度、強く思い出す。

 ハルとの生前に約束――彼女はあの東京湾で見た海よりもっと先にある綺麗な海が見える場所へ行くことが彼女の夢でもあったこと。


 もうハルはいないけど、彼女とできなかった約束は果たしたい。

 それが彼女がいなくても、唯心がこの先進むためには不可欠なことだった。



 朝日が照らし始めた頃、礼拝堂で小さな二回分のお祈りを唯心はした。

 よくもわからない胸の高まりを抑え込むように息を呑む。 

 そして、この高まりが消える頃、自身はどんな姿になっているのか想像してみた。


 ――どこかで、ハルは俺と共にいてくれる。


 彼女が傍にいるから、無謀な一人旅でさえ怖くなく感じたのも嘘では無い。

 そして、ハルとの約束を継続している間は、唯心は彼女のことを忘れないで済むとも考えた。


 恭二から借りた大きなバックパックには、大量の錠剤と、最低限の衣類。

 ズッシリとした重みは苦痛だが、この先を考えれば楽しいことがたくさん浮かぶ。


 ある出発地点までは電車で乗り継いだ。

 電車でワクワクするのはスクール時代以来だったか。


 なにかを思い出す。

 今回のハルの約束以前に、自分探しの旅に憧れていた時期が唯心にはあった。


 でも、いつの日かそんな思春期めいた思考は胡散したはずだった。

 だが、今のこの旅はまさにこういう部類に属するって考えると、その口元が自身の行動のバカバカしさに少し綻んだ。


 そして、出発地点にしたかったある場所へと辿りつく。

 完全に朝日が昇っている朝だったが、あの時の彼女と最後に見た景色と重なる。


 この景色は、彼女が倒れる前日二人がいた港。


 本当は彼女と別れた最後の場所であったが、今の彼には彼女のことを考えることのできる愛しき場所。

 そこから、スタートしたい――唯心はそこで小さく「さーて……」と呟く。

 心に願う。


<どうか、傍で私を見ていてくれ……>


 その目から感情が溢れ出す。

 と、同時に唯心はハルと見上げていた陸続きを歩き始めた。 



 その方向が彼女と見ていた方向。――しばらく歩くと港の中の見たことのないほど大きな貨物船が止まっていた。

 この船に乗ったら、どこまでも遠くに行けるのだろうか。


 そして、その先には工場。――時刻は既に暮れかけていた。

 夜の街から銀色の煙突からの白煙が微かに立ち昇っているのが見えた。



 旅は良いモノだという理想は一日で早くも崩れ去る。

 財布の中身には限界があるとはわかっていたが、その中身を改めて確認して、溜息をつく。


「……野宿で、食費にかけたほうがいいな」


 そして、旅先でのホテル暮らしも一日で終了。

 それからが、本当の意味で過酷な旅の始まりだった。


 真夏という季節も苦難した原因の一つだった。

 よく運動して爽やかな汗を掻いたなどと言うが、実際のところは流れる汗はベタベタで不快感しか覚えない。

 恭二から貰ったタオルで何度も汗を拭いながら前へと歩いた。

 

 歩き始めてた港から三日目、やっとで二つ目の県境を越えた。

 ここまで来ると、風景はガラリと変わり、都会で見た港も砂浜も存在しない。

 ただ、ひたすらエンドレスにコンクリートと岸だけの道が続ているようにも見える。


 こんな場所でも人間は生きていけるのだと改めて考えさせられる。

 都会での暮らしに慣れてきている唯心からすれば、ここはまるで異世界と同じ。


 その途中、カラカラする大地に悩まされたが、なにやら急に冷気に変わり雲行きが怪しい――と唯心が頭上を見上げたときだった。


 ポツンっと降り始めた雨が連鎖する形で豪雨を形成しはじめる。


「――ぎょえええぇぇぇぇ」


 凭れる足腰を動かし、コンクリートの道を颯爽する。

 どうにか囲いができたバス停に着いた頃、この息は今まで感じたことのないぐらいに干上がっていた。


 だが、休憩ができるスペースさえ見つければコチラのもんだ。 

 急に現れた天の恵みに、思わず唯心の目の色が変わる。


「――よっしゃぁぁぁ」


 人目を気にせずに上着を脱ぐと、その身体を雨へと投げた。

 タオルで天然の雨を集めて、その身を擦る。

 そのタオルの色が言葉では言い表せない色へと変色していくと、唯心はそれに仰天しておもわず唾を呑む。


 最初はセミの声が安眠を妨害するだけでなく、ヤマトゴキブリなどの虫が外に存在すること自体が寝付けない原因の一つだった。

 だが、そんなレッテルも日に日に解消される。


 その慣れるはずのないと考えていた壁が消えたことを不思議に思う。

 そのとき、都会を知ってしまった人間は、もうこんな田舎の生活には戻れないのではないかと思うほどにだ。

 都会という娯楽を知ってしまった人間にはもう戻ることはできない。


 ちょっとした昔、同じ人類はこれ以上に辛い旅をしていた――にも関わらずに我々はこんな簡単な移動で根を上げていると考えると不思議なもんだ。


 唯心は昔読んだ川端康成の『伊豆の踊子』を思い出す。

 その短編小説の旅芸人たちは、この整備されたコンクリートより過酷な道を通い旅をしていた。

 そして確か少女は、青年でさえ持つことが苦なほど重い芸道具を抱えて歩いていたという。


 唯心は自身の荷物を確認する――こんな衣類だけのバックパックで悲鳴を上げている自分が哀れにもオカしいさを感じる。

 そして、唯心の目標としている地がこの下田という伊豆の最南端だということを今更ながらに思い出す。


 この川端康成の『伊豆の踊子』どおりに、この伊豆半島の海岸沿いには名前を変えていくつもの温泉郷が存在する。

 

 そのほとんどが今では錆びれているが、未だに営業はしている。

 過去の栄光が入り浸る街道を、不思議そうに訪れたのだった。


 なんとも懐かしいと思えるレトロな街並みの中にも、また新しい建物が建てらている。

 しかし、心配になるほど街中に売地や立ち入り禁止と書かれた看板が立てられていた。


 ふと、テレビでこの温泉街が流行した時代の映像を思い出した。


 それは1980年代から1990年代初頭のバブルと言われた時代風景――そのときに日本では数々の景気の発展を伴ったが、時期に限界に到着し、このように客が来なくなった観光地では閉店が急増したとか。


 それでも、数少ない残された旅館や温泉などは経営されている。


 唯心は何日かぶりの熱湯に身体を清めさせた――何日かぶりの風呂というのは、身体が痺れているんじゃないのかというほどの快感に襲われる。


 そこで真っ黒なタオルをネズミ色ぐらいまで何度も濯いだ。


 人通りが多く、整備された海岸沿いで一夜を明かした。

 引き返したいという煩悩を抑え込み、この先へと歩きだす。


 ――せめて、あの短編小説の少女たちの目的地点には辿り着きたい


 意地と言うべき考えだけで、唯心はそのさきにあるくねり曲がった一本道を再びひたすら前へと進む。


 その後も夜、足下の見えない海岸をガードレールの一枚を頼りに落ちないことを祈りつつ歩く日もあれば、干上がりそうな堤防の上で寝る日もあった。

 本当に疲れているとき、唯心はどこででも寝たし、目が覚めているときはひたすら目標地点を目指した。



 そして、何日経過したか、わからないある日の朝明け――

 昂る波は相も変わらず騒めいていた。その奥、擦れる青に小さな島が見える。


 唯心の筋肉痛はとうに乗り越えていた。

 それは痛みではなく、自身の身体が鎧のような重力のようだ。


 ちょうど、朝日が海から這い出ようとしていた。――唯心はいつもの習慣で、短く神への祈りを捧げる。

 

 黒く日焼けをした海岸の上で、彼はハルとの旅行のことを少し忘れかけていた。

 ――だが、着くと同時にハルとの飛躍しすぎた旅の約束が、ハルにも届いていればいい。そう、心に考えるのであった。

 


 日が暮れそうな街並みはキレイであったが、唯心は一度通った道を戻らなければならない苦痛に襲われていた。

 

 あまりの腹痛に腹を押さえる。思えば、昨日からなにも食べていない。

 フェリーに乗らなければ最南端に行けないということを知らなかった唯心は残り僅かな金銭を払い、目的を挺した。


 その報いが、金なし帰り道だ。


 唯心の野宿生活も限界かもしれない……野良犬のごとくそこいらに落ちてる食べ物を探しつつ、今夜野宿するためのスペースを探し求めていた。


 観光地には砂浜にプレハブ小屋を建てている箇所が何か所もあった。

 この建物を咀嚼するように眺める。

 この一軒、一軒から僅かながら潮風と、旨そうな匂い。――これは、ソース焼きそばであろうか?


 潮風とマッチするその匂いが余計に唯心の腹痛を刺激する。

 そう意識が朦朧とする唯心へと潮風が突き立てる。その風とともに、偶然風に飛ばされたチラシほどの紙が唯心の顔面へと貼りついた。


 呆然として紙を剥がし、無意識にその文字を読み上げる。――と同時に彼の身体があまりの衝撃で震え上がる。 

「――バイト募集? 食事タダ? 宿付きだと?」

 

 その、かなりの好条件に目が離せなくなった。

 しかも、この一件だけではない。

 リゾート地のどの店も見返せば、夏という掻きこみ時、どこの店も下働きをしてくれる人材を求めているのは明らか――あらゆる求人報告があらゆる形で存在した。


 ――その時、唯心の脳裏に妙案? が浮かぶ。

『もっと、条件が良いところがあるんじゃないか…』


 この極限状態でなお、彼の思考は冴えていた。


 このあまりに軽くなった足取りで、唯心は好条件のリゾートバイトを一軒一軒回って探すことにした。

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