04-1/2 悪魔の正体
四章 悪魔-1/2
――悪魔の子
それは、幼い頃に虐待にあった子供が己の身を守るために、育ての親を殺すための別人格を発生させた末路だった。
それは、オカルトでもSFでも何でもない。
一般に起きる真実だ。
悪魔の子は、人間が作り出したものだった。
人間の生まれた環境によって、心の形は幾度となく変化する。
どんな形にも、それが丸くなったりも、刃物のように尖ってしまうかは、子供は決めることはできない。
ルソーの著書『エミール』には第二の誕生という言葉がある。
一度目は生存するため、二度目は生きるためと、彼は問いだ。
その生きるためには、両親、人間関係、宗教といった様々の環境からそれに適応するように臨機応変に変わっていく。
ただ、人間の心というのは、誰かがそうしたいと思って整えることはとても難しい。
唯心という少年の場合、それに対応するために、もう一つの心を創造した。
それが、彼の残虐な行動を引き起こすトリガーになっていた。
鏡恭二は、よくこういう子供をお祓いしてくれと頼まれることがある。
だが、少年のような人間をお祓いができない。
現在におけるエクソシストという職務……人間にできることとは、彼らを愛し守ることだけ、最近はそうずっと信じていた。
一度形成された人間の心を元の形に戻すのは、とても難しい。
だからって、隠れた残忍性がないもうひとりの唯心を拘束するワケにはいかない。
もし拘束するようであれば、彼の心はさらに闇に包まれていたに違いない。
それが、恭二に対しての罪滅ぼしだといつも思っていた。
少年は悪魔の子だったかもしれない。
しかし、恭二にとっての唯心は、娘を亡くした感傷を抑える――そう、家族なんだ。
その間には家族という言葉以外、何の言葉も見つからなかった。
それに、恭二も殺人犯とそう変わらない。
自身の子供の代わりに創造した血も顔も同じハルという娘を殺してしまった。
それは変えられない真実であり、もし心がハルのことで誰かを恨み、そして殺したいと考えるのなら、自身を殺めるべき、そうも考えていた。
だが、唯心を止めるには一歩遅かった。
またしても彼を苦しめる結果を齎(もたら)してしまったのだ。
少年が一人、法廷の真ん中、黙って座っているのを見た。
今、目の前で唯心の障害について話すことは恭二にとってとても忌々しいことであった。
今まで隠していた事実を、家族としての信頼関係や沽券をすべて失う可能性もある。
だが、それを言わなければならない――唯心を守るためには仕方がなかった。
裁判官や被告の家族の前で唯心の遺伝子番号、その実態、なぜ科学者たちが殺されたのか、恭二は真っ平に語り始める。
被告人たちはこの事実を知っている者もいれば、知らない者もいる。
ユキという『世界の鍵』やハルという『ドッペルゲンガー』という存在が、科学者たちの手によって想像された能力者であるように――唯心も能力者の一人だった。
*
この裁判が、唯心は『悪魔の子』ではなく、いわゆる『多重人格者』であることを知った最初だった。
『悪魔の子』――それは遺伝子的失敗因子、それによって生まれた凡人、潜在能力を与えられなかった人間が親によって虐待され生まれた姿。
しかし、潜在能力は、思わぬところで受け継がれた。
それが、多重人格であるもう一人の人格にはその唯心に与えられるはずの『テレポーテーション』という能力が与えられたのだ。
そのことは全く持って身に覚えがない唯心は、なにかのSF小説でも読んでいる気分になっていた。
――だってそうだろ?
目が覚めて、目の前でたくさんの赤が現れたと思ったら、自身の手にはその凶器が握られていたのだ。
気持ち的には、してやったという気持ちがあったことは否めない。
ハルという無残な少女を生み出した悪の組織を一蹴してやったのだ。
――俺は悪くない、悪くないんだと、そうやって思って何が可笑しい?
それを拝聴する被告人家族だって、父親や両親がそういう悪の組織で働いていたことで飯を食べてこられたんじゃないか? 言わば、唯心は被害者……。
唯心は思う。
こうやって生み出された結果が失敗作で、科学者や親たちの意に沿えなかったからって虐待をした? なんだ?その言い訳は……俺は…そんな為に生きてきたのか?
やけに心が冷たくなっていく。
証言者の恭二の話に耳を傾けながらも、罵声を投げかけてくる被告人家族はとても無様に見えた。
そして、逃げるように姿を消した唯心の第二人格は、こうやって隠れることで罪に咎められることはない。
なにやら、それがとても可笑しくて、下を向いているのに笑いそうだった。
少し安心してしまった。
自分が可笑しいのが病気や社会のせいだというのは、現代に生きやすい護符を持ったもんだと勝手ながらに考えたからだ。
今まで『悪魔の子』と言われたことを隠したい反面、その真実を知らなかった。
今、十年以上懺悔の言葉を吐かなかった人間が、そのことを発したことで唯心は初めて自身の社会に対する怨がわかったのだ。
恭二の口実が終えると、裁判から結果を言い渡される。
『彼の行動は大変残虐であるが、それは彼の意思とは関係ないものである。
また、法令第XX条により、遺伝子組み換えで、その因果で残虐な個性を生み出してしまった場合、その責任はとう研究所に既存する。
したがって、彼、鏡 心は無罪放免とし、今後の処置は、保護者の鏡 恭二に任せるモノとする…… …」
結果は本当に無罪。
何人殺したか知らないが何人も殺していて、無罪だなんて甘い国だ。
本当、いっそ殺してくれ――唯心はそう叫んでやりたかった。
もう恭二を信じることもできなければ、宗教の教えに従って生きれるほど綺麗な人間ではなくなってしまった気がした。
司祭で親の恭二の顔を見たくなければ、合わせる顔は尚なかった法廷から出ていく最中に、被害者の家族の顔を見た。
――なんで、お前らも俺みたいな顔してんだよ……?
*
入院初日、カウンセラーの人間は、唯心に自身を傷つける自称行為を行う可能性を示し、両手両足をベルトで縛った。
だが、数分経ってから確認すると、手品の罠から抜けるようにそのベルトを解いて、ベットで寝ているのであった。
能力者という人間は世間には数少ない。
そのため、素性調査なのか唯心は密室のようなところに閉じ籠められて、トイレも尿瓶などを強要された。
ある日、唯心は急にトイレに行きたいと思った時にはトイレの近くまで身体が勝手に移動していた。
どうやら、勝手に能力を使用してしまったらしい。
今まではそんなことがなかったが、唯心は脳に掛かっていた超能力のストッパーは壊れてしまったことに気がついた。
カウンターまで行くと、驚いた看護師や医者が引っくり返って逃げていった。
それでも一人、落ち着いた人間はいたもんだ。
科学者の一人が唯心を部屋まで、誘導してくれた。
「……なあ、お前が怖がっている奴が多いんだよ?
もう無害ってのはわかるけど、ちょっと我慢してくれないかよ」
「……いや、そうはしたいんですが――」
なんせ、リミッターが完全に壊れている。
心のどこかで尿瓶はな……という怪訝が少しでも抱いている限り、唯心はそれを我慢することができない。
この日は、カウンセリングだった。
密封しても意味がないというのに、科学者らはやはり唯心を閉じ込めたままスピーカーからのカウンセリングになる。
まあ、それで気が収まるのであれば……彼らを脅かすとかそういう気がないため、堪忍することにする。
スピーカーからは、『あなたももう一人の人格に会わせてもらえますか?』
という質問を何度も流された。
「なんども言うけど、自分の意思とは関係ないんだって……」
だが、それが終えると『君から心に問いかけてくれ』とか『トリガーとなるきっかけはなんですか?』をしつこく訪ねてくる。
「もし呼べたとしたら、あんたはもう死んでるよ?」
――冗談のつもりだった。
カウンセラーの女性の声が途絶えた。
トイレの帰りにカウンターへと向かったら、一人の女性が委員長と揉めていた。
どうやら、辞表の受け取りの是非を争っていた。
唯心はそのあまりに脅迫めいた表情に心配の声をかける。
「なにしてるんですか?」――聞いたら、その女性はそこにある窓から外へと逃げ出した――というか、飛び落ちた。
急遽、物が落ちる大きな音――ここは二階、全治2か月だと聞いた。
すべて悪いのは自分、どうして生きてるんだろうと唯心は密封された病室で考える。
気づいたときには、トイレの帰りに徒歩で最上階へ向かう。
そこから、真夜中の街が一望できる――自殺なんて全く怖くなかった。
目を瞑り屋上から飛び落ちる――落下に対して風抵抗が身体中に染み込み、呼吸もしにくくなる。
そして、目の前が真っ暗になる。
……枕に顔を踞っていた。
どうやら、もう一つの人格はまだ自殺は許さないカトリックの亡者なのかもしれない。
カトリックでは、自ら命を絶つことは、禁止されている。
だが、唯心は本当に自殺は禁忌であるのか疑った。
人には、死して救われることもあれば、死ななければ償えないことが沢山ある。
七つの原罪にも含まれない『自殺』に対して、なぜイエスは禁じたのか理解ができなかった。
思えば、生きることは痛みでしかない。
この感情さえ生まれなければ誰かを殺めることも、大事な人の死で胸を痛めることはなかったのだから。
*
ノックがあった。
「おい、シンいるか?」
それは、唯心にとって義親の恭二の声――その顔は二度と見たくも会いたくもない。
同時に二度と合わせる顔などなかった。
恭二はこの扉越しに、あまりに不快めいたことを吐いた。
まるで、扉越しでの会話は、スクールでの懺悔室での会話のように思われた。
「私が悪かった」
その言葉の意味が痛いほどに伝わる。
それでも、恭二がしたことは唯心の中で正当化できないでいた。
ただ、唯心は黙っての恭二の言い分を聞く。
「私はお前を助けたいと思っている。――だけど、シン? お前は……おいお前」
「……え」
と、唯心は勝手に声を出していた。
「自分自身、人を殺したことにたいしてどう思っているんだ?」
「俺は――」
意識とは違う――思わず、それに応えた。
「お前じゃない」
「え?」
――だからコレは誰だ?
「お前に聞いているんだ」
「だから……」
「お前はいつもここにいるんだ」
「……」
その時、唯心自身の中にいる何者かが、今の唯心に乗り移って、何か二人のやり取りを邪魔した。
「そう、黙っていれば平気だと思うなよ?
私は、お前を含めて、家族だと思っている」
それが、唯心の意識を轢き分けるきっかけとなった。
少年以外の少年が恭二との会話を始める。
「――黙れ人殺しの仲間」
「そうだ。私もその一部だった」
「よくもこんなこと」
「お前は私の愛の塊だからな? 私はお前が来てくれて救われたんだ」
「うるさい黙れ。」
「まだ、今からなら間に合う。罪を償って、一緒に暮らそう」
「オマエは……オマエは、ハルが殺されて、悔しくないのかよ!!」
「娘が死んで、悲しくない親がいると思うか?
ハルはな?死んだ娘の――代わり以上に私の一部なんだよ!
でもな?なんで死んでもいないのにもう一人の家族を失わなければならないんだ?
お前もハルと同じで私をひとりにするのか?」
「――やめてくれ!」
「おい、悪魔がいるんだったら私を殺してくれ」
「――やめろ」
「私をハルのとこに連れていってくれ! なぁ、早く」
「やめろ……」
「お前は悪魔なんかじゃない! もう、やってしまったことは、償うしかない。
それが、お前の意思じゃなくても、身体に染み着いた罪悪感をお前ひとりで償おうなよ?そうだ! 社会が悪いし、親の俺が悪い。
でも、それを正当化して、一番苦しんでるのは、お前じゃないか?
悪くないのに、なぜ苦しむんだ? それはお前が自身の作り上げた罪に溺れているからだろ?
人は誰でも生きていれば、罪を抱える。
でもそれで、ハルが生きていたことを、お前にとって辛い思い出にしないでくれないか?
それがハルにとって、一番辛いことじゃないか?
恵まれて、生まれてきた子じゃなくても、俺らと同じ心を持って、いろんな感情を分かち合えたじゃないか?
お前と、ハルと、俺が暮らしてきた時間までも偽物にしないでくれ――なあ、頼む……」
そのあとも、恭二の説得は続いた――だけど、簡単に唯心は自身の心なんて変えられるわけがない。
長い時間かけて、変えていくしかない。
だけど、それ以上恨んでも、恨んでも自身の感情が消えることはなく、蓄積された悪魔が執念深く憑りついて消えることはない。
……それでも、彼が唯心の家族であることは変わらないと知った。
何時になったら、彼を許せるのだろうか?
いつになったら、家族に戻れるだろうか……
唯心はハルを作った人間を恨んでいた。
そうじゃないと、死んでいったハルが報われないと思っていた。
いつも、ハルは笑顔でいてくれた。
それは、笑顔でいて欲しいから……かもしれない。
……しれない?
なんで、ハルがそうして欲しいという思いに背いて、ずっと悲しんでいるのだろうか。
――でも、簡単には笑えないよ
唯心は自分の心を確かめる。
俺が笑えていたのはハルがいたからなのだから。
ハル、お前がいないんじゃ意味がないじゃないか。
とにかく、考える時間が必要だった。
日が経つにつれて、ハルが死んで、悲しんでるように、自身が殺してしまって悲しんでいる人もいるんだと気づいた。
それが、どういう結果であれ、罪として受け入れなければならないのだと、唯心は考えるようになった。
そして、彼女との約束や、思い出が、自身の心に波紋のように入り浸っている。
――今からできることってなんだろうか?
ハルのためにも変わっていかなければならない。
止まること、進むこと――今すぐできなくても、ゆっくりと前を見て歩かないと、ハルが教えてくれたことに叛くような気がした。
――そうだった。
ハルがいつも笑ってくれていたのは、生きることが楽しかったからだ。
――彼女が生きたかった時間を俺は生きているのに、なぜ苦しんで止まっているのだろうか
彼女と違って、まだたくさんのことを学び、感じ、生きることができるはずなのに。
そして、同じように悲しむ人々が生まれないために、行動だってできるんだ。
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