03-2/2 悪魔の子
一つの個室から少女は姿を消した。
唯心が見舞に来たときには、彼女はベッドでいない。――別の部屋へと運ばれて自らの死を待っていた。
彼女の読んでいた本、着替えや荷物はそのまま、テレビの横には咲いたばかりの花が飾ってある。――殻の病室を見たとき、それは軽い冗談にも見える。
まるで今日、彼女に無理を利かせたからこうなってしまったのではないかと考えるほどに、唯心はその自身の行いを悔やむしかない。
ハルは病態が急変して、違う部屋で何本もの管が繋がれていた。
恭二が訪れると、一人の医者が今後のハルについての話をしたいと申した。
もう目が覚まさないこと、臓器移植に今すぐ使わせてほしいことを医者は言ったかもしれない。
だが、そのことは宗教の価値観にそぐわない。
カトリックでは、心臓が動いている限り、人間は生きていると決められているなんて言えるはずがなかった。
彼女は、自身の宗教を信じていた。
でも、どんなに喚いたところでこの国では他の命を救うためという偽善でハルは命を奪われることになる。
それが、『二世クローン』が作られた理由で、俺らが家族として過ごしていたとしても、法という権力が揺るぐことはないことぐらいわかっていた。
顔色の悪い唯心を心配してか、彼は病室のすぐ外に出された。
思いつめた空気の中、唯心の頭の中はなにかに支配されそうになる。
ハルの苦しめた人間、組織は一体誰なんだ……?
その足取りがいつの間にかに教会へと向く。
気づいたときには自宅の鏡教会の中にいた気がする……。
――なんだ?この感覚は……
そして、次に気が付いたときには恭二の部屋の中。
ある良からぬことを企んでいた――企んでいても、実際に本当に行動に移す気はなかった。
だが、ハルという『二世クローン』を生み出し、それを実行した組織がどうしても許せるはずがない。
彼らの組織名ぐらいは知っておきたかった。
それが、恭二が隠しているくらいは、手にも容易く想像ができた。
あることに気づく。
恭二はハルを預かった以前に、ハルの元となった『ユキという少女』の存在を知っているはずだ。
そして、二世クローンの前に一応、ハルは本当の娘であるという矛盾点がどうしても気になった。
それは少し頭を捻れば判る問題だった。
ハルが二世クローンで娘の枠組に入ったということは、そのハルの姉に当たる『ユキという少女』は、恭二の本当の娘なのではないか?
唯心はハルの姉の存在は知っていた。
ハルは幼い頃に、彼女を失いとても悲しんでいた。
いつも首に巻いていたマフラーはハルの姉が元々付けていた物をずっと肌に離さずに着けているのだ。
しかし、その姉について、唯心は恭二に一度も聞いたことはなかった。
別に話す理由もない……
――いや、思い出した。
唯心は知っていた。――確か、二世クローンという事実を知ったときの話だった。
ユキという少女は、『世界の鍵』と呼ばれる能力者だと聞いた。
唯心にはまったく訳の分からない話だ。
だが、ユキという少女はここにはいない。
そうだ……。臓器移植先は、ユキという少女だ。
恭二があのとき言ったセリフが、頭脳へ何度もメトロドームのように繰り返し入ってくる。
『ユキの心臓や血液循環の異常』『臓器移植』『偽物』
要するに…ハルはユキという少女を活かすための偽物(クローン)として、生まれ育って、ユキのために死んでいったのか?
だとしたら、恭二は、ハルという少女を殺すために産んだというのか?
これは人間の行動として許せていいのだろうか?
考えれば、考えるほどそれが陰となって、自身の心を悪魔が唾んでいくような感覚に囚われた。
もし、この世が神が想像したモノであるのであれば、その神が作り上げたものすべてを彼らが万物の掟に逆らって壊しても良いのだろうか?
いや、そもそも彼らは神ではない――それは邪教の一種。
ハルは自らの意思で死を選んだのかもしれない。
それが、誰かの自分以外の誰かを助けるためといった。
だが、それ以前に、彼女の運命は決めたのは神ではなく、科学者たちだった。
――それは、許されることではない!!
唯心はあらゆる感情が溢れてくる。
恰も、科学者らは自らが神にでもなったように、世界平和やら世界の秘密解明するために想像した人間を活かすためという自我の欲望、そして自身から大事な人を奪ったのだと――。
その怒りをぶちまけるように、唯心のこの手が勝手に恭二の机を引っ繰り返していた。
この怒りの矛先をどうしたら良いのか、全くもって判らなかった。
飛び散っていく机上。瀬戸物か何かが割れる音が部屋中に響き渡く。
続いて、本棚の本を散らしていく――そこら中に挟まっていた資料が布団に包まれた水鳥の羽のように、そこら中へと舞っていく。
すべてが散り終えると、部屋一面が、紙だらけになった。
その散らかった資料から、一枚の資料が目に止まる。
この用紙には『世界の鍵の少女の遺伝子調査について』と書かれていた。
そして、この周りから、二世クローンについて、その周りに『ドッペルゲンガー使用の認可』と書かれた令状が見つかるそう時間は掛からなかった。
そのどの書類にも一つの組織の名前が記されている。
『東京遺伝子研究所』
この名前の組織機構は、一度も聞いたことがない名称だった。
おそらく、この国の裏の組織であることは想像がついた。
犯人を見つける笑いが止まらなかった。
鬼ごっこというルールでこそこそ隠れていた人間を見つけた時ぐらいの感動がある。
見つからければ的にされることもなければ、ただ陰から誰かが追われて苦しむのを見ているだけで良いのだから、それはさぞかし面白いことだろう。
「――ッああ!!」
だが、唯心は彼らの正体を見つけたんだ。
それほど、恨めしいことはない。
そして、因果を捉えたことでその痛みが快楽へと変わり、おもわず笑みが零れだす。
ケたケたしい不気味な笑い声が漏らしていると、――その後ろで誰かかが目線。
唯心は目を細めて睨み返した。
「――おい、心!!何やっているんだ?」
恭二は、唯心の元まで来て肩を掴んだ。
その手をすぐに払われる。
「アンタ、このことずっと黙ってただろ?」
「……シン、一回お前と話をさせてくれ」
それは、既に弱弱しい声だった。
以前ハルが二世クローンだと知ってしまった時の声のトーン以下だ。
「なんで、いつも恭二は家族の事を教えてくれないんだ……」
「お前が知っても、この事実は変えられなかった」
「知っているさ?だけどな、こんだけ可愛がってどうして住んでいる家が違うのか想像がついたよ。
オマエは、最初からハルのことを愛していなかった。
そして、オマエもハルからは愛されていない。
ハルは、自身の運命に抗おうって必死だった。
彼女、入院する以前に死ぬのが怖いって俺に泣きつくことがあったんだ。
その理由がお前にはわかるか?ハルはお前の愛すべき娘の偽物かも知れない。
だけどな、熱があって、息をして、神経があれば、想像力だってある。
ハルは泥人形じゃない。
死を恐れて涙を流すし、傷つけば痛みを感じる。
ちょっとした寝不足でも倒れる普通の人間なんだよ……。
これで、お前の大好きなユキって少女が助かって清々するな」
「――シン、お前は勘違いしている」
「黙れ!! お前は悪魔だ。
俺みたいに人間が行ってはいけない境地を越えている。
俺が悪魔の子であるように、お前も人間の皮を被った悪魔だ」
――それ以上恭二の言う事なんか聞きたくない!
唯心の中の善悪が騒ぎ立ててば立て、恭二は悪の手先という概念が降り落ちてくるようだった。
「……シン、少しだけ時間をくれ。頼む――」
そして続けて、恭二は侮辱にも神の言葉を口にする。
「私の言葉を聞いてくれ。
敵を愛し、彼方を憎む者によくしなさい。
悪口を言う者に祝福を…侮辱するもを祈りなさい――」
唯心ははもう一度大きく叫ぶ。
声にならない響きが、体中を覆い、なにかを壊すように。
もう一度、メビウスの輪に引っかかった自身がこのジレンマから抜け出せずに何度も同じことを繰り返す。
そして、心からハルを生み出した人間たちを恨んだ。
唯心の感情という感情に塗れ、本当は自身が何を考えているのかさえわからなくなる。
彼女は、実験体として生み出されて死んだ。
科学者たちが、生み出した真の理由はなんだろうか?
――判らない。
世界を救うためのスーパ頭脳? 各国に対応するだけの優秀な人材だろうか?
こうやって、政府に人間としての寿命を決められて、ただ国のために働いて死ぬ機械なのだろうか?
生まれた理由も決められ、それに沿って生きていくモルモットではないはずだ。
――だが、彼女は違った。
あらかじめ、生まれたときから死ぬ運命を課せられて、生きていく苦しみ、それを耐えながらいつも……そういつも
――笑いかけてくれていた。
絶対に彼ら科学者を許さない。
そう、唯心が決めた矢先だった。
ある建物の一角が赤く染まる夢……。
――いや、夢ではない。
一つの建物の中に唯心はいた。
色々なモニターが青白く光る物もあれば、回線がイカれたせいか点滅を繰り返すものもあった。
そして、それ以外は全身鮮明な真っ赤。それが、唯心の全身にも降りかかっている。
「嘘だろ?」
呟いて、周りに犯人がいるのではないかと、ビクビクしながらも確かめた。
確かめたが、辺りに自分以外の生命体は存在しない。
その手には、歯辺り三十㎝ほどのナイフがあるのを発見した。
――そう
まるで犯人が唯であるように手元のナイフからは未だに赤い血糊が乾かずに、垂れ下がってきていた。
「ぎゃァァァ!!」
反射的にこのナイフを投げ捨てた。
全く覚えがない…
ふと脳裏に、子供の頃に言われ続けた二つ名が蘇る。
『悪魔……』
――そうだ、それは俺じゃない悪魔だ……
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