03-1/2 ドッペルゲンガー

 三章     ドッペルゲンガー



 夏休みもお盆が終わると既に終盤に突き当たっていた。

 夜更かしをしてどうにか、多量にコピーされた宿題の束を片付け終えると、唯心は朝日が昇る教会を眺めてから、その中へ入った。


 こんな時間に恭二は起きているはずがなく、教会に一人。

 天蓋の明かりを照らさなくても、朝の光で教会内を神秘的に照らしていた。

 そこで、小さくお祈りをした。


「天にいる父よ

 皆を崇めてください

 我が故郷に来ますように

 心が天に行われるよう、現生でも行(おこな)いください

 日々必要な糧を、今日も与えください

 私たちの罪をお許しください

 私も、私たちに過ちのある者を許します

 私たちを誘惑に遭わせず、悪いものからお救いください

 国の栄光と永久はあなたに捧げます

 アーメン」


 そうやって、御祈りが終わると唯心は天を仰ぐ。




 持ち主が入院した一軒家で、唯心はその持ち主にあることを頼まれていた。

 病院に行く前に、ハルはある本が読みたいから取ってきてくれと頼んだのだ。


 こうやって、ハルが唯心になにかを持ってきて欲しいと頼まれることは少なくなかった。

 その時に、机からはみ出したケースが目についた。

 なんだろうと、このケースを取り出した。


 そのケースはケースではなく、赤い半透明なポーチだった。

 イケないと知りながらまじまじと見てしまうほどの威圧感。

 その中身は半透明でなんとなく薄れて中身が見えてしまう。――それは、保険証やら、住民票だった。


 このポーチから住民票を出して、イケないと知りつつ唯心はページを捲る。

 別に義理と言えども家族であるのだから、見られても困ることはないと思っていた。


 そこには、ハルの名前と、住んでいる住所。

 たぶん、この場所の住所で間違えはなさそうだ。


 だが、第二児と書かれた横に判子で押したように『二世クローン』と書かれた文字に不思議にも目を止めてしまった。


 ――『二世クローン』?


 クローンと言う言葉。

 生物の教科書でいうと、元の生体と同じ遺伝子を持つ生体をそう呼ぶらしい。

 1996年、イギリスの初の生体クローン羊のドリーなんかが記憶に新しい。


 なぜ、こんなことが書かれているのか、唯心はその言葉の理由がよく分からなかった。

 考えてみれば、自分自身の住民票を一度も確認したことがない。

 とりあえず、元に戻し、目的である本を探すことに集中した。



 机の中には、教科書以外の本がぎっしりと詰まっていた。

 棚の裏のほうまで、本が入り込んでいて、彼女が欲しい本がどこにあるのかわかるはずもない。

 しかたがなく一度、手前の本を抜き出して、後部に隠れていた本を知らべようと思ったが、今は目的ではない『ある一冊』の本を見ることになる。


 その本には、『神の手の領域・遺伝捜査による二世クローン』という名前が書かれている。

 そのワードは、先ほどハルの住民票に書かれていたワードと同じだった。


 思わず唯心はこの本に目を通していくと、この真実に目の疑った。

 そして、そんなことが倫理的にも、人間の価値観で換算しても、その事実が存在して良いのか……疑った。



 ある確信を得るため、唯心はその脚をすぐに恭二へと向けた。

 もちろん、ハルのことを尋ねるためだ。


 その事実を、家族である恭二が知っていないはずがないのだ。

 恭二はお道化た顔で唯心を確かめた。

 唯心の手が親の胸ぐらを掴むと、その感情にセーブができずに壁へと恭二を押しやる。


「アンタ、ハルのことを知っていたのか?」

「ハルの事って…なんだよ?」

「惚けるな……。

 ハルがクローン人間、『二世クローン』ってことをだ!?」

「……」


 恭二の顔に陰りができる。その微妙なニュアンスを見逃すはずがない。


「住民票……彼女の住民票にこう書かれていた」

「人の住民票を勝手に見るなんて――」

「そんなこと関係ない! なぜ、そんな大事なことを黙っていたんだよ?」

「それは……彼女が話さないと決めたからだ。

 お前にそのことがバレるのを嫌がっていたんだ」

「なんでだよ!」

「察してやれよ! お前を悲しませたくない……ハルはお前が……」

 その先のことは恭二には言えなかった。


 そう、握りしめた拳、恭二の手には爪の跡が残る。

 彼は見えない怪物と戦っているようだった。


 そして、唯心が手を外す。それ以上、恭二を脅しても仕方ないと知った。

 だが、服の乱れを直し恭二は。そのことについて自供を始めた。


「彼女には、その元になる人間、姉となる存在がいた。

 クローン法が成立してから、科学者は揃いも揃ってこの世界の人間の秘密を解明するために、あらゆる手段を用いて、ある一人の子を産みだした。

 頭脳回路を100%導き出せるように遺伝子を組み合わせ、また、その中にある潜在意識がいかなる場合も引き出せるよう創造された人間。


 それがハルの元になったユキという子だ。

 ――だが、彼女にはひとつ欠点が存在した。

 早く成長しすぎた人体が、急激に心臓や血液循環に影響を持ち始める。

 彼女は、10歳まで生きられないと言われた。

 その遺伝子をどうやってでも継がせることを考えていた科学者と彼らをまとめあげていた政府は、ある決断をすることになる。


 それが、『第二世クローン』の認可だった。

 彼女は、そうして生まれてきたも・は・や偽物の人間なんだ。

 そして彼女は、もう既に病気で入院しているんじゃない……臓器提供での最後の準備期間を生きているだけだ」


 すべてを吐ききると、恭二は唯心を無視してこの部屋を立ち去った。


 唖然と呆然と立ち続ける唯心は、もう一度ハルの部屋から拝借してしまった本を何度も見直し始める。


 事実を真実にできないでいた。――嘘だと、それを懐疑した。


『第二世クローン:真の化学的根拠もなく、物質的容量から作らされたクローン人間。

 寿命も形態もクローン元の年齢と同じ形態になる。

 遺伝子の98~99%を一致させることができるが、ほとんどの場合著しく短命で話をする脳を持たない。

 稀に脳を持ち、話をすることができる個体も現れる。20XX年、人間の臓器移植をするための個体としての作成が認可される。』


 そのとき、彼女に縛り付けた呪縛がなんだったのか、理解することになった。


 ハルはもう、どうすることもできない。

 それが、唯心にとってとても悔しかった。


 ――どうしてだよ……


 恨みの元をどこにぶつけていいのやら、ただただ何もできないことが、息どおしく、胸を鞭で打たれるほどだった。


 そんな中でも彼女は刻一刻と自身の終末へのカウントダウンが始まっていたのだ。



 唯心はある決断を狭まれたとき、それでも八方塞がりの脳裏をどうにか彼女のためにできること……それを考えた。


 そして、この日の夜、大学病院に侵入した。

 ナースにバレないように、どうにかハルの部屋にはいることができた。


「え、誰…?」

「俺だよ……」


 そう言うと、ハルはこの声が誰かをすぐに気がづいた。

「……声でわかるけど、これじゃオレオレ詐欺みたいじゃない?」

「だな…」


 ハルの元へ行くと、カーテンを開けた。

 外からは、月明かりがこの病室を照らしてくれる。

「ハル……俺と、ちょっと散歩しないか」

 という返事に、いつものハルならダメ絶対とか言うかと思ったが、あまりにも素直に――「はい」と答えた。


 自転車で、一時間かからない場所に海が見える港がある。

 本当はもっとキレイな海を見せたかったが、今の唯心の体力ではそれが限界。


 海へ着くと、ハルは真っ暗でなにも見えない海の向こう側を眺めた。

 そして、陸が続いたその奥の奥には、街明かりが微弱ながら海と陸を照らし続けている。


 ハルはその奥を眺めていた。


「この道も、ずっと続いているのね。

 ずっと、この先を歩いて行ったらどうなるのかしら……」

「それは、またここに辿りつくんじゃないか?」

「なんか、これって家族みたい。

 だって、喧嘩をしたってこうやって、戻って来れるんでしょ?」


 一度、そう言うとハルはあの日のように寄りかかってきた。


「たぶん、この道には崖も、あったり砂浜があったり…」と唯心。

「じゃあ、これでは人生ですね!」

「そうだな谷はないけど、それに劣らない以上の崖やら海岸が沢山あるんだろうな」

「ねぇ、もしわたしたちが兄妹じゃなくても、わたしに声を掛けてくれましたか?」

「ん……判らないな――俺たちは兄妹だからあったのかも知れない。

 それは偶然と言えば偶然だけど、俺がどんなに神に願ってもこれ以上の願いは受け入れてくれないだろうな」

「なんですか、これ…」

 すこし、拗ねた顔のハル。

「言葉通りだ。

 だから……ハル、今から旅行に行かないか?」

 自我が心を追い越したように、この言葉が口から飛び出した。


「……ってシンくん、どうしちゃったの?」

「いや、だからさあのずっと先の先まで、ハルと見たくなったんだ」


 そこで、ハルはあることに気が付いた。

 ……最初から気づいていた――が、正しいかもしれない。


「……やだなぁシンくん?もう隠さなくていいよ? コレに誘ってくれた時にもう気づいてたんだから」

 そう、ハルが微笑む。


 その笑顔はいつもの唯心の大好きなハルの笑顔だ。


「もし、明日わたしがいなくなっても、シンくんがわたしを思ってくれれば、わたしは生きていける。

 運命って残酷ですけど、それに抗うことはできない」

「ハル?ここから、逃げよう。

 お前は病気なんかじゃない――ずっと、俺の傍にいて欲しい」


 心からの叫び。

 彼女がいない人生なんて、今まで一度も考えたことがなかった。


「いいえ……わたしの寿命ってのもそう長くないんです。

 こうやって話せるのも本当は奇跡なんです。

 元となったお姉さんが世界を救うほどの強い遺伝子を持っていたから、こうやって話すこともできるのかも知れません。


 わたしと同じ『二世クローン』で生まれてきた子供は、生まれたときから大きな試験管みたいのに入って暮らすんだって。

 でも、わたしは生まれたときに、言語が使えて、『世界との鍵』の少女との区別がつかないって理由で一緒に暮らしてたの……。


 だけど、時が経つにつれて、わたしとお姉ちゃんとの差は付き始めた。

 それは、彼女の心臓病以外の障害。

 わたしの脳は彼女と違って、大人になる機能が著しく低下していた。

 そのおかげで、科学者たちにはわたしを使うことができなかった。

 そして、これ以上わたしは長生きすることができない。その代わり、わたしは『二世クローン』法に基づいて、臓器移植が既に決まってる。


 本来、二世クローンで作られた人間は、人間ではなく――障害や病気になった人間の臓器として使われることになってるから」


「だって、それは可笑しいだろ? カトリックでは、心臓が動いている者すべてが生きていると考えられる。

 それじゃなくても、頭脳が動いている限り俺たちはこうやって生きているんだぞ?」



 大人になれない?そんな死因あるか? 温度もあれば、呼吸もしているんだ。

 誰がこんなこと決めたんだ? 国が……国がこんなこと決めたんじゃないよな……?


「わたしが死ぬことで誰かが助かる……。でも、わたしはそのまま生きていれば、死ぬって決まっている命だから

 ――だったら私は死ぬって決めたの」


 そこまで聞いて、唯心は自身の不甲斐なさに嘆いた。


「俺は、もぅなにもできないのか……」

「もぅ、シンくん泣いてたら――わたしはあなたを置いて行けなくなっちゃうじゃない……」


 ――ハルは、いつからあんな強くなったのだろうか……


 二人あった時は、恭二の後ろから出て来ないほどの弱くて、おどおどしていて……唯心は彼女を守ってあげなくちゃ世界を見れないはず程なのに、いつのまにかミノムシが蝶になるように羽を付けていたのだろうか。


 その時、彼女は唯心はを抱きしめた。

 この首筋が曲がると、頬に唇を押し付ける。

 それは、赤ん坊を甘やかすような、優しい唇だった。


「わたしは、恭二とシンくんの家族で本当に幸せだった」


 陽があがるまでのしばらくの間、二人でお互いの体温を温め合った。

 今まで感じたことのないほど体温をお互いに感じ合う。


 唯心にとって今までずっと、感じていたいと、守りたいと思っていた体温を、その子供っぽくも血液が通う身体は俺を同じ生身の人間と全く同じで、なぜそれを誰かのためにと諦めることができるだろうか?


 時間が刻一刻と迫っていた――陽が少しだけ見えてきたときだ。

「……もう、いかなくちゃ」


 中まで彼女を送るわけにはいかず、唯心は彼女を見送る。

 ハルは初めに通った裏口から入る時に軽く手を振る。




 そしてこの日、ハルはいつもの病室から姿を消した。


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