02-1/2 終わりゆく日々
二章 ハル
六月頃になると、もう桜の木は葉桜になり、あの美しい薄紅色は見ることはなくなった。
高校二年という時間は受験シーズンまでの残りわずか遊んでいられる時間は少ない。
しかし、このミッションスクールは中高大学が一貫制、受験なんてワードは稀にしか出てない。
その中で唯心は密やかに進路について考えていた。
だが、そんなことを忘れるぐらいデカいイベントがある。
高校二年の八月といえば修学旅行だ。
このスクールでは毎年お盆前の5日間、関西へと修学旅行へ行く。
既に二年生たちは班決めも終え、一週間のうち二日間設けられた京都、大阪間の自由行動をどう行うべきか各班議論を重ねていた。
その囁くような会話の中、人目もくれず教室内で弁当を並べた兄妹。
周りからは仲慎ましい兄妹であると、思われても仕方がない。
唯心は既にハルへの想いをカミングアウトをした。だから、内心付き合っていると思われても何も考えることはなかった。
むしろ、そう思われ続けることで、二人の関係を錯覚したいとまで思っていた。
周りから聞こえてくる修学旅行の話題について、ハルを話していた。
「お前、修学旅行の班決めはどうなった?」
それが、唯心の開口一番のセリフだった。
「あ……はい、どうにか、班に入れてもらいました。
なんか、わたしを班に入れると、ご利益でもあるんですかね」
あまり話したことがなくても班に誘われる、それはハルがあの教室に受け入れられている証拠だ。
「まあ、よかったよ。
誰の班にも入れなかったら、こっちの班にいれてやろうって思ってたんだ」
それには、閃くようにハルは相槌を入れる。
「ぁ、そっちのほうが良いかも?」
「いや……。誤解を招くセリフはNGだろ?」
「え? アレ――って、元はシンくんから振ってきたことじゃないですか?」
「ぁ……思えばそうだ」
一度会話が途絶える。
でも、どうして京都と大阪だなんて日本に赴く理由がミッションスクールに通う唯心には多少疑問だった。
普通だったら、フランス、ローマ、ノストラダムス神殿とかこちらへ行くんじゃないか? そう考えていた。
ただ、確かに京都にもキリスト教と関りのある施設は存在する。
「それで、ドコに行くか決まったのか?」唯心が尋ねた。
「……そうですね、私の班は、二日間かけてキリスト教と京都の歴史を回るつもりですが――」
「まぁ、ほとんど豊臣秀吉から徳川家に続くキリスト迫害の歴史だけどな」
「そうですね……。それもですけど、ちょっと班で喧嘩中なんです。京都にある教会で最も古いと言われている京都ハリストス正教会というのがあるのですがギリシャ正教はダメな子がいまして……」
ハルはとても落ち込んでいるようだった。
こういうミッションスクールだから、それなりにこういう教えについて熱心な人がいることは知っていたが――
「この話題、ココで話さないほうがいいかもな」
そこで、やっと気づいたのか、ハルは口を積むんで、周りを見渡した。
彼女や唯心から、一斉に目線がズレる。
ハルは、周りに聞こえないくらいのトーンで、
「なんか、私たち学校内でこんな問題があるとは思いませんでした…」
と囁いた。
この学校はお嬢さんお坊ちゃん学校で虐め少ない代わりに、親と子の宗教観や、それに対する信念に幅があり、場合によってはそれが争いの種になることもある。
そのことが、カトリック司教を父親に持つ唯心とハルが周りから優遇される理由でもあるため、恩恵を受けているとしか言えない。
本当は、神父は結婚してはいけないのだが……。
そこは、ローマ法王も結婚している者を存在する以上、文句はいえないはずだ。
また、勿論カトリックの子だけでなく、プロテスタントの子もこの学校には少数ながら存在する。
そして、この教室にもギリシャ正教の子もいる。
元はすべて、イエスキリストの教えを継いだキリスト宗派である。
だが、元は同じ宗派だった彼らが今のように、争うようになった歴史は長く、口に出す子は少ないが懸念しあっているのは確かだ。
誰もが知らないところで、彼らは虐めにあっているのかもしれない……。
*
その会話の続きは、帰りのショートホームルームが終わった帰り道に続いた。
授業が終わり、軽い清掃を済ませると、ハルは教室の前で待っていた。
そして、夏が近くなった夕日でもこの時間にもなると、少し沈みかけていた。
さわやかな風の中、坂を下っていくと、ハルは続きを語り始めた。
「なんでわたしたちは、同じ人間なのに、こうも違うのです?
宗教も違ければ、言語も違ったり、人種も様々です。
ですが、この狭い日本では言葉が通じるはずなのに……。
まるで、個性が争うための道具……みたいです」
突然切れた糸が話すようにハルが言葉を紡ぐ。
そこまで、責め立てるハルの姿はめったに見ない。
その怒りでハルの時期はずれのスカーフがフワッと風で揺れる程だ。
しばし、唯心は彼女の言いぐさに思考を回した。
「恭二ならなんて言うかな……。みんな、怖いんだよ。
自身が信じたことが覆されるのが……」
それに対して、
「わたし、こういうので人々が結びつけないのって勿体ないと思うんです。
みんながこういう運命や定めってのに踊らされてるから……」
と言ったところで、突飛押しもなくネジが外れた人形のように、目を真開いたまま止まってしまった。
しばらくしても動かない。
その背中が悍ましい何かに触れたように揺れた。
「――どした?」
「……いいえ」言い直すように、
「変えられることと、変えられないことがあると思うんです」
気弱くハルは言う。
「でも、変えられないかもな。
そんなことなら、世界中のテロや、戦争ってのは起こらないし……」
「――じゃあ、わたしたちは逃げましょう!」
「――は?」
「誰もいない。戦争も起きない。
わたしたちだけが生きていける世界に逃げるの!」
「それもなぁ……。結局は自身の欲で――」
「家族が、家族がいるだけで、わたしたち幸せじゃないですか?」
それが、とてもハルのハルらしさだと感じられた。
でも、覆されるのはとても怖い。
何がが壊れないように必死に守っている二人の関係――今の家族という関係を覆さないと必死なのかもしれない。
そして、ハルにとって家族というワードが幸せな理由で彼女は毎日が幸せに生きていられるということ。
――なぜあのとき信じてあげれなかったのか。
本当にずっと傍にあげるべきだったんだ。
ハルが姉の代わりにしがみついていたのは、スカーフではなく、家族がいるという存在感だったのかもしれない。
それが、元気なハルと語った最後の思い出だった。
二人で歩く道には心地よい風が吹いていた。
ハルは、暖かい風が吹くたびに、姉代わりの赤と青のスカーフへと両手を運んだ。
*
それは、後期テストの一週間前だった。
唯心は、ハルがこちらの教室へやってくるのを待っている時だ。
なかなか昼食時間に教室に訪れないハルをオカしいと思った。――そのとき、この教室に血相を変えたハルの教師がやってきて、父親である恭二の連絡先を問いた。
とにかく、どうしたんですかと尋ねると、妹のハルが体調不良で倒れたと聞いて、唯心は教師を無視して保健室へと駆け寄る。
「――ハル!!」
思わず唯心は大きな声を挙げて、保健室のドアを開けた。
保健室の先生の怪訝とした睨み。思わず、頭を下げる。
保健室の先生が言うには……、ハルはただの貧血らしい。
そのあと、唯心はは恭二へと一本の連絡をいれてみたが連絡は付かなかった。
昼休みの終了の時刻、どうしても彼女を一人にはできない。
「ハル、体調大丈夫なのか?」
「……シンくん、ごめん心配させて。寝てれば治るから」
思えば、後期テストの大詰めで、二人は、思わぬ疲労が溜まっていた。
家が近い二人は、教会での夕食後、二人で唯心の部屋でテスト対策をしていた。
彼女が現代文の問題とのひと悶着終わらせて、帰る頃には時計の針は正午を越えていた。
「お前、うちに帰ってからも勉強したのか?」
「――え? まぁ……」
思わず、溜息をしかでない。
まだ、一週間も前だというのにここまで一生懸命勉強して、体調を壊したんでは元もこうもない。
とにかく、ハルはやると決めたら徹底的に他の事を忘れてしまう性格はあまりよろしくは感じれなかった。
「成績を気にするのもいいけど、自分の体調を考えるのもどうだ?」
「ごめんなさい…」
「今から、帰って病院行くか?」
「そこまでは……まだ、二限あるけど今日は体調悪いんで、早退すれば――」
保健室の先生は二人に軽く相槌をいれた。
「じゃあ教会で寝てなよ? 夕食は……」
「それはダメ……」
ハルの否定。――帰らない姉の話を連想する。
「ううん、そうしたら甘えてこっちで寝かせてもらっちゃうと悪いから……」
「たまには、大丈夫だろ?」
「ん……あのね、お姉ちゃんが家にいないと寂しがるから嫌なの……」
やはり。――それ以上意固地な彼女を問質す言葉はなかった。
「わかった。じゃあ、今日はハルの家で夕食な?」
「――え?」
「我儘はそこまでだ! 終わったら、こっちに一度顔を出すよ」
ハルはちょっぴり困った表情を見せた。
そして、ハルもすぐにそのことを諦めた。
「……わかったよ。ごめんなさい」
*
授業が終えると、唯心は買い物を終わらせてから彼女の家へと向かった。
事情を知ってしまった友人たちが、代わりに掃除当番を引き受けた。
彼らにお礼を言うと、彼らも気を廻して早く行けと言う。
「――ただいま」
と言って、唯心は勝手にハルの家へと勝手に入り込む。
思えば、喧嘩が原因であまりこの家には着ていなかった。
そして、いつもはチャイムを鳴らすべきか悩むところだが――そのことが今回は幸いした。
玄関から見える電燈がひとつも着いていない。
もう、疲れて寝ているのだろうか?
唯心は滅多のことがないと彼女の部屋に行くことは相当ない。
二階へ上がるとハルの部屋をノックした。
しかし、ノックをしても一向にハルの返事が返ってこない。
だから、ハルの部屋に勝手に入った。
部屋の電燈をつけたまま起きておらず寝ているハル。
4畳半ほどのフローリングの部屋にベットと机、ハンガーに掛けれらた礼服二着が飾ってあった。
「――いるなら返事ぐらいしろよな?」
野次を飛ばしつつ、寝ているハルを見て少し安心しかけた。――しかし、ハルの顔を確認しようとベットに近づいだ。
ハルが苦しそうに抱き枕を抱えている。――着替えたパジャマは湿っていた。その吐く息も、マラソンのあとにつく深呼吸、苦しそうに何度も肩で呼吸をしている。
「――おい、しっかりしろよ!」
だが、返事もできないハル。
すぐに救急車に電話しようと、玄関の受話器の元へ――いや、明らかにポケットにある携帯電話のほうが早い。
急いで、救急車へ電話をいれた。
何が何やら判らないまま、気づいたとき救急病棟の待合室に腰を降ろしていた。
ハルの結果を待ち。日が完璧に沈むと、カウンターの周りや院内を歩く病人や看護師の姿も少数。
連絡を聞きつけた恭二が病院の元へやってきた。
彼は祭服であるキャソックをだらしなく、襟を解いたままだ。
唯心を見つけると、小走りで強い吐息を吐く。だが、唯心に動揺を見せないように、その顔はいつもながらに落ち着いている。
「ハルの様子はどうだ?」
唯心の中で、恭二の言っていることが一度脳内から流れるように去っていく。
彼が発した言葉に気づけたのは、彼の口の動きで想像できたからだ。
「分からない……。今検査中だ。」
「そうか……」
恭二は唯心の隣に座ると、その肩を軽く叩く。
「シン、今日は先に帰って明日の支度をしなさい」
「――いや……」
ハルの傍にいたかった。
「お前のために言うんじゃない。
もしかしたら、ハルがお前に見られたら嫌なことがあるかもしれない」
との言葉で、唯心は自覚する。
二人はあまりに近くなりすぎた。
それこそ、ふたりの関係を誤った方向に考えている証拠にみえた。――ハルは自身の病状を知られたくないのかも知れない。
……というのも、理解しなければならない。
「ごめん。じゃあ、俺は先に帰る」
そういうと、恭二は唯心に缶コーヒーを渡す。
暗くなった帰路を一人、唯心は歩きながら、その缶コーヒを呑む。
苦さが舌に伝わってこない。
こうやってハルを置いて帰ってしまう事が許せない。
だが、こんな時でもハルへと悩み依存してしまう事が良い方向のはずがない。
それに、一週間後の期末テスト。こういう時に、恭二という男は親である立場から、唯心を巻き込ませるワケにはいかない。
わかっていても、それが罪であるように唯心の心を侵食していく闇があった。
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