01-2/2 ダメでも譲れない想い

 唯心は授業に中だというのに、邪念が湧いてそれどころではなかった。


 前日、ハルとの教会での食事後、毎日続けられていた登下校いつもの待ち合わせ場所に彼女の姿はなかった。

 その代わり、橋の親柱にちょこんと青色の包みが置いてある。――俺の弁当箱。何十分も前に来たのか、その上には桜の花びらが何枚か乗っていた。


 あきらかの否定の合図だ。


 ハルとはいずれも文系ながら教室が違う。

 だから、下手したら一度も顔を見せることはない。が、気が気ではなかった。勿論、そんな半モラル的な事柄を友人に相談ができるはずもない。


 自身が行った行動がどれだけ社会的なモラル、倫理的配慮に欠けていたかを考えると唯心は改めて落胆した。



 いつの間にか帰りのショートホームルームのベルが鳴る。

 半日という時間を費やしても、その思考は腑に落ちることはない。

 机に置かれた『進路希望』と『学校生活アンケート』と書かれた用紙にも気づけないほどにだ。


 ふと、唯心はその『学校生活アンケート』と書かれた用紙を見た。

 ここに記述された『もし、言えない悩み、相談があれば懺悔室へ』という文字に目に止まる。



 ミッションスクールには許しの秘跡を行う特別な部屋がある。


 そこは、いわゆる『懺悔室』――そう呼ぶのが世間では一般的馴染みのある部屋。

 普段のキリスト宗派の懺悔室なら大抵自身の罪について神父に告白し神に許しを乞う場所であるはずだが、このスクール内での懺悔室は生徒や教員のお悩み相談室として使用されている。


 気が付いたときには、唯心はこの懺悔室の扉を叩いていた。


 そうすると、乾いた男性の「迷える子羊よ、中へ入りなさい」と言う声がする。


 失礼しますと中に入る。


 この懺悔室では、神父の顔が見えない。神父と信者との二人の間は一枚板で、対面することはない。

要望によっては、神父と告解者の間にある小窓を開けて会話をすることも可能ではある。

 一畳ほどの電話ボックスのような部屋に一本だけ大きな十字架と椅子があるだけ。


 唯心は椅子に座るが……


「あまり、家族だから、痛いことは言わないでくれよ…」


 ――と、覚えのある声。

 その声は、唯心が毎日聞いている声で間違えようがない。


「――げっ!」


 二人を挟む板にある小窓をガラリと開く。

 そこには今朝、彼が住む教会の司教様の姿がここにはあった。

 まるで……ドラマでよく見る刑務所内での家族との面会の場面にも似ている。


「恭二……なんでここに?」

「よっ! 何か、親に言いにくい事じゃ告白してからじゃ遅いだろ? 一応、これも私の仕事でな。

 こういう懺悔室の神父ってのは、非常勤講師やあまり学園に関係ない神父が行うことになってるんだよ」


 さすがにあまりに血迷っていたせいで唯心はある事実を忘れていた。


 懺悔室にいるのが身近の教鞭を取っている教師やここの教会直属で毎日顔を合わせている司教様じゃ積もる話も語れないだろう。

 一応、噂では聞いていたが実際にこんなところで親と対面することは……。

 半分、覚悟していた事でもあった。噂話程度であったが、恭二が懺悔室の神父をしているという話は耳に入ってはいた。


 確認が終えると、マジマジと恭二の顔を見るのが恥ずかしくなって、すぐにこの小窓を閉じた。


「あ、話しにくい事なら、今世界史を担当している……」

「いや、大丈夫だ。恭二、お前が知っていたほうがいいかもしれない……」

「ん…それなら、そうだな…一応懺悔室だから、取り直して言わせてもらおう。

 あぁ、そうだな、迷える子羊よ、心置くまで懺悔を申しなさい」


 時計針の音が聞こえるほどの静寂が訪れる。

 それでも、塞いだ口が開かれるには時間が掛かる。


 もし、ハルに惹かれていると知ったら、親である恭二はどう思うのだろうか?

 でも、どうしても彼にはその気持ちは伝える必要がある……気がした。


 それが、どんな禁忌なことであっても、そのことが二人の間であやふやになることが一番粗悪なことに思えた。


「お、俺は…好きな人がいるんだ。

 好きと言うか、なんていうか、ずっと傍にいなくちゃいけないと思う人がいるんだ」

「…そうですか。で、あなたはいったい彼女とどういう関係なんですか?」

「あ……それはいえない」


 言えないというところで、恭二に誰が好きなのかバレたと……脳裏に浮かぶ。

 白状すべきと思いながらも、心のどこかで隠したいという念が勝る。思考が混然一体となる。


もうどうとでもなれと内心思ったが――直接それを言ってしまうのは恥ずかしい。


「誰かを好きになるのは別に悪い事ではありません。

ですが、あなたはこの先どうしたいですか?」

「俺は……できれば、今の気持ちをそのままにしたい」

「ダウト(嘘)」

「え?」


 突然の心変わりした悪魔のように、恭二は文言に指をさす。


 それが、深刻の悩みを言いに来た人間に対して行う態度じゃなく、あきらかに酒を飲んだ後のべらぼうの話し方だ。


「あのなぁ、シン?」

「あ、え? 口調戻っているぞ?」

「別にいいじゃないか?

 私は、お前がハルの事を好きだってのは、中学の初めのころから知ってるんだぞ?

 別に良いと思うぞ? お前がやっている愛がどんな形であれ、彼女を守れるのはお前しかいないんだし……」

 いつのまにか、板一枚の厚みがなくなったと感じれるほど、彼の言葉が届く。

 内心に塞ぎこんだ思考をパズルのピースを嵌めるかのごとく恭二の言葉が唯心の感情を揺らした。


 驚きはしなかった。もし、兄妹で好き合っていても、それは恋ではなく、家族愛という言葉で済まされてしまう。


 ……その間柄についても、恭二は理解していたのだろうか?


「でも、そうだな…お前、ハルに怒らせることを何かしたんだろ?」

「え、まぁ…」

 昨日の出来事――それは、泣き出したハルに欲情が相余って、ハルの唇にキスをしたことだった。

 それは、友達でも兄妹でもない、恋人同士に許された行動のような気がした。

 そして、この壁を壊したい。


 昨日ヤッテしまった事を、恭二に話してしまった。


 それでも、恭二はあくまで冷静に唯心の言葉を受け止める。


「……ハルなぁ。こうやって見えて、自分が決めていた信念は貫きたいタイプだろうしな」

「それって?」

「ん、お前にも同じことが言えるかもな。

 お前もハルも自身の理性と戦っているってことだよ」


 ……もし、理性と戦っているのであれば、昨日のアレは理性に負けてしまったとしか言いようがなかった。


 そのことを論するように、恭二は宗教的立場で言葉を繋ぎ始める。


「だけど、それをキリストの立場で、良い意味でも、悪い立場にも言い換えれる。

 結局、娼婦が忌み嫌われる様に、家族愛ってのも一歩間違えれば悪い意味にしかならない」


 カトリックでは近親婚を禁止しているところは多い。

 また、この国でもそれは禁止されているのは知っている。その理由は、キリスト教での公論は近親婚によって生まれつき病弱な人間が増えてきたからという話だ。

 そして、現在の遺伝子学的な結論でも、親近婚は何代も続くと子孫に遺伝的欠陥が出やすい。


 でも、ハルとは<義理>である以上、その考えは別だと考えることがあった。


 だが、彼女の気持ちを考えもせずに、手を出したことは過失だろうが……。


「ただ、やり直すならお前が謝るべきかもな。

 どちらが良い悪いはさておき、誤って丸く収まることは、相手を思っている人間が先にやることだ。

 なにより、私が困るんだよ! こんなギクシャクした家族はよくない!」


 そんな持論を踏まえて、恭二は吼えた。

 反省はしたものの、どうやってハルに謝るべきか唯心はずっと考えていた。


「あ……はやく謝ってくるよ。結局は俺が悪いことだし…」

「おう? 早く言ってやれ」


 懺悔室の扉を誰かに見られていないか左右を見返して唯心はその部屋を出て行った。

 恰も隣にある校長室に赴いていたという態度で廊下へ抜け出す。


 下駄箱で靴に履き替えている最中、外の運動部の声がこんな場所まで響く。

 自転車を押して校門を出た。


 それでよかったのか……親へ伝えたからって唯心の感情は変わることがない。

 だけど、そのことで確かに何かが変わる足音が聞こえていた。



 律儀にもハルは、夕食の支度をしていた。

 唯心が手伝おうとしても、彼女は無視を決めていた。


「昨日はごめん」

 と、唯心は素直に謝った。


 ハルは、そんな唯心を諦めたような……溜息をついた。


「もう怒ってはいないんです。ですけど、わたしも少し反省してるんです。

 兄妹っていう関係に甘えすぎていた気がします。

 シンくんは……わたしなんて人間を好きになってはいけません」

「ん……どういうことだ?」


 ハルは支度の手を止めることなく話を繋げる。


 それでも、面に向かって話そうという考えはなさそうだった。


「……あのですね、好きとか嫌いじゃないんです。

 運命なんて言葉では片づけられないかも知れません。

 わたしは、心くんの兄妹でいたい。今は良くても、いつかこの関係には終わりが来ます。

 わたしたちが兄妹っていう、そういう…………わたし、あなたとは家族でいたいんです。それじゃダメなんですか?」

「それって、俺に感情を我慢しろってことか…?」

「だって、わたしが我慢しなかったら、心くん本当に誰も他の人を愛さないじゃない?

 わたしね?誰かに愛してもらいたかった。

 それが、家族とかそういうの以外にも憧れがあったの。


 だけど、そういう人がいないから、シンくんに甘えていたのかも知れない。

 シンくんも一緒。だから、わたしたちオカしいんじゃないかなって思ってた。

 それが、いつの間にかに当たり前になって、感情が麻痺してたの。


 昨日、シンくんにキスされたとき、わたしが我慢しなかったら取り返しのつかないことになるって思った。

 家族って支えあうモノだけど、わたしとあなたの関係はたぶんオカしいよ」


 ハルは現実の定義で、唯心の行いを否定した。


「我慢しなきゃいけないのか…?」

「うん……」


 そこで、社会の規定に乗っ取る必要はないだろうと、言えるはずがなかった。


 それ以上、ハルに対して、恋愛に対して語ろうとは思わなかった。


 あきらかに、自身の言論が、ハルが求めている『家族という概念』を壊しかねない。


 頭の中で、ハルが求めている家族との関係を大事にしていこうと思えた。



 そして次の日の朝、待ち合わせ時間より早く訪れたハルは、その脚を止めた。


 それよりも少し早く来た唯心は彼女の顔にニンマリと笑う。

 勿論、ハルは目を細めてその行動を疑った。


 だけど、何かに諦めるように溜息をつく。ピンクの弁当箱を受け取って、二人は坂を登り始める。


「いつもより、早いですね……」


 ハルの目は、とても辛そうだった。


「お前が先に行くって分かってたからな…」

「あのさ、ハル?」

「え?」

「前も言ったと思うけど、兄妹なのに、一緒に飯を食べてはいけない理由ってあるのか?」

「……」

「俺たち、いや、俺はちょっと可笑しいのかも知れない。

 だけど、それと兄妹が飯を一緒に食べちゃいけない理由は違うだろ?」

「シンくん、わたしは……」

「判ってる」

「俺とハルは、兄妹で、それ以上でも、それ以下でもない。

 だが、俺がハルのことが好きだという気持ちは全く関係ない」

「……わからないよ」

「判んなくていい」


 そんなことを話しながら登る坂道はとても恥ずかしい。


 早めに登校したおかげで、この会話を聞いてしまった人間は他にいない。

 もし、聞かれていたら、スクール内が大変の騒ぎになってたかもしれない。


 でも、こういうので騒ぎになるなんて、世も末だと思う。


 兄妹がお互いを思いやるなんてことは当たり前のことで、その度を越えたくらいでは何とも不思議なことではないのではないか? 


 ――ただ、俺は妹が好きなだけ。


 それが、如何に禁忌なことでも、その気持ちに唯心は逆らうことができなかった。


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