ハルとのスクール生活編

01-1/2 新学期、兄妹の禁忌

 一章  禁忌



「神よ……我らをお許しください」

 唯心は、心に短く御祈りを捧げると、目を開けて椅子に置いてある学生カバンを抱えた。


 その隣には、この鏡教会と呼ばれるカトリック教会で司教を務める唯心の義理の父でもある鏡 恭二が未だに長くお祈りを捧げていた。

 彼がお祈りが長いのはいつもの事。


 唯心が着く前から彼は目を瞑り、神への短い御祈りを何往復も唱えていた。

 毎度のことながら、恭二のこういう態度に呆れていた。


「御祈りが長くても、神はそれを聞いてくれないぞ?」


 と、そういう野次を唯心は贈ってやった。


 その言葉にやっと何度唱えたか分からない御祈りを止め、恭二はその目を開く。

「うむ……そうだな。神は既に私たちの願いは知っているからな」

「じゃあなんで、いつまでもやっているんだ?」

「今のはお前たちの分もお祈りしてたんだよ」


 恭二は真顔でそういうと高い背筋を伸ばし、教壇へと向かった。


「それじゃ、行ってきます」

 恭二へ手を振り、唯心は教会の入り口から飛び出し、スクールへと向かった。 



 四月一日、一学期の入学式の日。

 教会での全校生徒集会、新しくなった教室で一学期の授業に対するホームルームがある。

 二年になると授業カリキュラムが文系、理系と選択できる。

 授業も少々難しくなる。

 数学が苦手な唯心は能動的に文系を選択した。


 唯心とハルの兄妹は司教の恭二の計らいで幼い頃からカトリック系のミッションスクールに通っている。

 徒歩でも二十分掛からない距離を自転車で10分ほど掛けて境内にある高校だ。


  その通学途中、違う家に住む義妹である鏡 ハルが一面の澱むような空の青を見上げていた。



 ハルは坂の手前、いつもの小川に掛かった橋の手前で兄である唯心を待っている。

 登校の途中、いつもここで待ち合わせをしている。


「すまん。待ったか?」

「ううん」

 鬱陶しいハルの長髪が左右に揺れた。

 その目の前に隠れた前髪を掻き分け、ハルの大きな目が唯心を捉えた。

 顔を合わせるや否や、ハルは脚を進めて橋を渡る。学校までの緩い坂道を登り始めた。

 途中、川沿いに咲いた桜の花びらがゆらゆらと川へと落ちていく。

 ここからは、自転車を降り、押しながら彼女のペースに合わせる。


「恭二は今日は学校にいるの?」

「いや、今日はうちの教会で今頃コーヒでも飲んでるんじゃないか?」

「ココアじゃだめなの?」

「駄目だろうな。あいつはカフェイン中毒だからな。」

「甘いほうが幸せやん」

「そうとは限らないわ」

「恭二みたいなこと言わんといて」


 とのところで、俺は思わず男っぽくハルにツッコみを入れてしまった。


「お前もな」


 こんな、軽いツッコみのつもりだった。


「……」


 ハルは少し黙り込んでしまった。


 昔から悪意や脅しじゃなくても、男や大人の言葉遣いは苦手なのをなんとなく知っている。

 少しでも脅かした声を出すと、黙りこくってしまうのだった。

 毎度ながら、恭二と同じように話してしまうと、彼女はダメになる性格だった。


 そのせいで、彼女にはあまり友達は少ない。


「もう向かおう」

「うん」


 二人の登校はまだまだ続く。


 ハルが唯心の服の袖を摘まむ。それを払うことをなく学校へと向かった。

 そんなハルの服装が以前のボロくなった修道服ではなく、ちょっぴり新しい礼服に変わっている。


「新しい服だな」


 とハルに尋ねても何も言わず、目だけを動かしている。


 何秒かしたあと、俯いた顔をあげることなく、

「恭二に買ってもらったんよ。まだ、お礼してない」と、ハル言った。

「じゃあ、帰りに言おうな」

 唯心が言うと、ハルの顔が少し晴れて嬉しそうな表情を見せる。

「……約束」

「あぁ、わかったよ」


 思えば、この弱々しい態度は二人が出会った頃とあまり変わらない。

 変わったとするならば、ハルは他人に少し慣れたぐらいのことだった。



 ハルと恭二は義理ではなく、本当は親子。


 それは唯心が恭二から直接聞いた話だから間違えがない。

 それなのにハルだけは恭二とは違う一軒家でひとり暮らして、唯心と恭二は教会に増築した半一軒家のような場所に暮らしている。


 だから、唯心は兄としてハルの家へと度々訪れた。

 いつの日かどうして一緒に暮らさないかと聞いたら『いつお姉ちゃんが帰ってくるか分からないから……』と、以前そんなことを話していた。


 ハルが住んでいる一軒家は、以前は別の家族が住んでいたような食器やら、家具やらそんな物品が揃えられている。

 だが、食器洗いの置いてあるのはいつも同じ皿とコップだけ。


 

 親であるはずの恭二はああ見えても司教として聖職者の仕事をちゃんとこなしている。

 二人が通うミッションスクールのキリスト倫理学の臨時講師や、懺悔室の神父も務めているという話だ。


 懺悔室とは、人が自身の罪を神父に自白し、神に許しを乞う部屋のこと。

 また、彼は周りから『悪魔祓い』という異名を持つ。

 その理由は、二人にもまだわからないが……。


『悪魔』と呼ばれた唯心に対しては、とても馴染の深いワードではあった。

 いつも唯心が教会へ赴く理由。――それは過去の償い。唯心には両親がいない。

 だから、神に近くなった彼らのために毎日欠かさずお祈りをしている。



 そんな子供のときの出来事ゆえ、唯心が人殺しだとか罪人だと知る者は拾いの親である恭二ぐらいだ。

 それにここが、神に許し乞うカトリックであることも気運したかもしれない。


 唯心は仮面を被ったピエロのように、学校生活を送っていた。

 否、もしかしたら、学友たちもその事実を知っていて恰もピエロのように過ごしているのかもしれない。

 はたして、どちらがピエロなのかわからない。

 だから、唯心にも友人と呼べる友人は少なかった。



 キリスト教の救い主であるイエスはこう言った。


『汝人を愛し、そして、許しなさい』

 だが、本当に命まで奪われて同じことを言えるだろうか?

 ――本当の俺はその教えに乞うことさえできないほど罪を犯した人間……。

 誰かに殺されても良い。それが自罪に対する償いだと唯心は思っていた。



「ほいよ」奥の席に箱をひとつ置かれた。

 昼には授業は終えてから、二人は新しくなった教室の席に二つの箱を並べていた。

 その箱の中身は、唯心とハルのお弁当。今日は唯心が作ったモノだった。


 学校がある時は、家に帰っても食事を取るより、二人で学校で食事を取ることが、普通になっていた。

 二人の親である恭二は昼は仕事で忙しい。そのため、子である唯心かハルが毎日どちらかが弁当の支度をすることになっている。

 そこらへんは、住む家が離れていても、家族なんだなと考える。


 それが普通……。奇妙に思われる共同生活はおままごとより容易に感じとれた。


「ありがとう、シンくん」


 ハルは嬉しそうに跳ねる。


 静かに食前のお祈りを捧げると、箸を取り日本語で「いただきます」


 中身は昨日の残り物である豚の生姜焼き、卵焼き、フタの外側にパック詰めのふりかけを添えている節約のために、毎日水筒は欠かせない。

 水筒の中身は日本人らしく日本茶が淹れられている。米を食べるのにカトリックに準じた西洋風の紅茶というわけにはいかない。

 そう、お弁当を面に向かって食べている姿は周りから見ても仲睦まじい兄妹だった。


 しかし、唯心には悩みがある。償いとは別の話。


 学校内では、唯心とハルの兄妹という関係を知っている者は多い。

 または、知っていても、こんな二人の関係を良からぬ方向に考える嫉妬にも似た考えを持つ人間は少なからず存在する。


 廊下を歩く女性が彼らの食事を見て「キャッ」という黄色い声を漏らした。

 そして、ひそひそ話をしながら、廊下から早歩きで立ち去る。


 そんな揶揄は今日に限った事ではない。

 兄妹でありながらも、周りからは付き合っているのではないかという噂が流れていた。

 だが、それに対して何か弁解をしない。ハルはこう見えてとても男性からはモテているからだ。

 男性は本能的にかよわき者を守ろうという習性があり、口下手だがそれなりに素材がよく、黒髪長髪のハルは男性にとって、憧れの女性であった。

 また、親の恭二が非常勤講師だという相乗効果で、兄妹はスクール内ではとても目立つ存在だった。


 その二人がいつも年頃のカップルのように食事をしているのだ。

 彼らが疑念を抱いても仕方がない。


 言わせるだけ言わせておけと、唯心が内心考えるようになったのはそう新しい考えではない。


「シンくん、ごめんね」


 そのことを知ってか、知らずかいつものようにハルは謝罪の念を押した。


「え、何が?」

 と唯心は聞き返した。


「あのね、わたしとこういう関係って思われると、シンくんは困るんじゃないかって?」

「あのなぁ……」

 呆れた態度をとる。ハルの謝罪もこれが初めてではない。


「どうして、兄妹がこうやって、仲慎ましい昼食を頂いていることが可笑しいんだ?」

「ぇ、だって……シンくんは、他に好きな人とかいるんじゃないの?

 こうやって食事をして、違う 誰かに見られて噂されると、あまりよろしくないんじゃ――」


 唯心は一度、わざとらしい大きく溜息をつく。

「言っとくが、俺の友達に俺とお前が兄妹だって知らない奴はいないし、逆に知らない奴に告白されても困るだろ?」と、ちょっぴり強めに言い返す。


「そんなことは……」

 と、ハルが萎れていくのが分かる。

 たぶん、この音声が彼女を黙りこくらせないギリギリのトーンであろう。


「逆に悪かったな……」

「――え?」

「俺とこうやって食事をして、お前に近づく虫がいなくなる…」

「え、や…何言ってるの? シンくん!!」


 ハルは食事どころではないといったふうに、はしたなくも椅子から腰を浮かした。


 こんなハルはどこか可愛く、こうやって喜怒哀楽が激しい彼女の顔を眺めているのが唯心は好きだった。

 しばし、二人は見つめ合っていると、ハルは落ち着きを取り戻し、椅子へと座っりなおす。


「わたしなんか見てくれる人は、いませんよ……」

「そんなことないぞ? 俺の周りでも、結構お前のことを聞かれるし」

「え?」

「だから、多少お洒落とか、尻でも軽くなれば、お前も彼氏ができるって」

「わたし、そんな……」

 と、彼女は困った表情をみせる。


 半身ハルの親代わりをしていることに妬けが差していた。

 彼女は本当の感情なんて、判るはずがない。

 そんな兄妹での柵を壊さないように、いつも嘘をついて生活をしていた。


 ――彼女の『迷惑だよね』という感情を捨てて、兄妹だという関係も全部なしにして、二人の関係を成就させる方法はないだろうか……。


 ハルは結構モテると言ったが、唯心もその一人に含まれている。


 しかし、その感情にハルは気づくことはない。


 お互いの距離が近すぎて、それ以上どのように踏み込めばいいのかわかるはずがないシスターコンプレックスのその先を、ハルはどう考えているのかも、知る余地もない。



 その帰り、午後三時ぐらい。魔が差した、というにはとても楽で、二人の関係はあることがきっかけで崩れ始める。


 兄妹としての禁忌を犯すことが、こうも容易い――そのことが、兄妹だから安易に済まされた問題だが、兄妹だから絶対に犯してはならない壁だとわかっているはずだった。


 ハルの自宅には、唯心と妹の他には誰もいなかった。

 ホームルームだけの授業に予習もなく、俺は時間を潰すようにハルの家にある大型ソファーに寄りかかり、ふたりでテレビを見ていたそういうとき、ハルは兄妹だという立場を存分に利用して俺の胸元へと寄りかかってくる。

 長い髪からは女性らしいリンスの匂いが漂う。


「お前、もう大きいんだから…」

「何言ってるん? わたしたち兄妹じゃない?」


 年頃だとか、ハルはこれっぽっちも考えてはいない。

 男女で異性を意識する年齢差はどれくらいか判らないが、ハルにはそういう概念があまりなかった。

 でも、そうやって寄り添うことがハルが人として生きていくためには必要だったと……知りもしない。


「たまに、物凄く寂しくなることがあるの」

「…それって、姉の話か……」

「ん…半分あたりで、半分はずれ」


 ハルの上目目線は虚ろのまま。

「人ってさ…どんなに許しを乞いでも許されないことってあるじゃない?」

「…」


 唯心には思い当たる節は沢山あったがしらを切る。

「たとえば?」

  と、唯心は返事を返す。


 ハルは長い髪の束を、自身を宥めるように細い指が髪を梳く。

「たとえば、寿命やら、運命とか…」

 その言葉には、抗えない罪は含まれていないことを唯心は思いながら相槌をした。「まぁ、そうだな」


「わたしたちって、どうして生まれて、なんで生きてきてるのかって分かる?」

「ん……」とどうしようもないハルの疑問に唯心は天井を見て考える。「ハルの場合は、親がそう望んだからじゃないのか?」


 そうだと、回答と絞り出したが、実際には唯心はそうとは考えていない。

「……そうだと、いいよね」ハルはその答えにわざとらしくも見える笑みを見せてから言葉を繋げる。「本当は誰も知るはずじゃないんだけど、それを偶然知ってしまったら、シンくんならどうするかな?」

「嫌なことなら、変える努力はするかな。その時々の状況によって変わるだろうし…」

「だよね…」と、次にハルは黙りこくってしまう。


 何か悩みがあるのは丸わかりだが、その答えは全くもって見えなかった。

 知られたくないことなのかもしれない。


「悲しいなら、悲しいって言えばいいんじゃないのか?」

それは、いつかハルが本当のことを気持ちを言ってくれることを願ってのセリフ。


「え?」

「俺だって、言えない秘密はあるし、ハルも人に言えない悩みはあるんじゃないか?」

「……」

「そういうのって、隠し通せるか、言って楽になるかどちらかじゃないか?」

「なんか、分かる気がする」

「だろ?」

「この哲学っぽいセリフ、恭二っぽいね?」

「アハハ……なんかいやだな」


 そこで一度、会話は途切れた。

 だが、突如となくハルの表情が一変する。

 その顔は見る絶えないほど崩れ落ち、感情の渦が彼女の脳裏を占領した。


 何か彼女に傷つける事を言ってしまった。

 唯心は自身の言葉を疑った。


「おいおいおい……」

 そういいながら、両手でハルを覆い、背中を摩った。


「わたし、どうすれば良いか分からないのよ。だって、私いつか死ぬのが怖いの……」


 ハルは、そんなことで泣いてしまう思春期真っ只中の純粋な子でもあった。

 どんどんハルの体温が上がっていく。

 ハルの旋毛が鼻孔に刺さる。

 どうしても彼女の事を思う気持ちが自我を通り過ぎて、どうしようもない気持ちに達した。


 ――兄と妹の禁忌の行動……


 そのとき、喜怒哀楽の哀を見せていたハルの全ての感情が奪われた。

 ――やってしまった……。


 泣き止んだと思ったハルの顔はみるみるうちに紅潮していく。

 そして、言葉よりも彼女の手のほうが早かった。


「――お兄ちゃんのバカ!」


 それが、ハルの初めてのビンタが頬に真っ赤な蝶を描く。

 あとから、今まで大事にしていた何かを壊してしまった罪悪感が唯心の体中を覆う。

 背中から、滝のような汗が流れ出した。


 その隠してきた感情全てを無理やりな形で押し付ける結果となった。



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