第14話 妻問い

 百襲姫ももそひめは畏まって起き上がろうとした。が、男がそれを制する。

「まずは吾の話を聞いて欲しかったので、体を動きにくくした。間もなく元に戻るが、今は無理に動かなくていい」


 男の手が、姫の髪をなでる。一本一本に神経が宿っているかのように、手の動きに反応して頭の奥がしびれる。自分がお仕えしてきた神の化身なのだとしたら、畏れ敬い、その一方で慕わしく感じるのは当然と思えた。

 その裏で、神に嫁ぐことができれば、巫女頭の地位を追われなくていい、という打算も浮かんだ。大田田根子おおたたねこにも、負けずに済む。


百襲姫ももそひめ。美しく成長した貴女に触れることができるのは、存外の喜びだ」

 貴人と目が合う。深く澄んだ瞳に、心を奪われそうになる。


「もし吾を受け入れるなら、瞼を閉じてくれ」


 ささやく声が、耳の中でこだまする。大田田根子おおたたねこの皮肉を浮かべた表情や、大王おおきみのにらむような目、巫女たちの腫れものにさわる態度が脳裏をかすめた。

 目の前の男が、促すように見つめてくる。心臓が痛いくらいに高鳴り、もう何も考えられない。


 姫は、そっと目を閉じた。


 即席の闇の中、冷たい指が両頬を包み込む。唇に伝わる甘やかな感触が、こわばっていた体を溶かしていく。幼い頃から巫女集団の中で過ごし、男との交わりなどおぞましいものと考えていたのに、全身にかかる体の重みも、絡み合う舌も、意思を持って触れてくる細やかな指先も、ずっと前から知っているかのように馴染む。


 衣を脱がされ、少し湿り気を帯びた肌が、じかに触れる。男の体とはこんなに硬くて力強いのかと驚きながらも、自分の体が貴人に合うように変わっていく。体の芯が熱くなり、男の体温と混ざり合って、どこからが自分の体なのかすらわからなくなる。


 このまま呑み込まれてしまっても構わない。

 姫は、男のすべてを受け入れた。



 夜明け前に、貴人は帰っていった。

 送り出した後、姫はしとねに横になり、男の残り香を嗅いだ。下腹に鈍い痛みはあるが、不快ではない。むしろ、その余韻に浸っていたい気分だ。

 まどろんでいると、いつの間にか夜が明けて、扉の外から芙吹ふふきの呼び声がした。


「姫、朝のお支度をお持ちしました」

 百襲姫ももそひめは慌てて起き上がり、声をかけた。

「支度はそこに置いておいて。今日は気分がすぐれないので、出仕を控えます。大田田根子おおたたねこにそう伝えてください」


 部屋に入られると、昨夜のことを気づかれてしまう。寝床には、わずかに血がついている。

「姫、どうかなさったのですか?」

 芙吹ふふきが戸を叩く。この状況をどう説明すればいいだろう。


 もし昨夜の男が大物主神おおものぬしのかみでなければ、という不安が頭をよぎる。

 男は名を明かさなかったし、確かに生身の人間だった。いずれにせよ、自分は常処女とこおとめではなくなってしまったのだ。


 心配して扉の外で呼び続ける芙吹ふふきに、姫はぽつりと言った。

「……丹塗にぬりではなかった」


 沈黙が流れる。姫は慌てて言い足した。

「まだ誰にも言わないで。事がはっきりするまで」

 姫の不安をよそに、芙吹ふふきは嬉しそうな声で「おめでとうございます」と述べた。


「神妻となられた方は、近頃ではいらっしゃいませんでした。やはり姫は、選ばれた巫女なのです」

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