第3話 祭主交代

 翌日、大田田根子おおたたねこを迎えるため、百襲姫ももそひめは神社の境内の外まで出向いた。

 大王おおきみが執政する磯城瑞垣宮しきのみずがきのみやは三輪山のふもとにあり、小川沿いの坂道を上ると、神社に至る。この道は、宮から来る者しか通らないので、限られた人にしか姿を見せない姫でも足を運ぶことができる、数少ない外の世界だ。


 供として横に控えている巫女が、声をひそめて言う。

「吾は納得できません。姫がよそ者、しかも男の下につかねばならないとは。吾は、姫以外の者を祭主と認めたくありません」

 まだ少女の幼さが残る巫女は、頬を紅潮させ、唇をきつく結んでいる。彼女も百襲姫ももそひめと同じく、親と離され、俗世を離れた巫女として生きているのだ。男性である大田田根子おおたたねこへの反感は強いだろう。


「境内の外とはいえ、神のおそばですよ。ことげせじ、といつも言っているでしょう」

 言葉には魂が宿るから、不用意なことを言うと何らかの形で自分の首を締めることになる。やんわりたしなめると、彼女はさらに頬を赤くし、「申し訳ありません」と頭を下げた。


 しかし、彼女が言ったことは、百襲姫ももそひめ自身の気持ちでもあった。心の声を代弁されたようで、ばつが悪くなる。姫は、自らに言い聞かせるよう鷹揚に続けた。

「我らは、大田田根子おおたたねこではなく、神にお仕えするのです。祭主が誰であれ、誠心誠意ご奉仕する。それが、巫女の役目ですよ」


 はい、と素直に返事をする巫女の瞳が、光を含んでまっすぐにこちらを見ている。口元のわずかな笑みからも、姫への尊敬の念が感じ取れた。それに応えるためにも、毅然としていなければ。

 百襲姫ももそひめは背筋を伸ばし、川沿いの小道を見やった。


 しばらくして、一人の男が坂道を上ってきた。

 神域に入ることを気遣ってか、供も連れていない。あの口髭と鋭い目つきは、昨日、鳥飛びで盗み見た大田田根子おおたたねこだ。白い衣に青い縞の帯をし、首からは見事な青瑪瑙めのうの勾玉を下げている。


「お待ちしておりました。初めてお目にかかります、巫女頭の倭迹迹日百襲姫やまとととひももそひめと申します」

 姫が深礼をすると、彼は小さく鼻で笑って言った。

「またお会いしましたな」


 昨日の鳥飛びのことを言っているのだ。ぎくりとして顔をあげると、こちらの反応を楽しむかのような嫌味な視線とぶつかった。

 姫も負けじと背筋を伸ばし、正面から見据えた。空気がぴりぴりと揺れる。

「鳥飛びで偵察していたことは見破っている」とほのめかすだけあって、彼も巫の能力を持っているようだ。


 表面上は和やかに社交辞令を述べ、大田田根子おおたたねこを神社へと案内する。

 言葉ひとつ、身動きひとつに至るまで、お互いがお互いを探っている。若い巫女も張り詰めた雰囲気に気づいたのか、不安げな視線を百襲姫ももそひめに送ってきた。


 神社の入り口である玉垣で、他の巫女たちが新しい祭主を出迎えた。

 角度を揃えて一斉に礼をする彼女たちに向かい、大田田根子おおたたねこは落ち着き払った様子であいさつをした。


「今日から吾が、このやしろにて三輪山に大物主神おおものぬしのかみを祀る祭主となった。神にお仕えするという立場をわきまえ、身をつつしみ清浄に保っていただきたい」

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