第2話 大田田根子

 御神託を受けた大王おおきみの行動は素早かった。

 翌朝すぐに群臣を集め、大田田根子おおたたねこという人物を探すよう詔を出した。また、百襲姫ももそひめに命じて、大王おおきみ家の祖神おやがみである天照大神あまてらすおおみかみを、少し離れた笠縫かさぬいの地に遷させた。もはや、征服した土地に権力を誇示するなどと言ってはいられなかった。


 求める人物は、ほどなく河内国で見つかった。

 土器を作る村に暮らすその男性を、勅使が説得してお連れすることになった。大王おおきみは自ら迎えにいくと意気込み、宮近くの船着き場で、大和川を遡ってくる大田田根子おおたたねこの船を待った。


 百襲姫ももそひめも、一刻も早く託宣の人物に会いたかったが、巫女は人前、特に大王おおきみ以外の男性の前には姿を現さない慣例がある。翌日には対面できるとわかっていたが、はやる気持ちを抑えられず、姫は鳥飛びを使って体から抜け出し、船着き場へと向かった。


 意識の塊となった姫が空から見下ろすと、船から降りたった大田田根子おおたたねこが、大王おおきみの前にひざまずいているところだった。歳は四十ほどで、剣のような鋭い目をし、口髭をたくわえている。


「長旅、御苦労だった。……早速本題に入るが、いましは誰の子か」

 大王おおきみは、ぎょろりとした大きな目で男をねめつけた。その眼力を受け流すように、大田田根子おおたたねこが顔をあげて笑みを浮かべる。形の上では平伏しているが、気後れすることなく、堂々とした態度だ。さすがは、一大勢力であった三輪族の末裔、といったところか。


「吾は、大物主神おおものぬしのかみの五代目の子孫であります」

 彼は、歌うようになめらかな口調で語り始めた。


 昔、大物主神おおものぬしのかみ活玉依姫いくたまよりひめという美しい乙女を見染め、夜毎に通ってきた。妊娠した娘を不審に思った親は、相手の素性を知ろうと、男の衣に麻糸を通した針をつけるよう教える。その通りにして翌朝娘が見ると、糸は戸の鍵穴から抜け通り、三輪山のやしろの前で留まっていた。

 だから、姫の子孫である自分は神の系譜なのだ、と。


いまし大物主神おおものぬしのかみをお祀りすれば、この疫病えやみは鎮まるか」

 大王おおきみの問いに、大田田根子おおたたねこはうなずくようにゆっくりと瞬きをした。

「はい。神々は、本来その子孫がお祀りするもの。吾の名は『大いなる蛇神の子』、つまり大物主神おおものぬしのかみの子孫という意味です。吾が祭主となれば、たちどころに祟りはやむでしょう」


 大王おおきみが手を打ち、満足げにうなずく。

「それを聞いて安心した。明朝、群臣の前でいましを、大物主神おおものぬしのかみを祀る祭主に任命しよう。巫女頭の倭迹迹日百襲姫やまとととひももそひめを副祭主につけるので、わからないことや入用なものは言いつけるとよい」


 百襲姫ももそひめは、複雑な思いで二人を見下ろした。特別な霊力を持つ自分が、一族以外の見知らぬ者、しかも男性の下につくのは抵抗がある。それに、巫女頭である自分にとっては事実上、「祭祀を統べる者」の地位を追われたということだ。

 しかし、神託には従わなければならない。笠縫かさぬいに遷した天照大神あまてらすおおみかみの祭主にして欲しいところだが、大王おおきみも、元は敵であった氏族の末裔である大田田根子おおたたねこを信用していないのだろう。自分は監視役というわけだ。


 ──のぞき見とは、お行儀が悪いですな。


 頭の中に声が響く。鳥飛びの状態にある自分を見ることができる者は、今までいなかった。昨夜の貴人以外は。


 ぎょっとしてあたりを見回すと、大田田根子おおたたねこがこちらを見上げ、不敵な笑みを浮かべていた。

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