蛇神譚(じゃしんたん)
芦原瑞祥
第1話 託宣
「何故、この国はまつろわぬのでしょうか」
神殿前の砂利にひざまずき、
昨年は梅雨が長引いた上に冷夏となり、稲の収穫量は例年の半分ほどだった。少ない米を徴収された上に、
今年は逆に、田植えの時期が来ても雨が降らず、
国が治まらないのは、神が為政者に対してお怒りだからだ。
古来より言い伝えられており、民もそう信じている。このままでは、神が
「
小石が額に食い込むのもいとわず、姫は平伏した。
巫女頭である
一昔前、
その特殊能力からヤマト(大和の国の)トトヒ(鳥飛び)と称えられた
だが、政治力のみで国を治めるにも限界がきた。日照りや
──三輪族の神が、お怒りなのかもしれない。
月夜に浮かび上がる三輪山の影が、わずかに動いたように感じた。とぐろを巻いた巨大な蛇に、闇の中からじっと見られている気がする。畏れをねじ伏せるように、姫は再び額づいた。
国が呪われると、異常気象や病が起こる。昔は、国が乱れると、巫女は祭祀に失敗した責を負って殺されたという。
姫は身震いした。初夏の過ごしやすい気候だというのに、背中に冷たいものが走る。
何としても、
姫は、額を何度も砂利にすりつけ、神に祈り続けた。
ふと、甘い香りが鼻をくすぐった。頭の芯がとろけるようなにおいだ。どこから漂ってくるのかと、いぶかるうちに、意識がゆるみ始めた。そのまま、夜の闇に溶けだしてしまいそうだ。
気がつくと、
姫は慌てて身を起こした。急に動いたからか、頭がふらつく。水の中で動くような重だるさが、体にまとわりついている。
強烈な気配を感じ取り、姫は高床の神殿を見上げた。肌に触れる空気が、急激に冷えたように感じる。そこにいるものを目にして、姫は息をのんだ。
白蛇が、鎌首をもたげてこちらを見ている。目を赤く光らせ、舌をちろちろとのぞかせながら。
──
頭の中に、直接声が響く。もしや三輪山の神かと思い、平伏しようとするが、体がうまく動かない。蛇は頭を床におろし、なめらかにうねりながら、神殿の扉へと向かった。
──
蛇は木の扉をすり抜け、見えなくなった。
麻痺した体を諦め、姫は鳥飛びを試みた。腹の中の光る玉が、首を通って頭上へ抜けていく様子を想像する。意識を集中させると、ふっ、とすべてが軽くなり、魂だけが飛び出した。姫の意識は鳥のように舞いあがり、神殿へと向かった。
木の扉をすり抜けると、四方を白布の衝立で囲われた
ここにも、先ほどと同じく香草を燃やしたような甘いにおいが漂っている。頭がくらくらする、不思議な香りだ。
──
今度は、頭の中にではなく、正面の衝立の向こうから声がした。
白い布の向こうに灯がともり、人影が映し出される。目を覚ました
──吾は、この山に
やはりそうか。姫は布の向こうの気配を詳しく感じ取ろうと、神経を研ぎ澄ませた。隣で、
──国が治まらないのは、吾が意によるものだ。
人影がゆらめいたかと思うと、白い布に手がかかり、一人の男が入ってきた。
薄明かりを背にしているので顔は見えないが、みずらに結った髪に白い衣という出で立ちだ。姿勢や身のこなしに、風格が感じられる。
──吾を敬い祀れば、国は自然と平らぐ。
──ただし、条件がある。
再び固唾をのんだ
──祭主は、吾が子孫、
口を動かすことのできない
布の向こうから漏れる光に、その顔が照らされる。涼やかな切れ長の目をした、まだ若い男性だ。彼は、実体のないはずの姫に向かって、かすかにほほえんで言った。
──また会おう。
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