5 これはもともときなこもちの話だった
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「え、なに? どういうこと?」
突然の声に驚く。てっきり、眠っているのだと思っていたのだ。そしてそれ以上に、発言の内容に驚いた。
「急にあらわれて、消えた将軍餅の持ち主が分かったの」
「俺の車じゃなかったって、どういうこと?」
星一が、振り向いた。
「ちょっと、前、前!」
愛希に怒られて、一応前を向いたが、それでもまだちらちらと後ろを気にしている。
「この車、さっきまでのと違う」
「どういうこと?」
「ねえ、昨日誰かに車を貸したって言ってたでしょ」
「貸したけど、なんで?」
唐突な葉子の質問に、運転席の星一が戸惑いながら答える。
「誰に貸したの?」
葉子は俺たちの質問には答えずに、一方的に質問を続ける。質問は順番にする、というルールがあるわけではないが、葉子の思考に完全に取り残されてしまっているようで、少し哀しい。
「河原がなんか、デートで使うって。でもちゃんと昨日の夜に返しにきてくれたよ。ガソリン満タンで」
「河原って誰?」
今度の質問は葉子ではなく、愛希からだ。
「あれ、面識なかったっけ。ほら背が高くて、バドミントンやってる」
「うーん、わかんない」
星一は顔が広いので、しょっちゅう一緒にいるはずの俺たちが知らない友人も多くいる。河原もその一人だ。俺は何度か会ったことがある。
「河原実?」
「そう、その河原」
どうやら、葉子も知っているらしい。難しい顔をしてそのまま考え込んでいる。何を考えているか、横顔だけでは分からない。
「エミリは、河原って分かる?」
「うん」
「いや、私はたぶん、会ったことないかも」
エミリは面識があるが、愛希は知らないそうだ。
「進は知ってるよね」
「うん」
河原を知っていることと、餅が消えたことに、何か関係があるのだろうか。
「あとは、そう。村田と河原って、面識ある?」
葉子の質問に、どんな意味があるのかさっぱり分からない。
「いや、たぶんないと思う。一緒に遊んだこともないし、紹介したこともない」
共通の知り合いである星一が答える。
「そっか」
「それで結局、あの餅はなんだったんだ」
星一がミラー越しに葉子に視線を向けて、質問する。
「あれは急に餅が出てきたんじゃなくて、乗った車が違ったの。私たち、サービスエリアに着くまでに乗ってた車と、違う車に乗ってる」
確かに駐車場には大量の車があったし、似たような車もあった。実際に車まで戻ろうとしたときに、少し迷いかけたが、しかしもし間違えたとしても、鍵が合うわけがない。
「じゃあ、星一の車はどこ行ったんだよ」
「ううん、今乗ってるのが星一の車」
「どういうこと?」
愛希が険しい表情で葉子に問いかける。少し怒っているようにも見えた。
「サービスエリアまで乗ってたのが、星一の車じゃなかったの」
「いやいや、だって俺の家から出発したんだぞ。いくらなんでも自分の家にある車を間違えたりしないよ」
星一が驚きつつ否定する。
「ううん、出発したときはちゃんと星一の車だった。でも途中で入れ替えられたの」
「入れ替えられたって、どこで」
「出発から車を離れたのは二回だけ、さっきのサービスエリアと、エミリの家」
「じゃあ、エミリの家に停めたときにも、車を間違えたってこと?」
愛希がぐるりと身体を後ろに向けて言う。ほとんど座席の背もたれに抱き着くような形だ。
「それはありえないでしょ」
「私も別に、うっかり間違えたなんて思ってない。車をエミリの家に停めたとき、荷物を全部移し替えられて、車も入れ替えられてたの」
荷物を全て移動して、ミラーにぶら下げたキーホルダーなど、目立つものも付け替えられてしまえば、車が入れ替わったことに気付かなくても不思議はない。そういえば、英美里の家から出てきたあと、シートが冷たくなっていた。あれも今思えばおかしな出来事だったのだ。しかし、いくらありふれた車種だといっても、俺たちが気づかないようなそっくりな車なんて、おいそれと準備できるものではない。
「でもさ、同じ車なんてどうやって用意するんだよ」
星一も俺と同じことを考えたようで、疑問を口にした。
「村田がいるじゃない」
しかし、葉子は即答した。星一と同じ車を持っている男がいる。今回の旅に参加する予定だったものの、急な用事で来れなくなった、村田英人だ。
「じゃあ、村田の用事って……」
「私たちに気付かれないように、車を入れ替えるのが、村田の用事」
「それで結局、車の入れ替えと、きなこ餅はどんな関係があるのさ」
これはもともと、突然現れて消えたきなこ餅の話だった。それが、いつの間にか車の入れ替えだとか、妙に大がかりな話になってしまって、結局あの餅の正体は分かっていない。
「あれは村田の。きっと村田は海老名で車を入れ替えるつもりだったんだと思う。東名を走るなら、海老名で休憩しないわけがない。それで朝早くから海老名サービスエリアで待ってたのよ。餅はそのときに買って食べた。でも、いつまで待っても私たちは来なかった。出発が一時間も遅れたから」
「あっ」
愛希が驚いたように声をあげる。
「だから村田は引き返して、私たちを追いかけた。そしたらチャンスがやってきたの。エミリの家に寄って、私たち全員が車から離れた。そのときに車を入れ替えて、急いで修理しに行ったのよ。荷物は全部入れ替えたけど、後部座席に置いておいたきなこ餅を忘れちゃった」
「それを、愛希が見つけたのか」
「で、星一が食べようとして、落とした、と」
「それは今言わなくてもいいだろ」
星一がぼやく。
「でもさ、たまたま誰もナンバーを見なかったから良かったけど、もし星一がナンバーを気にしてたら、それですぐばれるだろ」
「じゃあ進は、今乗ってる車のナンバー、覚えてる?」
「えっ」
どうにか思い出そうとするが、記憶のもやを掴むばかりで、明確な形にはならない。
「でも、星一は覚えてるだろ。自分の車なんだし」
俺の問いかけに、星一は首肯して答える。
「もし気づかれたら、それはそれで諦めたんじゃない? そもそも、気づく可能性が高いのは星一だけなんだから、車の乗り降りのときに、星一に話しかけて気を逸らせばいい」
「でもさ、鍵はどうするんだよ」
一番の問題だ。もし見た目がそっくりな車を用意したとしても、鍵がなければドアは開かないし、エンジンもかからない。
「それは大丈夫。だって、協力者がいるんだもの」
ついうっかり流してしまったが、そもそも星一の気を逸らすなんて簡単なことも、その場にいない村田にはできない。
「つまり、私たちの誰かが、村田に鍵を渡したってこと?」
「ええ。そもそも、出発が一時間遅れたのも、エミリの家に行くことも、私たちの誰かが教えない限り村田には分からないでしょ」
「でも、俺たちの後ろをずっとついてきたのかもしれないじゃん」
出発からずっと尾行されていたなら、出発が遅れようが、行き先が変更になろうと関係ない。尾行されている気配はなかったが、そもそも普段からそんなことを考えている人なんていないのだ。よっぽど目立つ車なら別だが、村田の乗っている地味な車種を、一日に何度見かけたって不思議には思わない。
「それだと、餅に説明がつかない」
しかし僕の指摘を、葉子は簡単にかわす。
「村田は予定通りの時間に出発して、海老名で先回りして待ってたのよ。それなのに、いつまでたっても来ないから、引き返してもっと手前で合流することにした。たまたまエミリの家に寄ることになったから、それを利用してまんまと車を入れ替えたの」
とんでもない話だが、葉子の口から語られると説得力があった。
「エミリの家に行ったとき、鍵ってどうしてたっけ?」
「運転してたんだから、葉子が持ってて、どうしたんだっけ」
「エミリの家の机の上に置いてたから、もし誰かが入れ替えても気づかなかったと思う」
葉子がなぜかつまらなそうに言う。いまさら後悔してもしかたないが、そのときによく見ておけば、犯人が分かったかもしれない。いや、そもそも葉子が鍵を机の上に置くとは限らなかったのだから、そのときはそのときで、鍵を借りる口実くらいは用意されていたと考えるべきだろう。
あのときは、全員が順番にトイレに行くために席を立った。どの程度かかったかは覚えていないが、急げばこっそり村田に鍵を渡しに行く時間くらいはあっただろう。あらかじめ用意しておいた村田の車のスペアキーを、隙を見て星一の車と入れ替えて、そのあとにトイレに行くふりをして村田に渡すだけだ。三分もあれば十分だろう。
「それで、協力者って、誰なんだよ」
車内の全員が固唾を飲んで葉子を見つめる。しかし、葉子は緊迫した空気も気にすることなく、しれっと、「さあ」と気の抜けた声で返す。
「さあって、なんだよ、それ」
「私たちの誰が犯人でもおかしくないし、これ以上は分からない」
当たり前のように言われるが、ここまできてそれはない。
「まあ、いいんじゃない。誰でも」
意外にも、そう発言したのは星一だった。
「そこはこだわろうよ! だって、君の車だよ?」
愛希が驚いたように、隣に座る星一の腕をつかむ。
「いやいや、運転中だから、危ないから。エミリ、愛希をとめろ」
「えっ、あ、わかった」
俺も愛希と同意見だが、推理だ犯人なんてのは、命があったうえでのことだ。たかがきなこ餅ひとつで、高速道路でクラッシュするのは馬鹿らしい。
車の持ち主である星一が流してしまったせいか、それ以上追及できる空気ではなくなってしまった。葉子もそれで納得しているようで、またじっと目をつむってしまっている。こうなると話しかけるのもためらわれた。愛希と英美里もいつの間にか、興味がガイドブックに戻っているし、何か新しい事実でも出てこない限り、この話を続けるのは難しそうだ。たとえば、犯人が判明するとか――
「いや、犯人なら分かるかもしれない」
つい、考えていたことが口をついて出た。
「おいおい進、考えたことをそのまま喋る癖は治した方がいいぞ。葉子の真似をしようったって、簡単にできるもんじゃないんだから」
星一が呆れたように言ってくる。
「うるさい。言葉にしないと、考えがまとまらないんだから、しかたないじゃんかよ」
「何度かそれでカンニングと間違えられてんだから、やめた方がいいよ」
英美里にまで言われてしまう。
「でも確かに進は喋りながらだといつもより頭が働くみたいだし、テストとかでも考えながら喋れたら、もっと点取れるかもね」
俺の味方は星一だけだ。
「でもさ、黙って考えられないって、結構馬鹿っぽいよね」
英美里も敵だ。
「とにかく、いくつかの条件で、犯人は絞れる」
実行犯は村田なので、正確には共犯者だ。
「ってかさ、村田に聞けばいいんじゃないの?」
愛希がとぼけたような声で言う。突然の提案に思考が停止してしまい、「へ?」と間抜けな声が出てしまった。
「だってもう、犯人は分かってるわけじゃん。だったらあとは村田に電話して、誰から鍵を受け取ったのか聞けば、それで解決じゃん」
「なるほど」
言われてみれば確かにその通りだ。俺は慌ててケータイを取り出して、村田に電話をかけようとした。
「あ、だめだ。俺、村田の連絡先知らない」
「なにやってんの。私がかけるからいい」
そう言って愛希はケータイを取り出し、村田に電話をかける。しばらく耳にあてて動かなかったが、やがて諦めたようで、ケータイを膝の上に置いた。
「だめ。つながんない」
「だって、村田も名古屋に向かってるわけだから、運転中でしょ」
星一が呆れたように言う。当たり前のことなのだが、言われるまで気付かなかった。しかし、村田に聞けば分かるというのも事実で、どうせ名古屋で合流するのなら、それまで待てばいい。
「でも、それは嫌だ」
「何が嫌なの?」
「ほら、また口に出てた」
英美里と愛希に立て続けに指摘される。車の入れ替えトリックなんて発想は、俺にはできなかったが、そこから先を引き継ぐくらいは、やれるはずなのだ。
「と、とにかく。犯人は分かるはずなんだよ」
「分かるはずって、まだ分かってないんだ」
愛希がなにやら言っているが、無視をして話を始める。いくつかの条件を照らし合わせていけば、犯人が分かる。
「まず最初に、車の持ち主である星一は除外できる。星一なら車の入れ替えなんてまどろっこしいことしなくても、普通に直せばいいんだから。いくら今日が旅行だからって、出発時間を遅らせて、修理が終わってから行けばいい。急ぐ旅でもないんだし、みんなもそれくらいで何か言ったりしないことは、分かってるでしょ」
「まあね」と星一は嬉しそうに、うなずいてくれた。まずひとり。
「次に、河原と面識のない愛希も除外できる。共犯者は昨日河原と一緒に出掛けてたんだから、知り合いじゃない愛希は共犯者じゃありえない」
「そもそも私が犯人なら、将軍餅を見つけても黙ってるって」と愛希が言う。確かにその通りだ。残り三人、ここまではいい感じだ。
「それから、免許を持っていない英美里も除外できる。犯人は車を壊した人なんだから、運転ができない人は条件に合わない」
「なんで? 車は河原が借りたんだから、河原が運転してたかもしれないじゃん」
「それだったら、車の入れ替えなんて起こってないんだ。河原が壊したなら、河原が直すべきで、何も今日、村田と共犯者が車の入れ替えなんてアクロバットなことを無理にしなくてもいい。河原は確かに無責任なやつだけど、助手席にただ座ってた人に全部押し付けるほど外道じゃない。村田はただ手を貸しただけだとしても、そもそも河原は村田と面識がないんだ。面識もない奴に手を貸すほど、村田もお人よしじゃない。だからやっぱり、車を運転していたのは河原じゃなくて、一緒に出掛けてた誰かだ」
これで五人中三人の可能性を潰せた。
「残ったのは、俺と葉子だ……あれ?」
「じゃあ葉子が犯人なの?」
星一が尋ねるが、葉子は何も言わない。黙って腕を組み、目をつぶっている。
「いや、葉子は犯人じゃない」
葉子が何も言わないのなら、俺がちゃんと否定しなければならない。
「犯人は英人に連絡を取ってるんだ。愛希が遅刻したことも、エミリの家に寄ることも、そのたびにメールをしたはずで、運転していた葉子に、ケータイは触れない。他の誰が犯人でも、葉子は共犯者足り得ない」
星一は犯行の動機がなかった。
愛希は河原と面識がない。
英美里は運転ができない。
葉子は村田に連絡ができなかった。
ということはつまり、残った一人が犯人のはずだ。
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