4 なんでって、ここ喫煙所だよ?


   4


「ううむ」

 唸ってみるが、さっぱり分からない。なぜこんなものがここにあるのだろう。葉子なら何か思いつくだろうか、と隣の席に視線を向けてみるが、じっと前を見つめたままで、その横顔からは何も読み取れない。

「まあ、なんでもいいじゃん」

 目をつむって考えこんでいたが、星一の声で思考を中断された。

「えっ、だって、不思議じゃないの?」

「いや、そりゃ不思議だけどさ、考えてもしょうがないし、とりあえず食べるのはやめて、置いておけばいいだろ」

 考えても分からないことは考えなくてもいい、という主張は納得いかないが理解はできる。他のメンバーの様子を伺ってみるが、女性陣は特に興味がないようで、「不思議だね」くらいのトーンで片付けて、次に何のお菓子を食べるかで盛り上がっている。

「そういえばさ、このトンネルって渋滞の名所らしいよ」

 短いトンネルを通過するときに、星一が言った。入る前から出口が見える長さなので、言い終わるかどうかのタイミングで通過してしまう。

 そのままいつも通りの雑談に話がうつってしまうが、ほとんど頭に入ってこなかった。あるはずのないものがある、という現象に興味を惹かれたのは俺だけのようだ。考えていることをすぐ口にするのは俺の悪い癖で、よく葉子に叱られるので、意識して黙考する。せっかくの楽しい旅行なのだ、邪魔しては悪い。そのまま目をつぶって出現した餅の謎について考えていると、どうやらいつの間にか寝てしまったらしく、葉子に起こされたときは、海老名サービスエリアに着いていた。

「ほら、もう着いたよ」

「うわっ、あれ、俺、いつから寝てた?」

「三十分前くらいから」

「えっ、そんなに」

 平日の昼間だというのに、駐車場は混んでいて、どうやら建物の近くにはとめられなかったらしい。何列もの車の向こう側に、海老名と書かれた看板を掲げた建物が見える。

 寝起きで慌てる俺を置いて、みんなはさっさと車から降りてしまう。エミリは愛希の手をひいて「ここっておいしいメロンパンあるんだって」とはしゃいでいる。かなり大きな駐車場なので、売店などの施設までは少し歩く。ぼんやりした頭も、歩いているうちに少しはっきりしてきた。ひとまず、トイレへとふらつく足取りで向かう。特に声をかけたわけではないが、星一もついてきた。

「集合時間とか場所とか決めてないけど、大丈夫かな」

 用を済ませて手を洗っていると、星一が不安そうに尋ねてきた。

「まあ、そんなに広いわけでもないし、大丈夫でしょ」

「そうだよね。とりあえず、二十分後に車のところに集合って決めとこうか。英美里たちに伝えてくるから、葉子はよろしく。たぶん、煙草吸ってるはずだから」

 星一は腕時計を見て時間を確認して、そのまま売店のある方向へと歩いて行ってしまった。俺は言われた通り喫煙所へ向かう。喫煙所はあとから造られたのか、建物の外側に配置されている。ガラス張りの引き戸を開けると、数人の利用者に混じって、葉子が眩しいものを見るような目つきで、煙草を吸っていた。

「ああ、やっぱりここにいた」

「ん」

 葉子は煙草を吸いつつ、顔だけこっちに向けて、短く声を出して返事をする。

「運転ありがとう。お疲れさま」

 声をかけながら、隣に座る。

「たしかにちょっと疲れた。慣れないことはするもんじゃないね」

 普段からあまり口数が多くないので、分かりにくいが、車中であまり会話に参加していなかったのは、やっぱり運転に集中していたからだろう。そろそろ交代の頃合いだ。他に運転できるのは俺か星一なので、次は俺の番だろう。

「進って煙草吸ったっけ?」

「え、いや、吸わないけど、俺まだ未成年だし。なんで?」

「なんでって、ここ喫煙所だよ?」

「あっ」

 あっ、じゃない。二年生なので、葉子はもう成人しているけど、俺は二月生まれなのでまだ十九歳だ。たしか星一も十二月生まれだったはずだが、浪人しているので、今回の旅行のメンバーで成人していないのは俺だけだった。未成年の喫煙者なんていくらでもいるだろうが、煙草を吸わないのに喫煙所にくる理由はない。

「いや、星一たちとはぐれちゃってさ、ここに来れば葉子はいるだろうと思って」

 嘘は言っていない。葉子は疑問に思わなかったのか、興味がないのか、ふうん、と言ったきり、遠くを見るような表情でぼんやりと外を眺めている。

「未成年でも、煙草は吸えるけどね」

 葉子がぽつりと呟く。返事を求めているようには思えなかったので、俺は何も答えずに、黙ってガラスの外を眺めていた。何分か経ってから、英美里と愛希を見つける。二人はいくつかお土産を買ったらしく、紙袋を持っていた。まだ昼食には少し早い時間だが、楽しそうに屋台に並んで、たい焼きを買っている。

「私だって、別に煙草が好きなわけじゃないんだ」

 笑いながら葉子が言う。なぜだか、少し哀しそうに聞こえた。

「あんな風にははしゃげないからさ。みんなといるのは好きだけど、少しずつ休憩が欲しいの。でも一人にしてくれなんて言うと、気を悪くするでしょ」

 何が言いたいのかよく分からない。葉子にとっても、喫煙所に来るのは口実でしかない、という意味だろうか。

「ごめんね、一人になりたいのに、邪魔しちゃって」

「そうじゃないでしょ。いいよ、そろそろ行こう」

「うん」

 せっかく愛希たちを見つけたのだから、ここで合流しておかないと、あとから探してもすぐに見つけられる保証はない。売店のある方へ歩きながら、ポケットに入れておいたレシートを出す。

「そういえばさ、ちょっと気になってるんだけど、葉子はどう思う?」

 さっきまでは運転中で、意見を聞けなかったが、きっと葉子なら何か思いついているはずだ。

「ちょっと見せて」

 レシートを受け取ると、目を細めてじっと見つめる。

「わかんない」

 短くそれだけ言うと、レシートを返してきた。

「餅も見てないし、これだけじゃ流石に何もわかんないか」

 流石に餅の箱を持って出歩くのは邪魔なので、車に置いてきてしまった。そろそろ運転も代わるだろうから、ここを出発してから見てもらえばいい。名古屋は遠い。暇つぶしにはちょうどいいだろう。

「じゃあ、私は愛希たちと合流するから、星一探してきて。十分後くらいに車に戻る」

 葉子は屋台の前にある椅子に座っている愛希たちのもとへ、俺は建物の中に入ってお土産売り場へ向かった。土産物屋に行くと、ちょうど星一が買い物をしている。見ると話題の将軍餅を買っているようだ。

「おう、進か。どうだった?」

「どうだったって、別に。十分後に車に戻って出発しようってさ。それより、買ったの? それ」

「うん、見てたら食べたくなってさ。愛希が気持ち悪いから食べるな、とか言うから、だったら自分で買えば文句ないだろ」

「次の休憩で昼飯にするはずだから、あんまり食べすぎるなよ」

 さきほど出したレシートを手に持ったままだった。星一がレシートに気付いたのか、表情を変える。

「進もやっぱりあの餅が気になったのか」

「うん。やっぱりあれはここで買ったんだね」

 星一が買ったものとレシートを見比べてみるが、違うのは会計時刻だけだ。

「あっ、これ会計担当者の欄も同じ名前だよ。ほら」

「本当だ。ねえ、ちょっとおばちゃん。このレシートなんだけど、これ買った人覚えてない?」

 エプロンをした店員の女性に話かけるが、反応は良くない。

「一日に何個も売れるしねえ。何時間も前に売ったものなんて、ちょっと覚えてないわ。ごめんなさいね」

「そうですよね。すみません変なこと聞いて。行こう」

 星一が俺の肩を叩く。そのまま二人で店を出て、駐車場へと戻る。

「あれ、車どこにとめたっけ」

 これだけ広いと、車もすぐには見つからない。辺りを見回しながら駐車場を歩いていると、「こっちこっち」と英美里が手を振っていた。隣には、サンマのキーホルダーのぶらさがった車がとまっている。「あれか」と呟いて、ふたりで駆け寄った。

「じゃあ、運転手交代ね」と愛希が言うと、「次は俺の番だな」と星一がエミリから鍵を受け取る。てっきり次は自分が運転するつもりだったのだが、星一が自分から運転すると言い出したなら、わざわざ反対することもない。助手席には愛希が早々に収まり、エミリは「後ろだと酔いやすい。あと狭い」と言って葉子と二人で二列目に座り、俺が三列目に収まることになった。

「はい、じゃあ、行くよ」

 滑るように車が動き出す。やはり普段から乗っているだけあって、星一の運転は安心感がある。

「あれ? これ、壊れてるんじゃない?」

 愛希がカーナビを操作しながら、星一の肩をつつく。

「目的地の設定が変わってるんだよ。エンジン切ったからからかな」

「いや、エンジン切っても、設定はそのままのはずなんだけど、おかしいな」

 ナビの画面を見ると、目的地を表す旗が、なぜか海老名サービスエリアに立っている。車を動かした途端、目的地に到着しました、という音声が流れた。

 このままサービスエリアを出てしまうと、車を止めることができなくなってしまうので、駐車場の隅に車を停めて、目的地を再設定する。

「よーし、改めて、しゅっぱーつ!」

 エミリが元気な声を出して、再び車が動き出す。サービスエリアからの合流もスムーズに終わり、無事に車の流れに乗った。愛希が名古屋のガイドブックを広げて、着いたら何を食べようかと、エミリと話し始める。

「味噌カツじゃないのかよ」という、俺の言葉は無視されて、二人はひつまぶしの写真に夢中だ。そもそも昼食すら済んでいないのに、夕食の話ができるのに驚く。葉子は慣れない運転で疲れたのか、目をじっと閉じているので、話しかけるのも憚られる。

「そういえばさ、餅はどこにやったのさ」

 運転している星一に話しかける。さっき見つけた謎の餅は、星一が袋にしまったはずだ。

「そこらへんに置いてない?」

「いや、ないけど」

 座席の上を見ても、荷物があるだけで餅の箱は見当たらない。目をつぶっている葉子を起こすわけにもいかないので、車内全部は探せていないが、餅を探す過程でさらにおかしなことに気付いた。

「なあ、星一が餅を落としたのって、ここら辺だよね」

 箱が見当たらないのはまだ、荷物に紛れていると考えられるけど、座席にこぼしたはずのきなこがなくなっているのは、どう考えても説明がつかない。

「まさか、本当に掃除機持ってきてて、掃除したとか、ないよね?」

「そんなわけないだろ」

「前見て運転してよ」

 星一が振り向いて否定して、愛希が驚いて注意する。

「大丈夫だよこれくらい。それより、粉がなくなってるの?」

「やっぱり、誰かが掃除したとかじゃないんだ」

「掃除する手間がはぶけたなあ」

 星一が嬉しそうに言う。愛希は何がそんなに不思議なのか理解していないのか、ガイドブックをめくっているし、エミリは興味がないのか、ケータイをいじっている。

 まず初めに、誰も買っていないはずの将軍餅が、車内に出現した。しかもその餅と一緒に、海老名サービスエリアのレシートが入っていたのだ。つまり、餅はそこにあるはずがないものなのである。そして次に、その餅が消えた。星一が食べようとして落として、シートにこぼしたはずの粉までもが消えていたのだ。

 問題があるわけではないが、あり得ないことが立て続けに起きている。

 不思議を不思議のままにしておくのは、気持ちが悪い。葉子なら何か思いつくかもしれない、と様子を伺うが、目をつむったまま動かない。自分で考えるしかないが、何が手がかりかも分からない。文字通り頭を抱えたまま、時間だけが過ぎていく。

 車がトンネルに入り、星一がライトのスイッチを入れた途端に、葉子が目を開けて、呟いた。

「私たちが乗っていたのは、星一の車じゃなかったんだ」

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