3 俺これ好きなんだよね
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葉子が鍵をひねって、軽快な音と共にエンジンがかかる。
「じゃあ、行くよ」
「はーい、ご迷惑おかけしました」
「れっつごー!」
車は再び高速道路を目指して走り出した。
「あ、ナビついてないや。エミリの家行くときなんかいじったっけ。進、これどっち行けばいいの?」
一度エンジンを切ったせいなのか、ナビの目的地がリセットされてしまったようだ。
「とりあえずそのまま直進。走行中は操作できないし、次の信号で設定するから、ちょっと待って」
ひとまず地図を見つつ、案内をする。一度の停車時間だけでは足りず、結局ナビを設定できたのは、三回目の赤信号だった。
「良かったじゃん進、役に立って」
後ろから愛希がからかってくるが、「はいはい、ありがとう」とあしらう。さっき来た道を戻るだけなので、迷うことなく高速の入り口まで戻れた。
「ねえ、これって誰が持ってきたやつ? 食べていい?」
愛希がはしゃいだ声を出して、呼びかける。好きなお菓子でも見つけたのだろう。
「なにこれ?」
「お、将軍餅じゃん。俺これ好きなんだよね」
後ろを向くと、星一がビニール袋から出したお菓子の箱を持って中身を取り出そうとしている。将軍餅とは、山梨で売られている有名なきなこ餅で、定番の土産物として人気がある。すでに開封されているようで、包装紙が破れていた。大きめの巾着の中に風呂敷に包まれた容器が入っている。
「四つしか入ってないから、じゃんけんかな」
「私はいらない」
ハンドルを握ったまま、葉子が正面を見たまま言う。
「じゃあひとり一つ」
「あれ、でもそれって四つ入りでしょ? だったらもう食べた人がいるんじゃない?」
最初はぐー、と拳をあげた星一を、愛希が止める。
「いや、そもそも、それ、誰のなのさ? だって将軍きなこ餅って、山梨のお菓子でしょ?」
俺がそう言うと、葉子以外の全員が一斉に餅の箱に視線を向けた。みんな不思議なものを見る目で、箱を見つめている。
「えっ、じゃあ、これ、誰のでもないの?」
それはさすがに気味が悪くて食べられない。星一が「エミリは?」「葉子は?」と改めて一人一人に確認するが、やはり持ち主は分からない。星一が箱を抱えたまま、どうしていいか困ってしまっている。
「それで、これ、食べていいの?」
「いや、そういう問題じゃないだろ」
「とりあえず、賞味期限はまだ先みたいだけど……」
「とにかく、今は食べちゃダメ!」
星一が叱られ、愛希の手に箱が移る。
「星一の親が買って、置きっぱなしってことはないの?」
「いや、ここしばらくこの車は使ってないはずだから、たぶん違うと思う」
「これの賞味期限って、そんなに長くないよね?」
「餅だし、一か月は持たないでしょ。二週間くらいじゃない?」
「じゃあ、やっぱり誰かが持ってきたんじゃないの」
「だから、誰が?」
問いかけるものの、車内は再び沈黙する。
「最近この車使ったのって、いつ?」
「俺が使ったのは三日くらい前に買い物行くときだけど、昨日河原に貸したから、もしかしたら河原のかも」
河原というのは、星一の友人で、俺も何度か会ったことがある。
「ああ、なんだ、じゃあこれ、その友達のなのね」
愛希が安堵したのか息を吐く。すると星一が嬉しそうに、「じゃあ、食べても大丈夫だな」と、箱から風呂敷を取り出して、包みを開いた。愛希が制止しようと手を伸ばしたが、星一が開ける方が早く、叩き落とす形になってしまう。
「あっ」
助手席からだと座席の陰になって見えないが、どうやら座席に落としてしまったようだ。将軍餅はきなこがまぶされているので、落とすと悲惨なことになる。残念ながら旅行の荷物に掃除機を持ってきた人はいないので、きれいに掃除することはできない。
「ごめん」
「ああ、いいよいいよ。帰ったら掃除するから」
そもそも、お土産として販売されているのだから、揺れる車内で食べるようなお菓子ではなかったのだ。
「もう、お菓子なら持ってきてるから、こっちを食べなよ」
英美里が大きな荷物から、ごそごそとビニール袋を取り出した。いくつかのスナック菓子が入ったそれを、後ろの席に放ると、英美里はえへへと笑う。
「でも、いま食べたらお昼ご飯入らなくなっちゃうかもね」
「次のサービスエリアは海老名か。お昼にはまだちょっと早いかもね」
地図を見つつ、おおまかな時間を予測する。とはいえ、休憩はした方がいいだろう。海老名はサービスエリアの中でもかなり大きい方だし、いくつか名物などもあったはずなので、それだけでも楽しめる。
「ん、名物?」
「どしたの、進?」
「いやさ、将軍餅って名物でしょ」
「名物っていうか、銘菓だね」
葉子に小さな声で訂正された。
「これさ、普通にコンビニとかには売ってないでしょ。デパートとか、大きな駅とかじゃないと買えない。さっきエミリが出したコンビニ袋とは違う」
「どういうことさ、進がわけ分からないこと言うのはいつものことだけど、今日はいつもより分かりにくい」
「将軍餅がここにあるのは、おかしいんだよ。だって普通、学生が旅行で食べるお菓子に、銘菓は持ってこないでしょ」
事実、ここにいる誰も餅なんて買っていないのだ。
「もし、それを持ってきた人がいるなら、わざわざ昨日のうちに、デパ地下かどこかで買ってきたことになる」
「いや、それはないと思う。袋にレシートが入ってた」
星一が紙を取り出して、広げてみせる。距離があるので、文字は読み取れないが、星一が説明してくれた。
「これ、日付が今日だ。ってか、買ったの、海老名サービスエリアの売店みたいだよ」
「えっ」
「じゃあ、これ、なんでここにあるの?」
英美里が大きな目をさらに丸くして、驚いた声を出す。星一もレシートを読んだだけなので、それ以上のことは分からず、首を捻っている。
「河原が買って忘れてったってのならまだ分かるけど、これ日付が今日で、時間は一時間くらい前なんだよ」
「じゃあ、ちょうど私たちが集合したあとくらいじゃない」
いったいどういうことだ。誰も買った覚えのないお菓子があるだけでも不思議なのに、誰にも買えたはずがない、と分かって不思議どころか、少し不気味にさえ感じてきた。
「ちょっと貸して」
座席から身を乗り出して、箱とレシートを受け取る。目の前でじっくりと見てみるが、箱に不審な点は見当たらず、レシートも星一の言う通りだった。もしかしたら見間違いで、実は去年のレシートだったりしないかと思っていたのだが、間違いなく、日付は今日のものだった。
タイムスリップでもしていないかぎり、この餅はここにあってはいけないのだ。
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