アナグラム

 花火は打ち上がらなかった。

 夜の地面近くで光って、消えた。幸いにも怪我人はいない。

 現場に駆け付けた巡査が、後ろ手に縛られた人物を発見する。

 近くには、何かの書かれた紙が落ちていた。


 年配の男性がサングラスを着用した。机に手を置く。

 椅子から立ち上がり、窓のほうを向いた。ブラインドを指で開いて、顔を近づける。

「来たか」

 朝日に照らされるフラフラした青年と、近寄っていく刑事の姿があった。スーツを着ている。

 二階から眺めている男性。制服には、シワひとつない。

「ボス。壊れるので指で開かないように、って、言いましたよね?」

「ごめんなさい」

 女性警察官のひきつった笑顔を見て、ボスは謝った。サングラスは外されている。

「能力の高い人に変な人が多いのは、なぜかしら」

 小言は、署長の耳には届かなかった。


「さっそく現場に行きましょうか」

 言ったあと、ヨレヨレの服を着た青年はあくびした。ボサボサの頭をかく。

「警視。そのあいだ、解読してほしいものが。これっす」

 若い刑事が紙を手渡した。警視と呼ばれた青年が、メモを眺める。少しだけ目を細めた。

 [アキフカシ となりはなにを くうひとぞ]

 現場に落ちていた紙の複製だった。二人は車に乗り込んで、シートベルトを着用する。

「入門編ですね」

「もう解決っすか?」

「明らかに、おかしい。ところで、参考人は?」

 勤務時間以外で推理をしない警視は、事件の概要すら知らなかった。署長を務められる立場でありながら、現場に出る変わり者。

 いい意味でも悪い意味でも注目される、事件解決の切り札。

「――で、絶対に裏がある! と、渋い顔のボスが警視を呼んだ、ってわけっすよ」

 自動車を運転する刑事。物真似を交えつつ、長話を終えた。

 助手席の警視がつぶやく。

「はなにひとなり とうぞくを」

「それは? っと、現着」

 海岸沿いの倉庫近くで車は停まった。規制線を抜けて、敷地内へ入っていく。


 建物は無事。花火は、倉庫を燃やすことはなかった。

「泥棒の仲間割れ、というわけではなさそうですね」

 倉庫内は荒らされていない。保管されている花火も、失われたのは一つだけ。

 中に制服姿の警察官は少ない。多くの者は外を調べていた。

 床に転がった金庫は、鍵が閉まったまま。そちらを向いた警視が微笑む。視線の先に、少女がいた。

「ということは、どういうことっすか?」

 若い刑事が尋ねた。少女を気にする様子はない。

「メモの言葉を並び替えて、意味のありそうな言葉が、花に火となり盗賊を」

「アナグラム。あ、最初が倉庫名」

「あえてこの文章にしているのなら、おそらく――」

「失礼します!」

 警視が続きを話す前に、巡査が割って入った。走ってきて、息を切らす。

 同じようなメモが残された、別の事件の発生が伝えられた。


 刑事の連絡で、参考人の男にアナグラムが伝えられる。

 金庫の金を盗もうとしたと言って、男は頭を下げた。

 だが、そのほかについては、口を閉ざしたまま。

 倉庫で縛られるに至った経緯を、知ることはできなかった。


「助けてくれ!」

 橋の下。吊り下げられている男性が声を荒げて、身体が揺れた。

 周りの警察官は、のんびりと写真を撮るのみ。東からの日差しは届かない。

「規則なので、撮影が終わるまでお待ちください」

 服が汚れるのも構わず座り込んだ警視は、くつろいでいた。

 手持ちぶさたな刑事は、腕立て伏せをしていた。スーツの上からでも分かる、分厚い筋肉。

 和やかさと緊迫感が入り混じった現場の撮影が終わる。

 [しからばさらば とおいくにより]

 見つかったメモ。

 透明な袋に入れられたそれを、手袋をはめた警視が見ていた。

「しらとお?」

 つぶやいた青年は、ボサボサの頭をかいた。眉をひそめている。

「暴力を振るった。認めるから、早く下ろしてくれ!」

 取り調べの前に自供した男性が、地面に下ろされる。多くの目がそちらを向く中、警視は川を見下ろす。

 ヨレヨレの服の青年は、川の中州に立つ人物を見ていた。

 横から刑事が近付いてくる。

「男乕氏」

「オトラシ? 人名ですか」

 少女から視線を外して、警視は隣を向いた。若い刑事が自信満々に話す。

「しらとお、っすよね? このくらい、僕にだって」

「よりばかに さいく おとらし から」


 男乕という、警察の警戒している人物がいた。

 氏の置かれた状況は限りなく黒に近い。しかし、用心深い人物らしく物的証拠はない。

「うちで監視してるので、大丈夫だと思うんすけど」

 報告に戻る刑事を見送りもせず、警視は駅の中へ歩いていく。

「列車での移動は、ないと思っていましたよ」

 疲れた表情で、ヨレヨレの服を揺らした。


 列車を降りると、渓流があった。

 木漏れ日の向きが真上からになるには、まだ時間がある。

 色付いた木の葉に彩られた細道。警視は、汗をぬぐいながら歩く。

「こんな場所を好きこのむなど、理解できませんね」

 道の近くへ座り込む青年に、四角い手ふき布が差し出された。

 綺麗な手。つややかな長い髪をした、妙齢の女性が微笑んでいる。

「大丈夫かしら?」

「ありがとうございます」

 苦笑いをしながら受け取った青年。汗が拭かれる前に、二人は同じ方向を見た。

 川の中にある大きな岩の上に、少女が立っていた。

「真実が見えるというのに、もったいないですね」

「やっぱり、どんな事件でも解決する天才にも、見えるのね」

「私のことは公開していないはず。彼女の力ですか」

「彼女はきっかけを与えるだけ。アナグラムを解いたのが、あなたのように」

 警視は微笑んで、悲しそうな顔になった。

「別の出会いかたをしていれば、いい話し相手になれたと思います」

「事件の解決が遅すぎるのよ」

「そうですね。忙しいです。ぜひ、力を貸してほしかった。むしろ、いまからでも」

「遠慮するわ」

「ちゅうこくはしましたよ……」

 何かを言いかけてやめた警視は、手ふき布をポケットにしまう。歩いていった。

「ま? まさか」

 つぶやいた女性が辺りを見渡す。男乕氏の別荘近くには、あちこちに警察官の姿があった。


「監視カメラの映像を確認させてください」

 警視は、男乕氏の別荘へ入った。別荘の周辺、いたるところに設置されているカメラ。映像には女性が映っていた。

 男乕が狙われている。そう口走った女性の身柄が確保された。

 一般人が知り得ない情報だということが決め手となる。

「よこくは しゅうち した ま……。間もなく捜査?」

「いえ、別に。思いつかなかったもので」

 後部座席の女性と警視は、和やかに雑談していた。

 運転席の刑事は、黙って自動車を走らせている。全員、シートベルトを装着済み。

「焦っちゃったわ、わたし」

「問題を作るのは苦手です。列車と同じくらいに」

 日は高くなっている。警視のお腹が鳴った。

 刑事が柔らかい口調で言う。

「お昼、決めてるんすか?」

「巻きたい寿司、真北の二階」

「アナグラム」

 妙齢の女性がつぶやいた。車は北へ走り続ける。

 男乕氏が物的証拠を突き付けられたのは、翌日のことだった。

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