第11話 飛ぶということ
崩壊は唐突にやってくる。だが日々は容赦無く、続く。
当然ながら、俺は事件のために志望校への推薦を取り下げられた。俺にはどうでも良いことだったが、母さんが真っ青になって、真夜中にこっそりと父さんに電話かけていたのには、ちょっと胸が痛んだ。タイミング悪く飲酒の件もバレてしまって(現行犯だった)、本当に散々だった。「受験のストレス」、「ノイローゼ」、「不眠症」。学校でも、家でも、俺への解釈は妥当を極めた。
当の俺は、二階の自室で、取り留めもなく色んなことを考えていた。分厚い遮光カーテンをピタリと閉め切って、ベッドの上に屍のように転がって、照明のほの白い素っ気ない灯を眺めながら、日々当て所なく悶々としていた。自分のやったことの是非を考えるよりも、自分の存在自体が、むしろ世界全体が、嘘みたいに思えて仕方なかった。
俺は推薦の要らない都心の高校に滑り込んだ。ゾンビみたいな時間は、そのまま高校卒業まで続いた。俺は永遠に晴れそうも無い靄の中を、心だけでさまよっていた。
染み付いた汗の匂い。埃っぽいシーツの擦れる音。静けさの中にキィンと響く、耳鳴りの痛み。カーテンの隙間から差し込む光の無機質さ、美しさ、つまらなさ。机上に無造作に積まれた英語のテキスト。本棚の片隅に縮こまる、枯葉のような色をした詩集。くたびれた床の木目。染み一つ無い、真っ白なカレンダー。四角い部屋の扉。生温くて重たい、俺の身体。
高校に行く時間も、長い夢の中を歩いているような気分だった。馬鹿なりによく躾けられた身体が、心を差し置いて勝手に、意外な程上手に動いてくれたから、表面上は何の問題も無く通えたのだけれど。
ヤガミはあれからすぐに引っ越していった。幸い重傷には至らなかったらしい。人づてに、横浜の親戚の家に行ったとか聞いた。親戚なんていたのかと訝しんだものの、俺には尋ねる義理なんてある訳も無かった。
話そうと思えば、機会は作れたと思う。けれど、そんな気分には到底なれなかった。今もそうだ。携帯のアドレスに残ったアイツの名前を見る度に、俺は否応無しに、十五歳の冬に引き戻されてしまう。灰色の刃が過去の陽をギラリと照り返し、長く伸びた影から低い声が聞こえてくる。「お前は、何がしたいんだ?」大人になれない俺は、急いで今へと逃げ帰る。
密かな相棒だった俺のカッターは、事件の後、いつの間にかどこかに捨てられてしまっていた。来るべき別れの時が来たのだと、俺は自分に言い聞かせた。新しいカッターは必要無い。相棒は最後に、俺の代わりに「詩」を語って砕けた。それで十分だと。
俺は相変わらず折り紙を折っている。近頃は専ら、紙飛行機ばかりだ。シミュレーションで華麗に墜ちて以来、俺はかえって「飛ぶ」ということに興味を抱いていた。戦うのではなく、ただ、柔らかく、美しく飛んでみたい。願わくば風に乗って…………見えないほど遠くまで。
だが、紙飛行機ってのも、中々ままならない。重心がズレてひっくり返ったり、突風に煽られてあえなく押し戻されたり。丁寧に調整してやらなければ、すぐに臍を曲げたり。自由に、いつだって綺麗に飛べるヤツなんて滅多にいなかった。おまけに、落ちて飛び方を覚えるもんだから、傷の無いヤツもいない。
俺は日夜、改良を重ねながら、明日はもっと滑らかにと、静かに夢を見る。
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