第12話 旅立ちの夜

 「詩」の世界は、相も変わらず穏やかで、伸びやかだ。年々拡がり続ける空白のせいで、昔よりかはだいぶ物寂しい風が吹いてはいるけれど。


 俺は月が昇ると、部屋の照明を落として、月明かりだけを頼りに本を開く。時間も空間も超えた世界に、夜な夜な出掛けていく。傍らには明日飛ばす予定の紙飛行機。良い酒が欲しくなるのは自然のことだ。特に、眠りとの綾目もつかないぐらい深く、甘ったるく酔いたい日には、必ず要る。


 …………俺たちは赤ん坊のように、言葉を知らなかった。言葉の無い人間は、ラベルの無い酒と同じだ。その身を呈する以外に、何も伝えることができない。伝えるものを持たない。あれ以上の誠実が、どうしてあり得ただろう?


 「詩」が、あの日の夕焼けと、揮発したアルコールと一緒になって混じり合い、透明な音楽となって夜へ昇っていくと、やがて汽車が迎えに来る。俺は旅に出る。誰かが俺を呼んでいる、そんな儚い幻を追って。


 満月がしっとりと浮かんだ、一際美しい宵。俺は十五の日以来、ほとんど締め切りにしていたカーテンを開け放った。ついでに思い切って窓も開いた。澄んだ晩秋の風がひんやりと身体に沁みこんできて、奇妙に昂った。


 俺は読みさしの詩集を置き、月に見惚れた。紫紺色のたなびく雲が、ゆっくりと月を覆っていく。


 俺は…………もし自分が、大切なものを預けて旅に出なければならないとしたら、きっとアイツに託して旅に出るんだと思っていた。アイツは血が滲むぐらいに不器用だったけれど、同じだけ、正直なヤツだった。アイツなら、俺の大切なものの魂をわかってくれると信じていた。


 俺は月の光に、まだ空を知らない無垢な紙飛行機をかざした。

 声無き者の、せめてもの「詩」。


(了)

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