第2話 おふれ
昼を過ぎたころ、城の兵士がリヤカーを引いてやってきました。春の泉食堂のドアを開けるなり告げた言葉は――
「さあ、スケラの実を全て出せ!」
――でした。もうあちこちで同じことをしてきたみたいで、リヤカーにはスケラの実がたくさん積んであります。
レインはいらついた様子で、マーシュは気落ちした様子で、スケラの実をリヤカーに運びます。市場で仕入れた分も庭で取れた分もです。
「うちで売りにしてるものの一つだったのに……」
マーシュがつぶやくと、兵士がギロリ!
「文句があるのか! スケラの実は全て陛下たちのお食事となる!」
「そ、そうですか……」
マーシュは運ぶ手をあわてて早めました。兵士はなおも怒鳴ってきます。
「ここも庭にスケラの木があるんじゃないのか? まだ取っていない実も出せ!」
「え……い、いえ、はい」
マーシュが戸惑うのも当然。スケラの実は大事な食材です。この食堂だけじゃなく、他の店でも普通の家庭でも同じ。そんなのを取られたら困ります。
何ヶ月も前から、レウグネルダ王はときどき変なおふれを出します。「税金を上げる」とかなら普通ですが、「夏場に厚着をしろ」なんてのもありました。そして今回は「スケラの実を全て渡せ。お前たちが食べてはならない」です。あまりにも訳がわからないので、ただの嫌がらせでやっているんじゃないかといわれることもあります。
逆らうことはできません。ちょっと前、「楽器の演奏を禁ずる」というおふれが出て従わなかった人が牢屋に入れられました。だからリーフもレインもマーシュも、嫌々ながらスケラの実をリヤカーへ運びます。兵士の方も面白みのない仕事と思っているのか、機械的に実行するだけ。
そうしていると、アクアがマーシュのズボンをくいくいと引きました。
「どうしてこんなことするの?」
「こういう決まりだからだ。実は全部レウグネルダ王たちが食べるんだ」
「こんなにたくさんたべきれるわけないよ。ひとりじめにされたら、みんなこまるし!」
アクアは腰に手を当てて兵士を見上げます。兵士がまた視線を鋭くして、マーシュは青ざめました。
「す、すいません! 後でいいきかせておきますんで!」
そのうち運び出しが終わって、リヤカーは食堂の前から動きました。でも、すぐ隣の家で止まりました。スケラの実はどこの家にもあるので、一軒ずつ回っているみたいです。
街路に出たマーシュは、兵士がお隣さんの家へ上がるところを見ながらため息。
「あー……どうしよ……げふっ!」
せき込んだのは、レインがマーシュの背中を叩いたから。
「そんなもん、メニューを工夫すればいいだろ!」
アクアまでマーシュに「だいじょうぶだって!」といっています。リーフはそれを見て苦笑いしました。
(大丈夫……だよね?)
正直にいうと、心配でした。今回のおふれは食べ物を扱う店にとって大ダメージです。
マーシュががっくり来たまま食堂に戻って、レインとアクアははげましながらついていきます。リーフは最後に続いて、立ち止まりました。
ミントが食堂の奧でリーフたちを見ていました。おりこうにお座りして、出会ったときのはしゃいだ感じとは違います。まるで、リーフたちを冷静に観察しているよう。
メニューを工夫すればいい。レインはそういいましたが、穴を埋めることは難しかったのです。
あるのが当たり前の食材なので、どんな料理にも少しずつ入ります。シチューにもコロッケにもハンバーグにも、ちょっとした付け合わせにも。
マーシュとレインは代わりの食材を使い始めましたが、元のままにはなりません。食べたお客さんが変な顔になるところを、リーフは何度も目にしました。
他の店でも普通の家庭でもこんな調子。食事の後でつぶやくことは「スケラの実があればいいのに」です。たかがスケラの実。されどスケラの実。調子が狂って不機嫌になる人もいたくらいです。
「何とかならないのかな……」
昼のご飯どきが過ぎた後、リーフは庭で枯れ葉を集めてたき火していました。そばにあるスケラの木を見上げて、ため息を一つ。
「木はあるのに実を食べられないなんて」
兵士はときどきリヤカーを引いてやってきます。スケラの木があれば実は次々なるからです。しかも、まだ食べられないような実までもいでいきます。「レウグネルダ王たちの食事になる」という言葉とは食い違っています。
(まだ四日目だけど、お客さんが減ってきてるような)
そう考えると、やっぱり不安になります。
リーフは自然とペンダントに触れていました。中も見ます。
(マーシュたちを助けてあげたい。父さんや母さんならどうする?)
「リーフ、どうしたの?」
アクアが庭に現れました。ミントも一緒です。
店の入り口に「迷い犬を預かっています」とはり紙をしてあります。でも飼い主が出てくる様子はなくて、アクアとミントはすっかり仲よし。いつも一緒に遊んでいます。ミントよりアクアの方が楽しんでいる、というかミントがアクアに付き合って遊んでいるようにも見えます。
ミントはレインにもなついています。レインが元飼い主で扱い方に慣れているからでしょうか。マーシュにも近づくことがありますが、距離を開けていることがほとんど。リーフに対しては相変わらずで、ときどきじっと見つめてきます。
今は違いました。ミントは短い足でリーフに走って、初めて会ったときみたいに飛びついてきたのです。
「また……?」
リーフは数日ぶりのことにあわててしまいました。ミントはペロペロなめてきます。リーフを? 違います。リーフが持っているペンダントをです。あのときはなめたところにたまたまペンダントがあっただけとリーフは思いましたが、そうじゃなかったのかもしれません。
リーフはとっさにペンダントを閉じましたが、服の中にしまうのは間に合いませんでした。このままだとまたよだれまみれです。
ミントはいつまでもなめ続けようなんてしませんでした。リーフから離れて、前足を動かし始めました。首すじから鼻先までかくような仕草。
(何をしてるんだろう。かゆいとか?)
リーフが考えているうちにミントは前足を止めて、駆け出しました。スケラの木のそばまで行って、穴を掘り始めます。アクアはわくわくした様子で眺めていました。
「たからものがでてくるの?」
そんなのが埋まっているなんて話、リーフはマーシュたちから聞いたことありませんが。
「レインがいってたじゃないか。犬は自分の好きなものを穴に埋めて隠すって。自分で埋めたものを取り出すつもりなのかも」
口々にいっていると、ミントはできあがった穴に頭を突っ込みました。ガリガリと音をさせ始めます。硬いものをかじっているみたいです。
そうたたないうちにベキッと音がして、ミントは細長いものを取り出した。
「根っこ? スケラの木の?」
リーフたちがおどろいていると、ミントは根っこをくわえて持ってきました。でもリーフに渡すのではなく、リーフのそばにあったたき火へ放り込みました。
「きっとリーフのマネをしたんだよ。かしこいね!」
アクアはミントの頭をなでましたが、マネをするなら枯れ葉や枯れ木を入れるんじゃないでしょうか。わざわざ根っこを掘り起こすなんておかしいです。
リーフが考えているうちに、アクアが鼻をひくつかせました。
「いいにおいしない?」
「そういえば……」
甘いにおいがします。どこからなのかリーフはたどって、たき火の中からだと気づきました。
さっきまでこんなにおいはありませんでした。それと、このにおいには覚えがあります。当たり前にかいでいたのに、ここのところなかったもの。
「もしかして!」
リーフはクシをたき火に突っ込みました。さっきの根っこを取り出して鼻に近づけると、甘いにおいをより強く感じました。
「やっぱりここからだ!」
リーフは急いで根っこを食堂に持っていきました。レインもマーシュも暇そうにしていましたが、目の色を変えました。
「どうしてスケラの実を焼いたときのにおいがするんだ?」
「これだよ!」
さっそく根っこを差し出しました。マーシュはあわててつかもうとして熱がりましたが、すぐに布で根っこをつかみました。半分に折ると、においが増します。
「ちょいと、一口」
マーシュは、土を落としてかじるなりおどろきでいっぱいの顔になりました。
「スケラの実と同じ味……いや、こっちの方が強い甘さだ!」
レインもアクアも、そしてリーフもかじってみました。マーシュからいわれたとおりの味が口の中に広がります。
「リーフ、こいつをどこで?」
「ミントがスケラの木の根っこを掘り返して、たき火に入れたんだ。そしたら……!」
「根っこなんて、俺たちはどうしてそこまで単純なことに気づかなかったんだ。実がうますぎるせいか?」
「そんなこといってられないよ、あんた!」
レインがマーシュを庭に引っ張っていきました。ミントはキャンキャン鳴きながら見送ります。
「ミント、お手柄!」
アクアからなでられたミントが喜んでいると、リーフにもわかりました。
次の日、春の泉食堂に新メニューが出ました。
根っこは細いので、実と同じ形に切って食べることはできません。でもすりつぶして小麦粉と練り合わせれば、実と同じような味や食感になります。たくさん採れば木が枯れてしまいますが、味が濃いから少なめでも十分です。
二日目にはお客さんがかなり増えました。どのお客さんも「これが食べたかったんだ」と喜びました。
みんなスケラの実が食べられなくて困っていたので、マーシュとレインは惜しげもなくレシピを教えてあげました。根っこを使った料理が国中へ広まるまでには一週間もかかりませんでした。
相変わらず兵士は来て、新しくできたスケラの実を持っていきます。おふれには「実を渡せ」と書いてありますが「根っこを渡せ」とは書いていないので、町の人たちは根っこを差し出したりしませんでした。
根っこがおいしいという話は城にも伝わったみたいで、食べたがる兵士もいました。町の人はそういうのに会うと決まってこう返しました。「お城の偉い方々には根っこなんかあげられません」と。
◆ ◆ ◆
根っこの料理がなじんだころ、ミントの飼い主を名乗る人が春の泉食堂に現れました。でもミントがちっとも近づいていかないので、偽物とわかりました。金の首輪がお金になると思ったみたいです。
それは追い返して終わりでしたが、もっと大きな問題がリーフたちをおそいました。
リーフたちは朝早くから城門前の広場に来ていました。リーフたちだけじゃありません。町の人全員がいるので、すごく混雑しています。
やることは単純。城に向かって手を合わせてお祈りするだけ。本当にそれだけ。新しいおふれが出たからです。
「民は王への感謝が足りない」「皆、早朝に城のそばまで来て祈りをささげよ」だとか。病人やケガ人もです。
問題はもう一つあります。お祈りはすぐ済むからまだいいとしても、ちゃんと来た証明をするのは大変です。兵士が持っている名簿に印を付けてもらうのです。
国中の人が来るのに割り振られている兵士は少ないので、長々と並んで順番待ちしないといけません。今のリーフたちもかなり待たされています。
始まってからまだ三日目ですが、どんなふうに思われているかは周りの人のいらついた顔を見れば見当が付きます。アクアもほっぺたをふくらませていました。
「もう、どうしてこんなことしないといけないの!」
「お、おい、決まりだから仕方ないだろ」
マーシュは兵士に聞かれなかったか心配して、辺りをしきりに見渡しました。すごい人ごみの中にいるので、一人一人の様子なんか見えるわけないですが。
「お、レウグネルダ王とメラーナ姫」
城のバルコニーにきれいな服を着た二人がいます。
冠をかぶった方は胸を反らした老人で、ニヤニヤしながら町の人たちを見下ろしています。もう一人は十代半ばの女の人で、朝だというのに肩を落としてつらそうなまなざしを人々に送っています。この状況をレウグネルダ王は面白がっていて、メラーナ姫は悲しんでいる――噂どおりの様子です。
二人ともすぐ城の中に引っ込んでいきましたが、レインは鼻で笑っていました。
「レウグネルダ王はのんびり屋で、朝はいろいろいそがしいって知らないんじゃないかい?」
「お前まで……」
ぼやいているのはレインだけじゃありません。レウグネルダ王は何を考えているのか、やっぱり嫌がらせをして楽しんでいるだけだ、メラーナ姫まで悲しませている……少しとはいえ二人が姿を見せたことで、そんなささやきが辺りで増えました。この調子だとレウグネルダ王は感謝どころかどんどん嫌われてしまいます。
「ほ、ほれ、こいつもお前らが怒ってると心配するぞ」
マーシュは普段構わないミントを引き合いに出しました。昨日までは家に置いてきましたが、今日はアクアがここへ来るのを嫌がったので犬の散歩をするように連れてきたのです。金の首輪に綱を結びつけてあります。
ミントは黙っていました。リーフたちを、そして集められた人たちを見渡して、最後に城を眺めます。
(犬には表情があるって、元々犬の飼い主だったレインがいってたっけ)
リーフはそう思い出しました。でもミントはただ心配している雰囲気じゃありません。緑色の瞳の奧に犬らしからぬ不思議なものを映しているようでもありました。
朝の用事が増えると一日の予定が狂うこともあります。ただし今日は春の泉食堂が週に一度のお休みなので、リーフたちは楽な方です。昼を過ぎたころ、リーフはアクアにねだられて本を読んであげていました。
「悪魔は人々に呪いをかけて苦しめました。呪われた人は木に変えられて、他の生き物からかじられてしまいます」
今日読んでいるのは、スケイリアに昔から伝わっているおとぎ話です。
「『かじられるなんて嫌だ。いっそ燃やしてくれ』木に変えられた人が泣いて頼むと、悪魔は笑いながらこう答えます。『呪われたものが苦しむところはいつ見てもゆかいだ。殺したりするものか』」
アクアはわくわくした顔。この先の展開を何度も聞いているからです。
「金色の守り竜はそんな悪魔を許しませんでした。『私の守るべきものをいたぶるのなら、灰に変えてやる』悪魔は守り竜が吐き出した炎でしっぽを半分燃やされてしまいました」
リーフはスケイリアのおとぎ話を全然知りませんでしたが、アクアに本を読んであげたので今はいくつか覚えています。
「悪魔は逃げながら守り竜に叫びました。『覚えておけ。次こそ人間たちをもっと苦しめてやる』守り竜も怒鳴ります。『お前こそ覚えておけ。次はしっぽだけですまさん』木に変えられた人はみんな元に戻って、町や森に平和が戻りましたとさ。めでたしめでたし」
「よかったねぇ」
アクアがニコニコしていて、リーフは大きくうなずきました。
「うん、よかった」
リーフからすると、アクアの機嫌が直ってよかったというところでもあります。
仕事がある日だと、ここまで構ってあげられません。アクアのひざを見ると、ミントが大人しく抱っこされています。明日はアクアの機嫌直しがミント頼みになりそうです。
話が終わると、ミントがアクアのひざから降りました。しっぽを振っていて、アクアがなでなでします。
「おさんぽのじかんだっていってるみたい!」
リーフはアクアと一緒にミントの散歩へ出ましたが、普通に町を歩くだけじゃすまなくなりました。
「ミント、どこ行くの?」
「まってよー!」
途中でミントが急に走り始めたからです。子犬なので人を引きずっていくことはできませんが、勢いよく動けばアクアから綱を放させることくらいできます。
ミントはリーフたちから逃げました。追いかけるリーフたちを引き離しそうになると止まり、追いつかれそうになるとまた走って……と繰り返して、いつの間にか食堂からかなり遠くに来てしまいました。もう町の中ですらありません。森の入り口といってもいい場所です。
「ミント、あんまり奧へ行くと山に着いちゃうよ。もし洞くつまで行ったら守り竜様に食べられちゃうよ?」
スケイリアでは子どもをしかるときに「悪いことをすると守り竜様に食べられる」といいます。リーフはレインがアクアにそういうところを何回か見ていました。
子どもたちも大きくなってくると「守り竜様がいちいち食べに来るわけない」とわかってくるので、だんだん通じなくなります。でもミントは急にきびすを返して、アクアが吹き出しました。
「きっと、まもりりゅうさまっていわれてこわくなったんだよ」
「まさか……」
いい合っているうちに、ミントはぴょんっとジャンプ。リーフに飛びつきました。リーフのペンダントをなめ始めます。
「また? ダメだって! これは大事なもので……」
リーフがペンダントをしまう前に、ミントは自ら離れました。次に、右の前足を首すじから鼻先に動かします。前にもやった仕草だと、リーフは思い出しました。
「それをやってたのは、たしかスケラの根っこを掘り起こす前!」
ミントはすぐに前足を止めて、空へ向かって一声ほえました。遠ぼえ? 小さなミントでも結構大きな声が出ます。
他の犬から声が返ってきたりはしませんでした。その代わり、全然違う音が聞こえ始めました。
鳥の羽ばたき。いくつも続きます。空を見上げたリーフには、太陽が一瞬消えたように見えました。本当はそうじゃなくて、リーフたちと太陽の間に入ったものたちがいたからでした。
大きな鳥が何羽もいます。広げた翼はリーフの背丈よりありそう。しかもリーフたちからそう離れていないところに着地しました。
翼をたたんでもかなり大きいです。首が細長くて、羽はカラスみたいな黒。クチバシは槍のように鋭くなっています。足のツメも獲物を引き裂きかねない迫力があります。
「もしかしたら、危ない鳥かも……」
リーフは不安になりました。カラスでさえネズミを捕まえて食べるんですから、こんなに大きい鳥なら子犬くらい狩れそうです。
「でっかいね!」
アクアははしゃいでいますが、子どもだって食べられるかもしれません。
リーフがアクアとミントを両わきに抱えて走ろうと考えたとき、ミントは鳥たちにとことこと近づいていきました。怖がる様子はありません。鳥たちの方もおそいかかってきたりしません。
それどころか、ミントと鳥たちは小さな鳴き声を出し始めました。話しているようにも見えます。
そのうち鳥たちは舞い上がって、どこかへ飛んでいきました。
「何だったの?」
リーフはミントに問いかけましたが、さっきの鳥みたいに話すことはできませんでした。
どういうことだったのかは、次の日の朝になるとわかってきました。
リーフたちが城門前の広場まで行ってお祈りして名簿の順番待ちを始めたとき、ミントが空へほえました。それから、順番待ちが暇なんて思えなくなりました。
「すごいね! おもしろい!」
アクアは昨日までと違ってキラキラした目。城の上を見つめています。リーフもそこにいるものたちから目を離せなくなっていました。
「あれ、昨日の鳥だよね」
「うん、ミントとおしゃべりしてたとりさん!」
黒くて大きな鳥たちが宙返りしたりおどるように翼を動かしたり。他の人たちも珍しがっています。
「昨日、ミントについてったら鳥がいたとかいってたっけ……あれが?」
レインがあぜんとしながら問いかけてきました。アクアは鳥を見ることに夢中だったので、リーフがうなずきました。マーシュはぽかんと口を開けてしまっています。
あんなのがいてくれたら、城のそばへ来るのが楽しくなります。もしかしたら、昨日のミントは「城まで来てみんなを楽しませてやって」なんて鳥に頼んだのでしょうか。遠ぼえは鳥を呼ぶ合図だったとか。
城をよく見ると、兵士が窓から身を乗り出していました。弓を構えている? 鳥を撃ち落とすつもり?
矢が放たれると、鳥たちは軽くかわしました。大きさからは想像できない身のこなしです。
「こりゃいい! ミント、お前の友だちはすごいねぇ」
レインは大笑いしながらミントの頭をなでました。
その日から、朝のお祈りは鳥をながめるひとときに変わりました。名簿記入が終わるまでの待ち時間を持てあまさずにすむのは大きいことです。
町の人たちは鳥たちに名前を付けました。おどってくれる鳥だからダンスバードです。
兵士たちはダンスバードを追っ払おうといろいろやりました。ひどい音を出したり、大きなもので怖がらせようとしたり。でも、何をやろうとダンスバードはいなくなりませんでした。ダンスバードが自ら帰るまで兵士たちがムダな努力をするところも、順番待ち中の楽しみになりました。
◆ ◆ ◆
朝からやることが増えましたが、だんだんみんな新しいスケジュールに慣れてきました。
お祈りのおふれが出てから一週間もたつころには、春の泉食堂も元どおりに営業――とはいきませんでした。また新しいおふれが出たせいです。
「今日も来たのか……」
「お客さんの食べ物を盗むんじゃないよ!」
食堂を駆け回っているものがいます。
数は十以上。形は人と似ていて、粗末な服も着ています。でも大きさは手のひらに乗るくらい。コロコビトといって、普通は山奥に住んでいるものです。
次のおふれは「町全体でコロコビトの世話をしろ」。でもコロコビトは町の人と仲よくなんてしません。ものすごくいたずらものだからです。今も何人かのコロコビトがにやつきながらかん高い声で話し合っていました。
「ここの食べ物はうまいな」
「もっと食いたい」
「この辺に隠してないか?」
ガシャーン!
棚に入れていた皿がコロコビトにかき出されて、何枚も割れました。
「どうしてこんなのをおうちにいれないといけないのー!」
人形に落書きをされたアクアも泣き出して、大騒ぎです。マーシュはオロオロしっぱなし。
「おふれだから仕方ない……おいおいお前! 何してんだ!」
レインがすりこ木でコロコビトを叩こうとしていて、マーシュはあわてて止めました。
「ケガさせたってばれたら牢屋行きだぞ!」
動物ならこっそりケガをさせても誰がやったかわかりませんが、コロコビトは「何かあったら城へ申し出るように」とレウグネルダ王にいわれているみたいです。
リーフは高価な皿とか壊されたくないものを守るので精一杯。ペンダントを取られたら嫌だなとも思います。今のところリーフは興味を持たれていないみたいで、コロコビトから狙われたことがありません。
いっそ食堂から追い出したいですが、それも禁止です。兵士によると、おふれの理由はこう。「町のものたちは優しさが足りない」「コロコビトと一緒にいることで優しさをみがけ」です。コロコビトも町であばれていいとわかったのか、したい放題。
「レウグネルダ王は兵士に命令してわざわざコロコビトを数えきれないくらい捕まえてこさせて、町に放って……どうしてそこまで」
リーフはぼやいている途中で視線を感じて、ちらりと見ました。
ミントです。コロコビトに追いかけられていますが、あわてているリーフたちを緑色の瞳で見つめていました。
日がたつにつれ、コロコビトが我が物顔でふるまうことは増えていきました。
全体で百人以上いるとか。春の泉食堂は食べ物があると覚えられたみたいで、たくさんつめかけてくることもあります。もうすぐお昼になる今も、かなり大勢来ていました。
「こ、こないで……」
リーフがいつも休憩する部屋にコロコビトが何人かいて、アクアが泣きそうな顔で壁ぎわへ追い詰められていました。抱っこしているのは大好きな人形。コロコビトたちはお昼ご飯の時間になるまで人形の落書きでひまつぶしをしたいのかもしれません。
「アクア、こっち……」
リーフは手招きしましたが、もうアクアは足がすくんでしまっています。レインとマーシュは食堂で他のコロコビトに振り回されているはずなので、助ける余裕がありません。
小さな足音が聞こえて、リーフはコロコビトが増えたのかと思いました。でも違います。来たのはミントです。
もしかしたらアクアを助けるためにコロコビトへ飛びかかるつもりかも。リーフはそんな想像をしましたが、飛びかかった相手はコロコビトじゃありません。リーフです。
「何を……?」
ペロペロなめてきます。ペンダントをです。
「まさか、今回も?」
三回目にもなるとだんだんわかってきます。やっぱりミントはリーフから離れて、首すじから鼻先へ右の前足を動かします。そして、今度こそコロコビトに飛びかかりました。
「ケガをさせたらいけないんだよ?」
リーフはあせりましたが、ミントはケンカをしかけたというほどじゃありませんでした。
コロコビトにのしかかって、鼻先を軽くかむだけ。
ミントは軽いから押しつぶしたりできません。かむのも本当に前歯を軽く当てる程度。
でも、そのコロコビトはあばれるのをやめました。むしろこびるような顔でミントを見上げます。
「それをされたんじゃ仕方ねえ。コロコビトのおきてだ。お嬢さん、いいお毛並みで」
他のコロコビトはミントをギロリとにらみました。
「この犬! どうしておれたちのおきてを知ってる!」
「許しちゃおけねえ!」
コロコビトはミントにおそいかかりました。ミントは毛を引っ張られたりしても我慢して、次々にコロコビトへのしかかって鼻を甘がみしました。やっぱりそうされたコロコビトは大人しくなります。
「まさか、こんなことで?」
コロコビトを止められるミントですが、続けているうちに疲れてコロコビトからよけられたりするようになりました。だからリーフは見よう見まねでコロコビトにおおいかぶさって、鼻を軽くつまんでみました。するとやっぱりそのコロコビトも静まりました。
「ミントもリーフもすごい!」
さっきまで半泣きだったアクアですが、マネをしてコロコビトにのしかかりました。鼻もつまみます。それでもやっぱりコロコビトは大人しくなって、この部屋にあばれものはいなくなりました。
「マーシュとレインにも教えてあげないと。コロコビトの止め方をミントが教えてくれたって!」
リーフはすぐさま食堂に駆けていきました。ちょうどマーシュが指をコロコビトにかまれているところ。
「ひいい!」
「マーシュ、手を床につけて!」
マーシュが痛がりながらもそうすると、ミントがすぐコロコビトにのしかかって鼻を甘がみしました。そのコロコビトも静まって、レインも早めに来ていたお客さんもかまれていたマーシュもおどろきました。
「あ……ありがとうな」
マーシュはミントの頭をなでました。ちょっとてれくさそうです。
それからいろいろためしてみて、どういうことなのかわかってきました。
コロコビトには群れの中での上下関係があり、おおいかぶさって鼻先をつかむことは自分の方が上だと示すことになるのです。コロコビトは格上の相手が住む場所ならあばれたりしません。しかも格上のいうことを素直に聞きもします。
コロコビト対策は瞬く間に町へ広まりました。でもコロコビトが今までひどくあばれていたので、近づくことすら怖いという人もいます。そういうお客さんが食堂に来ると、リーフとミントはお客さんの家まで行って実際にやってみせました。一度見せれば、怖がっていたお客さんも次から安心して自分でできるようになります。
そのときも、リーフはお客さんに頼まれて出かけた後でした。正確には、お客さんのおばあさん。家が春の泉食堂から離れていて、早く帰るには城のすぐそばを通らないといけません。
「今日も喜んでもらえてよかったよ」
軽い足取りで歩きながら、ミントに話しかけます。
「こうすればお客さんが増えるかも。マーシュたちの役に立てるよ」
ミントはリーフの言葉がわかるみたいに一声鳴きました。綱を付けずに歩いていますが、ミントはリーフに足並みを合わせていてどこかへ駆けていったりする様子はありません。
ただ、リーフは気づいていませんでした。遠くから――あるいは高いところから自分たちを冷たく見ている視線があることに。
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