守り竜の物語

大葉よしはる

第1話 春の泉食堂


 スケイリアは、森の中にある小さな国でした。

 城を守る兵隊はおせじにも強いなんていえず、数もわずか。近くにある強い国が攻めてきたら、負けは確実です。

 でも、暮らしている人たちはそういう心配をしたことがありませんでした。兵隊よりもずっと頼りになるものがいるからです。

「危ないときは、金色の守り竜様が山から来てくださる」

 怖くないのかと他の国の人から尋ねられたとき、スケイリアの人は必ずそう答えます。

 ただ、今は少し状況が違うみたいで……


      ◆ ◆ ◆


 春の泉食堂には、今日も何人かのお客さんが来ていました。店内が広々としているわけではなく、真新しいわけでもありませんが、おいしいし値段も安いので昼ご飯の時間になると人が集まります。背の低い男の子が、白髪頭のお客さんに料理を運んでいました。

「お待たせしました。秋の山菜シチューです」

「ありがとうな、リーフ」

 このお客さんはいつも来る人で、男の子の顔と名前を覚えてくれています。

「お前、十二になるうちの孫と同い年くらいだろ。住み込みで働くとは、相変わらず立派なもんだ」

「いえ、ここの仕事は楽しいですし」

 リーフはにっこりとしながら答えて、カウンターの内側に戻りました。

(次にできるのはハンバーグかな)

 注文された品のことはしっかり覚えています。厨房をのぞくと、店長のマーシュがフライパンの上でハンバーグをジュージューいわせていました。いつもながらいいにおいといい音です。

 でも、マーシュ本人はため息をつきました。まだ三十を過ぎたところですが、無精ひげのせいもあって老けて見えることもあります。

「税金も上がったし、今のままの値段で続けるとまずいよな……」

 またため息。小さな女の子がマーシュのズボンをくいくいと引きました。マーシュの四歳になる娘、アクアです。

「パパのごはん、いつもおいしいよ?」

「そういう意味じゃねえんだけどな……リーフはわかるだろ?」

 マーシュは中身のない笑顔をアクアに返して、リーフにちらりと目を向けます。料理と関係ないことをしたせいか、ハンバーグを裏返す動きが少しだけノロノロになりました。

「レウグネルダ王が元のままのいい人だったらよかったのに。妙な決まりを作るようになっちまったからな……」

 それは、もう一年近くの間スケイリアの人々にとって悩みの種でした。

「メラーナ姫も、俺たちの前に姿を見せるときはいつも浮かない顔だ。ほとんどの時間は塔に閉じ込められてるって噂もある」

 ハンバーグをお皿に移してから、またため息。そんなに繰り返していたら、肺の中の空気が全部なくなってしまいそうです。

「もうすぐ竜神祭で、儀式がある。メラーナ姫が山の洞くつまで行って守り竜様に会うんだ。守り竜様が誰かに会うのはそのときだけなんだから、メラーナ姫は笑顔になってもらわないと……おっと、あれを付けるのを忘れたらいけない」

 マーシュはハンバーグのそばに別の食べ物を添えました。ゆでた状態で四角く切ってあります。

 スケラの実といって、スケイリアの名産品です。取れるのは今くらいの秋。木の上になるもので、リンゴを茶色くしたような見た目です。味と食感はイモみたい。煮たり焼いたりすれば甘いにおいがします。

 どこの家でも料理されていて、煮たり焼いたりパンに練り込んだりといろいろな食べ方ができます。春の泉食堂では市場から仕入れることもありますが、裏の庭に生えた木からもいでくることもあります。

 マーシュはハンバーグとスケラの実に特製ソースをかけましたが、やっぱり集中できていません。ちょっとかけすぎです。

「スケイリアには守り竜様がいるけど、国の中にある問題からは守ってくれないのかねえ……」

「またぼやいてんのかいあんたは!」

 エプロンを付けた女の人が厨房にズンズンと入って、マーシュにきびしい声を突きつけました。マーシュの三歳下の奥さん、レインです。

「そんなこといってたら料理がまずくなっちまうだろ! 次の注文は野菜炒め! 黙って作りな!」

「わ、わかったよ。リーフ、こいつを頼む」

 リーフはハンバーグをサラダやご飯と一緒にお盆へ乗せて、お客さんに運びました。



 お昼どきが過ぎると、リーフは厨房の奧にある部屋で休みました。ここは庭に面しているので、植えられているスケラの木がよく見えます。

 イスに腰かけたリーフは、実を一つ一つ眺めました。ここでなった実は仕入れた実と同じくらいにいい味です。さっき食べた昼ご飯でもおいしかったです。ですが、リーフはマーシュみたいにため息をついてしまいました。

(この町で暮らし始めてからもうすぐ一年になる。それだけたったけど、ぼくは何もできていないんじゃないだろうか)

 いつも首から提げているペンダントを手に取りました。銀色でだ円形。女神の細工がしてあるフタを開けてみます。

(あの日、旅の途中で父さんと母さんがオオカミに食われた。ぼくは森で倒れているところをマーシュたちに見つけられて、そのまま引き取られた)

 それからリーフは住み込みで働いています。でも、役に立っている気は全然しません。背はちっとも伸びないし、腕力だってさっぱりで、力仕事も満足にできない、と。

(ぼくにもっといろんなことができれば、マーシュがあんなため息をついたりしないでよくなるんだろうか。父さんや母さんを守ることもできたんだろうか)

 ペンダントの中を見つめてみても、答えなんか返ってきません。ただ、瞳を閉じるとまぶたの裏に父さんや母さんの姿がうつったように思えました。

「リーフ、またそれをみてるの?」

 顔を向けると、アクアが部屋の入り口にいてこっちを眺めていました。リーフは考え込んでいたせいでアクアが来たことに気づいていなかったのです。

「そんなに、だいじなの?」

 アクアが不思議そうに首をかしげて、リーフはそれとなくペンダントを閉じました。

(いい子なんだけど、ぼくがペンダントを見てるとこういう感じになるんだよな)

「でも、それ……」

 アクアがこっちへ近づいてこようとしたとき、マーシュがその後ろに現れました。アクアの口を手でふさいで、リーフにごまかし笑い。

「ああ、いや、リーフはいつもペンダントを大事にしてるよな。アクア、人の大事なものは自分も大事にしてやらないとダメだぞ」

 アクアが小さくうなずいて、リーフも少しだけ笑いました。

「やっぱり、父さんや母さんとぼくをつなぐものってこれくらいしかないし」

 リーフはペンダントの中身を人に見せることがほとんどありません。マーシュたちにだって、片手で足りるくらいの回数です。そんな調子だから身に付けっぱなしで、誰かに渡したことなんか一度もありません。

「おっと、リーフ。休んでるところ悪いが、レインが祭り用の料理を考えるとか張り切ってるんだ。手伝ってやってくれ」

 マーシュがはぐらかすように続けて、リーフはイスから腰を上げました。役に立てることならどんなに小さなことでもやりたいのです。

「竜神祭って、ぼくも楽しみなんだよ。まだ見たことないし」

 すぐに部屋から出ましたが、指はペンダントから離せないままでした。


      ◆ ◆ ◆


 しばらくたった日の朝、リーフはレインやアクアと市場から帰るところでした。

 スケイリアは山のそばにある国なので、魚が少なくて肉や野菜が中心。たくさんのお客さんが食べるものはたくさん仕入れておかないといけません。

 注文しておけば届けてもらえますが、少なめの食材は自分たちで持ってかえります。リーフはそのための荷物持ち――でした。今日は買うはずのものが売り切れだったので、ついていくだけになってしまいました。アクアが来るのは「しょうらいのてんちょうとしてべんきょうするため」だそうで。

「いちりゅうのてんちょうは、ひとめみただけでいいたべものかどうかわかるんだよ」

「そんなふうにできるのってすごいねえ」

 リーフはいつもどおりにアクアへあいづちを打って――視線を辺りに動かしました。足も止めます。

「今、どこかから声がしなかった?」

 この辺りは住宅街で、昼間は人の行き来が多いです。でも今は珍しく人の姿はリーフたち三人以外にありません。レインとアクアも立ち止まって辺りを見渡しましたが、首をひねります。

「あたしは何にも聞こえなかったよ」

「アクアも!」

「そうかな……」

 リーフはあちこちを注意深く観察して、路地でわずかに動くものを見つけました。人間よりずっと小さなものです。駆け寄ってみて、何だったのか理解しました。

 子犬が横たわっていました。大人の猫と同じくらいの大きさです。毛皮は茶色ですが、汚れてしまっています。三角の耳は本当ならピンと立っているはずなのに伏せてしまって、はたきみたいなしっぽもだらっとなっていました。

「死んでるの……?」

 後ろからアクアが尋ねてきて、リーフは首を振りました。

「そんなことないよ」

 子犬はおなかを動かしていますし、まぶたをじわっと開けました。緑色の瞳をゆっくりとこっちに動かします。

「疲れてるかおなかがすいてるかじゃないかな。それともケガ……」

 ケガをしているわけじゃないと、リーフはすぐに理解しました。子犬はよろけながら起き上がって、リーフに飛びついたのです。

「ど、どうしていきなり?」

 子犬はリーフのおどろきに構わずしっぽを振って、しきりになめてきます。小さいのでリーフを押し倒したりできませんが、すごい勢いです。

 リーフは小さな胴をつかんで押し止めようとしました。何せ、なめているのはリーフの顔じゃありません。リーフの胸もとです。ちょうどそこにはリーフのペンダントがあって、よだれでベタベタになっていきます。

「これはダメだよ! 食べられないから!」

 リーフはペンダントを服の中にしまいました。ぬるっとしますが、犬のご飯にされるよりいいです。

 ちょっと言葉がきつくなったせいか、子犬はしゅんとしたようになめるのをやめました。しっぽも力なく垂らします。最初みたいにぐったりしてしまったというべきでしょうか。

「のらいぬ? おなかすいてて、リーフがおいしそうにみえたの?」

 アクアは子犬に近づいて頭をなでました。期待した顔で、すぐにレインが短く笑います。

「飼いたい、なんていい始めそうだね」

「ダメ?」

「ダメっていうか、その子は首輪をしてるじゃないか」

 レインがいったとおり、子犬は首に輪をはめています。布じゃなくて金属製。金色に光っていて、安物じゃなさそうです。

「でも、たおれてたよ?」

 たしかに、飼い犬が道ばたで倒れているなんておかしいことです。

 リーフはこの子犬のことが気になっていました。ペンダントをベタベタにされたのはともかく、なついてこられたのはくすぐったく感じます。ただし、居候の身で犬を飼いたいなんて口が裂けてもいえません。心の中でアクアを応援しました。

「アクア、犬の飼い方なんて知ってるのかい?」

 レインがじっとりと見下ろしても、アクアはひるみません。

「ママ、こどものころにいぬをかったことあるっていってたよ。かいかたおしえてよ」

「まあ、飼ったことはあるけどさ」

「このこ、おいてったらかわいそうだよ」

 レインはしばらく考え込んでから答えました。

「仕方ないね。飼い主が見つかるまでだよ?」

「やったー! よかったね!」

 アクアはまた子犬をなでました。子犬の方も、またしっぽを振ります。リーフだって、心の中でこっそり喜んでいました。


 家に帰ると、留守番していたマーシュがしぶい顔をしました。

「犬ね……飼い主が見つかるまでっていっても、エサ代が……」

「子犬一匹くらい大したことないだろ!」

 でもレインからあっさり止められて、子犬はこの家での暮らしを認められました。結局レインも久しぶりに犬を飼いたい気持ちがあったみたいです。

 アクアは子犬を庭に連れていって、またなでなでしました。

「はやくアクアたちとなかよしになろうね!」

 リーフは子犬を飼っていいことになってホッとしていましたが、首をひねりたくなりました。子犬はクリクリした目でリーフを見つめ続けています。

 庭に出てきたレインが、古いお皿を子犬のそばに置きました。パンの耳や肉の切れ端が乗せてあります。

「まずは腹ごしらえかねぇ。満腹になったらきれいにしてやらないとね」

 やっぱり子犬はおなかがすいていたみたいで、出されたものを食べ始めました。でもリーフをチラチラと見ます。最初に顔を合わせたのがリーフだから、親と思っている? まさか、鳥じゃあるまいし。

(この子もぼくと同じで、この家の人に助けられたんだ)

 リーフはそう思うと親近感がわきました。

「なまえをつけてあげようよ。もとのがわかればいいんだけど」

 アクアは子犬を見下ろしながら考え込みます。

「えっと、アン? ローラ? デラ?」

 一つ一つ名前を呼んでいきます。その中のどれかをいったときに振り返ったりするかも、と考えているようです。でも子犬はエサを食べたりリーフを見たりするだけ。

「わかんないね。あたらしくきめてあげないと」

 アクアが残念そうにしたのは一瞬だけ。本当は自分で決めたかったみたいです。

「じゃあ……めがみどりいろだから、にたいろのもの! ミントでどうかな。いいでしょ? ねえママ、ねえリーフ、ねえミント」

 ミントと呼んでいるところを見ると、アクアの中ではもうミントで決まりみたいです。リーフはうなずいてあげました。

「いい名前だと思うよ」

「じゃあ、このこはミントできまり!」

 子犬はミントと呼ばれることになりましたが、やることは変わりません。エサを食べて、リーフを見ます。

 いきなり変な音がしました。食堂のドアが力任せに開けられたときのものです。アクアがビクッとして、レインがその頭に手を乗せました。

「随分と元気のいい客だね。それとも……」

 リーフも嫌な予感がしました。そんな気持ちをかみ殺しながら、レインと一緒に食堂へ。

 来ていたのは常連のお客さんでした。でも、いつもならまだこの人が姿を見せる時間じゃありません。そもそも店の営業時間がまだ来ていません。

「マーシュ、面倒なことになりそうだ」

 そのお客さんはいつもほがらかですが、今は困り顔。マーシュはギョッとした様子でお客さんの様子を見ています。レインは黙って言葉の続きを待ちます。

 二人の様子は違いますが、リーフは自分と同じ気分じゃないかと思いました。こういうことが今までにもあったからです。

「まさか……」

 マーシュがつぶやくと、お客さんはうなずきました。

「ああ、そうだ。新しいおふれが出た」

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