第10話 不穏な空気と、芽生え

 かつての戦争時にシェルターとして作られた、硬い岩盤を削っただけの地下室。そこは妖精の排除を目的とした反妖精派組織――“鋼竜こうりゅうの鱗”のアジトだ。


 ごつごつした岩肌を照らす鉄のランタンには赤々と炎が灯り、妖精避けのハーブや鋼の製品がそこかしこに吊るされている。

 他にも捕らえた妖精によって獣の血だったりヤドリギの枝だったり、彼らが嫌うものを宛がっていた。


「お前らのせいで俺は不幸になったんだ!」

「あんたらに負わされた怪我のせいで、あの人に捨てられたのよ! 結婚の約束もしてたのに!」


 妖精に並々ならぬ恨みを抱くメンバーは、檻に入れられ逃げられない妖精に向かって恨みを吐く。中には妖精が動けないのをいいことに、ここぞとばかりに痛めつけいたぶる者もいる。

 他方では額を突き合わせ、妖精を排除する計画が企てられていた。


「今度はあの廃墟にたむろしている妖精どもを片付けようぜ。奴らでっかい図体しているわりに動きはとろい」

「そうだな、数人で囲めばやれるだろう」


 地下のあちこちで、妖精に対する憎悪や怒声、罵声が響く。怯える妖精の声や悲鳴は、人間の狂気に掻き消されていた。


「――まさか一度ならず、二度も家族に手を出されるなんてな。もうあんな思いをしないために、組織に入ったってのにさぁ」


 部屋の片隅、一抱えほどの木箱の前に立つ男は感情が削ぎ落ちた冷たい声で言い、片足を持ち上げる。

 男が木箱の側面を思い切り蹴飛ばすと、中からはくぐもった声がもれた。二度三度と箱に閉じ込めた妖精を痛めつけ、思い切り岩壁に叩きつける。


 壊れた箱からは、ぼろぼろになったゴブリンが力なく転がり出てきた。

 それを色のない表情で見下ろした男は思い切り足を踏み下ろし、別の妖精が収められている鳥かごを振り返る。


 上部が膨らんだ円形の鳥かごには、リンゴほどの大きさの黒い塊が幾つも押し込められている。陽炎のように輪郭が定まらないそれらは男の視線を感じ、ざわざわと活発に動き出した。


「元気そうだな。これだけ動ければ、お前も心置きなく“仕事”が出来るだろ」


 口角を持ち上げ嗜虐的に笑った男は、一つだけかごの外へ出ている漆黒の物体――影の妖精に語りかける。

 目も鼻もない影そのものの妖精は全身で警戒と憤りとを露にするが、男の手が囚われた仲間に向かうととたんに牙を収めた。


「お前達のような化け物にも情があるとは」


 はっ、と嘲るように笑い、男は淡く発光する手袋を両手に装着する。エルフが作ったそれは光の加護を宿しており、闇に属する者には脅威だ。

 鳥かごのなかの妖精たちは手袋から逃れるように一所に集まり、身を震わせる。


「そんなに言うなら、もう一匹出してやってもいい。仲良く妖精から宝を奪って来い」

「ギィイイイィィイィ!!」


 影の妖精は歯軋りのような威嚇音を発し、身体を波打たせる。仲間には手を出すな! といわんばかりの様子に、男は声をあげて笑い出した。


「ははっ! どのみちお前は妖精王の娘から宝を奪ったんだ。妖精界になど戻れるはずもない。お前も仲間も、永遠に人間の奴隷だ!」

「ギッ……!」


 毛を逆立てる猫のように、影妖精の輪郭がざわざわと揺らめく。

 そして空気を入れすぎた風船が破裂するような勢いで飛び出し、手袋越しに男の手に噛み付いた。


「っ!?」


 鋭い痛みを覚えた男は手を振り払い、舌を打つ。親指の付け根辺りには赤い血が滲み、白い手袋をじわじわと染め上げていく。

 下等で忌々しい存在の妖精に手を噛まれたことで、男は激昂した。


「このやろう!」


 沸騰する感情のままに影妖精を鷲づかみ、ぎりぎりと締め上げる。

 闇に属する身で光に楯突く自爆行為をした妖精は弱りきっており、抵抗する力もなくされるがままになる。鳥かごのなかでは仲間を放せとばかりに黒い塊たちが騒ぎ、天地を引っくり返したような大騒ぎになった。


 我に返った男が手のひらから力を抜いた時にはもう、影妖精の身体は霧散し小さくなっており、地に落ちた小石のように微動だにしなかった。


        ---+---+---+---+---+---


 灰色の雲が立ち込め太陽を遮る生憎の天気のもと、ノアはエムリスから紅水晶を託されたレイフと共に、ソノレアの外れにある要塞跡にやって来た。


 東町との境、草の生えない丘の上に位置する要塞には、かつて多くの兵が詰めていた。しかしリディーズ島が統一されてからは打ち捨てられ、風雨に侵食されるがままの廃墟となっている。


 戦争で命が落とされた場所であり、また昼間でも暗い森が辺りを囲っていることもあって、普段は誰も足を踏み入れない。


「なんだか、不気味な場所ね」


 旧時代の機能最優先の無骨な建物はガラスもなく、木製の扉は朽ち果てている。

 金具や馬具と思しきものが錆び、酸化した血のような色をしているのも、おどろおどろしい雰囲気に一役買っていた。


「こういう場所には人間を襲う危険な妖精や、人間との接触を嫌う妖精が隠れ住むことがある。トロルは基本、前者よりの妖精だ。

さっきも言ったが、やつらを刺激しないため極力音は出すな。たとえ転んでも声を出すな。一人でふらふらどこかへ行くな。良いというまで俺の傍を離れるな」


 落ち着きのない子供にでも言い聞かせるように、レイフはノアに念を押す。それだけこの場所が危険だと理解しているノアは、素直に頷いた。


 レイフがこの場所にノアを連れて来たのは、エムリスが「ノアを連れて行ったほうがいい」と言ったからだ。

 レイフ曰く、エムリスの勘――先の事を観られる力は、かなりの確率で的中するらしい。


(エムリスがくれたブローチが役に立ったように、わたしもレイフの役に立てる、ってことなのかしら。正直、足を引っ張らないようにするだけで精一杯だけど)


 緊張を解すため、ノアは胸に手を当てて深呼吸する。


 トロルに会うのは、やはり恐さがある。彼らは総じて人間を遥かに超える長躯で、力も強い。妖精館の資料室にあったトロルの絵は、人間相手に棍棒を振り回しており、女子供を攫うとも書かれていた。


 ドミニクが言うにはそれも昔のことで、妖精館に勤めるフェアリー・コネクタたちや妖精王らの度重なる交渉とルールの制定を経て、人間を襲うことはなくなったらしいが。


「――ねぇ、レイフ。まだ喋っても平気?」


 ノアは声を潜め、要塞の様子を伺っていたレイフに尋ねる。


「くだらないことでなければ」

「くだらなくはないよ。……今聞くことでもないかもしれないけど」


 思いついたまま口にしてしまったが、不適切だった。反省したノアはレイフに謝り、口を閉じた。


「……別に、話すことでお前が楽になるなら構わないが」


 ノアから目を反らしたレイフは、もごもごと小さな声で言う。よく聞こえなかったノアが首を傾げると、「いいから言え」と鋭い視線が返された。


「じゃあ、お言葉に甘えて。出発前にボスが言っていたでしょ? 人間と妖精でルールがどうとか。あれってトロルだけじゃなくて、ピクシーたちとの間でも作れないのかなって」

「作れなくはないが、危険度が高い妖精と優先的にルールを作っている。そのルールも、相手が理解し受け入れてくれなければ意味がない」

「受け入れてくれない場合は、どうするの?」

「たとえば出会った人間を問答無用で殺すレッドキャップは、彼らが嫌う十字架を妖精界との境に埋めて、人間界へ来られないようにしている。一方的に命を奪われるのは、流石に軋轢が大き過ぎる。

それからピクシーやゴブリンなどは悪知恵が働く分、ルールの穴をすり抜ける。妖精は基本、欲望に忠実で、快楽主義だからな。ルールを受け入れてもらうだけで一苦労だ」


 レイフは苦い顔で額を押さえ、溜息混じりに視線を落とした。


「それでも、人間と妖精が共存するためにルールは必要だ。しかしバランスが難しい。どちらか一方に無理をさせてはいけないし、多少の不便や問題は互いに許容し合わなければならない。人間も妖精もルールで雁字搦めにしては、いつか反発が起きる。抑圧し過ぎて歪んでしまうと、魔に堕ちることもある」

「……レイフって、本当にいろいろな事を考えているのね」

「これくらいフェアリー・コネクタなら誰でも考えている。ボスなどは俺とは比べ物にならないほど妖精とルールを結んでいるしな。お前も一度あの人の仕事ぶりを見せてもらうといい。……今後もこの仕事を続けるつもりがあるのなら」

「うん」


 ノアが頷くのを確認したレイフは空を仰ぎ、雲の切れ間から射す光が強くなったのを見て「お喋りはここまでだ」と話しを打ち切った。


 要塞跡へ向けて慎重に歩き出すレイフを追いながら、ノアはレイフの言葉について考える。


 この先も仕事を――レイフの助手をしていくなら。

 時に窮屈なルールで妖精に恨まれ、我慢を促すルールで人間に疎まれることがあっても。それが人間と妖精どちらにとっても住み良い町にするために必要であれば、成し遂げなくてはならない。


 両者を繋ぐ仕事はその実、どちらからも煙たがられることを覚悟しなければ勤まらないのだろう。


(知れば知るほど、レイフのことが気になっていく。傍に居て何か出来ないかな。わたしに出来ることがあれば、力になりたい)


 果たしてレイフがそれを望んでくれるかはわからないが、ノアは本気だった。



 外観からはかなり侵食されていた要塞も、頑丈に作られているだけあって中は壁や柱が意外と残っている。

 ただ石床の廊下はトロル同士の喧嘩でもあったのか所々穿たれ、下の土が見えてしまっている場所もちらほらあった。


(トロルって何人くらいいるんだろう。レイフは、トロルたちは集団で暮らしている、って言っていたけど)


 天井が抜け落ち吹き抜けになっている場所を越えつつ、ノアは辺りを見回す。


 長い廊下の左側には等間隔に窓が並び、曇り空と遠い町の景色が見える。広い廊下の反対側には何の変哲もない壁が続き、時折出入り口らしき扉の跡が見て取れた。

 しかし朽ちた扉の奥は闇に包まれており、部屋の中がどうなっているかはうかがえない。


 要塞に入って以降、レイフは何かあったときすぐに外へ出られるよう窓際を歩いているが、今のところ何かに気づいただとか発見したといった目立った動きはない。


(……こういうのって油断したときにばーん! と出てくるんじゃ)


 ノアには妖精の気配は察せないが、油断は禁物だ。廃墟には野良猫やネズミがつき物だ。見かけてうっかり悲鳴をあげようものなら、レイフに怒られてしまう。


(そういえばだいぶ歩いたけど、まだ野良猫もネズミも見ていないな)


 不意に、前を行くレイフが立ち止まった。

 何かあったのか聞きたいが、声を出すなと言われているためどうにも出来ない。ノアが大人しくレイフからの反応を待っていると、勢いよく振り返ったレイフに突き飛ばされた。


「わっ!?」

「下がっていろ!」


 思わず声を出してしまったノアを凌ぐ声量で、レイフが言う。直後右側の壁が崩れ、轟音とともに砂埃が舞った。


 窓枠に手を着くことで尻餅を免れたノアは、ばくばくと騒ぐ胸を押さえ、ぎこちなく横を見る。


 壁に空いた大きな穴からは漆黒の闇が――そのなかに爛々と光る濁った緑色の目が、いくつも浮かび上がっていた。

 ざっと数えて、十人はいるだろうか。その目のどれもが天井近くにあることからして、彼らの身長はゆうにノアの二倍以上ありそうだ。


(出た!!)


 巨大なトロルを見上げたまま、ノアは固まる。


 トロルは、まるで森を纏ったかのような姿をしていた。

 伸ばしっぱなしのぼさぼさの髪に見えるのは苔や枝葉の集合体で、それらは幾重にも連なり体表をも覆っている。

 目と大きな鷲鼻だけは見えているが、口元も緑のヒゲがかかったようだ。


 未知との遭遇にどうしていいか判らないノアを一瞥したレイフは「そこにいろ」と命じて、瓦礫の山を踏み越え、トロルたちの前へ進み出た。


「随分な出迎えだな。俺が突き飛ばさなければそこの女は無残に潰れていた」


 たしなめるふうなレイフの言葉に、「ゴォォ」と洞窟に風が吹くような音が返ってくる。おそらくそれがトロルの声なのだろう。

 ノアにはトロルがなんと言ったのかわからなかったが、レイフの口元が僅かに緩んだことからして「すまない」とでも言ったのかもしれない。


 トロルの巨大な体躯からして、扉をくぐるより壁をぶち壊した方が早そうだ。向こうには攻撃の意図はなく、ただ効率を選んだだけの可能性も考えられる。


(ボスが言っていたのは本当だったんだ。交渉とルールを重ねたことで、トロルは無闇に人間を襲わなくなった)


 トロルたちとレイフの間には、気安さがあるような気がする。

 レイフが話しやすいようにとの配慮なのか、先頭にいた一番大きなトロルが床に腰を下ろすと、後ろにいたトロルたちもそれに倣った。


(でも、この視線はなんだろう……なんだかすごく見られているような)


 ノアの小さな身体には、トロルたちの視線がびしばしと向けられている。それも盗み見るようなものではなく、がっつり凝視されていた。


 友好的に挨拶をすべきか、レイフの紹介を待つべきか――ノアが内心だらだら冷や汗を流していると、ふいにレイフと目が合った。

 けれどその目はすぐに反らされる。


「これは――俺の、大切なものだ」

「!!?」


 明後日の方向を見ながらレイフが言った言葉に、ノアは衝撃を受けた。


 大切なもの……妻としてだろうか? それとも助手として認めてくれている? はたまた、物扱いだろうか。大切と言ってくれるならこの際なんでもいいや。

 浮かれたノアはにこにこと相好を崩す。


 レイフの言葉を解したのか、緩みきった顔のノアに危険はないと判断したのか。

 トロルたちの視線はノアから離れ、部屋の奥へ帰っていったり、その場に寝転んだりと思い思いに過ごし始めた。


「ノア」

「はいっ!」


 レイフに呼ばれたノアは弾むような足取りで彼の傍へ行く。


「言っておくが、今のは方便だ。俺のものだと言っておけばトロルはお前に手を出さない」


 いいか、誤解するなよ、と念押ししたレイフの顔は、かすかに赤かった。

 再び下がっているよう言われたノアはレイフの背後へ――窓に近い場所へ移動し、緩んだまま戻らない頬を押さえていた。


「今日は、お前達の宝を返しに来た。エムリスが見つけてくれてな」


 レイフが血のように紅い水晶玉を取り出して見せると、集団のボスらしき先頭のトロルが僅かに気色ばんだ。


 空気がぴんと張り詰めたことで、ノアは正気に戻る。

 奪われたはずの宝を持ったものが現れたため、トロルは警戒しているのだろう。もしくは、紅水晶が本物かどうか見極めているのかもしれない。


 ややあって、トロルは岩の様な手をのばし、レイフから紅水晶を受け取った。


 紅い水晶玉を見るトロルの濁った緑色の目は、不思議と優しい色をしている。他のトロルたちも水晶を持つトロルのもとへ集まり、皆で返って来たことを喜んでいるようだった。


「……ゴゥ」

「礼はいい。邪魔したな。また何かあれば、木霊妖精や妖精界を通じて言ってくれ」


 そう告げて、レイフはトロルたちに背を向ける。


「お疲れ様、レイフ」

「……ああ」


 ノアと目が合うと、レイフはむずむずと口元を歪ませ「帰るぞ」ともと来た道を早足で辿る。


「無事に返せてよかったね」

「ああ。あれは騒音を嫌うトロルが珍しく大事にしているものだったからな」


 レイフの隣を歩きつつ、ノアは背後を振り返る。ぶち抜かれた壁の奥からは、美しく高い歌声が微かに聞こえてきた。


「あの水晶玉って、結局なんだったの?」

「セイレーンの心臓だ」

「えぇ!?」


 ノアが目をむくと、レイフは「そういわれている」と付け加えた。


「本物の心臓かどうかはわからない。実物を見たこともないしな。ただ、セイレーンの力が込められているのは間違いない。そこに在るだけで見るものを惹きつける魔力がある。歌えばそれはさらに強くなり、抗い難い睡魔に襲われる」

「じゃあ、今頃トロルたちは寝ちゃっているのかしら?」

「そうかもな。まぁ身体が巨大な分、やつらには効きがいまいちだろうが」


 長い廊下を経て要塞の外に出ると、空はだいぶ晴れてきていた。


「しかし、エムリスの奴はあれをどこで手に入れたのか。せめて露天が出ていた場所だけでも吐かせればよかった」


 遠く眼下に見えるソノレアの町へ向かいながら、レイフが悔しげに眉を寄せる。


「トロルたちは水晶を盗んだ犯人について、何か知らないの?」

「以前被害が報告された際に聞いたが、知らないうちになくなっていたらしい。姫の時と同じだ。要塞跡に俺たち以外の人間が入った痕跡もないようだったし、妖精が犯人の可能性がますます高くなったが……」

「が?」


 言葉尻を捕らえるノアに、レイフから思いのほか真剣な眼差しが向けられる。

 丘を登ってくる風によって彼の黄金色の右目が露になり、左右違う色の瞳のどちらにもノアの姿が映り込む。


「ノア」

「はい」


 レイフに名前を呼ばれ、ノアは少し姿勢を正した。

 一体何を言われるのだろう。良いことか、悪いことか――できれば良いことであってほしい。


「俺たちフェアリー・コネクタは、このブルーベルを埋め込んだ装飾品で妖精と言葉を交わすことが出来る」


 ノアを見つめたまま、レイフの手がスカーフリングへのびる。

 レイフの場合スカーフリングだが、エドガーは指輪、ドミニクはピンを身につけていた。これらは捜査員の証ではなく、妖精と意思の疎通を図るためのものだったらしい。


「お前は、いずれこれを妖精王から受け取る気があるか?」

「妖精の、王様から?」

「ああ。これはいわば、妖精王に認められた証だ。人間の代表として妖精たちと関わる責任と、覚悟の表れでもある」


 レイフの話を聞いて、ノアは無意識に拳を握る。

 妖精と人間を繋ぐ手伝いが出来たら、レイフの役に立てたらと何度も思った。その気持ちに嘘はないが、いざ目の前に実現の可能性を提示されると、果たして自分にそれだけの力があるのか不安になる。


 強張ったノアの顔を見たレイフは表情を緩め、「もしもの話だ」と息を吐いた。


「指輪の窃盗犯と盗品を売った犯人が捕まれば、ノアが俺の助手をする理由は完全になくなる。今でも、ノアが辞めたいというなら止めない」

「辞めたいなんて思わない! 最後までちゃんと仕事をしたいし、出来ればこのままレイフの助手を続けられたら、って思っている」

「そうか……」


 レイフははにかむように目を細め、コートのボタンを指で遊ばせる。


「ハワード家では、それが聞きたかった。ノアにとってこの仕事は危険かもしれないが、それでも。俺個人としては、その……続けて欲しいと、考えていた。なにかあれば、俺が……ノアを、フォローする。……守る、からっ」


 たどたどしく想いを告げるレイフの視線は、ノアに向いていない。

 足元をうろうろしているその視線を捕まえたかったが、ノアもまた落ち着かない様子で指を組んだり解いたりしながら、結局自分の靴の先を見ていた。


(どどどうしよう、これって告白……なのかな)


 風邪をひいたときみたいに、頬といわず顔中が熱い。


 レイフとは既に結婚していて戸籍上は夫婦でも、親が決めた結婚だったため、ノアは一言も好きだと言われていない。

 ノアとしても、いつか好きになるのだろうかと漠然と思っていただけだった。


(……わたしはレイフのこと、好きだよ)


 思いのほか早くやってきた愛しさに押し上げられるよう、ノアは顔を上げた。


「――レイフ」

「な、んだ」


 レイフの方も戸惑いがちながら顔を上げ、二人は赤い顔で見つめあう。


「えっと、不束者ですが、よろしくお願いします」

「っ、あ、あぁ……こちらこそ」


 微笑みあったはいいがやはり照れが勝り、ノアもレイフもだんだんと視線を逃していった。

 それでも妖精館へ戻る二人の距離は、いつもよりも近かった。

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