第9話 デレ始める旦那さま
ドミニクの許しを得たノアは後日、レイフと共に両親に会い、その足で実家へ向かった。
「皆ひどい……今までずっとわたしを騙していたなんて」
うっう、と泣き真似をしてみてもレイフは涼しい顔で前を見ており、ノアを横目ですら見ようともしない。
「ほんっとーに驚いたんだからね」
「悪かった」
「……別に、謝ってほしいわけじゃないけど」
ただ、教えられた真実を受け入れるのに時間がかかっただけだ。そして受け入れたあとは、のけ者にされたような気がしてくる。
久しぶりに両親に会う前、ノアはレイフに打ち明けられた。
『ハワード夫妻がサンザシの指輪を盗んだとは、最初から思っていない。ただ指輪を盗まれた姫の怒りが想定以上で、頼みの綱のラウェリンが抑えきれなかった。
そのため指輪を回収する計画の前倒しと、見当違いの報復からハワード夫妻を守る必要が生じたため、苦肉の策として容疑者という体で夫妻を保護した』
淡々と真実を語りつつも、レイフの表情は硬かった。
明かされた内容があまりに衝撃的で、ノアは何も言えなかったが、レイフはなおも平坦な声で続けた。
ノアの両親には連行後すぐに事情を打ち明け、協力を仰いでいたこと。二人は留置施設ではなく、ドミニクの家で匿われていたことなどを。
自分が抱いていた不安や心配が全くの取り越し苦労だったと知ったノアは、安心するやら脱力するやらで思わず座り込んだ。
『もっと早く教えてくれればよかったのに』
『事情を知る人間は少ないに越した事はない。……それに、お前を夫妻と同じ場所に置いておくのも問題があった』
『わたしが、何?』
途中からレイフの声は小さくなり、後半はあまり聞き取れなかった。
『教えようと教えまいと、どのみちお前は首を突っ込んで来ただろう』
『う……たしかに』
レイフの言う通り、真実を知ったとしてもノアは両親に指輪を売った露天商や、レイチェルから指輪を盗んだ者を探そうとしただろう。ただじっと事件が解決するのを待つのは、性に合わない。
図星をさされ目を泳がせるノアに手を差し出したレイフは最後に、「黙っていて悪かった」とすまなそうにノアに謝罪した。
レイフが何も意地悪で隠していたわけではないということは、ノアも理解している。妖精界の姫であるレイチェルが危うく人間界へ乗り込んできそうだったことを――人間と妖精との間に大きな亀裂が生じかねなかったことを思えば、隠すのは当然だ。
それでもわだかまりが残るのは、レイフに信用されていなかったのかと多少なりとも落ち込んだからだ。
それに、レイフはノアの両親と何らかの約束を交わしているらしい。この約束に関しては、レイフも両親もノアには明かそうとしない。
(いつか、約束のことも話してくれるかな)
今はそう信じて待つしかない。気持ちを切り替えたノアは両親に頼まれたことを為すべく、二階建てで赤い屋根の家を目指して歩いた。
玄関の鍵を開けると、水を取り替える人がなく枯れてしまった花が目に入る。
思いのほか助手の仕事が忙しく、また家宅捜索があったため、ノアはここ一週間ほど家に戻っていなかった。その間に溜まった埃が、歩を進めるたび微かに舞い上がる。
「庭はこっちよ」
レイフを先導して、リビングを横切る。
部屋の様子は結婚式の朝となんら変わらない。テーブルの上には両親が計画していた旅行の本が開かれたままになっており、片付け忘れたカップには紅茶の跡が染み付いている。
庭に遊びに来る妖精のために用意したお菓子も、そのまま残っていた。
「うちの親はほんとに妖精が好きよね」
久しぶりに会った娘の心配もそこそこに「庭に遊びに来ていた妖精たちはどうしたかしら」ときた。あげく、家ではなく妖精の様子を見に行って欲しい、と言うのだから。
(なにが“ノアにはレイフが付いているから大丈夫”よ。父さんも母さんも、娘のわたしよりレイフの方を信用しているんじゃないの)
保護するためだったとはいえ、窃盗容疑での連行という不名誉を着せられたにもかかわらず、ノアの両親はレイフを信頼していた。
レイフの誠実さゆえか、それともやはりフェアリー・コネクタという職業への敬意ゆえか。はたまた、彼らが交わした約束に起因するのかはノアにはわからないが。
後ろを歩くレイフに気取られないよう密かにふてくされつつ、ノアは庭へと続く扉を開ける。
ハワード家の庭はチューリップの赤や白、ブルーベルの青、ダフォディルの黄色と、様々な色が溢れている。
花々の間に敷かれた素焼きレンガの小道は、庭の中央――家具職人であるノアの父親が小人やピクシー用にこしらえたシーソーやブランコ、テーブルセットなどが並ぶ開けた場所に続いていた。片隅には、ミニチュアの船を浮かべられる池もある。
こぢんまりとはしているが、隅々まで手入れが行き届いた美しい庭だ――ったはずだ。
「なにこれ……泥棒!?」
目の前に広がる無残な光景に、ノアは愕然とする。
色取り取りの花で彩られていた花壇は歯抜けになっており、引っこ抜かれ萎れた花が地面に散乱している。遊具は壊れ、その一部は池に放り込まれていた。
立ち尽くすノアを追い越したレイフは庭に片膝を着き、足の折れた小さなテーブルを手に取る。
「泥棒ではなく、妖精の仕業だ」
「妖精の? これも彼らのいたずらってこと?」
ノアはレイフの傍に屈み、壊れたテーブルを受け取った。
「いたずらではない。お前の両親は今まで、妖精たちに菓子や果物などを与えていただろう」
「うん。週に二、三回くらいかな。妖精たちが遊びに来た時に、あげていたと思う」
「野良猫なら食べ物がもらえなくなれば、ただ去っていくだけだ。だが妖精の場合“何故今日はくれないんだ”と逆恨みする事がある」
「そう……なんだ」
「向こうにとってみれば、この庭に来れば食べ物がもらえると思っている。それが裏切られ、怒りや失望から暴れた。人間と妖精とではものの考え方が違う。一度ならまだしも、安易に物を渡すべきではない」
立ち上がり土を払うレイフの隣で、ノアは「うん」と力なく首肯する。
人間と妖精の齟齬は、こんなところにも現れるのだ。妖精にとっては戯れのつもりが、人間にとっては迷惑だったり。人間が良かれと思ってしたことが、妖精を怒らせてしまうこともある。
(だからって、分かり合えないとは思いたくないけど……)
ぎゅ、と手を握ったノアは腰を上げ、レイフに問う。
「父さんと母さんは、本当に妖精を可愛がっていた。わたしが小さな時から何年も遊びに来てくれていた子もいたわ。それは全部妖精とわたしたちが仲良くなれたわけじゃなくて、妖精からしてみたら食べ物があるから来ていただけなの?」
ノアを見つめ返すレイフは「――そもそも」と口にしてから、少しの間を空けて続けた。
「可愛がるというのは、動物を可愛がる感覚か? それとも親戚の子供に対するようなものか? 食べ物を与えるのも、餌付けの意識があったのか、友人や隣人を招いてもてなすようなものだったのか」
「それは……」
レイフの言葉は鋭利なナイフのように、ノアの胸に深く突き刺さった。
妖精を人間と対等に見ていたのか、それとも愛玩動物として見ていたのか――両親がどちらだったかはわからないが、少なくともノアには庭に遊びにくる小人やピクシーに対して、他人が飼う犬猫を愛でるのと同じ感覚があった。
彼らを家族だと、妹や弟のようだと感じたことはない。友人とも少し違う。
しかし同じ妖精でも、言葉を交わせる亜人や、人間と姿形が変わらないエルフが相手ならば、また感じ方が違う。彼らを愛玩動物のようだとは思えない。
(妖精と分かり合いたいと言いながら、彼らを対等には見ていなかった。見た目の違いで区別していた)
今までの認識を恥じたノアは、自分を律するよう強く頬を叩いた。
「いっ、た……」
「何をやっているんだ、お前は」
力を入れすぎて涙目になるノアに、レイフの呆れたふうな目が向けられる。
「ちょっと、気合を入れなおそうと思って」
情けなくへらっと笑ったノアはひりひりする頬を撫でながら、家の中へとレイフを誘う。
ノアがキッチンの埃を払いお湯を沸かして、紅茶を蒸す間。リビングのソファに座るレイフは落ち着かない様子で足を組み変えていた。
「ノア」
「なぁに?」
「前にラウェリンが、ハワード家の庭にある妖精界のものについて半分は確認が取れたと言っていただろう」
「うん、言ってたね」
ノアは砂時計を横目に見つつ、レイフに返事をする。
「そのとき奴は、残りの半分について言葉を濁していた。それは食べ物を得られなくなった妖精たちが怒り、署名を拒否したためだ。
とはいえハワード夫妻に妖精界の物を渡したことは認めていたから、今頃はラウェリンがどうにかしているだろう」
「ということは、家の庭にあった妖精界のものが盗品とか、妖精から脅し取ったものじゃない、って証明されたってことね!」
喜ぶノアに「ああ」と簡潔に答えたあと、レイフは気まずげに眉を寄せた。
「その疑惑も、半分はハワード夫婦を拘束するための方便だった」
「じゃあ、残りの半分は?」
砂時計の砂が落ちきり、ポットからカップに移したノアは、二人分の紅茶を手にレイフの隣へ向かう。
ノアからカップを受け取ったレイフは礼を言い、組んでいた足を解いた。
「妖精から宝が奪われる事件が頻発している以上、たとえ身内といえど調べないわけにはいかない。……俺とて、夫妻が妖精から何か盗んだり、奪うなど思わない」
だんだんとノアから視線を反らし、最後には紅茶を飲みながら顔を反らしてしまう。おそらく照れ隠しなのだろう。
レイフの本音を聞けたノアはソファに腰を下ろし、ゆるゆると口元を綻ばせた。
「ありがとう。レイフも父さんと母さんのこと信じていてくれて、嬉しい」
本当は、レイフもノアと同じ気持ちだったのだ。ただ職務に公平であるために、個人的な感情を優先するわけにはいかなかっただけで。
それがわかって、ノアは改めてレイフを尊敬した。同時に、レイフの気持ちも知らずに詰った自分が恥ずかしくなる。
「レイフのこと酷い人だと思って、ごめんなさい」
「別に気にしていない。ノアに酷いことをしたのは本当だからな」
レイフはソーサーにカップを戻し、ノアの方へ身体を向けた。
「両親のこと、黙っていて悪かった」
「それはもういいよ。むしろそうしてくれてよかったかも。おかげでこうして、レイフとわかり合えたんだし」
ノアが笑いかけると、レイフは唇を引き結び変な顔をした。まるで表情が変わるのを堪えているかのようだ。
「どうしたの? あ、お菓子食べる?」
「いい。腹が減っているわけではない」
立ち上がりかけたノアを制し溜息を吐いたレイフは、再びカップを手にして、いつもの淡々とした口調で語りだす。
「ハワード夫婦の疑惑が完全に晴れた今、お前は」
「あ!」
「……なんだ」
レイフの言葉を遮ったことで睨まれたノアは、苦笑いで「ごめん」と謝った。
「わたしが両親との面会を許されたのって、サンザシの指輪が一応レイチェルに戻されて、強襲の危険がなくなったからでしょ? レイチェル本人はもう指輪に興味ないみたいだし」
「ああ。庭の物についても疑いは晴れた。それに、指輪を売った露天商についても情報が入っている」
「見つかったの!?」
興奮して身を乗り出すノアに対し、レイフは仰け反りながら眉を寄せる。
「ソノレアのあちこちで、怪しい露天商が妖精の物と思しき商品を売っている姿が目撃されている。頭から黒いローブを被っている以外目立った特長はないが、体格にばらつきがあるため複数犯の可能性も考えられる。
奴、もしくは奴らは、最近頻発している妖精の持ち物が盗まれる事件と無関係ではないはずだ」
疑いが濃厚な容疑者が出た以上、ノアの両親への嫌疑は薄れる。
犯人が捕まれば完全に無実だと確定するが、捜査員であるレイフには犯人を誤認したという不名誉がついてしまうのではないか。
ノアはそれを心配していた。
「レイフは、大丈夫なの? 責められたり怒られたりするんじゃ……」
「とりあえず、少し下がれ」
不安げなノアを下がらせたレイフは安堵したふうに息を吐き、姿勢を正す。
「前にも言ったが、姫がこちらで暴れて人間と妖精の関係が悪化し、反妖精派が勢力を増すのに比べれば、俺自身の評価が下がることなど大したことではない。計画については事前にボスやエドガーにも話して協力を得ている。……お前が気に病む必要はない」
レイフの平坦な声のなかには、ほのかだが確かな優しさが含まれている。それを感じ取ったノアは、心配するより感謝する方がレイフに報える気がした。
「ありがとう」
万感の思いを込めて、ノアは微笑んだ。レイフもまた無愛想なりに表情を緩めて、満足そうに目を伏せた。
二人の間に春色めいた穏やかな空気が流れるなか、第三者の声が割り込む。
「ねぇ、ノア。これ食べていい?」
「あ、うん。どうぞ」
反射的に答えてから違和を覚え、ノアは部屋のなかに視線を巡らせる。
さきほど閉めたはずの庭へ続く扉がいつの間にか開け放たれており、銀色の長い髪を編みこんだ中性的な青年――エムリスが立っていた。
黄緑がかった銀の目に喜色を滲ませた彼は、ノアの両親が妖精のために買い置きしていたお菓子の缶を開け、ぽりぽりとクッキーを食べ始めた。
「な、なんでここにエムリスがいるの!?」
「なぜここにお前がいる、エムリス!!」
驚くノアと、怒りを含んだレイフの言葉が重なる。
二人一斉に声をかけられたエムリスは瞬きした後「お邪魔しているよ」とのん気に笑った。
「貴様……! 相変わらずふざけたことを!」
「わー! レイフ落ち着いて!」
わなわなと拳を震わせて立ち上がるレイフを、ノアは必死に宥める。そうしないと今にもエムリスの胸倉を掴みに行きそうだった。
「きみも相変わらず辛気臭い顔をしているね、レイフ」
二枚目のクッキーを摘み上げたエムリスはそれを左右に動かしながら、ノアへと目を向けた。
「ノア。ぼくがあげたブローチは役に立ったかい?」
「あ、うん。とても助かったわ」
「それは良かった」
にこりと笑って、クッキーをかじる。神秘的な外見に反し、エムリスは子供っぽい。
「でも、わたしエムリスに謝らなきゃ。せっかくもらったブローチ、人にあげてしまったの。ごめんなさい」
「いいよ。あれはそのためにノアにあげたんだから」
「? ……どういうこと?」
やっぱり、エムリスには未来を予知する力でもあるのだろうか。それともただの偶然か、ノアに気を遣わせないようにそう言っているのか。
首をかしげるノアに向け、エムリスが一歩近付く。
「こいつに構うな。お前が関わるとろくなことがない」
エムリスからノアを守るよう、レイフが割り込む。肩越しにノアを振り返ったレイフの眉間には、深い皺がきざまれていた。
「ノア。お前にも言っただろう、もうこいつに近付くなと」
「や、さすがに今日のは不可抗力かと……」
気がついたら家に入り込んでいたのだ。ノアが自分から近付いたわけではない。
そもそも、ノアにはレイフがいうほどエムリスが危険な人物だとは思えなかった。現にエムリスがくれたペンダントのおかげで、レイチェルの興味は完全に指輪から離れ、ノアが彼女の指輪を結婚式で使ったことも不問になった。
「ひどいな、人を疫病神みたいに」
エムリスはさほど傷ついたふうもなく、クッキーをかじる。レイフは胡散臭そうにエムリスを睨みつつ、「何の用だ」と切り出した。
「お腹が空いて何か食べたいなーと思っていたら、ちょうどノアがいたから。食事に来た」
そういって、エムリスは人畜無害そうに笑う。
(食事、ってたぶん、クッキーのことじゃないんだろうな)
エムリスに「おいしい」と言われたことを思い出し、ノアは自分の身体をぺたぺたと触る。特に何かが減った感覚はない。急に疲れが襲うとか、貧血もないようだ。
一体彼は何を食べているのか。聞いてみようとレイフの後ろから顔を覗かせるも、レイフに遮られた。
「こいつを食われるのは気に食わないが、腹が満たされたなら帰れ。そして二度と近付くな」
「えー。別にレイフのじゃないんでしょ?」
「ノアは俺の嫁だ」
「っ!?」
レイフの俺の嫁発言に、ノアはびくりと反応してしまった。
おそらくレイフの言葉の後には「書類上は」と付くのだろうが、大きく跳ねた心臓はまだ余韻を残している。
(父さんと母さんの疑いが晴れるまで離婚届にサインしない、ってレイフに言ったけど、もう両親の疑いは晴れているんだよね。……サイン、しなきゃだめかな)
気まぐれでも打算でも、レイフが心変わりして「このままでいい」と言ってくれやしないかと、ノアは密かに期待を抱いた。
「ふーん? まぁ誰のものでもいいけど。ついでだから、これを返しておいてもらおうかな」
別段興味なさそうに首を傾げていたエムリスはごそごそと袂を漁り、ぎりぎり片手で持てる大きさの、血のように紅い水晶玉を取り出した。
濃い色をしているにも関わらず驚くほど透明感のある紅水晶は、魔力でも宿っているのかと思うほど目を惹く。ずっと見つめていると魂を奪われそうだ。
「お前、これをどこで!」
レイフの怒声で、ノアははっと我に返る。
彼の反応からして、この紅水晶が普通の品物ではない――妖精の持ち物であることは想像に難くない。
「道端で売られていたのを拝借してきた。これでもぼくは人間と妖精の困りごとを解消する商人だからさ」
「商人が拝借などするか。盗品とはいえ、勝手に盗ってくれば犯罪だ!」
得意げに胸を張るエムリスに、レイフは頭痛を感じ始めているようだ。
額を押さえたレイフを労わるよう、ノアはそっと背中に触れた。とたんにレイフはびくりと肩を揺らし、僅かにノアから離れる。どうやら背中に触れられるのには弱いらしい。
悪いことをしたと思いつつ、ノアはこれ幸いとレイフの影から出て、エムリスに対峙した。
「エムリスはその露天商の顔を見た?」
「いや。まずそうな奴だったことくらいしか覚えてない」
「そう……」
彼の判断基準は味覚に拠るらしい。その味覚も、一体何を味わっているのやら。
「ぼくが食べるのは“空気”だ。その人がまとう雰囲気や、精気とも言う」
「え……わたし口にだしてた?」
「いいや。さっきから聞きたそうな顔をしていたから」
違った? と首を傾げるエムリスに、この話題を厭うような気配はない。語ることに抵抗がないのならと、ノアはエムリスに疑問を伝えた。
「じゃあ、味の違いはどこから来るの?」
「子供は基本的においしいかな。レイフはものすごくまずかったけど」
「…………」
レイフはエムリスの食事の話に関わる気はないようで、腕を組んだまま横を向いていた。
「たぶん、幸せな人とか希望に溢れた人、前向きな人はおいしいんだと思う。優しい人や、元気な人もかな。逆に絶望した人や、恨み辛みを募らせている人、暗い人なんかはまずい」
宙に視線を向けていたエムリスはおもむろにノアを見て、にっこり微笑んだ。
「ノアは、果物やお菓子みたいだよ。甘くて何度でも食べたくなるような」
「へぇ……そうなんだ」
そう言われて、試しにノアは自分の腕のにおいを嗅いでみる。しかしエムリスが言うようなにおいはしなかった。
(エムリスの独特の感覚なのかしら。……それにしても、子供のときのレイフはよほど辛い思いをしていたのね。ものすごくまずい、と言うくらいだから)
レイフの過去については、ノアも一通り知っている。
赤子のときチェンジリングで妖精の祝福を受けたために実の親に捨てられたレイフは、その後も妖精との縁がもとで、たびたびちょっかいを出された。
養父母は厳しくも優しい人だったそうだが、しょっちゅう怪我をしたり、妖精界へ連れて行かれそうになるレイフを、周囲の大人――とくに子供を持つ親たちは“自分達の子まで不幸になる”との理由で疎んじたらしい。
黄金色の目や不思議な力は、レイフが欲して手に入れたものではない。周囲を不幸にするつもりなどレイフには全くないのに――
ノアがやるせなさ感じていると「もうその辺でいいだろう」とレイフがやや強引に話題を変えた。
「で、この紅い水晶をどうしろと? まさか返しておけと言うんじゃないだろうな」
「そのまさかだよ」
「な! なぜ俺に託す!? ラウェリンに言えば……ちっ」
反論したものの、レイフは途中で言葉を濁した。
「ラウェリンは“光”だから、トロルたちには毒だ。それにレイフは彼らの住処へ行くんだろう? ちょうどいいじゃないか」
「……なぜ知っている、と言ったところで、聞くだけムダだな」
「シルフに友達がいてね」
にこやかなエムリスに対し、レイフは苦虫を噛み潰したような渋面をしている。
二人の会話がさっぱりわからないノアは、口を挟んでよいものか迷っていた。トロルのことも、レイフがトロルの住処へ行くというのも気になる。
そわそわと目を泳がせていると、ふいにレイフと目が合った。
「お前には関係のないことだ。首を突っ込むな」
言葉こそ冷たいが、紺色の目にはノアを巻き込まないための配慮が見て取れる。
知りたい思いはあるが、レイフに迷惑をかけてまで好奇心を満たしたいとは思わない。
頷こうとしたノアを、エムリスが遮る。
「ノアも一緒に連れて行った方がいい。それが彼女のためでもある」
笑みを消したエムリスは今までの柔らかな雰囲気から一変して、真剣な顔をしていた。
「それはお前の得意の“勘”か?」
聞き返すレイフも真摯な様子で、二人の間にぴりぴりと空気が張り詰める。
一緒に行ったほうがいい、と言われれば、ノアにも他人事ではない。固唾を飲んで行方を見守った。
長い黙考ののち、レイフは深く息を吐き「――わかった」と返答した。
こうしてノアはレイフと共に、紅水晶をトロルに返しに行くことになった。
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