第8話 バカな子ほどかわいい?

 人々のざわめきと様々な料理の匂いが満ちる昼時の食堂で、レイフは一人食事を摂る。

 その表情はいつにもまして険しく、まとう雰囲気も暗く重苦しい。まるで忌避剤を撒き散らしているかのように、人も妖精も近づけさせなかった。


「よお、レイフ。一人か? かわいい嫁さんはどうした?」


 空席ばかりの不毛地帯を悠々と踏破したドミニクが、レイフの隣にどっかと腰を下ろす。レイフは一瞬だけ手を止めたが、表情一つ変えず食事を続けた。


「サンザシの指輪を売っていた露天商を探しに行った」

「あー、ノアにはまだあの事話してないんだったな」


 ドミニクはがしがしと頭を掻き、テーブルに頬杖をつく。


「いずれ俺から伝える」

「しかしなぁ、万が一ノアが窃盗犯に接触しちまったら危ないだろ?」

「真相を伝えたところで、あいつが犯人探しをやめるとは思えない」

「まぁ、そうだな……ノアはそういう子だよなぁ」


 淡々と話すレイフと違い、ドミニクの表情は細かく変化する。悩みや情けない顔を部下達の前でも曝け出す気安さが、彼が多くの者に慕われる要因の一つだろう。


(なぜノアは、俺などを……)


 自分に愛想の欠片も人好きする要素もないことは、レイフも自覚している。性格を改善する必要性も感じない。


 ただ、昨夜ノアに「好き」と言われて自身を顧みれば見るほど、ノアがどこに好感を抱いたのかがわからなくなった。

 町の人間や妖精にまで慕われるドミニクや、面倒見の良いエドガーにではなく、なぜレイフなのか――


「あの子はほんと良い子だよなぁ」


 しみじみとしたドミニクの声で、レイフは我に返る。いつの間にか止まっていた手で蒸かしたイモにフォークを刺しながら、心の内でドミニクに同意した。


「ノアがお前の目のことを知った後、オレァ聞いたんだ」


 ドミニクは声を潜めレイフを見る。長い前髪に隠された黄金色の右目をも捉えるように。


「もしレイフのことが嫌になったなら、他の奴の助手になるか、って。そしたら、一も二もなく『レイフがいい』だとさ」

「……あいつは考えが足りないだけだ」


 どうせ深く考えず答えたのだろう、もしくは異形の目や親に捨てられた境遇を同情したか。そう思えども、心のどこかでそれを否定する声がする。


 ノアは確かに考えが足りないが、何も考えないほどバカではない。


 妖精に祖母のペンダントを奪われた、と訴えていた女性宅へ行ったときもそうだった。

 妖精の仕業ではないため帰ろうとしたレイフを、ノアは「妖精の仕業じゃないと言われたところで、見つからなければ疑いは晴れない」と嗜めた。妖精と人とを繋ぐ仕事はつまり、互いへの信頼を守ることでもあるのではないか、とも。


 妖精の祝福を受けた黄金色の目の力を使えば、家の中を透視するくらい造作もない。しかしレイフには、自分を捨てた両親への不信から、人間に対して配慮がかけるきらいがある。忌々しい異形の目の力にも、極力頼りたくはなかった。


(俺にも、足らないところは多々ある。ノアのことは言えない)


 ふ、と目を伏せたレイフは、昨夜自分のことを尊敬していると言ってくれたノアの言葉を思い出し、口元に自嘲を浮かべる。自分はそんな大層な人間ではないというのに。


「結構良いコンビになると思うぞ、お前達は。オレが言うんだ、間違いない!」


 惜しげもない笑顔で胸を叩いたドミニクは「ついでにこのまま本当の夫婦になっちまえよ」と無責任なことをのたまう。人の気もしらないで……。

 フォークを皿に置いたレイフは頭痛を感じ、溜息を吐く。


「あ! レイフいた! ちょっと聞いてよ、妖精館の中だけじゃなくて外でも噂になってるんだけど、どういうこと!?」


 騒々しく食堂にやって来たノアは人々の間をすり抜け、涙目でレイフに訴える。

 レイフと違いとっつきやすいノアが現れたことで、食堂内の視線はとたんに好奇の色を増して行く。皆まことしやかに囁かれる噂のことが気になっていたのだ。

 それを自分から撒き散らしてどうする。レイフは強まる痛みを抑えるよう、額を押さえた。


「……大方人間だけでなく、噂を聞いた妖精までもが面白がって広めているのだろう。とくに風の妖精シルフなどは人間の声を遠くまで運べる」

「う……うぅ、なんてこった!」


 頭を抱えたノアは机につっぷし、「お嫁に行けない」とぶつぶつ呟きだす。

 お前は今俺の嫁だろう、と突っ込みかけたレイフは咳払いで誤魔化し、水を口に含んだ。


「ほほぉ、ノアがレイフの部屋から朝帰りしたって噂は、本当だったのか」

「ぶっ! ……っは、げほっ」


 にやにやしたドミニクのからかいで、レイフは危うく水を吹き出しそうになった。寸でのところで飲み込んだせいで、変な所へ入ってむせたが。


「違うんです!」


 咳き込むレイフがドミニクを睨みつけている間に、勢いよく顔を上げたノアが気色ばむ。待てお前、余計なことを言うな!


「わたしたち大事な話をしていただけなんです。レイフがちゃんと話してくれて、嬉しかった」


 はにかむノアは、レイフが目で制止を命じていることに気づかず、言葉を続ける。


「でも、その……夜に部屋に二人きり、っていう状況に緊張して、いつの間にかわたし……眠ってしまったみたいで」


 ごにょごにょと語尾を濁したノアは、レイフのベッドを奪ってしまったことを詫びながら頭を下げた。


 聞き耳を立てていた周囲の野次馬たちが「なんだ何もなかったのか」「レイフが手を出せるわけないか」などとがっかりしたふうに囁き合うのを徹底的に聞き流したレイフは、目元を押さえ俯いた。


 昨夜レイフが一通り身の上話を終えたあと、ノアも自分の生い立ちを語った。

 順序だてられていないうえ、喋るうちにあちこちに飛ぶ彼女の話を理解しようと、レイフは真剣に耳を傾けていたというのに――


(お前がのん気に寝こけたあと、俺がどれほど苦悩したか……!)


 ノアの部屋へ運ぼうにも、本人に断りなく触れるのは憚られ、かといって自分も同じベッドで眠ることなど出来るはずもない。

 真夜中過ぎまでどうすべきか頭を巡らせていたレイフは結局、ベッドから遠いクローゼットの前に座り込んで朝を待ったのだ。


「いやぁ、レイフにもついにそういう相手が現れて、オレぁ嬉しいぞ!」


 子供の成長を喜ぶような優しい目で、ドミニクはばんばんとレイフの背を叩く。遠慮のない強さのなかに彼の安堵を感じたレイフは、その痛みを甘んじて受けた。


 ドミニクとはレイフがチェンジリングに遭った時からの付き合いで、親戚のおじさんのようなものだ。公私共に世話になっている分、どうにもドミニクには頭が上がらない。


「……仕事に戻るぞ」


 休憩時間の終わりを告げるベルが鳴ったのをこれ幸いと、レイフは立ち上がる。


「あ、うん!」


 慌ててレイフの後を追おうとしたノアを、ドミニクが呼び止めた。


「両親との面会、もうしてもいいぞ。時間があるときに行って来い」

「ほんとですか!?」


 ぱっと表情を輝かせたノアはドミニクの手を取り「ありがとうございます!」と繰り返す。両親が連行されて以来ノアはずっと面会を申し入れていたが、共謀の恐れありとの理由で叶わなかったのだ。


「ボス」


 今はまだその時ではないと、レイフは難色を示す。しかしドミニクはレイフを指差し、ノアに言った。


「ただし、レイフと一緒ならな」

「わかりました!」


 早口に答えたノアはレイフを振り返り、きらきらした期待の眼差しを注ぐ。

 全身で同行を請うノアを前に、レイフはたじろぐ。嫌悪や畏怖以外で、こうも真っ直ぐせきららな感情を向けられることには慣れていない。


「お願いします、レイフ!」

「…………十五分だけだ」


 ダメ押しとばかりに願われ、レイフは折れた。


 ノアに両親との面会を許可するということは、今まで彼女に隠していたことを明かさなければならないということだ。

 もろもろ懸念はあるが、両手を上げて歓喜するノアを見ていると、レイフの口元は自然と上向いていった。

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