第3話 人と妖精を繋ぐ仕事
「ノア・ハワードです。よろしくお願いします!」
元気よく挨拶したノアに、捜査係のボスであるドミニクと、エドガーを含む数人の調査員、事務員のおばちゃんが拍手と挨拶を返してくれた。
レイフはいつもの仏頂面を三割り増しにしており、エドガーの助手だという少年――アランも、睨むようにノアを見ている。
ぱっと見た限り、アランはブルーベルを埋め込んだ装飾品を身につけていない。ノアに支給されないところからしても、助手には渡されないもののようだ。
「ボスには悪いですが、僕は反対です。容疑者の家族を雇うなんて」
綺麗な顔のわりに、アランの性格はきついようだ。言葉の端々からはノアやドミニクに対する不満が滲み出ていた。
「まぁそう言うな、アラン。オレにもちゃあんと考えがあるんだ」
「どういったお考えですか?」
「それはまぁ、その、ほら、あれだあれ!」
アランの疑問を大雑把に誤魔化したドミニクは、レイフに水を向ける。
「レイフ、ノアはお前の助手だからな。色々教えてやれよ」
「不本意ですが……命令ならば従います」
不承不承了承したレイフは、溜息と共にノアを呼んだ。
「なんでしょう、ミスターグラント」
「……やめろ、いつも通りでいい」
殊勝なノアの態度を、レイフはお気に召さなかったらしい。被っていた猫をさっさと脱ぎ捨てたノアは「なぁに、レイフ」と言い直した。
「見ての通り、捜査係は人手不足だ。頭数がいるときは、他の係から借りてくることがしばしばある」
「結婚式に乱入したときみたいに?」
「ああ」
ノアの嫌味はやはり、レイフには効かないようだ。鋼の心臓をしているのか、嫌味を嫌味と思っていないのか。
どちらにせよ対抗心を煽られたノアは、密かに気合を入れた。
「お前が役立つことは期待していない。俺の手を煩わせないでいてくれればいい」
「……わっかりましたー」
なんだその言い草はと思えども、ドミニクたちがいる前で言うのは得策じゃない。不満を飲み込んだノアは調査に行くというレイフに続いて、妖精館を出た。
レイフが訪れたのは、「妖精にペンダントを盗られたかもしれない」という黒髪の若い女性の家だった。最初妖精館の相談係に寄せられた話が、捜査係に回ってきたらしい。
女性から話しを聞いたレイフはしばらく家のなかを歩き回ったあと、淡々と告げた。
「妖精の痕跡はない。どこかに置き忘れただけではありませんか?」
「そんな! 家の中も心当たりの場所も、もう散々探しました!」
「ちょっとレイフ、その言い方は酷いわよ!」
依頼人とノアとに詰め寄られ、レイフは迷惑そうに顔をしかめた。
「妖精の仕業でない以上、我々では力になれない。他を当たってください」
出されたお茶にも手をつけず席を立とうとするレイフを、ノアはすかさず捕まえる。
「そんなんじゃ納得できるわけないじゃない。妖精の仕業じゃない、って証拠は?」
「……職務上の秘密だ」
「なにそれ!」
素っ気無いレイフの態度は、とても誠実とは言い難い。仮にレイフの言うことが本当であったとしても、もっと言い方があるだろう。
「あなたもさっき聞いたでしょう? ペンダントはおばあさんの形見で、とても大切なものだって。妖精の仕業じゃない、なんて言われたところで、見つからなければ疑いは晴れないわ」
妖精と人とを繋ぐ仕事はつまり、互いへの信頼を守ることでもあるのではないか。そう訴えるノアを見下ろすレイフは、「それは広報の仕事だ」と切り捨てた。
「~~っとにもう! レイフには人の気持ちがわからないの!?」
依頼人の目の下にはくっきりとクマが出来ている。頬もこけていた。
見つからないペンダントにどれほど心を砕き、失くした自分を責めているか、今日初めて会ったノアにだってわかるというのに。
「もういい、わたしが一緒に探します。二人で探せば見つかる可能性も高くなると思うし」
「勝手なことをするな。俺はお前のことをボスから任されている。置いていけば俺が命に反したことになる」
「じゃあもう少し付き合って。男としてそれくらいの甲斐性があったっていいと思うわよ、“旦那さま”」
わざと夫婦を強調するノアに、レイフではなく依頼人の方が反応した。
「あら、二人は夫婦なの?」
「ええ。ちょっと訳ありで、指輪はしていないんですけど」
ノアは何もない左手の薬指を掲げ、ちらりとレイフを見る。しかしレイフがダメージを受けた気配は微塵もなかった。この男、どれほど防御が硬いのか。
「それじゃあ、さっそくこの部屋から探しましょうか」
気持ちを切り替え、ノアは依頼人に提案する。
女性の家は一人暮らし向きの家で、部屋は現在ノアたちがいる台所兼リビングと、寝室があるだけだ。隅々まで探してもそう時間はかからないだろう。
見つからなかった時の事は、後で考えよう。
依頼人の同意を得てペンダントを探し始めるノアを、レイフは凍った湖のような冷めた目で見つめていた。
しかしノアに諦める気がないと察すると、前髪で隠れた右目を押さえ、呆れをたっぷり含んだ溜息をつく。
「ほら、レイフも突っ立ってないで探してよ」
四つんばいになって床を眺め回すノアがレイフを振り仰ぐと、レイフの骨ばった指が家の一点を示していた。
「? なに?」
「そこを探せ」
「そこって、流しの下?」
無言で頷くレイフを訝りつつ、ノアは台所へ移動する。
依頼人に断ってから手前に扉を開くと、中には野菜のピクルスや調味料などが詰められた瓶が保管されていた。
「わ、おいしそう!」
マッシュルームのピクルスに目をとられたノアだったが、レイフの咳払いで我に返る。
流しの下に身を潜らせるように奥へと視線を向けていくと、排水パイプの裏で何かがきらりと光った。
「ん?」
ノアは瓶を倒さないように気をつけながらそれを拾い、身体を流しの外へと出す。
「それ! それです、おばあさまのペンダント!」
チェーンの切れたグリーントパーズのペンダントを見た女性は、喜びのあまり腰が抜けたのか、その場に座り込み声を震わせる。
「大方、奥の方の物を取ろうとしてチェーンが引っかかったんだろう。さらに悪い事に、ペンダントを探して瓶を動かすうち、奥へ奥へと押されていった、といった所か」
横柄に腕を組んだレイフは、全く人騒がせな、と言わんばかりだ。
ノアはレイフを注意しようかと思ったが、女性が両手で大切そうにペンダントを包み込んでいる姿を見て、言葉を飲み込んだ。
「本当にありがとうございました。それから、妖精を疑ってすみませんでした」
帰り際、依頼人はノアとレイフに何度も頭を下げていた。
「――ねぇ、レイフ」
ノアはお礼にともらったマッシュルームのピクルスを抱えつつ、隣を歩くレイフを見遣る。
足の長さの違いから生まれる歩幅を全く鑑みてくれないレイフは、ちらとノアを見ただけで、すぐ正面に向き直ってしまった。
素っ気無い態度に慣れて来たノアは、気にせず疑問を口にした。
「さっきのペンダント、どうしてあそこにあるってわかったの?」
レイフと依頼人が会うのは、今日が初めてだったそうだ。彼女の家を見て回った時だって、レイフは台所の下など開けていない。あそこにペンダントがあると、知り得るはずはないのだ。
「教えるつもりはない」
レイフの答えは無味乾燥だ。それがノアには投げやりに思えて、むっとした。
(もしかしたら何か、特別な捜査員しか持ち得ない能力とか、失くし物を見つける秘伝の方法でもあるのかしら?)
考えて、ノアはすぐさまそれを否定した。そんな便利なものがあれば、面倒を嫌うレイフは真っ先に使っているだろう。
「次の依頼人との約束まであと五分だ。急げ」
懐中時計で時間を確認したレイフが、スピードを上げる。
「わ、ちょっと待ってレイフ!」
今でさえ歩幅の大きなレイフに必死に喰らいついていたノアは、駆け足でレイフを追いかけた。
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妖精館での日々は、ノアが想像した以上にハードだった。
主な仕事は外回りで、ピクシーや小人などの妖精のいたずらで困っている人のもとを訪れ、それが本当に妖精の仕業かどうかを捜査し、解決をはかる。
なかには人間同士のトラブルや、相談の段階で解決できそうなものも含まれており、「相談係の野郎手ぇ抜きやがって」と愚痴るエドガーに、ノアは大いに共感したくなった。助手の立場では大っぴらに言えないが。
他にも妖精界側からの依頼――妖精が人間に騙されたとか、宝を奪われたといった事件の捜査も行っているらしいが、ノアは同行を許されなかった。
「人間と妖精の溝って、けっこう深いのね……」
妖精館で働き始めて初めての休日。宿舎にある自室のベッドに横になったノアは、苦悩の溜息を吐く。
ノアの両親は根っからの親妖精派で、花壇を荒らされても窓を割られても笑っていた。知り合いたちも救国伝説に敬意を払い、妖精の多少のいたずらは看過しているようだった。
けれどノアが出会った依頼者たちは妖精を――彼らのいたずらを嫌悪しており、「どうにかしてくれ」とレイフに訴えた。なかには妖精避けのため、日中から鉄のランタンに火をいれている人もいたほどだ。
ノアが一番印象的だったのは、妖精に転ばされた子供の母親の言葉だ。
『打ち所が悪ければ命を落とす事だってあるのよ! いたずらでは済まないわ!』
子供を心配して激怒する母親の気持ちは、ノアにもわかる。捜査した事案の中にも危ないと思うものが幾つかあった。
レイフが言うには、必ずしも妖精に悪気があるわけではないらしい。遊びのつもりで人間にちょっかいを出し、折り悪く大きな怪我や事故になってしまったのだろう、と。
また、妖精の通り道を荒らしたとか、妖精が大切にしている木を切ろうとしたとかで彼らの怒りを買い、報復を受けることもあるそうだ。
人間と妖精が禍根なく仲良くするにはどうすればいいのか。お互いが分かり合うには、何をすればいいのか――考えてみても、おいそれと答えは出ない。
ままならない現実にまた一つ息を吐いたノアは、弾みをつけてベッドから起き上がる。
「外へ行こう。サンザシの指輪を売った露天商のことを調べなきゃ」
沈んだ気持ちを切り替えるよう、両手で頬を叩く。
両親の疑いを晴らしたい一心でドミニクに頼み込み、捜査員助手になったはいいが、仕事が忙しすぎて肝心の指輪の調査が出来ていなかった。
連日レイフの歩幅に合わせて歩き回っている疲れはあるが、今日を逃してはまたしばらく仕事に忙殺されそうだ。
手早く支度を済ませたノアは、露天商がいたという家具工房の傍へ向かった。
昼食を摂るのも忘れ、ノアは果物や野菜を売る店の主や、道行く人に話を聞いた。捜索範囲を広げ、人通りの多い場所でも聞き込みをした。
けれど誰も、サンザシの指輪を売っていた露天商に心当たりはないという。
せめて顔の特徴や背格好がわかれば情報収集のしようも広がるが、直接露天商を見ていないノアには何の手がかりもない。このままでは露天商を見つけ出すことなど夢のまた夢だ。
「はぁ……どうしよう」
公園のベンチに身体を沈めたノアは、棒のようになった足を投げ出し途方にくれる。
思えば、捜索係で露天商が見つかったという話題は聞かれない。
ノアよりよほど経験のある捜査員たちが探して見つけられない相手を、素人のノアに見つけられるはずがない。
少し考えればわかることに気付かなかった失態が、ノアの疲れを増幅させる。
日暮れと共に風はほんのり冷をはらみ、空の西の端にも青が混ざり始めた。
家へ帰る子供達の声を聞きながら、ノアは足元をちょこまかと移動するネズミの妖精をなんとなしに見つめる。
「そういえば、あの指輪の持ち主って、どんな妖精なんだろう」
サンザシの指輪は、ノアの指にぴったりだった。妖精と人間とでは歳を取るスピードが違うが、背格好は似ているのかもしれない。
ペアリングということは、その妖精も結婚を控えていたのだろうか。それとも誰かに贈るつもりだったのか。指輪が盗まれて、さぞ心を痛めているに違いない。
「持ち主に会いたいの?」
ふいに、ノアの隣から声がした。低くも高くもないそれは、萌芽を告げる春風のように優しい声だ。
「え?」
心なし重い頭を上げたノアの目に映ったのは、中性的な顔立ちをした美しい男だった。年の頃はレイフよりやや下――二十前後くらいだろうか。
一番に目を惹くのは、彼が抱えるハープに彫られた黄緑色のアジサイを溶かし込んだかのような、不思議な色合いをした銀の目だ。
編みこんだ銀色の長い髪や、長躯にゆったりと巻きつけたシルクの布が夕日を受けオレンジがかって見える様も、神秘的な美しさをたたえている。
およそ人間離れした容貌に見入っていたノアは、「ぐぅぅ」と空腹を訴える腹の虫の音で我に返った。
「やだ恥ずかしい! こ、これはその、お昼を抜いたせいで!」
「大丈夫。今のはきみのお腹じゃなくて、ぼくのお腹の音だから」
慌てるノアに、青年はおっとりと微笑む。
恥ずかしさに赤面するノアを庇ってくれたのかと思えども、彼の腹部からはまた「ぐぅ」と小さな音が鳴っていた。
「ね?」
「うん、そうみたいね」
首を傾ける青年に小さく笑ったノアは、昼食のために買ったはいいが手付かずになっていたパンを鞄から取り出し、青年に差し出す。
「よかったらどうぞ。時間が経ってしまっているから、ちょっと硬くなっているかもしれないけど」
「いいのかい?」
「ええ。鳴いているお腹の虫を落ち着かせてあげて」
「ありがとう」
ノアからパン――ハムとチーズのベーグルサンドを受け取った青年は顔を綻ばせ、大きな口でベーグルにかぶりつく。
美味しい、と目を輝かせる様は整いすぎた見た目とだいぶギャップがあり、子供のようにも見えた。
「ごちそうさま」
「どういたしまして」
ぺろりとベーグルを平らげた青年は満足そうにお腹をさすった後、思い出したふうに名乗る。
「ぼくはエムリスというんだ。きみの名前は?」
「わたしはノアよ。エムリスは、吟遊詩人なの?」
ノアがエムリスの膝に置かれているハープを指差すと、エムリスは「違う」と首を振った。
「これは持っているだけ。ぼくは弾けないんだ」
「そうなんだ」
なぜ弾けないものを持っているのか気になるが、彼には何かポリシーがあるのかもしれない。深く考えないでおこうと、ノアは話題を変える。
「そういえばさっき、持ち主がどうこう言っていた気がしたけど」
「サンザシの指輪」
「そうそれ! 知っているの? あれが誰の持ち物か」
ノアがぐっと身を乗り出すと、エムリスは驚いたふうに瞬いて、頷いた。
「知っている。けど、ぼくの口からはいえない」
「どうして!?」
思わず責めるような口調になってしまい、ノアは「ごめん」と慌てて謝った。
「わたし、どうしても知りたいの。あの指輪が誰の持ち物か、誰がそれを盗んで、わたしの両親に売ったのか。知っているなら、教えて。お願い」
ノアにとっては、やっと見つけた希望の光だ。どうしても情報が欲しい。必死な様子のノアを、エムリスは黄緑がかった銀の瞳でじっと見下ろしていた。
草花を優しく揺らした風が二人の傍を過ぎ去り、新たな風がノアの栗色の髪を小さく浚う。どこからか、野菜を煮込む匂いが漂い始めていた。
「…………ごめん」
たっぷりと間を持たせた長い瞬きのあと、エムリスは目を伏せる。
「どうしても、教えてあげられないんだ」
「……そう」
すまなそうな顔をするエムリスにも、何がしかの事情があるのだろう。エムリスが決して意地悪で言っているのではないことは、しょげたふうな声からもわかる。
けれど、ノアは落胆を隠しきれなかった。
何についてなら教えてもらえるのか、あの行商人のことは知っているだろうか――代替案を考えるノアの目の前に、すっとエムリスの手がのびてきた。
「かわりに、これをノアにあげる」
エムリスの白い手のひらには、野いちごを模したブローチが乗っている。
二枚の葉は黄色がかったグリーンスフェーンで、三つある実はレッドベリル。どの石も透明感があり、僅かな光をも反射してきらきら輝く。
「きれいね」
「気に入った?」
「ええ。でも、こんな高そうなものもらえないわ。わたし、何もしていないし」
「きっときみの役に立つ。それに、パンのお礼」
微笑むエムリスは、受け取りを拒むノアの胸元に素早くブローチを付けた。
手馴れた様子は女たらしの気配を匂わせたが、満足そうな顔は純粋そのものだ。
「よく似合うよ、ノア」
「あ、ありがとう」
屋台で買ったパンと綺麗なブローチとでは、どう考えたってブローチの方に天秤が傾く。けれどここまでくると頑なに断るのも悪くて、ノアはありがたく好意を受けることにした。
何か裏があったりして、と思わないでもないが。
(エムリスって、不思議な人ね)
自分の胸を飾る野いちごのブローチを指先で撫でるノアに、「ふふ」という楽しげな笑い声が届く。
「きみはほんとうに、おいしいね」
「…………はい?」
おいしい? おもしろい、の聞き間違いだろうか。それとも何かの比喩なのか。どうにもエムリスの言動には、独自の不可思議な基準があるように見えるが。
うっとり恍惚したふうな微笑を湛えるエムリスに、真意を問うべきか否か――どうするべきかと、ノアは内心冷や汗を流す。
「それじゃあ、また」
「え? あ、うん」
悩むノアを置いて、エムリスは去ってしまった。
長い銀の三つ編みを揺らしながら夕暮れの町へ紛れていく優美な後ろ姿を見送ったノアは、狐につままれたような心地でしばらくベンチでぼうっとしていた。
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