#6 - 教室までの道 - road to our classroom - 3

 玲香「こ、こんにちは~……」

 ??「ハウディー!」

 玲香「……?」


 それは、とても聞き慣れた声だった。


 春泉「レイカ、こんなところで何してるの?」

 玲香「いや、何してるの、ってかれても、ねぇ……」


 わたしはかんづいてしまった。

 なんかこの生徒会の子、わたしに言いづらいことを言わせようとしてない……?

 幼馴染おさななじみのトイレが終わるのを待ってる、なんて言えるわけがないでしょ!

 なんて答えよう……そう思っていると、春泉はるみはわたしの身体からだの異変に気づいた。


 春泉「あれれっ? レイカ、うでがちょっと濡れてる……?」

 玲香「こ、これは……!」


 かくそうとしたけど、見つかったあとだし、そうしてももはや意味がない。

 というか、なぜかわたしのほうが赤面せきめんしそうになってるんだけど……!


 春泉「……なんだろう、この感じ」

 玲香「……はい?」


 言って、とつぜん春泉は身体をくねらせて何かをうったえようとしていた。


 春泉「なんだか、とんでもなく身体がうずきはじめてる、みたい……」

 玲香「あなた、もしかして……」

 春泉「で、でも生徒会のしごと、まだ途中とちゅうだし……」

 玲香「いやあのだから、そんなこと……」

 春泉「ここでげたら、またみんなに叱咤しったされて、それで……」

 玲香「そんなこと考えなくていいから、早くそれをませてきたら……」

 春泉「それじゃダメなの! いまはとにかく、ハルミひとりでがんばりたい……」

 玲香「春泉……?」


 もしかしてこの子、ずっとひとりでいろいろかかんでいたの?

 こんなことになる前に、わたしに相談のひとつくらいしてくれたらよかったのに。


 玲香「あなたの事情はよくわかったわ、春泉。だからとにかく早く……」

 春泉「えっ……レイカ、もしかしてハルミを見て、何かヘンなこと考えてる?」

 玲香「あの、どうしてそうなるのかしら……」


 どこまでもおかしなこと考えているのは、そっちのほうでしょ……。

 未咲といい、この子もたいがいちょっと危なっかしいにおいがする……。


 玲香「わかってるわよ、春泉。あなたもきっとおトイレ、行きたいんでしょ?」

 春泉「ど、どうしてわかったの、レイカ……」

 玲香「さあ……女のかん、とでも言っておくわ」

 春泉「レイカ……きみにはかなわないよ」


 いまさらなんだけれど、春泉はどうしていつもそんな不慣れなしゃべりかたなの?

 どちらかというと、そのしゃべりかたはどことなく外国人っぽいような……。


 玲香「トイレなら向こうだけど、未咲のこぼしたそれには十分に気をつけて」

 春泉「……ほんとに行っていいの?」

 玲香「まだ心配かしら? じゃあ、ここでいっかい落ち着いてから行きなさいよ」

 春泉「……わかった、そうする」


 なんだか、すっごい既視感デジャ・ヴュおぼえてしまう……。

 さっきの未咲も、こんな感じでおとなしくなってしまったような……。

 かりに二人で行動させたら、ろくにトイレにも行けなさそうで心配がつのる……。


 春泉「はぁ、はぁ……なんか、よけい落ち着かなくなってきた……」

 玲香「あたりまえでしょ、じつはずっとがまんし続けていたんだから」

 春泉「でも急に動いたら、それこそもうダメになっちゃいそうで……」

 玲香「それはだいぶ難儀なんぎね……わたしの手、借りなくても行ける?」

 春泉「それはダイジョーブ、だけど……ゆっくりいかせてほしい」

 玲香「はいはい」


 未咲ほどのだらしなさは、どうやら春泉にはなかったらしい。

 と、冷静に分析ぶんせきしていた矢先やさきのこと。


 春泉「も、だめ……」

 玲香「……春泉?」


 これまたとつぜん、春泉がその場でぺたんと座り込んだ。


 春泉「ずっとがまんしてたぶん、動くのがだいぶつらい……」

 玲香「やっぱりダメだったんじゃない……ほら、手は貸すから」

 春泉「ごめんなさい、レイカ……」


 と言って、春泉は素直にわたしの手を借りることにしたようだった。


 春泉「ゆっくり行ってほしい……わたし、もう限界ではあるけど……」

 玲香「わかってるから」


 極限状態におけるがまんの難しさは、いちおう同性なので理解はできる。

 実感は、ちょっとわきづらいけど。

 この冷えきった空気で、ふたりともこうなってしまうのは必然だったか。

 ……きっとそうね。


 玲香「立ち上がるのもゆっくりよ、じゃないと辿たどく前に……」

 春泉「わかってるよ、レイカ……あっ!」


 短い悲鳴。それが意図いとしていることを、わたしはなんとなくさっしてしまった。


 春泉「どどど、どうしよう、レイカ……わたし、もう……」

 玲香「そんなこと考えないほうがいいわ、ほら目的地に着くことだけを考えて」

 春泉「そんなこといわれても、その……だって……」


 いつの間にか、春泉の一人称いちにんしょうも名前から、あらたまったそれに変わっていた。

 風貌ふうぼうこそふまじめだったりするし、不釣ふつい感はいなめない。

 というか、よくその感じで生徒会をやってのけてるわ、ある意味尊敬する……。

 そんな春泉の顔は、これまたのっぴきならない表情をたやすく作り上げていた。


 春泉「ふぎいぃぃっ……レイカ、もう前がよく見えないよ……」

 玲香「しっかりしなさいよ、もうすぐ目の前に見えてくるはずだから」

 春泉「なんかね、下半身の感覚もだんだんなくなってきたんだ……」

 玲香「たとえそうなったとしても、歩くのをやめたら終わりでしょ」

 春泉「そ、そうなんだけどぉ……いやっ」


 瞬間、しぼすような液体の音が、春泉の身体をめぐっているのを感じた。


 春泉「そんな……もう、なんか出てる……っ」

 玲香「春泉……?!」


 わたしのほうがおどろいていたりする、ちょっと不思議ふしぎな瞬間だった。

 なんとか救い出せなかったのだろうか……自責の念が、わたしを容赦ようしゃなくおそう。


 玲香「ね、ねぇ、いま出てるそれ、止めることはできそう?」

 春泉「そんなこと、できるわけ……」

 玲香「ほら頑張がんばって、ここでらないと、その、全部でちゃうから……」

 春泉「……がんばってみる」


 泣きじゃくりかけのこどもの顔で、そう返事してくれた春泉。

 ほんとうはもうちょっと大きな身体だけど、やっぱり不釣り合いな状態が続く。


 玲香「えっと……とまったかしら?」

 春泉「うん……」

 玲香「じゃ、じゃあ、歩くわよ……」

 春泉「……ゆっくりだよ?」

 玲香「わかってる、から……」


 なぜかわたしまで、春泉にあわせるかのようにしゃべり始めた。

 退行する春泉の精神状態に、文字通り感覚がずっとしていた。


 玲香「はい、いっちに、いっちに……」

 春泉「うぅ……わたし、そんなこどもじゃないのにぃ……」

 玲香「しかたない、でしょ、いまはとにかく、歩き続けないと……」

 春泉「そうなんだけどぉ……もうわかんないよぅ、なんにも……」

 玲香「わかんなくても、それでも足だけはとめちゃダメよ、いい?」

 春泉「うん……」


 どうにもなりづらい状況じょうきょうだとしても、わたしはあきらめたくはない。

 わたしは昔から、そういうさがだから。


 玲香「もうすぐトイレだから、がんばって」

 春泉「……うん」

 玲香「未咲もそこにいるだろうけど、あの子のことはとりあえず

 春泉「わかった……」


 何をしでかすか、わかったものじゃないから。

 じつは未咲はときどきトイレで、ヘンな声をあげていたりする。


 玲香「ほら、見えてきたわよ」

 春泉「ほんとだ……! ありがとう、レイカ……」

 玲香「お礼はあとでいいから、とにかく歩みを止めないで」

 春泉「そうだね……レイカのいうとおりだよ……」


 これまた既視感を呼びそうなセリフ。未咲あたりが言ってた気がする。


 春泉「ああっ……なんか、安心したら、力がけて……ははっ」

 玲香「ちょっと、春泉?」

 春泉「もう十分がんばったし……ここで全部だそうかな、みたいな……」

 玲香「あのね……わたしがどれだけ苦労して、ここまで運んできたと思って」

 春泉「もちろん感謝はしてるよ、レイカ……でも、わたし、もう……」

 玲香「えぇ……(落胆)」


 ここまでのわたしの骨折りは、いったい……?


 春泉「ありがとう、レイカ……」

 玲香「もう、どうにでもなっちゃえ……」


 言って春泉は、みずからんだ黄金色こがねいろの液体を、躊躇ちゅうちょなく放出した。


 春泉「はぁぁ……がまんしてたぶんだけ、なんか開放的……♡」

 玲香「未咲といい、どうしてわたしのまわりの子はこうも……」


 ひとりうなだれている、わたしだった。

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