第8話 新たなる旅立ち
「直ぐにその者のところへ案内してはくれまいか。」
「だめですよヴォルフ伯父。まだ動ける身体じゃないでしょうに。」
結局アゼリア公ヴォルフ=ロジックが城の外に出歩けるところまで回復するのには2週間が必要だった。その間、ヴォルフは自ら礼に行くので若者を呼びに行くというレムスやロックの申し出を断りつづけた。
やっと動けるようになり、早速ヴォルフはレムスやロックを連れてドーバの住むダウンタウンへと来た。馬に乗って来られれば良かったのだが、それだけは周りが許さなかったので、ヴォルフとしては不本意ではあるが、馬車に乗っての行幸だった。
ドーバと若者には前もってヴォルフが行くことを伝えてあったので、二人は玄関先まで出迎えていた。
「これは公、ご災難でしたな。」
「ドーバ老師、お久しゅうごさいました。2年前にも助けていただいて、また今回はお弟子さんに救っていただき、なんとお礼申し上げてよいのやら。」
「公、ここではなんじゃ、中へお入り。」
一行はドーバの家に入った。特に変わっている家ではない。ダウンタウンにありがちな、ただ周りの家からすると多少大きく、広い家だ。太守であるヴォルフ一行を迎えるにはまったくもって不釣合いではあったが。
「君が私を魔道の術から救ってくれた若者かな。」
「そうです。助けたというのは、大袈裟ですが。」
「そうじゃよ、公。この者がやったことなど大したことではない。それよりも、あの術士を雇っていた人物が問題じゃ。」
「老師、なにかご存知なのですか。」
レムスが身を乗り出して訊いた。ヴォルフ公の命は助かったが、術を施した犯人は見当もつかなかったのだ。
「公、他の者達は外して二人で話ができんものかな。」
ドーバの申し出は侍従長であるレムスには了解できないものであったが、ヴォルフの命令もあり、二人を残して他の者達は別室へと控えた。
「君はなにか老師から聴いていないのかい?。」
「いいえ、老師は僕が戻ってからずっと一緒に居た筈なのですが、どこでそんな情報を得られたのか、僕にも不思議でなりません。」
ドーバと青年はこの2週間、ずっと一緒に修行をしていた。修行といっても瞑想が殆どで、精神を統一する術を教えて貰っただけだった。基本的なことはクローク老師のところで終えている、というのだ。
やがて再び中に呼ばれもどった者達が見たものは、元々好転に向かっているとは云え顔色は多少悪かったヴォルフの蒼白になった顔だった。
「公、一体どうされたのですか。」
「レムス、みんな、悪いが直ぐに城に戻ることにした。ドーバ老師、本当にお世話になりました。何かお礼をさせていただきたいのですが。」
「お礼など考えずともよいわ。それよりこの者の庇護者になってくれまいかの。」
「そう云えば君は何という名であったか。訊いておらなかった。」
「申し訳ございません、ヴォルフ公。僕は名前が無いのです。と云うのか、全く自分が誰なのか覚えていないのだす。」
「自分が判らないというのか。不思議なことがあるものだ。すると、名前は今は無いというのか。それでは、ドーバ老師の申し出もあることでもあるし、我が性を名乗るが良い。名前は、そう『ルーク』でどうだ。武王マークと忘却の神ルーズを併せた名だ。ルーク=ロジック、いい響きではないか。」
「公、そんな大切なことを軽々しくお決めになっては。」
「口出しするな、レムス。儂が決めたことだ。彼の者がおらなんだら儂の命は無かったかも知れないのだぞ。今後ルークは城に出入り自由とし、我が息子として扱うよう家臣たちにも申し付けておくように。」
「ヴォルフ伯父、良い判断でしたね。彼なら大丈夫です。十分その役割を果たしてくれるでしょう。」
ロックが当惑しているレムスの代わりに返事をした。
「何を考えておるのか知らんが、ロックよ、儂の言った意味はそれ以外何も含んでおらん。勘違いするでない。」
頭の回転の速いロックは話が多少見えてしまって勇み足のようなことを言ってしまった。レムスの立場もヴォルフ公が大切な侍従長を心配させたくない気持ちも意識していない、不用意な発言だったのかも知れない。
「すいません、公。僕が言いたかったのは、彼は剣の腕も人間も確かなので、ヴォルフ伯父の正式の養子としてもなんの問題も無いと思われる、と云うことです。」
「わかればよい、正式な養子としての話は後日追って考えることにして、とりあえず、ルークにはその名前を名乗ることと、儂の息子として扱われることを承知してもらわなければ。」
「申し訳ありません、公。そんな大それた事はとても承知できるお話ではないです。」
青年はもはや何が何だか判らなくなっていた。自分がアゼリア州太守であるヴォルフ=ロジック公の名前を貰って『ルーク=ロジック』と名乗るだけでも畏れ多いことなのに公の息子として扱われることに至っては、想像もつかないことだった。
「お前は何も逆らわずに公の云う通りにすればよいのじゃ。それが儂の意志でもある。儂にも公にも逆らうつもりかの。」
ドーバに世話になってから初めて真面目な眼差しで見つめられた青年は、とても逆らえないと思った。
「判りました。今から『ルーク=ロジック』と名乗ることにしましょう。ただ、僕の記憶が戻ったときには、二つの名前を名乗ることをお許しください。」
「勿論だとも、我が息子ルークよ。そなたがたとえ何処の誰であろうと、儂の息子には違いはない。儂の前だけでもルーク=ロジックで居てくれればそれでよいのだ。」
話はレムスにとって不本意な形でついてしまった。何処の誰かも判らない青年をロジックの性を名乗らせ、公の息子として遇しなければならない。城への出入りも自由とする。確かに公を救ってもらった借りはあるとしても、あまりにも性急な話だった。公には別の考えがあるのであろう、と自分を納得させたレムスだった。ロックは何か気付いているようだ。城に戻ってから問いただしてみようと思った。
とりあえず、ルークはドーバ老師の下で修行を続ける傍ら、城には数日に一度は訪れてヴォルフやロックの相手をする事になった。
ロックは暫く城に残ってヴォルフの側にいるつもりだった。仕掛けられた魔道は破られたが、何時また違う形でヴォルフの命が狙われるかも知れない。ロックにはヴォルフとドーバの態度で、ある考えが浮かんでいた。それは軽々しく口にできないことだった。レムスが訊きたそうにしているが、ヴォルフ公本人と相談してからでないと、侍従長であるレムスにも話せない内容なのだ。
一行の内数人は行きとは違い、とても重くなってしまった心を抱いて城に戻っていくのだった。
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