第2章 アゼリアの狼

第6話 再会

「君は昨日の。どうしてここに居るんだ。」


「今日からここで修行することになったんです。あなた達は老師になにか御用ですか。」


「ドーバ老師がいらっしゃるのか、頼み事があるんだ、ぜひ逢わせてくれないか。」


 ロックたちの表情に唯ならないものを感じた青年は直ぐにドーバに取り次いだ。ドーバはある程度のことは予測していたらしく、直ぐに居間に通すように云った。


「ヴォルフ公は相当悪いようじゃの。」


「そうなんです、ご存知でしたら直ぐにでもお城にお越し願えないでしょうか。僕はロック、ロック=レパードといいます。ヴォルフ公の剣の弟子です。」


 ロックは自分をそう紹介した。誇りに思っているからだ。


「お主がバーノン=レパードの次男坊か。出来るらしいの。ひと目でわかるわ。だが、もう少し経験が足りんようじゃ。師匠を抜いたなどと慢心するのではないぞ。」


「判っています。それよりお城の方へお願いできませんか。」


「それなら、簡単じゃ、この者を連れて行くが良い。それで問題は解決じゃ。」


「この者って僕のことですか。」


 これには当の本人の青年が驚いてしまった。どう解決だというのか。


「この人で解決できる問題だと仰るんですか、そんな単純な問題ではないと思うのですが。説明しますとですね。」


「よいよい、お主に聴かんでも儂には判っておる。心配せずともよい。この者で十分役に立つはずじゃからそう云うておるのじゃ、安心して連れて行くが良い。レムスにも儂がそう云うておったと伝えるのじゃ。」


 ドーバ本人はどうにも動きそうも無い。ドーバの勧めもあることだし、戸惑っているこの青年を連れて行くしかない、そう決心したロックはレイラと共に城へと戻った。


「ドーバ老師は不在でしたか。」


 ロックたちを見てロジック家の侍従長レムスは落胆の色を隠せなかった。確かに連れて来た青年が役に立つとはロックにも思えなかった。


「いいえ、老師は在宅されておられました。ただ、老師自らお城にご足労頂くことは出来なかったのです。僕の説明が悪かったのでしょうか、言わなくても全て判っていると仰って、この青年を連れて行けと。」


「この青年を?」


 レムスの当惑はそのままロックやレイラの当惑であった。そして、それは連れてこられた青年自身の当惑でもあったのだ。


「あのう、僕は此処へ何故連れてこられたのか、いまだ良く判らないのですけれど。」


「それは此処までの道々で説明しただろう。ヴォルフ公が何かの呪術を掛けられているらしいのでなんとかそれを解いて欲しいんだ。一流の魔道師にしか出来ない相談なんだけれど。」


「そんなこと、僕に出来ると思って連れて来たんですか。」


「ドーバ老師がそう仰ってただろう。君も聴いていた筈だ。」


 ロックは腹が立ってきた。老師は何を考えてこの青年を連れて行けと仰ったのか。ヴォルフ公の安否など如何でも好い事なのだろうか。


「判りました、とりあえずそのヴォルフ公のところに連れて行って頂けますか。」


 青年には何がなんだかわからなかったが、時の都ラグでクローク老師に言われた関わりのありそうな二人のうちの一人にこうも早く遭う機会が持てるなんて想像もしていなかった。自分に何が出来るのか判らないが、公に遭えば何かが起こる、そう思うしかない。


「この青年を我が主に遭わせても良いものでしょうか。」


「一応ドーバ老師の推薦でもありますし。ただ、僕やレイラは老師の顔を知らないので、彼を連れて行けと仰ったのがドーバ老師かどうかも判断がつきません。偽者にも見えませんでしたし、彼も剣の腕は確かなんで。」


「そんなことで判断しないでよ。」


 横からレイラが口を出した。


「君の名前は?」


 レムス侍従長が話しを引き取った。ロックやレイラに任せておいたらいつまでたっても埒があかない。


「僕は、僕の名前は。」


「なんだ、どうした。」


 青年はいかにも言いにくそうにしている。


「そういえば、最初にあったとき、変なこといってたな君は。」


「そうだ、判らないとか何とか云ってた。」


「判らないんです、本当に。ラグで倒れていたところをクローク老師に助けて頂いたのですけど、それ以前の記憶が全くなかったのです。」


「それじゃあ、本当に名前がわからないの?」


「そんな話、聴いたことがないなぁ。」


 ロックはどうも緊張感というか危機感に欠ける青年だ。ヴォルフ=ロジックの病因の解明よりもこの青年の奇病?というか素性の方に興味が移ってしまっている。


「確か、強く頭を打ったときなどにそういった症状が見られると聞いたことがあります。しかし、そんな君がどうドーバ老師の代わりが務まるというのでしょう。」


 どうしてもレムスの気持ちはそちらにいってしまう。


「多少の魔道術なら、クローク老師に指導を受けて筋がいい、と誉められました。それがお役に立つと良いのですが。」


 レムスとロックたちは記憶がないこの青年を細心の注意を払いつつヴォルフ=ロジックの寝室へ案内した。青年の剣の腕は先日確認済みだ。ロックでも梃子摺りそうな達人の域に達している。ロックは遅れを取るとは思わなかったが、そう簡単に片付けられるものでもない、と思った。


 寝室に入るとヴォルフは寝息をたてている。多少具合がいいのか、落ち着いた寝息だった。


「かなり高位の魔道師が呪術をかけていますね。ただ今は少し休んでいるようです。これだけの術を施そうとすればかなり体力と精神力をつかう筈ですから、術者本人の命を削りながらの呪術のようです。これは厄介ですね、僕の力が及ぶかどうか。」


「そんな、気の弱いこと云わないで何とかしてくれないか、ヴォルフ伯父は俺にとって親も同然なんだ。」


「僕にとっても何か関わりがある人のようなのです。クローク老師に僕の相を観ていただいたときに、オーガという名と、ヴォルフという名を僕自身が云ったらしいのです。だから、なんとかアゼリア公に遭う機会が無いかとクローク老師の師匠であるドーバ老師を頼ってアドニスに来たんです。それが、こんなに早くその機会が訪れるなんて。」


「そういうのを運命っていうのよ。」


 レイラが気楽に云った。ただ、ロックも言われた青年も同じ感想を持っていた。


「なんとかなりそうなんですか?」


 多少不信な顔でレムスが聴いた。


「多分、高位といってもクローク老師と比べると大分落ちるでしょう。僕の力でなんとかなる筈です。問題は相手の術者が一人じゃなかった場合だけです。一人だけなら破ることが出来るでしょう。」


「じゃあ、早速お願いします。」


 ヴォルフの病状が悪くなってからこの方いい話を聴いたことが無かったレムスにとってそれは福音としか云い様が無かった。あとはこの青年が本物かどうかだ。ただの騙り、という可能性も残されている。


「わかりました。相手が休んでいるうちに、打てる手は全て打っておきましょう。」


 青年は持ってきた袋の中からなにやら見たことも無い薬草のようなものを数種類取り出した。それから、床に何かを書き出した。魔方陣の一種のようだ。


「一旦結界を張ります。多分、呪術は術者が幽体を飛ばしてここに忍び込み、アゼリア公の心臓に負のエネルギーを送り込んでいたのだと思います。それを取り除いた上で、今は休んでいる敵の魔道師の呪術が始まったら、それをそのまま術者に返します。この「術を返す」という行為は単純で誰でも出来るものです。問題はかけた術者と返す術者の魔道力の差です。返す術者の魔道力が大きければ術は完全にかけた術者に帰ります。つまり、殺そうとしていたとしたら自分自身が死んでしまうのです。」


 ロックにとってもレイラにとっても、レムスにとってさえ、魔道についてはあまり知識がなかったので、青年の話は斬新だった。魔道力という聴きなれない言葉も出で来た。


「魔道力ってのはなんだい?」


「魔道力は、剣で言えば体力と訓練によって得られた技、というところですか。魔道力は精神と意志の力、それに魔道に関する知識のことです。当然高位の魔道師ほど魔道力は高いのです。」


「それで、君はその呪術をかけて来た術者より魔道力というのが高いというのですか?」


 レムスには青年の話しを聴いてみてもやはり、この青年が宮廷魔道師を越えるような魔道使いだとは信じられなかった。


「大丈夫だと思います。こんなにはっきりと呪術の跡を残すような術者ならクローク老師と比べると足元にも及ばない程度だと思います。」


「でも、もしその術者があなたより強い魔道力を持っていたらどうなるの?」


「僕の命もアゼリア公と一緒に無くなってしまうでしょうね。公と僕の精神が一体化してしまうでしょうから。」


「そんな危険なことに君を向かわせる訳には行かないだろう。」


 ロックはヴォルフも心配だが、この青年も妙に気に入っている。危険な目に遭わせたくはなかった。


「心配はいりません。まあ、ここで観ててください。」


 青年は直ぐに準備に取り掛かった。なにやら袋から取り出して、


「すいませんが、お香を焚きたいので香炉を下さい。」


 青年は香を焚きだした。香炉は部屋の四隅に置く。魔方陣のようなものはヴォルフのベッドの周りに書き終わった。


 それから、しばらくは静寂に包まれた。ロックは魔道などというものは、何か呪文のようなものを唱えるのかと思っていたが、そうでもないらしい。


「わが主たる太陽のソウラよ、御身の僕たるわが身にその力を与えたまえ。」


 青年はそう云ったきり、精神統一に入ってしまった。一言も話さないどころか、身動き一つしない。ここにもし敵が居れば全くの無防備のままで魔道術を行わなければならないのだ。万能にも思える魔道だが、現実の身には多きな弱点があるようだ。それも、強力な結界が張れるのなら別問題だが。


「来た。」


 突然青年が叫んだ。どうやら、相手の術者がこちらに気づいたらしい。幽体になってこの部屋に来ているのだ。


「あっそこに居る。」


 レイラが叫んだ。見ると確かに何か雲のような物がヴォルフの天蓋付きのベッドに近寄ろうとして跳ね返されている。青年の結界が利いているのだ。それにしても、ロックたちにも見えるほどの幽体を飛ばせるのだから、やはり相手の術者も相当の腕の持ち主には違いない。ロックは急に不安になった。

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