18 一歩踏み出す勇気

「みんな、助けてくれてありがとう。おかげで助かったわ」


 学校の中庭の木陰こかげに座って一息ついた柊子が礼を言うと、桜子は首を横にふった。


「気にせんといてください。昨日、助けてもらったのに、見て見ぬふりなんてできやんもん。……でも、『恋愛なんて不良のすることだ』って教頭先生はおっしゃっとったけれど、やっぱり、大人はみんなそう考えとるんかな……?」


 朧月夜おぼろづくよ家の両親は、海外との貿易をやっていて西洋人と付き合うことが多いせいか、昔の価値観に引きずられることがあまりない。

 でも、この時代のだいたいの大人は「恋愛は不良のすることだ」という考えを持っている。

 先生にあんなふうに言われると、たとえ許嫁同士であっても、柳一に恋愛感情を抱いていることがまるで悪いことだと指摘されているように聞こえてしまい、桜子は小さな胸を痛めていた。


 結婚するまでは、男女は手をつながず、接吻キスをせず、一定の距離をたもつ。

 それが、正しい男女のありかたなのだろうか?

 結婚前から柳一に近づきたい、恋がしたいと思ってしまっている桜子は悪い子なのだろうか?


「桜子お姉様! あんなガミガミおヒゲの言うことなんて、気にすることないわ! デイジー先生のおっしゃる通り、教頭先生は古臭いのよ!」


 恋愛小説をたくさん読んでいる菜々子が、プンスカ怒ってそう言い、ほっぺたをふくらませる。


「わたしは、殿方とのがたと同じ空間にいるだけで緊張するので、恋愛なんてとても無理です……」


 体が弱くて箱入り娘として育てられた桔梗が、まだ貧血ぎみなのか、青い顔でそうつぶやく。


「あたしにも許嫁がいて、女学校を卒業したら結婚するけれど、ほとんど顔を合わせたことがない年上の男の人だから仲良くなれるか不安だなぁ~」


 いつもニコニコ上機嫌な蓮華が、珍しく憂鬱ゆううつそうに言った。


 蓮華みたいに、親が決めた婚約者とほとんど顔を合わせないまま結婚するということは、この時代ならよくあることだったのである。


「でも、できることなら、婚約者とちゃんと会ってお話したい。あたしも結婚する前に恋愛してみたいし、ランデブーとかあこがれちゃう。恋を知らずにお嫁さんになるのはさびしいなぁ~」


 蓮華がそう言うと、桜子は「そうやね……」とつぶやきながらうなずいた。


「わたしも、許嫁の柳一さんと仲良くなって、手をつなぎながら銀座の街を歩いてみたい。こんなことを柳一さんに言ったら、はしたない娘やと思われるかも知れへんけれど……」


 そう心配する桜子に、柊子は「そんなことはないわ、桜子さん」とはげました。


「恋が罪悪ざいさくだなんて考え、大人たちはともかく、わたしたち女の子が持ったらダメよ。だって、恋は乙女の一大事だもの」


「恋は、乙女の一大事……?」


「ええ、そうよ。どんな時代だって、女の子にとって恋はかけがえのないものだとわたしは信じているわ。いくら恋は不良のすることだと言われても、愛のために生きられない人生なんてさびしいじゃない。

 たとえ婚約者のいる身でも、その人との間に愛を育むことはできると思うし、その人のことを愛しているのなら、想いを告げて幸せにならなきゃ。わたしはそう考えて、去年のクリスマスに、幼いころから大好きだった柚兄様ゆずにいさまに告白したの」


 柊子は、柚希ゆずきとおたがいの気持ちをたしかめあうことができたクリスマスの思い出を桜子たちに語った。






 三歳年上のいとこ・柚希のことを柊子は小さいころからしたっていて、柚希も柊子を妹のように可愛がってくれていた。


 でも、親たちが二人の婚約を交わした後も、柚希は柊子のことを相変わらず子供あつかいしたのだ。


(柚兄様は、わたしのことを妹だとしか思っていないのかしら……? ほんの少しでも女の子として意識してくれているのなら、子供あつかいなんてしないはずだもの……)


 と、柊子は心配になってしまった。


 だから、クリスマスの夜に勇気をふりしぼり、柚希に手作りマフラーをプレゼントして自分の気持ちを告げたのである。


 すると、おどろいたことに、柚希も柊子のことを一人の女の子として見てくれていたことがわかったのだ。柚希は、


「実は、だんだん美しくなっていく柊子のことをかなり前から一人の女の子として意識しはじめていたんだ。……でも、ずっと妹あつかいしていたから、許嫁になった柊子とどう接していいかわからなかったんだよ。だから、今までと同じように妹あつかいしてしまっていた。ごめんな、柊子。これからは、君のことをもっと大切にするよ」


 正直に自分の気持ちを明かしてくれて、二人は聖夜に両想いになれたのである。






「そんなことがあっただなんて、すごくロマンチックだわぁ~……」


 柊子の話を聞いた菜々子は、うっとりとした表情になった。蓮華も、


「あたしも、勇気を出して、夏休みに婚約者に会いに行こうかな。やっぱり、結婚する前にその人のことが知りたいし、仲良くなりたいもん」


 と、決心したようである。


 この時代の女の子は、十五歳になったら結婚が可能だった。結婚できる年齢になった女の子たちの中には、縁談がまとまると、親の言いつけにしたがい、学校を退学してすぐに結婚するというケースも多くあった。


 そして、自分の意思で自由な恋愛をしようとしたら、大人たちに不良だと叱られるのだ。


 恋も知らずにお嫁さんになるのが当たり前、という時代なのである。


 でも……いいや、だからこそ、恋は女の子たちの強いあこがれだった。だれだって、素敵な恋がしたかった。現代の女の子たちと同じように。


 現在と昔では世間の人々の価値観は大きくちがうことが多い。けれど、好きな人に気持ちを伝えたい、恋がしたいという女の子たちの願いは今も昔も変わらないのである。


 柊子の言う通り、恋は乙女の一大事なのだ。


「今回みたいに学校にバレたら怒られてしまうこともあるけれど、そんなことが恐くて恋なんてできないわ。一歩踏み出す勇気が、恋の始まりだと思うから……」


 いつも春風のようにおだやかな柊子が、珍しく熱っぽく語る。その瞳は揺るぎなく、強い想いを秘めているようだった。


(一歩踏み出す勇気……。わたしも、勇気を出して、柳一さんの心にもっともっと踏みこんでいったら、心を開いてもらえるやろか?)


 桜子は、柳一に自分の気持ちを知ってほしいと強く思うのであった。

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