朝ご飯を食べていないからといってホームを飛び出してはいけません。

 冬の寒々しさは徐々に消え失せ、温かさに包まれつつある、S県中部に位置する広大な町「天ノ峰」。

 この町には山や森だけでなく、ちょっとした丘やそこから出る滝、更に流れ行く先には透き通るような海などが広がっている。


 風景に溶け込んでいるが、短い川の半ばには東西にかけて橋が架けられ、その上にはレールが敷かれて電車の通りを待っている。

 東へ数分歩くと、そこに見えてくるのが電車のホームだ。


 時間は九時過ぎ。通勤ラッシュのピークを越え、比較的落ち着き始めた頃だ。

 ホームのベンチに座りながらまったりと電車を待つ二人の中学生が見える。


 一方は不自然な赤い髪にセーラー服を纏い、そしてもう一方は普通が際立つ自然な茶髪の少年だ。


「あと三分ぐらいで来るね」

「そうだな~」


 少女は伸びをする。念のためだが、返事をしたのが少女で、話を始めたのが少年である。


「でもさ、雨降らなくてよかったよね」

「予報では快晴だったし、私はそこまで心配してなかったぞ」

「ベガはしっかり天気を確認してる所が偉いよ」

「ルイ、お前は寧ろその辺に頓着がなさすぎるんだ」


 彼らは春休み最後の思い出作りのため、遠出を計画していた。町内に留まる訳ではなく、別の町まで行ってみたいという、少女ベガの提案によるものだ。


 ベガはこの町から出たことが少ない。地球で良く居る場所といえば少年ルイの家であり、たまに天ノ峰の町中を出歩いて冒険をする程度だった。

 海外には何度か行ったことがあるものの、それはあくまで義務的なものであり、楽しいものとはまた異なっていた。だから彼女にとっては、これが非常に楽しみで、大きな冒険だ。


 それをよく理解しているルイは勿論提案に賛成し、前日の内に準備して万全な状態で臨んだはず。しっかりと背負ったリュックサックには、飲み物やタオル、それと二人分のお弁当も忘れない。


 こういった単なる町旅の服装は、できるだけ軽装備にするべきだ。ルイはシャツの上に、チェック柄で薄地のトップスを羽織って、後に寂しく残った僅かな寒さから身を守っている。


 だがベガに関しては、外出する際に年がら年中セーラー服を身に纏い続けている。それで四季の寒暖の差をそれで乗り切れるのかは甚だ疑問が残る。


「特別な日ぐらいは別の服を着ればいいのに」


 と言ったとしても、決まって彼女は「私はこの服が好きなんだ」と聞かない。だからそのうちルイは、助言をするのをやめた。


「あと二分か……」

『ぐぅう……』


 突如、ルイのお腹が欲を満たそうと寂しく鳴く。


「えへへ、どうしよう、ちょっとだけおなかすいちゃった」

「そんなこと言われてもなあ……気持ちは分かるけど」


 彼らは急ぎ足で支度をしたために、朝食を食べずに外へ出てしまっていた。じわじわとお腹が空腹を訴えつつある現状、何か食事を取らねばろくな行動もとれない。少々タイミングが悪いようにも感じられるだろうが。


 朝食は昼以降のモチベーションにも関わってくることを、二人は十二分に理解している。だからこそ、少しでもエネルギーになるようなものを摂取しておきたいのだ。


 けれど、折角のお弁当をこんな直ぐに摂るのは流石に気が引ける。


「あっ」

「ベガ、どうしたの?」


 ベガの赤い髪の横にある、よく凝視すると見える一本の垂れた毛、俗にいうアホ毛がピクリと動く。彼女は何かを見つけたらしく、向かいのホームのある一点を凝視している。


「あれだよ、あれ」

「……もしかして、あの自販機?」


 自販機と言ってよく聞くのは、間違いなくペットボトル飲料だろう。

 だが、眼差しの先にあるのはそういった水分の類ではない。第一水分ならば昨日の準備の間に、しっかりとバッグに詰めている。


「……あー、なるほど」


 ルイはようやっと理解した。あれは単なる飲料販売機ではなく、ホットスナックを販売するものであると。


「あれなら安くてお手軽に買えるんじゃないか?」

「そうだね……でもそれならこっちに……」


 隣を見やるも、そこにベガは居なかった。


「まさか……」


 ベガの行動は、気が付く頃には終わっていた。彼女は既にホームの反対側にいた。

 なんと、向こう側に大ジャンプをしたのだ。何もなかったから良かったものの、こんなことをしたら大変危険だ。


 もし仮に電車が来てしまったら、怪我では済まされない。いやそれ以上に、緊急停止した車両に想像以上の迷惑をかけてしまうことは間違いない。ルイとしては、それが一番の心配要素だ。

 しかも今の一瞬だけで向こう側のホームの人たちの視線が、一斉にベガへと向いた。一部始終を知らなければ、何もない所からいきなり可愛い少女が現れたのだから当然だ。


 ピークが過ぎたとはいえ、中途半端に人気のあるこの時間だからこそ人々には奇怪に映ってしまったのだ。


 本来こういった視線が自分に集まることを嫌うベガであるが、それ以上にルイが空腹であることを気にしていたのだ。


 一年で築き上げた、星を超えた友情。「ルイのためなら死ねる」とまで言わしめるその行動力には感服せざるを得ない。


 ベガはペットボトルを買う要領で、お金を入れていき、そしてルイが好きなポテトを選ぶ。

 しかし、ここで問題が発生した。


「出てこない……」


 ボタンを押せば、商品は出てくる。その普通の自販機による固定観念に縛られ、それが当たり前のこととして捉えているためか、事態を把握することができない。

 何事かと自販機を満遍なく見てみると、ようやくベガは理解した。


「そういうことか……!」


 ホットスナックの自販機は、内部で冷凍保存をされている。ただ、そのまま提供することはできないので、ボタンを押すと温室へと移動し、少々時間が経過した後に提供されるのだ。


『残り30秒』


 その表示が出る頃には、ホームでアナウンスが流れ始める。


『間もなく、2番線に普通列車○○行きが到着します。黄色い線の内側までお下がりください――』

「……仕方がないな」

「ベーガー! 諦めようよぉ!」


 遠くから少年の声が聞こえるが、ベガは諦める気は無かった。寧ろ時間を経過させる最善の手段を実行している。それは自身が人間でないからこそできること……。


『デキアガリマシター』


 10秒も経たずにポテトが出てきた。それを取り出すと直ぐに、向かいのホームへと戻ろうとする。

 再び大ジャンプを試みるが、先ほどより明らかに速度が出ていない。


 迫る電車はミリ秒単位でベガに近付く。


 真っ先に気付いたのは電車の運転手だ。想定よりも重めにブレーキをかけ、どうにかこうにか衝突を免れようとしたのだ。

 それが功を奏したのか、ほんのギリギリでベガの着地が間に合う。


 しかし、それで力尽きてしまったのか、少女はその場で倒れこんでしまった。人外なことを三度も行えば当然だ。


 その光景を見て、誰よりも青ざめていたのは運転手だ。超常現象を目にしただけでなく、自身が人を殺めてしまった可能性まで浮上する。そんな中で、どうして冷静でいられるだろう。最も、それは単なる考え過ぎなのだが。


 ただ、冷静でないのはもう一人。


「救急車ぁ! お願い駅員さん救急車呼んでぇ!」


 パニック状態になるとルイは止まらない。何だかんだで、彼も少女の安否を心配しているのだ。考え過ぎにも程があるが。


「落ち着けルイ……疲れて倒れただけだ……」

「やあああああああ喋ったあああああ」

「喋るに決まってるだろ」

「わあああああああああ良かったぁ……良かったあああああああ……」


 情緒不安定くんは驚き恐怖したその瞬間に嬉し涙を流した。


 当然の話であるが、駅員にこっぴどく叱られた。四十五分ほどのお説教で勘弁して貰えた様子だが、そこで受けた精神的ダメージは相当なものだろう。自業自得と言えばそれまでだが。


 駅の外に出て、近場の川辺に二人して座り込む。

 買ったポテトはすっかり熱を失くしてしまった。


「うわあ、何だかしょっぱい」

「本当だな……それに冷たい」

「……この後どうする?」

「電車は使いづらくなっちゃったな」

「でも町内だと、ベガは満足できないでしょう?」

「私は別に、ルイと一緒にどこかへ行ければ満足だよ。 ……変に気負うなよ?」



 そのとき、ルイのポケットに入った電話のベルが鳴り響く。


 彼のために作られた特製のものであるため、普段は鳴ることも無い。ただルイは、情報収集に便利であるため持ち歩いていただけである。ある意味携帯電話の体を成していない機械である。電話をしてくるのは、この端末を作成した人間だけだ。


「もしもし。どうしたんですか」

『ルイさん、お、おひさしぶりなのです』


 声の主が想定と違っていたため一瞬戸惑うが、独特な口調からその助手であると直ぐに気付いた。

 電話があったということは、何かが始まる。いや、何も始まらないはずがない。

先ほどとは打って変わって、二人にはまた楽しみな気持ちが戻ってきた。朝倉研究所の、星夜からの招集に快く応じた。


「じゃあ、今から行くね」

『いえ、その必要はありませんよ、待っててほしいのです』

「へ……?」


 その発言はいかにも、今すぐそちらへ向かうと言わんばかりの発言だ。


「瞬間移動の技術が完成したよ」


 背後から朝倉の声が聞こえた。

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