遡上
仕事帰り、遡上するサクラマスを見に行く。峠を越えて農道を走り、砂利道に変わるとそこへたどり着く。いまでは立派な看板も立ち、案内標識もあるが、私が通い始めた当時はそんなものは一切ない。勘だけで進むしかないような、一度行けても二度は行けないような、そんな秘境だった。それが観光バスもコースに組み込むほどになっている。私の大好きなあの美しい青を湛える池も、見物客の多さに、とうとう遊歩道を設置した。景観が変わってしまったけれど、しかたのないことなのだろう。
サクラマスも、他のサケやマスと同じく川で生まれて海へ行き、回遊してまた戻る。しかしそれはメスだけであり、オスはそのまま川に留まり「ヤマメ」と呼ばれている。つまり川にいるオスを求めて、サクラマスは遡上するのだ。
彼女らが戻る一つの川では、地盤沈下だか隆起だかである日突然滝ができてしまった。ただ泳ぐだけではたどり着けず、滝を登らなければいけなくなった。水流で見えない滝壺の中にはいったいどれだけのサクラマスが待機しているのだろうか。左右に体をよじらせて、いざ滝を越えんとする姿が、次々と川面を飛ぶ。しかしそのほとんどが飛びきれず、あるいは水の勢いに弾き返されてまた滝壺へ落ちていった。
六月から始まり、お盆すぎまで続くというシーズンの半ばだ。さすがと言うべきだろうか。少し立って見ているだけでも、何十と飛んでいく。眺めているうちに応援する気持ちよりも「ヤマメが降りてこいよ!」というほうが大きくなってくる。のうのうと上流にいるんじゃない。
サクラマスはこうして傷だらけになりながらも遡上を完遂し、ヤマメと出会い、また過酷な運命に立ち向かうサクラマスと綺麗な上流の川で過ごすヤマメを産み出す。
登れるとか登れないとかではない。遡上しているということは、それだけ上で生まれてきているのだ。諦めなければ飛べるのか。浅瀬に横たわる傷だらけのサクラマスが脳裏をよぎった。
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