イヌ

 夏が始まる頃になると、森には白が目立つようになってくる。春は黄色い花で始まるが、夏はどうやら白いようだ。花の名前はほとんどわからない。けれどこの時期になると咲く、ということはわかる。白紫陽花と呼んでいても、私はそれが紫陽花でないことを知っている。花以外だと白やピンクに染まるマタタビの葉も森のアクセントになっており、綿毛も舞う。まるで雪のようだ。タンポポのそれとは比較にならないほど大量の綿毛がふわりふわりと宙を漂い、やがて地に落ち、道路脇へ白く積もる。犯人はドロノキ、というらしい。割り箸やマッチ棒になると追加情報を得たが、あらゆる材木がなりうるだろうから、いまいちドロノキを知るには足らない。どうやら泥のように役に立たないからという由来があるらしい。(諸説あり)なんともかわいそうな名付け方である。

 しかしこのかわいそうというのも主観的であるけれど、かわいそうな名というのはだいたい主観的だったりする。「イヌ」は、たいてい似ているけれど食べられないものや、似ているけれど役には立たないものにつけられている。イヌビワ(食べられない)、イヌザクラ(桜に見えない)、イヌザンショウ(辛みが弱い)、イヌツゲ(ツゲは高級材木)などである。「イヌ」ではないが、シシウド(ウドと違って食べられない)はイノシシなら食べるだろうということで名が付いたようだ。

 おそらくはそのほうがわかりやすかったのだろう。似ているけれど全く別物だというときに、「ビワ?」と聞かれてまるで関連のない名を返されるよりは「イヌビワ」と、ビワだけどイヌなんだと直感的にわかる方が伝わりやすい。「イヌツゲ」なるほどこれは伐っても役に立たない、選んではいけない、というように。

 言葉は伝わることが基本にある。コミュニケーションツールだからだ。伝わらなければ意味がない。けれどそこには局所的にだけ伝わることを望まれている言葉たちも存在する。イヌ記事。

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