手書き革命
小学生のとき、おとなっぽい字というものを書きたくて母親と練習したことがあった。そういう字を書く身近な人といえば母親だったからだ。思い通りに書けないひらがなの書き方を、メモ紙を渡してねだって教えてもらった。習字の先生だとか国語の先生だとかそういう人ではないし、練習方法といってもただ繰り返し書き続けるだけだ。それでもなんだか楽しかった。目標通りおとなっぽい字を会得し、中学生になる頃には友人の生徒手帳に「体調不良で体育を見学します」と彼女の母親を騙って書くよう頼まれるまでになる。
やがて私は高校生になり、ふたたび思い通りに字を書きたいという欲求に突き動かされる日がやってきた。おとなっぽい字から、印字されたようなきっちりかっちりしたものを書きたくなったのだった。書道をやっているおじいさんに五十音表を書いてもらった。やり方は母親の時と一緒で、どうにかこうにかお手本に似せて書く。うまくいったと思えば今度は、うまくいった自分の字を真似て書き続けた。お手本に似せるときには、「あ」の縦線は横線のどの位置から降りてきているのかなどの観察が欠かせない。それが楽しかったのだと思う。
「はじめはゆっくり丁寧に書いて。慣れてくればそのうち早く書けるようになるから」
と言われて、もどかしさを抱きながらゆっくりひらがなを綴っていた。そうして練習したのはひらがなだけだったのに、文章全体が整ったような気分になった。書いたものを遠くから眺めると気持ちよかった。
二十五歳の秋、私は万年筆という筆記具に出会う。本当の出会いは小学生のときだったから、ここでは再会と言うべきだろうか。シンガーソングライターの鈴木亜紀さんが歌っている「Blue Black」にでてくる一本のそれに惹かれたことがきっかけだ。想いが募り募って、やっと手に入れた初めての万年筆。カートリッジを差し込み、ティッシュにインクを滲ませ、「あ」と書いた。革命だった。
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