8:00→10:00

「あのう、柏……豊さんは?」

「だいぶ酔ってたからまだ寝ると思うし、先に食べよ?」


 本人不在のまま口にした朝食。

 アルコールの残る体にダシのきいたお味噌汁が染みたけれど、決して居心地がいい状況ではなかった。


「あら、いいのよ!のんびり座ってて」


 彼のお母さんはそう言ってくれたけれど、のんびり座って時間を潰す余裕なんてまるでない私は、洗い物でも手伝おうとキッチンに近付いた。


 水を流していたからだろうか。彼が扉を開けた音に全く気が付かなかった。

 彼もまた私の存在に気が付かなかったのだろう。そもそも、私が泊まっただなんて夢にも思わなかったと思う。


 彼は『……はよ』と静かに着席したあと、向かいに座る響花さんに『……俺、昨日どうやって帰ってきた?』と眠そうに問いかける。

 辛うじて笑いを堪えた彼女は、携帯を操作し先程の動画を再生した。


「これを覚えてないの?弟よ」

「……まじか」

「早く雫ちゃんに謝った方がいいわよ」

「……俺の携帯どこだ」


 右手で顔をこすりながら彼が慌て出す。


「……情けねー。引かれてたらどーしよ」


 ぶつぶつと嘆き狼狽える姿はとてもとても新鮮だった。


「その前に顔くらい洗ってきたら?そんな顔してる方が嫌われるわよ?――ね、雫ちゃん!!」


 後頭部をボリボリ掻いていた柏木の手は一瞬にして止まり、眠気で閉じ気味だった瞼はみるみる大きく開かれた。


「た、高……!!」

「昨日、誰かさんがうるさいから客間に泊まってもらったの♪」


 その時の、響花さんの楽しげな表情と柏木の困り果てた表情を私は一生忘れないと思う。


 ***


「いつまで笑ってんの」


 その場に居づらくなったのか、柏木は朝食もとらずにバタバタと準備を始め、私を引っ張るように家を出た。


「だって」

「だって、なに?」

「家族の中だといじられキャラなんだもん」


 車で30分ほど走ったところにある『見晴らし公園』は、小高い丘の上にあるせいかあまり人は集まらないが、街全体が見渡せる気持ちのいい公園だった。


 後部座席に積んできた赤いギンガムチェックのブランケット。

 日陰を作る大きな木の下に敷き、並んで腰を下ろした。


「……カッコ悪い奴だと思った?」


 背筋を伸ばし両足もどーんと投げ出しているくせに口から零れたのは、あまりにも弱気な言葉だった。


「ちっとも」


 答えながらまた笑ってしまった私の脇腹を彼は悔しそうにつつく。


「可愛かったよ?」


 フォローしたつもりだったけど『可愛いは嬉しくない』そうで。


「本当は」

「……本当は?」 

「俺にドキドキしてどうしようもなくなってる雫が見たいんだよ」


 力を蓄えた強い眼差しに心臓が高鳴る。


「でも、姉ちゃん絶対あの動画消さないよなぁ」


 落ち込む横顔に、くすぐられる。 


「どーしよ?」


 苦笑いで崩れた顔にも、頬が緩む。


「さぁ、私に聞かれても」


 そっけなく返してみたけれど、私はいつまで隠していられるだろう。



「……挽回しないとなぁ」



 彼はそう呟き仰向けに寝転んだが、眩しかったのかすぐに私の方に体を向けた。

 背中に視線を感じてこそばゆい。

 そおっと振り返ると、彼は幸せそうに微笑んだ。


「……か、可愛い~」

「だから、やめろって!」


 わざとからかって目を逸らしたのは、直視したら溶けてしまいそうだったから。


 ――お日様顔負けの『柏木スマイル』に。

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