第7話 In the night sky...

 宇津美うつみ 夕佳ゆうかが死んだ。

 そんな報せを受けてからというもの、このところ宇津美のことばかり考えてしまう。

 思い出そうとしなくても、思い出してしまう。

 不思議なもので、あいつが傍にいた中学時代は鬱陶しくて仕方がなかったくせに、いっそあいつなんていなくなってしまえばいいとかそんなことを平気で考えてしまっていたくせに、今ではあいつの嘘みたいに明るい笑顔だとか真面目で公明正大で誰にでも心を砕いていたその姿が、妙に懐かしく感じられた。


 生前は評価されなかったけれど死後にその功績が評価されたとか語られる偉人は少なくない。悪評がある程度あった人間でも、死んでしまえばその一面は何らかの美辞麗句で誤魔化されてしまう。そういう風潮に疑問だとか反発だとかを覚えたことは数知れないが、案外これもそういうものと同類なのかも知れない。

 感傷、と呼ぶべきなのだろうか。

 そんなものをあいつが望んでいるかはわからない。というか、望んでなどいないだろう。だって、宇津美はもう何も望みはしないのだから。そういう答えを抜きにしたって、たぶんあいつはそんなことを望まない。

 あいつはいつだって、周りを楽しませることを考えていた。

 別に笑いを取りに行ったりとかそういうことをしていたわけではない。ただ、とにかく周りの空気を読んでいた。気にし過ぎるくらいに、空気を読んでいた。それで、周りに合わせる協調性だったり、それでいて物事に対して真面目なその姿勢は、案の定教師を含めた周囲の受けもよかった。


 それがどこか作り物じみているのは、きっと中学生になりたてのガキにでもわかったことで。

 たぶんそのガキ……あの頃の俺は、宇津美のそんな姿が嫌いだったのだ。


 そんなことを思っている間に、宇津美の葬儀は終わった。

 出棺の時、霊柩車で火葬場まで送られる宇津美を見送る参列者は思い思いの言葉を呟いていた。

 聞こえてくるのは。


 あんなにいい人だったのに。

 いい子だったのに。

 明るい子だったのに。

 楽しい子だったのに。

 ムードメーカーだったよね。

 面白枠っていうのかな。

 癒し系だったかも。

 何か、見てるとウケたよね。

 笑えた。

 でも、いい子だったよね。


 あとは似たようなもの。

 そこに交ざるほど俺は宇津美を知らないし、交ざろうとも思えなかった。

 昨日からずっと見続けている遺影には、中学よりもう少し成長したと思しき明るい笑顔を浮かべる少女が映っていて、それは少なくとも、あの年の文化祭後に見た宇津美 夕佳とは別物に見えた。

 たぶん、参列者が見ていた宇津美も、きっとあの日の姿とは違ったのだろう。


 あいつは最後まであいつのままだったのだろうか。

 明るくて、公明正大で、真面目で、空気読めて、そんな「宇津美」のままだったのだろうか。

 もちろん、そんなのは知る由もない。知ったところでどうしようもない。

 だが、少なくとも俺は、そんなあいつを毛嫌いして嘲笑うなんて気持ちは……中学生の頃は本当にしかねなかったことは思いもつかず、むしろ「どうしてそこまでしたんだよ」と問いかけたい気持ちになった。



 中2の秋。

 結局、促された打ち上げに参加した俺は、「次のライブには絶対出る!」と意欲を燃やした言葉を吐いてみせて、奈留島なるしまから「そんなこと言って、無茶してまた疲労骨折とかしないでよ?」といつものように諫められ、栗原くりはらからは「頑張ろうぜ!」と励まされ、我がバンドの天才ギタリスト吉田川きつだがわからは「先輩とセッションできるの、楽しみにしてますからね!」とキラキラした目で言われた。

「おぉ! 当たり前だろ!!」

 そうは言ったものの、俺の胸には次の機会になるだろうクリスマス・ライブよりもついさっきまでいた生徒会室のことが残っていた。


沢上さわがみくんは、わたしのこと嫌いなんだと思ってた』


 その言葉が、そして言ったときの表情を忘れられなかった。もちろん、数年経った今でも。

 あのときに見せた自嘲めいた笑顔。

 泣きそうなくらいに歪めながらも、それでも崩れない笑顔。その後に続いた弱々しい告白。陰で色々言われてたのを知ってるだとか、それでも頑張ってきただとか、そんな が言わなさそうな言葉。

 友達になってよ、と言われた。

 俺はその言葉に即答できなかった。

 怖かったのだ、あいつが俺たちと同じようなやつだと認識するのが。

 人並みに人を疑い、人並みに傷付き、人並みに感情を押し殺し、人並みに怒り、人並みに人を嫌う。

 当たり前のことなのに、だと思っていた彼女の口からそういう言葉を聞いたと、あの頃の俺は認められなかったのだ。

 だってそれじゃ、あいつは俺たちと同じじゃないか。

 勝手な理想に囚われただけの、どこにでもいる中学生。それが宇津美の正体なのだとしたら、俺は……? 陰で言ってたってやつらは……?

 考えるのも怖かった。

 今でも、直視したくない感情。

 だから中学生の俺は、本当に目を逸らした。打ち上げの熱に溺れ、それからも手の治療(といっても安静にしておくことくらいだったのだが)だとかクリスマスに向けての作曲活動だったりとか、文化祭後のことなど関係ない日常の中に逃げた。

 宇津美の方もそうしたかったらしく、あの日以降も俺に接する態度はあくまで変わらず、いちクラスメイトのままだった。俺の方も、あの日までと変わらず「嘘」を通した。嫌ってはいないフリ。友達の友達として、宇津美と接してきた。

 間違っても、2人きりになるようなことはなかった。

 もちろん、その方がお互い都合が良かったのだろう。

 余計なことを聞かずに済む。

 余計なことを話さずに済む。

 言葉には出さなかったものの、きっとお互い共通の意識だった。そして、俺は中学卒業とともに地元を離れて。宇津美は地元に程近い、「友人」たちの大半が行くという隣町の高校に進学した。

 最後に交わした言葉は、「じゃあな」「元気でね」くらいのものだったと思う。


 それが、俺と宇津美の接点の終わり。

 栗原から死んだことを聞かされるまで、まるで接点など巡ってこなかった。

 同級生たちと集まって、すっかり大人びたやつらと話す。話題はといえば、最近どうだとか誰が誰とくっついて別れただとか、そんな他愛のない話。

 だが、そこに交ざって。

 誰が口火を切ったかは、わからなかった。

「それにしてもさ、宇津美さんって見てて大変そうだったよな」

「今思うと、何か必死になって委員長キャラを演じようとしてた感じ?」

「沢上も大変だったよな、あんなに絡まれてさ」

「まぁ、あの時のお前ってば格好の餌食だったもんな~。いかにもはぐれてるぜって雰囲気出しまくってたし」

「宇都美さんと仲良くしとけば何かよさげに見えたから仲良くしてたけど、友達っていうとまた違ったよな」

「なー」


 急に、始まった。

 よかったな、宇津美。お前は俺が嫌いな風潮の例外だったみたいだ。出棺の時も、今も。

 あのときお前が言ってたの、当たってるぞ。

 陰口ばかり言われてやがる。

 どうだよ、今の気分は。

 ほら、やっぱり。なんて思ってるか? どうなんだよ。あの、全部諦めたような顔で、寂しく笑ってるのか?

 ……あぁ。

 くそ。


「お前らそれしか言うことねぇのかよ」


「……え、沢上?」

 隣にいた河崎こうざきだったかが意外そうな声を上げる。軽い驚きの空気は、しかしすぐに違う色を帯び始める。

「あ~、もしかして? あぁ、そりゃ悪かったよ」

「そっかそっか、それは十分ありえるよな~、あんなに一緒にいたもんな」

「学祭のときとか特にさ。部活の演奏だとかでよくいたもんな」

「あ、なるほどな……!」

 こいつらは、よっぽど日々が退屈なのだろうか。それともここまで言ってしまえるほど宇津美のことを嫌っていたのだろうか。嫌ってしまえるほど、宇津美の内面を知っていたのだろうか。

 もしかしたら、こんな風に茶化すことでこの流れを変えようとかしているのかも知れない。俺が不意に打ち切ってしまった「昔のことを懐かしむ」空気を取り戻そうと。何しろ、ほとんどのやつが地元に残った中、俺だけ遠くに越して数年間1度も帰らなかったのだ、もしかしたらそういう可能性だってあるのかも知れない。

 それでも、俺にはこの空気とやらは馴染まなかったらしい。


「お前ら、ほんとつまんねぇんだよ。帰る」

 捨て台詞じみた言葉を吐いて、俺は集まっていた喫茶店を後にした。慌てて追いかけてくるような声だったり、とうとう抑えられなくなった怒りをぶつけるような声だったりが後ろから聞こえてきたが、そんなのには構わず駅に向かった。

 どうせ今日帰るつもりだったのだ、それが数時間早まったに過ぎない。

 必要な荷物は偶然にも全部持っていた。実家には後で連絡を入れておけばいい。


 強いて言うなら、どんな顔をしていたのか、帰りに切符を買うときに駅員を怯えさせてしまったことだけ申し訳なく思うくらいか。

 気分が、ひどく悪い。


 そんな風にして、俺の最悪の帰郷は、最悪の形で終わった。

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